枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

穏やかな陽ざしに・・・

2012年11月20日 | Weblog

 昨夜、体調不良の連絡をしていたが、朝起きられない。気づいたら9時を回っていた。おかしいなぁ・・と体温を測る。おおっ、37.8℃もある。この体温がしんどい。標準より低いので、身体が動かない。渋々起きる。やっとのことに着替え、病院を目指す。

 行きたくないが、上司の命令である。然も、受診しないと仕事に行かれないのだ。Drは、点滴をせよ。と言うが断る。2時間もベッドにはいられない。で、何処が悪いのか?えっ、風邪でもなければ、なんでもないと思うのだが。一応、原因不明です。

 熱があることを事務所に伝える。休みです。昨夜は、トイレと仲良くしたが、映画を観て帰宅し、梅の丸薬を飲み込んだら、それも止まった。単に身体がだるいだけ。排便があるまで、出勤停止をくらう。それも結果次第。Drにもわからないことがあるらしい。

 薬が出たのを、これまた仕方なく受け取る。薬剤師のDrが、好感度の高い方で、それも要らないとは言えなかった。人間も、動物も哺乳類ですから、似たところは多く、わかることも、その反対もある訳です。何故かしら、『動物のお医者さん』を読んでいる。

 すっかり良くなったというのに、出るものがない故、出かけられない。無理です。胃の中は空っぽで、2・3日はかかる、というものです。昨日の体調の悪さには、何か憑いていたとしか思えない。腕が、切断された鈍痛、激しい痛みと悪夢。霊感ですな。

 急な休みで、時間が多い。然るに、試験勉強に励む。折角の貴重な休みだ。加えて、外出禁止なのです。これ以上の学びの間ではないか。蒟蒻を腰に、枇杷葉を貼り付けての勉学です。あまり捗らないが、これも試練の一つ。

 春の花、アネモネ。ナメクジが食べる。今年は、唐辛子で退治できるかな。

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しし座流星群

2012年11月19日 | Weblog

 流星雨とまでいかなくても、と期待の感は否めなかったが、視覚には入らなかった。それよりも、偶然夜空を見上げて、観えることもあるから、これからの時期、下を向いては歩けない。油断大敵である。流れ星の興味のあるところは、この遭遇にある。

 比較的に観易い、夏のペルセウス座流星群と、冬のふたご座流星群は、初心者向け。必ず、1つ2つは観られるのが特徴だ。夏は、涼しくて好い様にも思うが、場所は山である。明け方での冷え込みには充分な注意が必要ですよ。

 冬期は、スキーウェアがお薦め。これなら、夜間の霜にも、寒さにも余り影響はない。写真撮影を行う場合には、カメラの画面が曇らない工夫を。本来は、夜間小用に起き、寒さに震えながら、ついと見上げた宇宙の星に見惚れる状況。

 この時、偶然に流れ星を観た時の感激は、終生忘れられない。病み付きになるか、その手の専門書を読み耽るか、何れも天文に興味を持つ。色々やれば、お金もかかるし、保管と整備にも大変だ。従って、横着物には、野外での観測程度に留まる。

 今晩は、勤務先での映画の上映会である。原作を読んだので、行かなくてもいいが、帰宅時の宇宙に期待をしている。雨模様になる見通しで先は暗い。昨日の月の美しさを思うと、些か残念でもある。だが、これが自然だ。人間は贅沢な生き物であることか。

 枇杷葉を見て回る。たくさんの花芽が付いている。日当たりのいい場所のは、薄茶色の苞が少し綻んでいる。月末には咲くだろう。白枇杷の花芽も多い。だが、この中の幾つが結実するかは、枇杷葉自体が決める。これも自然の成り行きである。

 ヒアシンス。様々な色があるんですね。我が家には、自分の好みが大きく、白、薄桃、濃い桃色、青、橙がある。

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心が温かくなる・・・

2012年11月18日 | Weblog

 昼の献立は、酢豚であった。決めた日から、材料や作り方の研究をし、いざ本番に臨む。材料の分量は、ある意味いい加減だが、心を込めて作る。餡かけも全て、手作りだ。小一時間の調理時間が過ぎ、テーブルに並べた。鱶鰭スープもつく豪華さだ。

