枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

近くの友、来る。

2014年02月17日 | Weblog

 休みと思うと、体がのんびりとする。然し、いつまでもは寝ておれぬ。友人が来ることになっている。寿しを作るつもりで、米を仕かけているのだ。菜の花寿しの具、蒲鉾と卵焼き、海苔を刻む。丁度タイミング好くチャイムが鳴る。はい、はいおいでんせぇ。

 昼食を戴き、食後の珈琲を出し、ケーキも添える。ご満悦で帰る筈が、本がないかと言う。おしんと、緒方貞子さんの『わたしの仕事』を貸す。前回は、ベルサイユのばらでした。我が家は、図書館か貸し本屋です。まあ、気長に読んでくだされ、と渡す。

 午後からは歯医者に行く。これは、仕方なくの治療だが、中々終わらない。歳が問題ではなく、歯質が原因か。父は、亡くなるまでに数本の治療であった。粉磨きを使い時々、塩で擦っていた。母は、跡形もなかったもの。磨き方に問題があるのかしら。

 洗濯を干していると、目の前に枇杷葉があるので、とても佳い匂いがする。昨年は、花芽も咲かず、実には至らなかったが、今年はまぶれている。お茶にするのを採っても尚、香っている。雪が降るが、軒下なので積もらない。未だ、7年が来ないのだが。

 通草・やまひめ、とも言う。これは、咽喉の痰を取るが、友人が風邪でいがらっぽいのを、飲んだら途端に治ったらしい。柚の種もいいんです。化粧水に出来る。手荒れには覿面で、がさつきがなくなったそう。棚に乗せているのを、要ると持って帰った。

 柚の種は、洗ってはいけません。この種についているのがいい。在庫が無くなったので、作っておこう。ドクダミの根槐は要らないそうだ。これは、カルキ臭が腐らすので、焼酎で洗ったもの。縁側に干してある。暖かくなる前に、することが多いのだ。

 そろそろ、某キリ番が近い。3日内だろうか?がんこちゃん人形を製作すれば、購入する人が多いのにと愚痴る。一体は持っているが、入学祝に差し上げたい。何処かの縫製工場が、作らないものか。最近下火になり、ふなっしーに押されている。

 黍国の宇羅。追われてここで倒れた。宇羅じゃ伝説では、魚や鳥に転じたが、ついに倒れるとあった。

 

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氷溶け去り・・・

2014年02月16日 | Weblog

 穏やかな上天気に恵まれ、風も心持暖かい。外出することに急遽決まり、温泉・足湯に出かけた。意外と人が居り、和やかな雰囲気。温泉に入るなら、露天風呂がいいんだが、生憎時間がなく諦める。気温の上昇で、車内は汗が出るくらい。往復3時間かかる。

 個人的には、人混みは厭だが、たまには出かけることもないと、息が詰る思いの方も居よう。顔の表情が活き活きとして、何だかほっとした。普段、テレビを観ているだけでは、退屈もするもので、外の景色に笑顔がこぼれた。地名を言えば、昔の記憶が甦る。

 帰宅してみれば、嫁が洗濯物を仕舞ってくれていた。枇杷葉の花芽の匂いが漂う。サッシの開け閉めに香る。その度に得した気分になる。今朝は枇杷葉茶を換えた。花芽と種とを入れ、煎じる。馥郁とした香りに、心が満たされて幸せになる。ありがたいこと。

 消費税が上がることで、店をたたむ所がある。自然の風味が美味しかったのだが、価格の問題もあるらしく、客足も遠のく。最近は、見た目のことを重視する喜来があるが、シンプルな方が美味いのにと残念でたまらない。個人店なので、高齢化もあるのか。

 この数年来、衣類が丈夫になって、破けることも少なくなった。その反面、素材の雑さと裁断方法が無茶苦茶で、驚くことが多い。生地の裁断方法は、決まっているが、それだと切れ端がたくさん出るからだ。安物買いの銭失いとも言うが、落胆することが多い。

 普段着と余所行きとの区別も無い。素材の良い物は、着心地が違う。たくさんは要らないが、肝心な物は揃えておきたい。ありがたいことに、体型の変化がない。或いは、我慢して着られるので袖を通す。何よりももったいない。デザインも色も、シンプルが基本。

