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枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

扁桃腺腫れる・・・

2016年09月19日 | Weblog

 ここ数日が勝負、と踏ん張っていたが、小学校の運動会も終えたことで、なんだか糸が切れてしまった。身体に熱が籠もり、だるさも半端でない。昨日の時点で連絡はしているものの、食事ができたら出勤する段取りをしていた。咽喉の痛みに食べれない・・・

 急いで食べようとしたからだが、これでは仕事にならない。上司の出勤時間に合せて、再度連絡する。明日は、人数が多いから休んでいい。とのことだが、そうもいかない現状。枇杷葉の生葉を咽喉に貼って、熱を下げる。枇杷葉茶もしっかり飲んでおかねば。

 このところ、おとなしくしていた扁桃腺も、通草酒を飲んでいなかったので、疲れが溜まって出たようだ。冷房も、点けないようにしているが、蒸せると点けたがる。高齢者への、一種の虐待の気がする。基本の建物に、夏は涼しく、冬は暖かくの設計が必要だわ。

 経費の節約がいいのか、快適な暮らしを提供するか、これまでの住んでいた環境を保持するか、施設に依って異なるものだ。事故は、自然災害等ではなく、人為的なことの方が多い。オリンピックを断念するのは無理でも、沖縄の基地問題は長年の課題である。

 福島の汚染水問題にも、除染自体が無茶でしょう。そんなに簡単には処理できないから、都心に設置しない訳だ。それを分っていながら、次々と再稼動させる。耐久年数の30年はどこに消えたの?政治家の言い成りで、被害が起きれば、自治体の責任である。

 枇杷葉の効き目は、自然治癒能力を援けるが、藁にも縋る想いでするのと、医者に行けばいいとやるのとでは、大きな隔たりがある。治そうとする気力を、残っている力が補って動く。生葉がカラカラに乾き始め、咽喉の痛みが和らぐ。明日は、仕事に行かねば。

 暦には、敬老の日、子規忌、彼岸の入りとある。以前には、敬老の日は15日であったが、ややこしい日に持って来たものだ。高齢者になれば尚、不吉な予感も増える。勝手に祭日を変えてしまうのは如何か。介護の仕事では、三連休など無関係、負担は増える。

 銀木犀。金木犀とは多少、香りがやさしい。月の光に照らされると、羽衣をひらめかせる天女に観える。

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雨の休日

2016年09月18日 | Weblog

 雨である。孫の運動会とはいえ、日中を外で過ごすのは、いささか草臥れる。片時も眼が離せない人数なのだ。順番もあっと言う間に来る。雨が降る予報に、先々汲々。雨は、天の恵みと捉え、最後の運動会をさせてもらえる感謝がほしい。天に祈るのみ。

 自然の恩恵、森羅万象への祈りと感謝があればいいこと。まさに運を天に任す。変わって、夕方からの雨にほっとする。ありがたいことである。人間であることよりも、命の存在する全ての物への労い。布団の中で眠りをむさぼる。何という幸せなことと覚醒。

 朝昼兼用の食事に、珈琲を飲み、新聞に眼を通す。沖縄の辺野古問題。これは政府の駄々粉ねじゃない。人間としての心があるとは思えない判定。話し合いと言うが、その片鱗さえ見えないのを、沖縄のせいにするとは。戦後は未だ遠くにあり、嘆かわしい。

 東京オリンピックは迫る。豊洲どころか、福島の汚染状態でさえ、見通しが立たない現状で、開催するなど、無茶苦茶もいいところ。自分さえ良ければ、の腹が見える。石原慎太郎の狡猾さと、新都知事の斬新な、いや基本的な態度の違いが、くっきり現れた。

 枇杷葉の中心が膨らんできている。来月下旬には、咲き始めるだろう。季節感は薄れる一方だけれど、枇杷葉の四季は変わらない。寒さに弱いので、結実するかははっきりしない。それも自然からの贈り物と思う。今年は、苗木がずいぶんと育ったのも愉しみ。

