枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

そんなバナナ・・・

2013年03月21日 | Weblog

 交通規則を知らないのか。車の運転をするからには、道路交通法を覚えていてほしい。今朝のこと。出勤で急いでいるのはわかるが、そんなにスピードを上げても、信号でかかるよ。時速50Kmでの軽トラの走行に、後から来た軽四が追い抜いた。

 それもだ。黄色の実線をだよ。お巡りさん、恒例のネズミ捕りはいいから、こういった族を取り締まってくれないか。軽トラの後を規則を守って、走行していた者としては、非常に腹立たしい。何せアスファルトに大きく50、と書いてあるもんでね。

 案の定、信号で引っ掛かっている所を発見。わはは。どんなに急いだ所で、ポイントを上手く過ぎないと結果は同じ。兎と亀だ。最近は安全運転での通勤にした理由は、エコドライブのステッカーをもらったため。責任感というか、律儀なの。

 仕事上でのトラブルも、結構心因性の物が多い。子ども等からも言われるが、何故か、自分で全部背負い込む。できないとかではなく、しなければならない。どうやってやろう。という気持ちになって、更なる悪化を辿る。ストレスが増える。

 自分自身では切り替えをしている、と錯覚し、余計に深みに入り込む。それでも、何とか自力で脱出しなければ。うろうろして焦ってしまう。表だっては素振りを見せないし、我慢していればいいと思ってしまうのだ。嵐は、その内止むだろう。

 嵐は、確かに止む。止んだ後始末に辟易する。これじゃ、結局自分でやるしかない。総じて、人に頼るから、膨大に膨れ上がった顛末を、ひたすら1つづつ片付ける羽目に。終りがない。メビウスの輪だ。信用も、信じることもしないのが救い。

 だが、こういった小さな事が、体に及ぼす影響があるとは、流石に想い至らなかった。月日が重なっていくと、あるんだなぁ・・・。この仕事が向いていないのか、とも考える。迷うし悩む。然し、誰にでも相談できない。CIAが、何処かで聴いている。

 今は、何処に居たって、何が起きるかわからない。恐ろしい世の中だ。家に居るのが最善かもしれない。路を歩けば殺人に遇う。怖いなぁ。原稿用紙の中でなら、何をどうしようといいかもしれない。でも、それを真似る人間がいる。物騒だなぁ。

 早春に見つけた、クリスマスローズの蕾。硬く閉じていて、雪や霜を衣に着ていた。今は、満開になり、早いのは散り始めた。

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彼岸の中日・春分

2013年03月20日 | Weblog

 このところ、不安定な気配から、何か形の無い夢ばかり視る。貧乏には慣れているが、精神的な不安には狎れられない。仕事に対する心構えと言うか、ちょっと怯む想いに至る。真面目にすることだけがいいとは限らず、神経をすり減らす。

 体の節々が痛む。自分の吐く息に、半ば脅える。一人であり、独りではないのに、孤独に苛まれる。そうか、此処は蟻地獄なんだ。擂鉢の底に落ちて、出られなくなったんだ。それとも流砂に呑み込まれてしまったんだ。と、妙にぼんやりと想う。

 結局、混沌とした頭で、勤務先に連絡して休む。そのまま深い眠りに引き込まれた。トゥオネラを彷徨っていたような気がしたが、携帯の着信に惹き起こされる。何か、訳のわからない言葉が聴こえる。背中に鈍痛が走る。煩いので携帯を切る。

 目覚めたのは、夕方の6時であった。今朝淹れていた珈琲も飲まず、眠っていたのだ。のそのそと食事をしてみたが、しんどさは変化ない。今年の上京の折に買っていた、鍼灸・末廣堂さんの簡易灸をする。少し、息が楽になる。やれやれ・・・。

