枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

神無月、朔・大潮

2017年11月18日 | Weblog

 二の酉。今朝は、昨晩からの雨のためか、ぐんと気温が低く冷え込む。すばるを見ていると、実に好く分る。寒いから抱っこを強いる。足の傍で縺れる。止む無く、台所はストーブを点けるが傍を離れない。抱き上げれば満足して咽喉を鳴らす。

 友人が頼んでいたおかきを取りに来る。それだけの用事なので、直ぐに帰った。本屋に電話して、御宿かわせみの文庫を注文し、ブログに取り掛かる。デジカメと携帯の充電をして、カードの写真を取り出そう。花芽が馥郁と匂い、心地好さ堪能。

 クリスマスローズも、自然のお湿りでしっかりしてきた。冬の到来に備えをしつつ、上京の用意をしなければ。セーターやら下着を忘れないように、風邪にも充分に注意を怠らず。千振を持って行こう。マスクは基本的には嫌いなので、嗽と手洗い。

 マスクが厭な理由。何故か顔の面積が小さく、どのマスクでも額まで掛かるため。小さなマスクはちょっと足らず、耳もきついのだ。勤務先でも有名で、わたくしの傍に来ると、その違いがはっきりとする。子どもの頃には、違うことが辛かったもの。

 美容的には、小顔で、髪は自然のウエーブで、スリムで、加えて胴が短いとなれば、スタイル抜群と言われるが、実際にはバーゲンには走れないし、股下が足らなくて合わないのは、却って高い買い物になるのだ。子どもの時にはつんつくりん。

 杓子定規な言い方をされ、合わないことに劣等感を抱き、自分を責め逃げるしかなかった。書籍は、自分だけの世界を創れ、何時でも何処でも空想を描き立てる。人とは違うことが、差別に他ならないって知らなかった。たくさんの本に出遭えた。

 鮮烈な印象に残っている、アシモフの『我はロボット』に、末吉暁子さんの『霧の降る部屋』。誰が何と言おうと、この二冊はバイブル的存在。自分でも書くが、リアルティがないと選評に記される。実際に体験するのと、嘘を本物に書くのは異なる。

 先日も、目の前に知っている方がゆっくりと倒れこんでいくのが視えた。金縛りに遭った状態だが、その数日後に亡くなられた。でも、数日後に命を終えるから、とは告げれない。何を根拠にと怒られるだろう。施設に来ての時には、影が薄かった。

 決して、視ようとして見えることでなし、感じるといおうか、解かるんだが、科学的な説明が出来ない。自然を相手に暮らしているから、そういった霊感が強いのかも知れない。前野・ウルド・浩太郎さんにも、直感から通じるものが。研究に勤しんで。

 沢田研二さんのDVDを買おうとしたら、本屋では注文できない。CDは可能だったが、既に持っている。来年のことに延ばそう。還暦の声には、それなりの年輪が刻まれて、聴く者の心を揺さぶってくる。タイガースの時には、格好だけだったような。

 春の宇宙には、淡い星々が緩い曲線を描き、光っている。その西に、燦然と輝く金星と、月の姿が。

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長月二十九日

2017年11月17日 | Weblog

 業務の中には、多少の冗談も必要だが、無駄なお喋りほど無意味な物はない。ゆったりと余裕を持って当るのは勿論だが、時間は待ってくれないし、しなければならないことは山積みに多いのに、迷惑千万である。加えて、他人には命令的である。

 例えて言えば、入浴当番であれば、何人を入れて、掃除を終え、記録を書くのも、時間は決まっている。他人の時間を使って、業務に滞りが出れば、さぼっているのと同じである。四角四面の内容を言うのではない。何をするのも心構えが肝心だ。

 リエさんに逢える日が近づき、何とか気分を変えてはいるが、気持ちの切り換えの難しさは、何事にもひた向きさであれば有るほど、気疲れが増える。悩みは尽きず、不安は拡大し、今更中止にはできないしでゆううつ。すばるを置いていくのが。

 腕白な故に心配もあり、娘に頼んではいるが、日中は兎も角、夜には探しはしないか。寒さに凍えてしまうか、と心配は尽きぬのだ。かといって連れては行けぬ。餌は、娘等が来ての世話だが、独りぽっちで眠れるのかも案じられる。帰宅後が・・・

 上司の面談があると言うので、時間には赴いていたが、本日は留守と。仕方なく次いでなので物品を持って帰る。その後、業務が多忙になった時間に連絡が入る。遅れるならそうと伝言を。何がチームケアであるか。直属の上司でなくていいけど。

 定年だから辞めたいのだ。然し、本音は言わないでおく。こういう連中に、どんなに話しても無駄である。こちらの言うことに、耳を傾け、向き合う姿勢が全くない。本を読むという割りには、タイトルも内容も話せないしで、感動する言葉もないではね。

 今朝の気温は低く、これが本来の温度であろうが寒かった。すばるがにゃあにゃあ鳴き、だっこをせがむ。それを置いて仕事に行き、帰宅すると擦り寄って来る。今は、ストーブの傍で毛繕いをしている。因みに、タイガースの瞳みのるさんのファン。

 仕事を辞めたら、Aさんが家においでと云う。有難いことであるが、水を分けてもらいに行く時に、ゆっくりとできるのが望ましい。幸いに車の運転は出来るので、買い物には付き合えるし、枇杷葉の手当ても可能なので。着かず離れずが一番ですよ。