 勤務時の衣類は、動き易さを重視しているが、薄着になるのは、春と秋だけ。冬も夏もしっかり着込む。機械的な気温に左右されない服装を心がける。冷房で冷えると、体は異変を訴える。それがずっと響いて、エネルギーの多大な損失に繋がる。危険注意。

 黍国。古人の残した城の跡。リエさん達と歩いて廻った。所要時間、2時間弱かかる。雨がしょぼしょぼしており、危険な箇所もあった。

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満月、謙虚な気持ちで・・・

2014年02月15日 | Weblog

 介護の仕事だけではない。自分を知っていることも大切だし、他人の助言も聴いてしなければ、同じ時間を過ごせない。自分勝手な行動では、優先順での対応が不可能になる。危険行為の人への寄り添いが大切でもある。何にせよ、人間であることが最優先だ。

 その尤も拙いのが、慣れ過ぎる行為。親しむことと、慣れることは根本が違う。その人を理解するのはいいが、馴れ馴れしくするのはどうだろう。高齢者への尊敬もなければ労わりもない。これまで生きてこられた人生を、受け止められる許容には、素直さが必要。

 一日、その日が全て大切で、昨日も明日とも違う。自分を高め、省みていくことも、心がける。他人と比べるべくもないが、お礼を言われたくてするものでもなく、当たり前のこと、当然の行為でもある。謙虚さを失わずに仕事に励むことが、何よりも自分も豊かにする。

 年齢的には、上から数えられるが、仕事の出来、不出来には関係ない。心をこめて接し、耳を傾け、添えられる自然さを培っていきたい。凛とした姿勢、謙虚な想いで対応したい。学べることの大切さに、教え導かれるありがたさを思う。そのための介護福祉士。

 資格を取ったからではなく、そこからが第一歩になる。己に対する厳しさがなくては、人に優しくはできない。自分を好きになれなくて、人は愛せないもの。折に触れ、書籍からの学びを怠らず、謙虚さを失わずにいたい。知識を蓄えることは、自慢することではない。

 リエさん。小豆島での写真をありがとう。私は、未だ印刷できていません。上京の折にという身勝手なことを目論んでいます。Aさんには近じかお渡しします。例の煎餅は大好物で、何よりの品だったそうです。素朴な味わいが絶品です。孫に食べられています。

 雪が降るばかりだが、一昨年から寒冷紗を掛けていない。どっちが枇杷葉にはいいのか、と考えてもいる。自然に任せ、耐えていける方がいいのか。寒冷紗をかけ、保護するのが、と悩むことも。人間て、本当に身勝手。枇杷葉は、惜しむこともなく平等である。

 白枇杷の花が、ここにきて開花したが、この雪にびっくりだろう。静岡でも、今年は積雪でさぞやたまげたことに違いない。暖かな地方では、風邪を引いているかしら。売り物ではないので安心だが、ちょっと心配もしている。農家では大打撃かもしれません。

 小豆島、寒霞渓の景色。上がりはいいが、下りに貧血状態になった。リエさん、しーちゃん、kazu君怖くなかった?

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白蟻・・・

2014年02月14日 | Weblog

 昨日、耳が痒くなったので、雨か雪だろう、とは思っていた。今回の雪は、湿り気が多くあり、春の雪の典型的なもので、降りながら溶けていった。寒中の雪は、乾燥しているから、降ると難儀をする。東北の方々の大変さを痛感する。自然現象では、仕方がないが。

 白蟻の工事に来てくれたが、この寒さに申し分けない。何しろ、埃がするからと玄関を開けっぱなしである。ストーブは点けていたが、余り効果はなかったようで、こちらは炬燵に入って、裁縫をしていた。昼食も、あたふたとかきこみ、再び作業に取りかかっている。

 粗方、仕事も済み、半日後日来ます。と帰って行かれた。さあ、雑巾を掛け、掃除機を出して、箒でゴミを取る。何回か繰り返してほっとした。元の位置に置きながら、埃も取る。本箱だけが重くて動かない。これは息子に頼もう。早めの夕食を済ませ、机に向った。

 枇杷葉茶がいいことは知っていても、それを続けることや、手間を厭わないことも大切なの。めんどくさいだの、買えばいいとの思いでは、その根本が治らない。自然治癒能力を促す低力は、本人のその気が無くては叶わない。枇杷葉は、それを援けるのだから。