 暫くして、背中の痛みに想い当る。許容範囲を超えた、仕事をするからだ。従って、拾いこまないでもいい気を、肩にのせてしまう。我慢にも限度があることを知る。放っておけばいいのだ。視て見ぬことだ。とも思うのだが、空気の変化が視えるもの。

 上弦の月が出ているか。外は、春の嵐の吹きすさぶ闇だ。今晩は、風呂を止めておこう。火の用心。何だか家ごと、吹き飛ばされそう。異空間まで翔けるなら、それもいいかもしれない等想ってみる。何処かに亀裂が生じるようにも想える。何処に。

 某新聞に、肉を食べると体調に良くない。とあり、薬に頼らない生活がよろしい。ともある。栄養素の詰ったサプリメントも危ない。野菜中心の生活がいいのは、今更に云うまでもないからだ。枇杷葉茶を飲んでいるから、この程度の打撃で済む。

 木星(左上側)。この時点では、-2・2等星で、暮れゆく宇宙に、一際鮮やかに光っていた。自然の移り行きを知っておくのは一考かも。

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霧の中・・・

2013年03月19日 | Weblog

 昨夜は、市内を歩いていた時には、天空に月と木星が観えていた。電車から降りた時点では未だ、月が観えていた。ところが峠を越える頃には、次第に忍び寄る白い靄に包まれ始め、一寸先も見えなくなった。宇治十帖である。車のライトも利かぬほどの、霧が立ち込めた。

 こういう闇夜には、化け物の類が集まり易い。顔を撫でられたり、足に触られたり、隣に座られたりで、ちょっと不気味であった。呼んだ覚えはないんだけど、何か妖怪?と出られて返事に窮するんだが、相手はとんと懲りていない。体が空け空けだし、脳みそがないのだもの。

 そういった訳で、床に就いたのが、午前0時を回っていた。眠ろうとしても、却って頭が冴え、読みかけのレ・ミゼラブルを手にする羽目に。映画の配役は素晴しい。文庫の帯に掛かっているのを見る限りでは、はまり役だろう。その内にDVDが出るだろう。それまで待とう。

 花粉症に悩む方に、塩水が効きますよ。鼻から吸い上げて吐き出す。これを繰り返したら、一発で完治です。或いは顔を塩で擦るのも、よろしいかと。確かに、塩ですからどうもないとは言いません。それでも、花粉症で熱が出たりするよりは、症状が改善されると思います。

 枇杷葉ローションも、中々の効き目です。枇杷葉茶も然りです。ドクダミ茶で、体の毒素を取り出し、枇杷葉茶では、体内の機能をコントロールして、免疫力を高め、抗体を作り出しておけば、塩を使っての治療法には、それなりの効き目が大きいのです。塩だけではどうかな。

 同時に、食生活の改善にも、工夫をしておかなければ、健康を維持できません。私の努めてすることには、旬の野菜を食べる。というのがあります。トマトや胡瓜、茄子にピーマン等、夏野菜はできるだけ冬は口にしません。外食をしないので、食べていないのが理由です。

 夏野菜は、暑い夏を乗り切るのに、体内の温度を下げる働きをします。反対に、冬野菜は、体を温めることに努めたり、溜めておいて、もしもの場合に備えます。熊の冬籠りではありませんが、栄養の足らない箇所に補給をすることも大切です。自然治癒能力です。

 今年のたくさんの花芽です。枇杷葉茶をこよなく好んで下さる方に、差し上げています。普段は枇杷葉茶で充分の効き目です。

 

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古典落語を聴きに・・・

2013年03月18日 | Weblog

 今晩、市内である落語家の、古典落語を聴きに行こうと、勤務を半日にした。朝は、早朝から起き、リサイクル当番なので出かけたら、既にしてくれているではないか。結局、話し合って来月と変わることに。孫等の春休みで、有給を取ったので。

 そそくさと帰宅し、弁当を作って、珈琲を飲みながら新聞を読む。出勤するには未だ早い。今夜のことも考えて、プログの書き込みを思い立った。庭は、昨夜の雨で、しっとりしている。これからの時期は、一雨毎に春めく。枇杷葉と梅の香りがやさしい。