 いやぁ。作った本人、びっくりした。日頃、食べないだの、何だのと御託を並べる人が、あっという間に完食。スピードも速かった。中にはお皿まで食べるのか?と見ていると、皿を傾けて汁を飲んでいる。美味しい!と笑顔。時間はかかったけれど、作ってよかった。

 材料は、一緒に切ったり、ピーマンの種を取ったり、笊に入れてくれたりした。先日のテレビでしていた厚揚げを、肉の代わりに入れた。野菜が茹って少なかった。次回は、少し増やそう。それにしても、料理嫌いの者が作ったのに、美味しいとは。

 心がけていることとして。どんな物でも、美味しいと言われるよう、努力を怠らない。食材が安く買えることもポイント。また、手早く作ることも大切。加えて、台所を片付けながら、次の段取りを考えてする。そこら中を水浸しにしないことだ。

 何をするにも、拡げまわっては、その場所を離れる時が困る。最小限のスペースで、最大限動く。これが意外と難しい。然も、手元を見ながら、遠方も見る。何かあれば、台所を出て行かねばならない。へろへろになるが、美味しいと皆、黙って食べる。

 唯一、皆さんの笑顔と、美味しいと言ってくれる言葉とが、次は何にしようか?になる。私の作りたい物でもあるが、皆さんの好きな献立になる。その第一位は、お寿司で、散らしも握りもいい。茶巾寿し、蛤寿し。巻き寿しである。季節の材料での献立だ。

 白鷺城である。千姫様の嫁ぎ(再婚)先。来春には、天守閣が修理完了となる。混雑するだろうなぁ。

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ミュージックフェステバル

2012年11月17日 | Weblog

 孫たちの通う小学校で、恒例の発表会があった。近年は、その呼び方も『ミュージックフェステバル』と言う。また開催時期も寒中であったのが、この季節に変わった。何しろ、風邪が猛威を振るう時期と重なるので、総勢49人では、一人欠けても支障が出る。

 同時に、燃料費も莫迦にならないので、今の季節なら、ストーブはさしたる必要もない。尤も、重装備で、懐炉を付けて行ったし、ソックスや座布団、膝掛けは用意した。体育館での観覧で、やはり底冷えで、天気が雨模様なのも寒さが増す。

 観覧席の椅子の置き方に、いつも疑問を感じるのは、私一人なのか?前列を、来賓席にしているのはいい。保護者の席が次に続くのも良い。問題は椅子の並べ方。何でUの字にしないのか。観難くてしょうがない。坐高が低いと不便極まる。

 小さい時から、立っているといいが、座った途端に前が全く塞がれる。教師の融通が利かないのもあるが、席順は坐高で決めてほしい。チケットを買うなら、当たり外れもあろうが、そのくらいの配慮は当然ではないか。せっかくの孫たちの晴れ舞台が観難いとは。

 大雨の中娘と帰宅する。今年初めての、ストーブを点け、人心地つく。午後から仕事なので、昼食を早々と摂る。乾燥うどんを湯がいて頂く。少し細めの麺だが、腰は強い。出し昆布で取った浸け汁は、美味しゅうございます。因幡うどんです。

 勤務に行き、4時間ほどをこなし帰宅。おおっ。月が出ている。あらっ、今夜は小さい月だ。そこでやっと気づいた。昨夜、月が巨大に観えたのは、雨が降るから、空気が膨張していたことに。自然のことは、やはり未知のことが多いです。

 百姓は、百のことがわかって、百姓だ。と、木村秋則さんが、著作で書かれているが、さてもそうであったかと、無知を知った次第。地震や津波も、自然の法則に反する行いを、人類がしているから、被害は大きくなるのだ。

 満月。十五夜です。月を観ていると、天女が舞っているように観える。御薪能の、羽衣がそうだ。ああ美しき天の衣か。

 