 薬は、毒。尤もなことです。けれども、人に依っては、その毒が効果を現すことも。また、部分的には効いても、他の部位を冒すこともある。枇杷葉には、広い範囲に於いて、除々にではあるが効果が出て来る。適量を守り、継続することに意味があろうというもの。

 枇杷葉にある、アミグダリン・B17には、青酸カリに匹敵する毒が含まれる。然し、これは熱処理に弱い。従って生で食す場合には、充分な注意が必要で、嘔吐、目眩や動悸が激しくなる場合もあるからだ。毎日、続けることに依って、その効果も正常に出てくる。

 枇杷葉茶をこの10年ばかり続けて、住居の清潔は無論のこと、体が痒くなったり、咽喉がいがらっぽいこともなく、体は冷えないようになってきた。免疫や抗体も殖え、詰るところ病気にかかりにくい。あんなに風邪を引き、扁桃腺炎で熱が出て、ぶっ倒れていたが。

 以前には、秋口から体のバランスが崩れ、寒さに震え朝が起きられなかった。低血圧にもいいのか、最近は安定している。当に憂いを失くす、という枇杷葉には感謝以外のものはない。自然からの恩恵を心に留めておくこと。古人は理に適った暮らしをしていた。

 小豆島から、四国を望む。岬の分校には、小さな瞳がさんざめいていた。孫のクラスも、人数は変わらないくらいだ。

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生き方を問う・・・

2014年02月13日 | Weblog

 予期せぬことではなかったが、その場に居合わせなかった想い、何とはなしに気配を感じてはいた。人は、臨終に際して、如何なる行動を取るものか。その瞬間の奇妙な感覚は、説明のしようがない。期せずして、体と意志とが離れ、虚空を彷徨う。

 如何ともし難い。魂が宙に浮き、見下ろす体が下にある。時間にして数秒だろうが、その一瞬の差が、体に戻れるか否かだ。家族の想いにも左右されるもの。苦しみの他に、歓びの大きいこと、その少なさに心が乱れる。諦めと、後悔の狭間に陥る。

 冬の名残の寒さに、宇宙を見上げて想うのだ。人が命を終えることは、其処に還ることだけ。再び廻りても、新しい者に変わる。時間を逆戻りにはできないからだ。前世に、現世に、来世に続く命ではあるが、決して留まることはない。宇宙の摂理の不思議。

 明日は、白蟻の工事を頼んである。雪が降ると言うが、さてどうなるかな。早起きをしなくてはならず、留守にできない。他人が来るというのは、心底気を使うもの。まあ、遣ってもらわねば、家が傾くので。自腹を切らないで済むのも、文句が言えない。

 雪が降った場合には、読書に充てるが、雪掻きもある。裁縫もしておかねば、時は待たない故、手遅れになる。家事要件には、自分で決めたこととはいえ、実に多様な事柄が目白押しにある。買えば直ぐに手に入る物も、遅々として進まない。根気!

 歯医者の治療費に、びっくりする。これも保険の範囲でしているからまだいいが、手抜きをした結果に、少なからず反省。仕事に行くから、相手に不快な思いはさせられず、見た目も悪い。健康の度合いは、枇杷葉茶で済むが、歯に至っては適わず。

 枇杷葉茶を切って、箱に入れて置いたが、もうちょっとしておこう。焼酎に漬けるのも、そろそろしなくては。毎日、必ず1葉は使うので、随時遣っておかないと一大事。備えあれば憂い無し。枇杷葉は体と心の憂いを取り去る。然し、根気と気迫も必要。

 リエさん達と行った、小豆島のオリーブ園。まだ青く硬かった実。上質な物は、飲んでも美味しいのです。イタリアに移住した友人が、手作りをくれた。

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銀河流るる・・・

2014年02月12日 | Weblog

 ほのぼの明かりて流るる銀河・・・。木星を眺めつつ、天頂に眼をやれば、その辺りは光が灯ったよう。無窮を指差す北斗も、北の宇宙で輝く。厳しい寒さで、数多の星々を観るのだけは、何だか得した気分になる。田舎の良さは、広々と星を見上げられること。

 然し、昨今は光害に遮られ、視力も落ちたことでもあり、観測が間々成らない。テレビは勤務先で観れば飽きる。我が家で騒々しい音を聞き、下らない内容に付き合って、NHKに金を払う義理はない。人格の低下は甚だしい。偉そうにすること自体が疑問である。