 軒下まで伸びた、淡路田中枇杷。サンタさんのにしたが、昨年は、台風で傾く。それが却って幸いしたのか、花芽がついた。然し中々苞のまま咲かず、新年を越えてから咲き始めた。夏は涼しく、冬は風除けになる。自然の恵みに感謝し、結実を待つ。

 花芽も珈琲と同じで、冷凍庫に保存するが、乾燥させてからが佳い。昨年は、採ったのをそのまま入れたら、腐ってしまった。尤も、冷蔵庫の調子が悪いためだが。だが、春先まで放置していると、虫が入る。花芽は、取り扱い要注意である。

 激しい雨音に、仕事の手を止めて、思わず外を見る。滝のような降り方だ。夕方には出かけるというのに、何という釣れなさだろう。そう言えば以前、メキシコでは春分点の時に、太陽の長さを計るそうだが、大抵が土砂降りだそうだ。

 自然の驚異には、人間の叡智を以ってしても、適わない現象があることを想い知る。原発に依存し続けている人類には、必ず報復があろう。そのしっぺ返しも、未来に依って起きる可能性が大きく、恐怖に繋がっていく。再稼動を進めるとは。

 自民党の現総理の支持率が高い。とあるが、そういったメディアの力には疑問を感じる。原発に反対する者を逮捕したり、所謂危険分子のような取締り方は、止めてほしい。人権蹂躙ではないか。自由・平等・平和を掲げる日本は何処に。

 オランダは、原発がなく地熱を利用しての電力だそうです。風力発電が、その最もたる物らしい。日本では先日、羽の折れた写真が掲載されていたが、何か陰謀を感じる。材料をケチったのか、手抜き工事であるか、原発維持の何かが臭う。

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彼岸・墓参り

2013年03月17日 | Weblog

 朝、目覚ましの音にぼんやりとしていた。布団の中でぐずぐずしていたが、はっとして飛び起きた。炊飯ジャーの蓋を開け、ご飯の炊き具合を調べる。炊けている。やれやれである。水量の調整を間違ったらえらいことだわ。と一人碣た。

 墓参りに行くのに、散らし寿しを作ろうと、嫁に菜の花を頼んでいた。買って来てくれていた。寿しの具は、蒲鉾、竹輪、沢庵と、水煮の蓮根と菜の花。それに錦糸卵である。父と母へは、折りに詰めて持って行った。水やお菓子に花も。

 運転は、娘の婿がしてくれ、後部座席に乗る。息子達は家から直行だ。古里に着き、鶯の拙い鳴き声を聴いた。ヶチョ・ホヶチョ・・・。未だ練習の段階らしい。辺りが薄い桃色のベールに包まれているような春霞。風も温かでやわらかい。

 近所の馴染みの小母さんが、声をかけてくれる。皆でお参りして帰りかけると、三つ葉がある。孫と一緒に探して、小さな葉を摘んだ。路の途中に蕗の薹があった。少し咲いているのと、未だ蕾である。辛子味噌和えにしよう。

 帰宅して、皆で散らし寿しを食べる。汁は、清ましで具は三つ葉だ。何と風味がいいことか。祖母ちゃんの寿しが美味しい、と下の孫がお変わりを四杯する。先程電話をしたが、お腹は大丈夫らしい。今度、三年生になるが、たまげた。

 息子の家族も、娘夫婦も同時に帰り、布団を仕舞い、洗濯物を取り込む。飯ぼうを浸けておいたのを洗う。食器類も洗って乾燥機に。お椀は、別にして弱でかける。物の取り扱いは同じではありません。乾燥時間を考えてかけなきゃ。