 

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三日月

2012年11月16日 | Weblog

 夕空に、三日月がかかっていた。運転中であったので、撮影ができなかった。然も、既に西の宇宙で、十数分後には沈んだ。その日の勤務状況にもよるので、チャンスは少ない。加えて、お天気でなければ観えない。月が接近していて、巨大に観えた。

 駐車場の白い山茶花が、ライトに浮かび上がる。可憐である。花木は、自分で美しくできるが、人間は、誰かの手を借りないと、難しくなる。高齢者になると、その殆んどが、入浴の洗髪時に、長い髪は手がかかる、と切られてしまう。本人の意志は、二の次だ。

 毎月、髪染めやカットに、移動で来てくれる方々がいる。どのようにいたしましょう。と言われても返事ができない。そういう方の代弁を、アドポケート機能と呼ぶ。細やかな拘りをしていないとできない。髪の多い方には、カットと漉いてもらうのを加える。

 来月のクリスマス会で、唄を披露される方には、何処から見ても、綺麗に見えるような髪型に。また、襟足を短くとか、耳にかけない長さと注文をつける。その人の持たれる個性を、髪型一つでも現せられるよう、と思っている。何気ない仕草が美しく見える。

 私は、小さい時には、猫毛の癖毛で、朝が何時も悲惨だった。大きくなって、パーマをかけんでいい。とは腹が立ちさえこそすれ、納得がいかなかった。髪質は変わってきたが、癖毛には違わず、未だに手こずっている。髪を、塩で洗う閃きは朗報。

 塩には、ミネラルが多く含まれているので、艶としなやかさが出たのだろう。雪塩がいいが、そうでなくても可能だった。ウエストも、塩で揉んでいるので、60に戻るかも。顔は、艶と張り、自然なしっとり感が好ましい。化粧のべたつきも荒れもなく、よく伸びる。

 四季咲きです。この淡い色が好きで買った。今年の台風で、サンタ枇杷葉が傾き、鉢を直撃した。苗を買いに行こう。

 

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冬の星座

2012年11月15日 | Weblog

 大気が澄んで来始めたので、夜空が殊更に美しい。北天のカシオペア座は、秋の星座だが、3の形で観えている。大熊座、小熊座も並ぶ。東に移ると、木星が一際煌く。その傍には、プレアデス星団、ヒアデス星団が輝いている。それを追い駆けるオリオン座。

プレアデス星団は、和名が昴だ。清少納言も、枕草子で記しているが、冬の宇宙の代表でもある。かといって、他の季節での観応えがないのではない。目立った星座が少ないだけだ。特に春は、霞が懸かっているようで、観辛いこともあるのだ。

 しし座流星群。あまり活発な動きはないようだが、見上げて観る価値はあるかも。今夕、3つほどの流れ星を観た。まあ、根気良く観るに限る。千載一遇のチャンス・可能性もあるのではなかろうか。UFOも、宇宙人への未知との遭遇も、同じかもしれない。

 帰宅して、温度計を見たら、11.2℃である。寒いか?いや、我慢できる。暖冬のせいだけではなく、やはり塩での入浴が、体を保温し、血行を良くする働きをしている。足も湯たんぽなし。毛布には包まっているが、冷たさが我慢できなくはない。

 暖房の室温を20℃にして、換気をちゃんと行わないと、乾燥するので風邪を引く。それよりは、体に着て、健康管理をし、暖房には頼らない。高齢者は、何もすることがないのではなく、したいようにすればいいのだが折り合い難しい。

 百姓であれば、田を耕し、麦の植え付けを行う頃。株切りもそろそろ終わる。それと並行して、籾すりがある。籾がらのスクモ焼きが始まる。家の庭はスクモで真っ黒。ミケの当惑した顔が思い出される。そうこうしている内に、冬休みになる。