 勤務を終え、図書館に寄る。奇跡の林檎のその後を借りる。DVD付きなので愉しみだ。現代農業も借る。宮城谷昌光氏の著作も、読み残しがあり、じっくり取り掛かろう。勤務先の研修にも、積極的に参加し、如何なることも学びたい。歴史の変動にも興味が湧く。

 本格的な春が訪れるまで、しておくことも多い。ドクダミを乾燥させているのを、お茶パックに詰めよう。麦踏もしている。庭中に播いたが、野鳥に啄ばまれたところもあって、斑に生えている。それでも発芽したことがうれしい。夏には、忘れずに刈り取ろう。愉しみ。

 今月の下旬には、金星が最大光度になり、日中の空に観える。同時に、細い月もあって、宇宙の変化に胸が轟いてしまう。金星は内合のため、明けの明星となっている。昔は、牛乳配達や豆腐屋、新聞配達に携わる人には、一際明るく観えて、朝起きの特権。

 近日中に、積雪があるらしい。雪は降ってもいいが、速やかに溶けてほしい。春の雪は、殆んどが消えてしまうが、放っておけば、何時までも溶けないでいる。やはり雪掻きは大事であるな。団地の中で、せっせとしたのは私ぐらい。暖かい所から出て来ない。

 先月、張り切って勤務をしたからか、疲れが溜まっている。鉈豆茶を飲み、はと麦茶も合わせる。無論のこと、枇杷葉茶で淹れている。納豆は食べず嫌い。大豆製品は選らないが、これだけはいけないのだ。味噌も醤油も好むんだが。何もなければ戴きますが。

 枇杷葉温圧療法で、どうにか以っている腰である。介護は重労働で、賃金が安い。東京都民ではないが、そういったことの賃金が上がるのはいいこと。正職とパートの差が激しい。資格はあっても手当てが付かない。これはれっきとした、差別ではないのか?

 リエさん達と、小豆島に渡る船上にて、月を愛でる。瀬戸内海に浮かぶ小さな島。壷井栄の二十四の瞳は余りにも有名だ。

 

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星は昴・・・

2014年02月11日 | Weblog

 月と木星、昴の輝きに思わず同僚を外に連れ出す。こんなに美しい宇宙を、何故眺めないのか不思議でしょうがない。人間の命の源ではないか。楽聖の月光を聴いた。あの旋律の滑らかさ、力強さを鍵盤で叩く。ピアノは弾けないので、調べを奏でるのは心ではあるが。

 リエさん、雪が降っているそうですね。テレビを観ていてびっくりした。こちらは薄化粧で、仕事には行けました。枇杷葉が微妙だにしないで、立っている姿には、強い意志を感じる。雪が積もればうな垂れたまま、陽射しに溶ければ元に返る。健気だなぁ、と暫し感心する。

 原発を再稼動へ持って行くと云う。消費税を上げ、それでも足りずに借金を増やす。原発を再稼動させれば、老朽化した漏れが出るばかり。安全という枠もなければ、基準もないのを、ごり押しで通す。委員会など、いいんかい?とケチがつく。国の事情が違うと云えるが。

 建国記念の日・紀元祭。青によし奈良の都は咲くはなの、匂うが如くいま栄りなり。大化の改新が起き、藤原氏の勢力が強まり、栄耀栄華を誇る。宮中に送り込む娘は、何れは皇后となり、国母となるのだ。其処にあるのは権力争い。負ければ無残な死が待っている時代。

 庶民の暮らしは、そういった時代も現代もまた、生活様式は違うが、大差はない。税金に苦しめられ、濡れ手に粟の人々の多いこと。正直に生きればこそ、足元を見られ、損得抜きには世間は渡れない。騙し騙されることも、騙された振りをしてやることも、或いは亦必要か。

 幸せというのは、予期せぬことが起きるから、それらを思って、自分は何と幸せなのか、と思うのだ。事故に遭遇しなかった、危険を間一髪で逃れた、落とした物が拾われて返ってきた。その反対なら、不幸せかと言えば疑問。それで悪い物を落とした、と想えばいいのだ。