 足と肩の調子がイマイチで、枇杷葉の生葉を貼る。これも、毎日根気良く、続ける事に意味がある。一度にたくさん貼っても続けなければ、駄目なのだ。加えて、感謝する心がなくては、効き目も薄れる。枇杷葉で、癌が治ったり、諸々の症状が改善されるのも同。

 生命体の持ち得る、自然治癒能力には、本人の想いに加えて、医療的なことや、精神的なことが含まれる。薬を飲めば効く、のではなく、本人のどうしたいかの意思の力だろう。気力とも言うが、考え方や今までの、これからの生き方にも繋がる。個人差も含むが。

 秋の、我が家の状態。よるがおの咲いていることもあれば、パンジーの苗が出ていることもある。その年によって愉しみ。

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葉月、大潮・望。台風にも負けず・・・

2016年09月17日 | Weblog

 小学校の運動会。台風が近づいているという情報だが、本日以外は出来ない。とかで、種目を前倒しで行う。昼食を挟んで、雨脚が強くなるが、小学校は統廃合で、最後となる。きっと皆の希薄に、台風も配慮した様子で、晴れ間となって続行する。

 無事に、運動会も終え、天気も最悪とはならずで、実にほっとした。新暦で何でも前倒しで行うが、旧暦ののんびりゆっったりもいいが。勤務の疲れから、やっとのこと起き、巻き寿しを作る羽目に。その後、娘を迎えに行って、ぎりぎり開会式に参加す。

 中学生と違って、小学生は面白い。爆笑の連続に、地域の温かさを思う。個性豊かな40人の生徒達。孫等の6年生は5人。中学生の応援と飛び入りに、最後を飾った借り物競争。皆、仲良く、どの児も大切な未来の担い手。夢と希望、やさしさを忘ずに。

 彼岸花が咲き出す。この季節、子どもの頃に読んだ、親になって、子どもの教科書に載っていた、ごんぎつねを思い出す。宮沢賢治より、新美南吉の作品に、強く惹かれる。最後の胡弓弾きや、牛をつないだ椿の木に、はなのき村の盗人たちもいいなぁ。

 てぶくろをかいに。新美難詰は、狐が好きだったのかも知れない。狸と狐、河童等、昔話には大抵登場するが、最近は見かけなくなった。狐って、実際に人間を騙すのだろうか、自然破壊を行うから、自分達の棲み処に近づけたくなくて、カモフラージュ?

 人間の土地等、誰が決めてしまったのか。其処に棲む生き物にとって、快適な自然を残してなら、自分の土地と言えばいい。微生物も居ず、虫も動物も居ない場所には、人間は棲めないのだが、便利さと快適さだけで家を建て、生活用水を流し続ける。

 辺野古移設を、何がどうあっても、続行する姿勢だ。沖縄県民の想いを逆なでする、判決に唖然となる。これが、東京都知事と、沖縄との違いだ。沖縄県民は、何等悪い事はしていない。戦後が残ったまま、時代を逆流させている。政府は姑息過ぎるよ。

 十五夜、十六夜、立待ち月、居待月、寝待月・・・。秋の夜長である。本が読める幸せに感謝。

 

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磁気荒らしか?

2016年09月16日 | Weblog

 ここ数日は、大潮の関係で、引力も起こるし、潮位も上がる。そこに持って来て、台風である。明日は、小学校の運動会。警報が出れば中止になるが、明後日や明々後日の方が、酷くなる雲行きである。オリンピックもだが、日本では10月が適する。

 今朝は、沫や寝過ごしたか!と飛び起きる。遅刻は免れたが、新聞が落ち着いて読めないまま出勤する。枇杷葉の生葉を入れて行かなかったが、業務に支障は出なかった。しんどさは変わらないが仕方ない。介護のコミック、ペコロスの三作目出版。

 デューン・砂の惑星。カイル・マクラクカン主演ので持っているが、ビデオなので観れない。年末に買うよう予約するかな。ヤング・スーパーマンも、ばら売りをしないので、ゆうだんしているが、わざわざ6巻まで出しておいて、その後は10巻セット売。