 躾は、家庭ですることです。愛情をかけ、育み、元服をさせるのです。今は、立志式と言われている。昔には、男子にだけあった風習。親を援けたり、下の兄妹の面倒も見た。江戸時代がいいとは強ち思いませんが、何かねぇ淋しい。

 今年の冬空。寒中の月と木星です。衛星と惑星だが、地球を含む銀河系に存在する。比較的良く観える惑星。これに、金星と火星が並ぶ。

 

 

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生きる・・・

2013年03月16日 | Weblog

 生きることは、命があるからだろうか。それとも下界で、何等かの使命を終えるまで、滞在しているのだろうか・・・産まれたては、生きていること事態が素晴しい。だがそれは、成長するに従い、考え方が変わってくる。当たり前のことだが。

 年を重ねる毎に、無意味な日々に厭きてくる。然しながら、自分で命を断つには、現世への思いが強過ぎる。様々な要因が妨げる。生き方とはどういうことか。誰かのために、何かができたり、自分のしたいことを叶えるため。どっちなんだろう。

 自分の想いでありながら、神からの意志のままに生かされている。とも思えるが、理不尽に殺されたり、事故に遭ったり、僅かな命しか与えられなかったりする。これら全て、神の意思であるのか。人間とは覚も、ひ弱な肉体で生きる物であることか。

 命が消えていくのもまた、止められない。病気で、事故で、寿命で死に到る。その決まっているであろう運命にも、逆らえない。どんなに時間を巻き戻しても、手段こそ違うが同じ結果になる。タイムパラドックスだ。延々と違った展開が続いていく。

 田舎の店は、午後7時には閉店する。コンビにはない。あまり行かないので、必要はないが、極偶に用事のある時は困る。郵便局は午後6時が終了。町内に住んで居て、市内に出かけるのは半年間隔では、様子が一変するのも無理はない。

 唯一の楽しみの、本屋巡りができないのが辛い。以前は、駅の地下や周辺に、本屋はあった。児童書はむろんのこと、大人の本も売れないのだろうか。本は、活字で読みたいもの。火星年代記ではないが、紙に触って読みたいのだ。

 レ・ミゼラブルは、映画でしか知らないとか、演劇でしょ?等言うのにもたまげる。ビクトル・ユゴーが生まれて150年経つそうだ。戦後16年後くらいに訳が出た。今、完訳されたのを読める幸せを感謝する。生きて入ればこそだ。

 庭の西側にある鉢で、育っている枇杷葉。薄緑の葉をしていて、花芽はつくが咲かない。白茂木かな?

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如月・白梅満開

2013年03月15日 | Weblog

 旧暦での如月は、朝夕に霜が降りる。指先も冷たい。真冬の寒さはないものの、温かさを知っただけに、心が急くのだ。菜の花や蕗の薹、三つ葉に芹等が、食卓に並ぶに至っては、体中が騒いでしまうのにも困る。急いてはならぬ想いがありながら、期待が膨らむ。

 帰宅したら、サンタさんからの珈琲が到着していた。贈り主は、リエさんです。冷凍庫に終う。花芽を入れておきたいが、乾燥中につき。先日、薬瓶を替えて煎じているが、甘い味と、爽やかな喉越しです。枇杷葉茶の色も濃い。とても美味で、体が温まる。

 胃腸炎や、動脈硬化にはドクダミ茶。口臭予防には鉈豆茶。肌のトラブルにははと麦。初期の体調不良には、きらん草がいい。解熱効果がある。アトピーや更年期障害、自律神経失調症には枇杷葉茶。種茶や花芽茶にはより効果があり、毎年の心がけが重要。

 先日、硝子のコップで切った親指。塩で、殺菌・止血して、その後は枇杷葉ローションを塗った。知らない内に治ってしまった。殆んど、傷口がわからなくなった。驚きである。これほど塩の効力があるとは。桃の木、山椒の木。為五郎もびっくりだわ。

