枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

小雪、八せん終り・三隣亡

2019年11月22日 | Weblog

 二十四節気 小雪 寒気つのり、雨凍って雪となる。の意で、小雪と言う。この頃より、風も寒冷の気を運ぶ。毎年、十一月二十二日頃である。薄曇りだった空が、雲が広がり始め、瞬く間に陽射しが陰る日である。昨日、蒲団を干していてよかったと安堵。洗濯物は乾かないが、明日から四連勤なので。

 寒いのである。二十四節気の季節は、実に上手く的を得ている。古の人々は、そういった感覚を身体で知っていた。アナと雪の女王2が、本日からの上映だが、何か曰くがあるのだろうか?外気温も可なり低く、外には出たくない心境だ。来月になったら、観劇に行く予定にしているが、怪しい雰囲気か。

 明日は、勤労感謝の日で、働けることへの感謝の意であろうか?物事は取り様にも依るが、多くの腑に落ちない出来事に、唯々開いた口が塞がらぬ。時々、ポストに大金が入っていたり、匿名の寄付があったのは、悪い事と知りながらも、受け取らざる物であったからか。正義は何処に消えたのだろう?。

 枇杷葉温圧療法をしないでいると、体調が思わしくなくなる。今朝は冷え込みも激しいため、ストーブやガスでの温めで遣っている。懐炉も貼ってはいるが、じんわりと効果があるので気持ち良い。寒がりには持って来いの方法で、蒟蒻と枇杷葉の生葉さえあれば、手当てが出来るというもの。手軽である。

 介護の仕事には、休日や祭日がない。そういう日にこそ出なければで、食事も作るので、何時もの業務が滞る。幼子も年寄りも、生きていることには変わりなく、命は平等にある。自分達も、歳を重ねていけば、同じようになることは分っており淋しい限り。脳科学者の母が認知症になる。著作に納得する。

 人間は、誰もが・何時でも、選ばれずに認知症状になる。常時傍に居ても気づかずだったりする。何が原因であり、発症するかは別として、人間であることに変わりはない。命を終えるのも、其処迄の課程にも、大きな差はないと思える。要は、家族の拘り方で、人生の終末が少しく違うのは分ることでも。

 昔は、年寄りをここまで赤ん坊扱いしなかった。歳を重ねれば、体力も気力も衰えてくるものだから、一線から退いていくのは決まっていたし、それはごく自然のことだった。大切にも思わないが、邪魔にもしなかった。自分の行く末として、捉えることも大事だった。そこには命への感謝と敬いがあった。

 宇宙の起源は何時だろう?難しいことを考えるより、美しい星を眺めていれば満足である。

 

 

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