 金があるから不幸につけ込まれる。騙されるのだ。欲を出すから、騙し取られる。世の中に上手い話も、儲け話もありません。詐欺師、ペテン師の類は、非常に話が上手で、心を揺さぶる話し方をするからだ。信じ込ます手口は巧みで、周りから攻めて蟻地獄へと落とす。

 昨夏、一昨年の収穫した鉈豆を植えたのに、収穫寸前、何かに齧られた。赤鉈豆だが、10個ばかり生る。

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月光冴える・・・

2014年02月10日 | Weblog

 月と木星と、昴の共演。夕暮れの宇宙より浮かぶ来る、月の冴えに並ぶ木星、燻し銀のように輝く昴。冬の名残を押し留めた、その瞬きに暫し見惚れる。この自然の賜物を、地上にて観られる幸せを感謝する。生きていることのありがたさを祈る。

 枇杷葉の花芽を見ると、なんとなしに心細い。先日の雪で、打撃を受けた花芽が、無事であるかも心配だ。甘やかな香りが、時折漂う。それまでは青々としていた、フリージアの茎が、雪焼けしたのも手落ちだ。寒さに弱い花木に、申し訳なく思う。

 孫の書いた文が、地元紙に載った。拙宅は価格の割には、記事が少なく購読していない。そのため、同僚が職場に持って来ていたのを拝借した。夢は大きく、願えば叶うが、努力しなければ夢に終わる。日々の勉強と、知識欲を達成できるのか。

 困難な時にもめげず、苦しくても諦めず、発想の転換と努力を怠らないこと。言葉で書けば簡単に思えることも、いざ励もうとすると、立ち塞がる壁はでかい。古人の工夫と発明には及ばなくても、視野、着眼点の違いが、成功への一歩へと繋がる。

 大工の棟梁は、どうやって家を建てていたのか?近代なってこそ、便利な機械が組み立てるものだが、最初に思いついた人に歓心する。何事も、最初が肝心な例え。今を昔と言うが、コンピュータの弾き出す数値ではなく、自分の感と腕だけである。

 算盤。これは、電池が要らない。便利物だが、意外と難しい。この算盤、実は枇杷で出来ているのだ。木枠がそれで、昔は球が種であったらしい。尤も、虫に食われる消耗品で、壊れるのも早かった。その加工の工程は知らないが、今でもあるのか。

 夕飯のおかずに、鰯のつみれを入れた。味噌仕立てで、実に旨い。肉は、1年を通じて数回、体が欲する時に戴く。そのかわり、100gが数千円であろうが、食べたければ買う。普段は節約し倹約で過ごしているから、思い切りもいい。美味しく満腹。

 人間は、年齢を重ねると、否応なしに悪い箇所が見つかる。当たり前のことで、差し障りが出て来ることも亦、当たり前のこと。日本人は、古来麦や豆を大量に摂っていた。味噌や醤油がそれ。腹持ちがいいからと、餅を搗いていたのも同じ。保存もした。

 戦後の日本人は、アメリカから入ってくる物品に眼晦ましをされた。ケチャップ、マヨネーズ、ソース等、豆からかけ離れた生活になった。何より、食事を作らなくなった。惣菜でも、買いに行く。手間隙が惜しい。働くことで収入を得て、多忙にもなった。

 まあそれは言い逃れ。作る人は変わらない。健康を損なわず、生き生きと暮す人も多い。自分で納得して、質素な生活を選ぶこともあるのだ。だが、自給自足は困難になった。物々交換できない。生活自体が多様化した。贅沢さに慣れ切ったのだ。

 夏の終りだが、ベゴニアの衰えもなく、健気にも咲く姿に、思わず見惚れた。人間の心を癒し慰める。

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薀蓄博士、大いに語る

2014年02月09日 | Weblog

 昨日とは、打って変わった晴天。太陽にあてられた屋根の雪が、地響きと共に滑り落ちる。今朝方の雪景色は何処へやら、道路の上には何もない。むき出しのアスファルトに変わっていった。それにしても、降りもふったり。雪の重みに、動けませんでした。

 左馬。これは、動物の本能らしい。競技場のトラックが、短距離も長距離も。同じく走るのに、左に回ろうとすることは、人間の習性所以。車での左折と同様に、自然なことらしい。右折する場合には、注意力が集中しきれず、事故になる可能性が大きい。