 最近、午後8時を過ぎたら、ネットを勝手に切断する。不具合は見当たらず、料金の滞りもない。OCNの陰謀としか思えない、嫌がらせだ。これまでの状況から臆しても納得行かない。光ネットではないから、切り換えるまで続ける心算か。陰湿だな。

 ネット使用には、買い物とブログの更新だけで、他の用途は図書館で済む。田舎の町だが、国会図書館への接続もでき、古典文学も読めるのだ。めんどくさい手続きもなければ、お金もかからない。そういった便利さは、大いに利用する心掛けです。

 夕方になったら、集中するからか?否、それにしても、こちらの承諾なしには出来ない筈。客にたいする差別待遇は、規約には書かれていない。何を理由に切断するのか、きちんと説明をしてくれ。安全対策も年間費用を払っているのに納得いかない。

 従って、途中で切断するため、更新に手間である。毎日が休みなら、日中に出来るが、早朝勤務や、夕方の遅いのもあって、非情に腹立たしい。庶民の愉しみも、ささやかなものである.宇宙通信や、国際的な暗号を傍受は希望していない。切断は止。

 秋の深まる庭に、満開の蕎麦の花。枇杷葉は、一旦は枯れてしまったが、10年程経って新芽が出た。

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白い花も多々あり。

2016年09月15日 | Weblog

 韮の花が満開です。すっくりと伸びた緑の茎の先に、線香花火のような白い花が咲く、韮の素朴さに佇む。強烈な臭いで、余り好みではないが、花は別なこと。ひっそりと咲いているのが、何とも去り難い。韮を必要とするのは餃子だが、花にまで興味はないか。

 世間一般的な話題には、そういった季節感はないものだろう。俳句をするくらいの方なら、多少は関心もあろうが。この時期は、彼岸花が咲き出す。桜も、今や珍しくも無い。早咲き出している。彼岸桜どころか、葉月桜である。地球の環境異常で、季節は速まる。

 勤務先でしか観ないテレビだが、何と言う下らない、番組ばかりなんだ。唯、単に着飾ったタレントが出て、食い物を口にしている場面ばかり。それがどうした?教養も知識もなく、莫迦丸出しの番組に出るタレントにも呆れる。その外は、不倫ニュースに喧しいだけ。

 最近のNHKも、大した内容が無い。民放との差は、CMの違い位で、飽きてしまう内容だ。自民党に都合の良い番組の兆し。そこにいくと、同じパターンだが、水戸黄門は弱い者が勝つ。印籠の効き目は凄い。配役が変わっても、諸国漫遊が同じでも面白いのよ。

 肩の痛みが退かないので、枇杷葉の生葉を入れていく。熱感があると、絶対に落ちない。足の裏にも敷く。帰宅して見たら、乾燥してパリパリ。これをして行くと、足の疲れが出ないのも不思議だ。高校生の時にバス事故で、左足の太腿を強打しており麻痺が残。

 勤務中に、足を引きずったりはしないが、無意識にぴょこぴょこ歩いていることがある。或いは傾いて歩いていたりする。背筋を伸ばして真っ直ぐ、と意識していれば出ないが、無理を重ねるとどうしても、難聴やリンパ腺への影響にも繋がってしまう。身体は正直。

 枇杷葉茶を飲み、枇杷湯に浸かり、花芽を愛でているのがいいようだ。暮らしの基本は旧暦で行うので、季節感は変わらないが、他人とのずれが、約1ヶ月の開きがある。暦の行事予定も合せるので、今のところは無事平穏である。月の満ち欠けが身体に合う。

 昨年の葉月の月。今夜は十五夜だそうだが、薄は硬く咲かない。風情にも欠け、かぐや姫も戸惑う。

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月を愛でる・・・

2016年09月14日 | Weblog

 かぐや姫が好きと言う、5歳児に思わず仰け反る。曰く云々より、子どもにとっては、素直に不思議な物語かも。竹の中に居た、というのも、善良善男の翁に拾われるのも、いいのかもしれない。結婚してほしい要望に、ありもしない宝を突きつけるが。