 落語を聴きに行こうと思い立つ。振込み用紙が上手くいったのだ。何時もは受け付けてくれなかったりするが、窓口は締まっているので、仕方ない。どの道、市内まで出かけなければ。レ・ミゼラブルの、1・2巻の注文が届いている由、連絡があった。

 新潮文庫での改訂版で、活字が大きくなっている。と言っても文庫である。高齢者には読み辛い。訳者が佐藤朔とあるので注文した。昭和36年度が初版らしく、世界文学全集となっていた。私が手に入れたい書籍は、今や絶版が多い。ため息です。

 昨年の月と木星。ジュピターとも呼ばれ、小松左京の著作でも有名。『さよならジュピター』。SF界も老齢化しており、星新一、光瀬龍も今は亡い。

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油断禁物・・・

2013年03月14日 | Weblog

 今年の春は遠く、一気に華やぐ。旧暦に書かれていることは、的を得ている。また、三寒四温の時期でもある。薄着をすると風邪を引く。彼岸までは、不安定な天気と、温度差で終始する。体調管理には気をつけたい。今夜は三日月が美しい。

 強風に、洗濯物が良く乾く。余り遅い勤務だと、夜露で濡れて湿っている。仕舞う時、ひんやりとした。取り込んで室内に吊り下げる。洗濯は、風呂の残り湯でし、洗いと脱水をし、たまにすすぎをかける。電気代と、特に水道料が安い。

 風呂の湯は、枇杷湯のため、加齢臭がしない。毎日、洗濯をしなくても臭わない。然し、衛生上の問題から洗濯する。手洗いが多い。物が傷まない。洗濯機だと、あっという間に型崩れが起きる。生地が伸びてしまう。川で洗うことを思えば。

 洗濯も、掃除も、以前であれば手作業であった。というか、全てのことがそうであった。忙しい等と言う間もないくらい、多忙であった。次から次と仕事に追われるようだった。働けることを感謝する暇も惜しかった。時代が変わったのだ。

 テレビ番組の下らなさには閉口する。何処のチャンネルも、何かを食べないと等、どうでもいいような物にまで、お世辞を言う。美味しいって、出演して食べているんだから、当たり前のこと。美しい日本語も喋れないタレントのコメント。

 原発を再稼動させようとしている、陰謀が見え隠れする。時機に、再稼動させるべく、準備をしているというのに。伊方原発の再稼動は、時間の問題だろう。南海大地震が起きた場合、瀬戸内海は放射能で汚染される。生き物は死滅する。

 眼には見えないかも知れないが、これ程の恐怖はない。福島の人たちの心痛さえも、広島や長崎の人たちの苦しみも、国民の上の方では、何等意味がない。未来少年コナンのような、架空の物語は生まれないのも事実。地球最後の日。

 長崎・茂木に付いていた花芽が、今年一番に咲いた枝。爽やかでいて、心を蕩かせる匂いです。自然から、宇宙からの贈り物です。

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夢ではあるが・・・

2013年03月13日 | Weblog

 大寒の時期に受験した試験に、落ちた夢を視た。正夢か・・・、悪夢だ。茫然自失の体で、唖然としていた。これって、真実。と思った瞬間に、眼が覚めた。夢か・・・と思ったが、後味が悪い。情けないことに、気になっているからには相違ない。

 試験勉強をやったとはいえ、頑張りが足らなかったのか。それとも、問題を解釈間違いをして、答えを書いてしまったか。次第に暗雲とした気持ちに傾いてしまう。浜さんに、落ちていると言われているだけに、気負いが強く、年度末が怖い。

 今年の枇杷葉は、寒冷紗を掛けなかった。花芽は、摘花をしたり、枝ごとの剪定もした。それでだろうか、立春を過ぎたというのに、次々に咲いていく。花瓶に挿しているのも、長持ちしている。一気に暖かくなったり、雨も此処に来て多い。