 人間の本能が、左に曲がれ。右には行くな、という警告を発する。猿の母親が、小猿を抱えるのは、左手であっても、右手には決してしないのだ。人間より、猿の方が偉いと思う時でもある。この行動には真心が籠もっている。何故か、おわかりだろうか。

 母乳が何故、大事な行為かご存知だろうか。実際に、のんで育ったが、覚えてはいない。母乳の成分の分析ではない。母乳を飲ませていることで、親にもなれ、愛情が育まれるが、夏と冬では、その濃さが違うそうだ。自然の摂理に適っているのに驚く。

 してみると、高齢者の方々には、取るに足らない微々たることかもしれないが、その強みは母乳で育っているということ。これに近いのが山羊乳。牛乳には、母乳とかけ離れたものしかない。牛乳が好きになれない者の戯言。脱脂粉乳よりはいいようだが。

 介護の疑問点を常々思い、解決するには膨大な資料を読まねばならない。専門的なことを除けておいて云えば、核家族に切り離された時点で、捻じ曲がってしまった。子どもが親を看るのは当然の行為であり、自分の命を貴び、大切にすることの基本。

 世の中、全てが金だ。自分以外の者には、金銭の度合いで順列がつく。汚いことや重労働は避けていく。弱者の切捨てはあからさまにはしないが、していることは同じ事。人間が本来の姿に還るためには、何が必要なことだろうか。病は気からとも云う。

 かかりつけの医者を持っておくことは大切なこと。いざと言う時には、強い味方でもある。然し医者嫌いには、不安が湧く。したいようにして、食べたい物を戴き、この世に産まれた使命を果たし、潔く決別できれば、それに超したことはない。天命を知ることか。

 夏の夕暮れ時。何とも爽やかに暮れる宇宙に、輝く恒星。一日の名残を想うのも、一瞬のことだが。

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針供養・春の雪

2014年02月08日 | Weblog

 昨夜は、静寂さに、職場へ連絡を入れたが、時間が不味く応答無し。明け方、異様に明るさを感じて起きれば、眼を剥く雪景色。自宅から県道は目前だが、雪掻きをしなければ出られない。然も依然として雪が降りて来ている。寒さはあまり思わないものの、しっかり着込む。

 勤務先に連絡を入れたものの、歩いていくべきか悩む。帰宅できるかが問題。リエさんに電話する。あちらも雪らしい。週末なのでありがたいとのことだが、こっちはそうもいかない。同僚から連絡が入り、勤務できるか怪しいことを伝える。雪は止まないで降るしきっている。

 雪掻きである。枇杷葉の枝が撓れているのを、箒で起こす。えれぇこっちゃ。今晩に凍結すれば更なるアクシデントが加わる。そこに天の助けがかかる。月曜日まで休め、という指令にほっとする。同僚の一人が泊まりこんで対応するらしい。厭、自宅に帰れない状況らしい。

 雪掻きも、東北の方々にはお叱りを受けそうだが、多かだか10cm程の積雪に往生する。指は冷たい、腰は痛い。慣れればできるということでもない。毎日の苦労が忍ばれる。流石に気落ちして、ストーブに手をかざす。さて、時間ができたが何に使うか。先ず、読書をしよう。

 介護福祉士のテキストも読み返そう。急な休みに悲喜交々だ。捨てる神あれば、拾う神有り。有意義な活用に充てよう。昨日の裁断をした布を縫う手もある。暦には、裁縫に吉とある。暫し雪掻きに手間取っていたので、早昼が来ている。図書館に、本の予約も入れておこう。

 この後、事態は急変する。何と午後には青空が広がって、雪が溶け始めた。休みは返上。それでも今日のところは変わりなく、炬燵に入って裁縫となる。雪掻きで冷たくなった足を突っ込む。普段、使っていない体の部位が痛い。年齢も加わるので無理ができないことを知る。

 ペテロの葬列。読破。結末のどんでん返しに絶句。これって、そりゃないよ。ちょっとどうかと想うなぁ。まあこれくらいの嘘つきでないと、小説ではないのだろう。でも、らしくない終わり方なんだ。肩凝っちゃったな、久々に。という感じなのよ。介護の記述があるだけに残念なの。

 昨夏の収穫の枇杷葉の実。たくさんの実に、リエさんを始め送った。自然のままで、無農薬が味わい深い。難点は粒が小さいこと。

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