 夕顔は、夕方の決まった時間になると、花弁を開く。まるで時間を知っているようだ。自然界は謎だらけなんだ。

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朔・仏滅

2012年11月14日 | Weblog

 旧暦の神無月。仏滅だが、全てのことに佳し。特に、種の植え付け、挿し芽には良いとある。買っていた球根、挿し芽類をする。2時間かかる。枇杷葉の生葉も、硬く手ごわごわのを採る。唐辛子と、珈琲の糟を入れる。球根の植え付けには予め、塩を入れてある。

 ナメクジに球根を食べられるので、用心だ。休みと言えど、じっとしていては春の花が見えない。室内に入れる物は、霜の被害があるため。加えて、翌年も咲いてもらいたい。人間の贅沢であるのは否めない。苗木も、たくさんの花を咲かせば枯れる。

 乙女椿が、やっと生き返った。昨年、花を付け過ぎて枝が枯れたのを、枇杷葉茶で復活させた。塩も入れたのね。大蒜も、唐辛子も適宜置いた。その甲斐あって、今年は十幾つ蕾が見える。山茶花は、木香薔薇が覆っていたのを切ったら、勢いを増した。

 木香薔薇は、枝をフェンスに伸ばして、絡ませている。蔦と一緒にしたら、競い合っているのに、少し刈り込んでおいた。朝顔の蔓を取り払い、種を零しておく。サルビアが最後の花を咲かせている。どういう訳か、小さな苗が育っている。

 サンタ枇杷葉に、よく見れば4枝に花芽がついている。長崎茂木は、まぶれ付いているので、数えることができない。白枇杷には、20程の花芽だ。息子の所にも、花芽が付いたと言う。其々に想いが重なる。母の墓前に供えられるかなぁ。

 今朝は、お茶も新しいのに替えた。花芽がないので種にした。杏仁の香りが漂った。あっ、勤務先に杏仁豆腐を、持って行ったままだ。容器ごと捨てられたかな。破れたズボンを繕いながら、独り語ちる。ブラウスもズボンも、誰一人縫わないものなぁ。

 9月末の夕顔。未だ蕾がたくさんある。次々と咲いて、その芳香に夕闇に佇む。そこ彼処に、気配を感じる。

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室温14.2℃

2012年11月13日 | Weblog

 帰宅して、温度を見れば、15℃を切っている。何時もなら、ストーブを点けるところだが、塩で体を洗い、枇杷葉エキスを塗布しているせいか、寒さを然程感じない。確かに、4枚であるが、薄手の物で我慢できる。昨年までは、懐炉をしていたのが嘘のようである。

 宮古島の雪塩は、顔を洗うだけにした。体は、少し価格が安くても大丈夫だ。塩を揉み込むのであるから、湯をかければ滲みる。だが、体はポカポカする。湯たんぽがなくても眠れる。横着者には手頃な価格もありがたい。肩凝りが消えた。塩で血行がよくなるためか。

 結膜炎も、枇杷葉エキスでいけるが、最近は、雪塩を、耳掻き程度入れる。眼球が涙を出したら、痒みもころころもなくなる。ひょっとすると、白内障にもいいかも。どんよりした感じが消えた。視界のちらつきもない。医学的な根拠はありません。

 冬場に、一番困るのが生理的現象で、勤務中の我慢は、膀胱炎、或いは慢性化して、腎盂炎になる。度々やっているのであるが、ともすれば疎かになるのは、性格か仕事柄か。足の裏、特に土踏まずは、親指で擦り込む。甲は指の間も擦る。

 手の指も甲も同様で擦る。毎年、手荒れが酷く、皸に悩んでいた。洗剤の荒れが消えて、ひび割れがなくなった。然もざらざらがないのだ。驚いたねぇ・・・。冬期限定で現れていた、痒みもない。背中の掻けない所が痒いのは辛い。孫の手は一時しのぎ。

 肌の弱い方が、いきなり施行してはどうだろう。ドクダミ茶や、鉈豆茶、薬草での準備期間も必要かも。枇杷葉茶を浴びるほど飲むのも、枇杷湯に入るのもやってほしい。持続してやる中で、自分に合った方法を見つけて。個人差があるというのは、そういうことです。