 月の世界は、空気が薄いか無い状態で、地球は酸素が豊富。状況から臆すれば、正しく不可解だが、日本人の好みにしてある件が面白い。加えて、旧暦での故事なのを忘れずに、季節感の差に気づこう。従って、長月の十五夜でないとおかしい。

 大気が澄んで、夜間の気温が冷え込み、冴え冴えとして来る頃が、十五夜である。その頃には薄も風に揺れる。樋口一葉の、十三夜に至っては、雪花が舞い、吐く息も白い神無月だ。温暖化が進んで、季節感はないものの、旧暦と新暦では違うよ。

 輸入米が安く仕入れていたことは、内田康夫の沃野の伝説で、そのトリックに呆れたものだ。然し、その頃には、TPP問題が浮上していたから、政府の腹は分りきっていた。そうでなくては懐には入らないのだ。原発も同じなら、袖の下の遣り方次第。

 今朝は、時雨が見舞う天気で、布団干しは断念する。折鶴ランのランナーがたくさん出ているのを、プランターに移植する。冬季は室内に移動し、管理する。それにしても、次々と増えるものと感心する。水も、適当に遣らないと枯れるが、根が凄い勢い。

 労働基準の基本で、休憩時間は取ることが義務付けられている。これまでは、余りのしんどさに、膀胱炎やリンパ腺炎、風邪を引き込んでいた。詰まる処、働き過ぎであったのだ。然し、その時間への給金は支払われないが何故?何か腑に落ちない。

 理不尽と言えばそうだし、過ぎたことはいい。と言われればそれまでだが、納得し難い。常勤の場合には、多少なりとも賞与があり許せるだろう。時間給では、労働した賃金であるから支払ってほしい。失われた膨大な時間を思うと、やり切れないです。

 庭の枇杷葉の中心に、今年も苞の膨らみが見える。結実しない木もあるので、花芽専用にしている。リエさんのがどうか?心なしか出てきているようだが、来月にならないとはっきりしない。りささんのが、結実したものの、寒さに耐え切れなくて落下した。

 古来から、滋養強壮として用いられてきた。やまぼうしの実。初夏に白い花を咲かせ、秋には赤い実となってくる。

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雨の朝・・・

2016年09月13日 | Weblog

 瞬間雨量が、15mm位か?激しい雨音に、ぎょっとする。そろそろ満月も近いので、地球の自転位置や、月との引力の関係で、被害の差が出る。暦を見れば、一目瞭然であるから、テレビ等観なくても、状況は把握できるもの。テレビを観てて逃げ遅れる。

 以前に、何日も雨が降り続いて、広範囲に亘って、浸水した経路がある。梅雨時のことだから警戒を怠った訳ではないが、水位の上昇に、河川が捌けなかった。とどのつまり、逆流した濁流が、町に流れ込んだ。溢れるのも一気にだったが、直ぐに引いた。

 病院も、高校も、役場も、駅も、凄まじい有り様になり、暫くは、戦後の悲惨さを感じた。と言う方も現れた。救急ボートが出動して、助かった女将さんは、電信柱の天辺に摑まり、ずぶ濡れだったらしい。漏電にならず感電死を逃れたが、生きた心地はない。

 自宅で、用水路を眺めていると、田も道路も境はなく、大海原になる。鰻や鯰が上って来ると出かける輩もいて、田舎ののんびりとした風景。何時もなら、翌々日には晴れるのが、明けても暮れても雨ばかりの日々。異変が起きたのはその直後であったよ。

 川が豹変したしたのは、生活用水の汚泥と、日頃からの清掃を怠っていたからで、浸かった町の様子は、ヘドロに埋まっていた。便利であることの裏返しに、自然への警告と思わないでいる連中も多く、見た目さえ良くなれば、忘れてしまう。人為的災害。