 寒肥はしなかった。年末に塩を入れただけ。後は、枯れた枇杷葉の葉を、掃き寄せてある。枇杷葉の下には、クリスマスローズが並んでいる。これは、夏の暑さを嫌うので、敢えて此処に置いてある。株分けをして、地植にもしたいところ。

 兎に角、花芽が満開で、この3ヶ月に渡って、匂い続けている。そうかと思えば、枯れたようになって、実を結ぶ準備をしているのもある。昨日は、多少間引いたが、それでもたくさんの実が生りそうだ。我が家のは、甘くて瑞々しい。

 無農薬でもある。自然に任せることは、人間の思うようにはいかない。雪を案じ、寒さを気遣いながら、夏の近づくのが愉しみだ。葉色が少し薄いのは、白茂木かもしれない。白枇杷も、今年の花芽は凄い。待っていた甲斐があったというもの。

 父や母には食べさせれないが、お供えにしてあげよう。元気であった頃、美味しい、と繰り返して、頬張った両親の姿が、瞼に浮かぶ。親孝行は、あれだけであった。何もしてあげられなかった想いが、亡きて今偲ばれる。

 朔日に、花芽茶を入れ替えたのが、やさしい香りをさせる。勤務先に持参しているが、魔法瓶の蓋を開けた途端に、とても幸せになる。我が家で採れることのうれしさだ。差し上げる方には、私以上に喜んでくれている。

 庭の中央に置いてある、枇杷葉苗の鉢。これらは3年物だが、北向きのは未だ小さく、育ちが悪い。

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如月、春めく・・・

2013年03月12日 | Weblog

 連休です。のんびりと起きて、カーテンを開け、布団を干す。余りの陽気に、仕舞いこんである布団も出す。そこら中に並べ干した。2時間もすればほかほこになり、整理して入れる。銀河の眠そうな仕草が視えるようだった。

 今朝は、月齢が朔のため、塩を換える日である。満潮になる時期を待って換える。枇杷葉茶も花芽を入れ替えた。小ざっぱりして、清々しくなった。陽射しが明るくなると、カーテンの汚れが目立つ。次の休みは日曜で、墓参りに行く。

 母の好物で、父も好きであった、散らし寿しを作って行こう。お菓子もお供えしてこよう。息子の家族が、一緒に行ってくれるのも心丈夫。水も忘れないようにしよう。荷物が多いのも、息子達が援けてくれる。その都度、感謝の想いが増える。

 フェンスの外に、シャベルと箒を持って行き、青くなり始めた草を抜く。これが案外手間で、きれいにしていないと落ち着かず、つい時間を忘れる有様。孫の迎えが気になって、腰を上げたら、タイミングよく間に合う。やれやれである。

 手を洗わせ、お八つを出してやり、宿題をさせる。その間に、敷き掛けを洗ったり、庭のクリスマスローズに、水を遣ったりしていたら、孫の姉の方を、すっかり忘れていた。到着すると、引率の先生が傍に居てくれた。お冠の孫だった。

 旧暦の如月。春めく筈である。孫たちとの恒例の春の旅、今年は京都にした。往きは各駅停車がいいと孫が言う。復は、新幹線を使おう。春休みの辺りは、桃の花も満開になる。電車で出かける目的のため、楽しみは駅弁だ。

 足の向くまま、気の向くままにして、孫二人と行けるのが愉しみでもある。さて、何時まで出かけられるか。普段は、家に居るのが最善だが、1年に1回は孫等がお供に来てくれる。本音は一人では危ないことも間々ある。

 枇杷葉の花芽の、2回目の摘花をする。摘んだ花芽は箱で乾かし、お茶にして煎じる。香りの好いのがうれしい。今年は、開花が危ぶまれたが、この時期が満開になっている。風に乗って漂う匂いに、心がやさしくなる。

 長崎・茂木。今年、どの枝にも花芽が多い。これでは実も付かないか。と、剪定を決めた。中々、決心がつかなかった。

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