 便利で、快適な生活では、これらの利点はわかりません。少し位の不便さと、我慢することで得られる心地佳さは違います。様々な物に、科学化合物が使われ、あらゆる物に、純度な食べ物がなくなっている現状で、体が異変を訴えるのは当たり前です。

 パソコンの部屋に挿し芽した物。小さな芽が、どんどん伸びていっている。水遣りは、適当にしている。鉢物は、一旦置いたら、動かさないのがいいそうだ。

 

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                                                      冬の宇宙                                            

2012年11月12日 | Weblog

 少しは、寒さが来ているのでしょう。それでも暖かい、と言う方かもしれない。昨夜は、母の三回忌で、こちらだけが集まって、ささやかな会食をした。近くの、懇意にさせてもらっている店に行き、お腹一杯になり、帰宅した。その時の宇宙の美しさは格別だった。

 雨のお蔭である。天頂には夏の大三角があり、東空には、木星が輝いていた。ところが中に入って、パソコンをし始めて、ざぁっ・・・!と言う、叩きうけるような雨音。何事だろうか・・・と思える降りようであった。暫く降っていたが、朝には上がっていた。

 明けて、今朝は早出であった。新聞が休刊日で、手早くできたこともあり、勤務に向かう。太陽は出ているであろうが、雲が多く見えない。と思っていたら、山の頂から、とても大きな光が西に向かって伸びている。度肝を抜かれる光の柱だ。燦然と輝いていた。

 宇宙に眼をやることもなければ、自然現象には気づかない。だが、この異様さに誰も気づかないのか?今日から、大潮である。朔が近い。神無月です。もんじゅを動かそうという。福島のことが解決していないのに?原発をなくすのは無理?嘘つきだなぁ。

 地球は壊れるよ。これからの長い年月に向けて、地球は破壊への道を辿る。そうして、新しい地球になる。30年後には、人類は消えるかも。ありとあらゆる悪が蔓延り、正義は存在しなくなる。働くのも生きるのも、全てが無に帰する。

 原発を止めて、核燃料を封鎖して。まだ、少しでも心があるなら、真摯に命と向き合って。一体どのような罪を犯したのか。謂れのない恐怖に、唯脅えながら暮すことが、どんなに残酷か知ってほしい。広島や長崎に住まう人等が、命を削って訴えている。

 枇杷葉には、其々に蛙が棲みついている。冬眠するのだが、それまでは陽射しの中に、うずくまる。

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世界平和記念日

2012年11月11日 | Weblog

 そうか。そういう日だったのか・・・、と妙に感心する。夜半からの雨で、何だか地球が泣いているように思う。これまでに消えた命の多くは、戦争や無差別で数え切れない。自然災害と云えば、聴こえはいいが、人類の愚かなる仕業。

 武器よ、さらば。戦争と平和。誰がために鐘は鳴る。風と共に去りぬ。ああ無情。聴け、わだつみの声。古今の名作には、命の大切さも、重さも書かれている。それを読んだ者が居るのに、諍いを起こしているのも不思議。何故、戦争は無くならないのか。

 心に轍が広がる。子どもではなく、大人であるのに、どうしてしてはいけないことをするのだろう。良心が傷まないのか、理性はないのだろうか。人一人を殺すまでが怖く、済んでしまえば、何人でも平気なのか。何かが違っており、何処かで狂ってしまった。

 目的に向かって、進むことは、容易くなく険しい。その都度、弱い自分を発見する。だが、どれも私でもある。矛盾しているとは思うものの、後戻りはできない。ぐじぐじと立ち止まる。雨上がりの夜空に、木星が輝いていた。満天の星の光に、心奪われる。

 母の三回忌を息子たちとする。土砂降りの雨であったのに、夕刻には上がっていた。親が居なくなることは、哀しいけれども、順送りでもある。御仏のおわします場所に、昇って往けているのだろうか。どうか迷うことなく、成仏してほしい。

 白いランタナ。とても大きな株になっている。ランタナは、七変化というが、これは白色。

 

 

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