 戦争の悲惨さを、経験している世代は、平成になって随分と減った。知らない者が、利益優先で遣れば儲かることだろう。自分の意思でなく、機械を操ってするのなら、痛くも痒くもない。如かして、殺人を犯すのは同じことだ。ターゲットが民間人というのも。

 自然から学ぶことは、人間であるならできるものだ。どんな小さなことにも関心や興味を抱いて、不思議なことを観ていきたい。自然を破壊するのは簡単だが、元の状態にするには、その数倍以上もかかる。やさしい心を失わない、生き物でありたい者です。

 テイカ蔓が、白い滝のように流れる。今年は、ばっさり切られてないが、田舎の沿道には、他の場所に咲いている。

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笑って誤魔化す。

2016年09月12日 | Weblog

 いやぁ、勤務先で、ふと耳にした、築地移築問題。やってくれましたなぁ・・・、猪瀬さんも、桝添さんも、石原慎太郎に踊らされ、調子に乗るから、墓穴を広げる。オリンピックどころの騒ぎではない。福島の汚染水も、放射能の残土も、一向に片付いていません。

 きっと、何かがあるから、石原慎太郎は都知事を辞めたんだ。あの腹黒さで、自分さえよければ良い考えの持ち主が、簡単に辞める筈がない。私財を投げ打って、処理に当れば素晴しいが、先ず、開き直って無罪放免だろう。都民の血税だから済ますのだ。

 政治と金は、どうあっても切れないし、癒着状況の差こそあれ、相当の理念をもってしても、潔白はあり得ない。安倍マリオにも、困ったもの。国民の血税を、湯水の如く使う。小池都知事は潔いが、従来の半分の給料で、生活できるなら、国会議員こそ無駄。

 枇杷葉の生葉を上げたら、今朝早速靴下に入れてきていた。夕方、具合を聴いたら、一日というか、朝から足が引き攣らないそうだ。私は、肩の痛みに、落ちるのを覚悟で乗せていた。熱感があると、ずれないのにびっくり。帰宅して外すと、パリパリの乾燥。

 介護の仕事をしていればこそ、高齢者の方には、適していることが実感。下手な医者の処方より、枇杷葉の手当てが安上がりだ。薬に頼らず直感を大切に。認知症にもかからず、正常な日常生活が送れるのに、何と言う無駄なことか。政府の方針は違う。

 枇杷葉は、夏の暑さを防ぎ、冬の寒さを和らげる。1年を通じて、これを活用すれば、医療費は殆んど要らない。枇杷葉生活を軸に、田畑を耕して、自足の暮らしを奨めたい。身体の中から毒素を排出するので、がん細胞には侵されない。進行が遅くなる。

 病は気から、とも言うが、病院にかかって、幾ら薬を飲んでも、病気に負けない信念と、治りたい・治す心も大切。然し、絶対と言う保障はない。自分の覚悟も、相当に要る。同時に、自分の身体の中にあるものと、根気良く付き合う許容も大事なことですね。

 自然に守られていることを、感謝する。数え切れない恩恵を、太陽や月、星に祈り、糧に想いを馳せる。宇宙の摂理、命のあり難さを刻む。人間は、一人では生きられないが感謝はできる。便利で豊かな生活で、心を何所かに置き忘れている。心を亡くして。

 長崎茂木。たくさんの花芽に、うれしかったのだが、結実は10個ほど。横浜の児童作家さんに贈って歓ばれる。

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秋の空に・・・

2016年09月11日 | Weblog

 鰯雲の、広がる空には程遠いが、抜けるような蒼さに、背筋が伸びる。このところ晴天続きで乾燥しており、風がなかったら、暑さを凌げない。とはいえ、葉月になった時点で、気分は秋と捉えているから、朝夕の気温の変化はありがたいこと。

 昨日の、孫の体育祭観覧を終え、娘を自宅まで送り届け、帰宅してぐったりした。ブログの更新も済ませ、珈琲を飲みながら、今朝の散らし寿しの段取りをしていた。実に、次々と用事が増える。巻き寿しが余ったのを、知人に取りにきてもらう。

 何でも、外食に行っても、少しも美味くない。とのたまう。まあ、売り物とは違うわな。米は、朝日米、酢飯は独断の味付け、加えて心を込めてしているのだから、美味しくない筈がないわ。然しながら、考えようと言うか、思いようにも依るんだが。

 何事も、当たり前ではない。感謝する気持ちが大切だろう。息子など、当然と言うか、またかという眼つきでは、食べてやっている傲慢さしかない。自分で作れない物は、作れるように努力をすればいい。或いは、何処が違うのか、噛み締めて戴く。

 悪い事は、直ぐに覚えるが、佳いことには消却的であるのが、理解できない。基本的に、料理は嫌いだが、美味しい物は食べたい。そうすると、ちょっとした工夫が必要となり、学んでいかねばならないのだ。毎日の試行錯誤も、愉しい時間だ。

 手弁当どころか、持ち出しなことが多い。商売をしている訳でもないので、お金はもらえない。材料費はあるが難しい。然し、約束は守らねばならず、出来合いの物は避けたい。従って、自分で作ることになり、多めにして行くこととなってしまう。

 まあ、いいじゃないの。複雑な想いにもなるが、美味しければと思う。今を生きていることが、明日に繋がるのかもしれないが、一日を精一杯にできれば、感謝に価する。これも枇杷葉のお蔭で、自分を生かされていることに気づけたのだから。

 テイカ蔓。今年は、ばっさり切られて、一片も見えない。この時期、白い花がやたらと眼につく。芳香も強い。

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孫の体育会に

2016年09月10日 | Weblog

 今朝、5時起きの心算が、30分寝過ごす。えらいこっちゃ!寝ぼけていては、分量を間違うので、しゃっきっとする。具材は昨夜の内に準備しており、テーブルに並べて段取りをする。然したる物ではないが、卵焼きと胡瓜は入れ、梅肉を混ぜてみる。

 娘を家まで迎えに行って、開会式に間に合わす。孫が生徒会副会長をしており、その姿を追う。小学校のは、スポ小での試合とか。息子は、仕事に行っている。なんちゅうことか!親は、話をするより、スマホに熱心。こちらの話を聴いていないよ。

 午前9時よりの開架式から、午後2時過ぎまでの長時間。種目は15番ほどだが、のんびりとしたものである。なにせ、全校生徒64名。校庭が、とても広く見え、開放感にあふれる。ここには自然が一杯で、突然、闖入者が来ても、参加を願うだろうな。

 猪は元より、鹿も蝶々も飛ぶ。山を荒らし、餌がないので、熊も出てくる。でも、悪いのは人間だよ。山を荒らし、餌を失くすから、人里に出て来るのでしょう。熊が、出て来るのが悪く、人間を襲うからだと言うが、熊にとっては餌なんだ。勘違いです。

 体育祭の観覧席には、小さな児も居れば、小学生も来ている。兄弟姉妹の関係でしょうが、野放しにはしないで。野原で見つけたヤモリを捕まえ、お菓子を遣ったり、ジュースを飲ませている。死んじゃうよ、人間とは違うと言うが、分らない様子だ。

 野生の生き物は、自然の掟で棲んでいるのを、勝手に動かせたり、無闇に触ったりはしないことだ。人間には、想像も出来ない過酷な中で、生きているのを、気紛れや我儘で、してはならないのを知っておいてほしい。ヤモリが何か危害を加えたの?

 人類は霊長類で、何よりも偉いとと勘違いしてはいまいか?自分の足で歩ける者は、考えて行動するが、全ての生き物の長ではない。自分が生きていくためには、相手を殺すが、無差別に虐げたりはしない。それが必要不可欠だから狩りをするのだ。

 秋の花は、秋桜、萩、桔梗、薄、女郎花、テイカ蔓等の素朴な花が野山を色どる。芳香性の強いのもある。

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