 春の宇宙に輝くのは、月と金星だ。内合になれば、明けの明星となり、外合では宵の明星となる。

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晩秋・・・

2017年11月16日 | Weblog

 冬の到来が近い。そろそろ神無月ともなるこの頃、日中の気温は穏やかで暖かい。紅葉はあるものの、未だはしりのような色付きだ。世間は浮かれて、観光行事は花盛り。加計問題の肝心さを論議するどころか、いい加減な審議である。

 トランプにジョーカーを押し付けられて、にやつきながらの空威張りで、戦争へと舵を切っている政府に、国民の単なる庶民には、口封じとしか思えない。嘘ばっかりだもの。如何に、誰が、何と言おうが無視し、挙句の果ては強行・強引さ。

 ジュリー祭り。CDの方にする。沢田研二さんの、タイガースでの歌い方と、ソロでの熱唱とでははっきり異なることに気づく。なるほどなぁ・・・、グループでは、あくまでもボーカルで、ソロでは歌手なんだ。これは並みの遣り方ではない。凄い。

 配達されて開けてみてびっくりする。副題には、タイガースから今日まで、とあるから、CDもよもや1枚ではないと思っていたが、たくさんじゃない。当分は愉しめそう。尤も、そればっかりを聴いていられるのでもないから、1年分はありそう。

 インフルエンザの注射後で、痒さと痛さに閉口した。皮下注射の際には、どうという痛さではなかった。然し、その後がいけない。腫れたのは無論だが、痒くてたまらないのだ。これほどに拒絶反応が起きようとは。風邪の症状になるんだが。

 枇杷葉茶と、山女で風邪にはならないし、インフルエンザにだって罹らない。昨年にも、投薬を言われたが呑まなかった。何ということにもならず、手洗いと嗽とで乗り切ったもの。日頃の生活習慣を、きっちり怠らないのが効果を促すんだよ。

 自然からの恩恵を、祈り・感謝してもらえることに、あり難さを想う。神は、自然でもあり、宇宙であるのだ。森羅万象の摂理に、物理的なことや、天文考古学的な謙著で望めば、援けてもらえるもの。謙虚さを忘れず、日々の精進を怠らず。

 勤務先の駐車場までは、少々歩くこともある。その途中、宇宙に懸かる惑星・金星に思わず佇む。

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特別賞、おめでとう。

2017年11月15日 | Weblog

 少し前に、バッタを倒しにアフリカへが、某新聞の書評に載り、何故か図書館に予約して借り、その後一目惚れをして、著作を買った。直後、毎日新聞文化賞特別賞を受賞された。朝刊には写真入での紹介があった。浩太郎さんよかったね。おめでとう!

 個人的には、苦手な分野ではあるが、ひた向きな情熱と、研究者にあるまじき行為に驚きながら、アフリカでのバッタ撲滅作戦に、応援と拍手を贈りたいです。わたくしの購買など、微々たる物でしょうが、何でも中学校では、図書館購入をしている所も。

 会う人に宣伝をしてます。先日も銀行で、独身の女性に読んでね。とメモさせました。ちなみに研究書も買いました。本音を言えば、膨大な資料に眼を通して、読み込み理解するのは、期間的に無理があるためですが。学会発表の文献とは違うらしい。

 本日は、七五三です。三つ子の魂百まで、という諺に頷く。小さな時に影響されたり、感化されたことは先ず、育っていく環境や、家庭内での居場所にも依るが、変らないことだ。可と言って、幼い時から、殺人をしようと生きているのでもない。歪みにも・・・

 心の中は、自分でさえ判らないこともある。精神の異常ともなるのだろうが、僅かな歪みに、心が折れてしまったり、閉じてしまうことにも。それを責めるのは違うし、原因として追求するのも違和感がある。誰が悪いと決め付けないでほしい。闇の入口はある。

 誰しもが明るく、正しい、健全な生活が営めたら、こういった事件は起きない。それらを何かのせいにしたり、悪者を探し出すことは、事件を速やかに解決するなら、それも厭わないが、連日のように報道されれば、嫌悪感だけが残る。これ以上の被害は否。

 出不精にとっては、ネットでの買い物はあり難い。然し、此のところ困難になっている。まあ、電話でも注文は可能だが、価格で折り合いがつかないことも。年金生活になってしまったら買い物は出来ないので、それもいいかな。不便さには慣れているのです。

 春の宇宙に輝く金星。光度がマイナスなので、燦然と光る。都会の宇宙にも観つけられる明るさ。

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継続は力なり・・・

2017年11月14日 | Weblog

 ブログを始めて、可能な限り更新を続けてきた。どんな方が訪れてくれているかは、知らないものの、これ程長続きしようとは思ってもみなかった。枇杷葉のお蔭であることは明らかだが、現代人の病んでいることに、今更ながらびっくりする。病は気から。

 日野原重利さんの著作にもあるが、薬に頼り過ぎるのは好くない。枇杷葉の効力にも、個人差があるのは否めない。それでも、援けてもらいたい想いが、効果を広げたり、如何なく発揮する。薬には、必ず薬害が伴う。できれば良医に巡り遇いたいものだ。

 何かのせいにすれば、気は済むかも知れぬが、事態は変らずで、前にも進めないし、後にも引き返せない。北野武さんは、芥川賞があいつに取れたんだから、俺にも可能性があるだろう。と小説をお書かれた。動機は何であれ、そういった気持ちは凄い。

 人生の設計をどの時期からするかで、生き方は大きく変化する。然し、余程のことが無い限り、計画して生きていくなどしはしない。身体の調子が悪かったり、病院受診での急激な数値に慌てて、後悔してからが多い。親の意見も、他人の言うことにも無視。

 若い時には、元気であるのが当たり前でも、30代になり40代に移れば、人間は生身の身体だから、何処かしらが故障を起す。一寸位はと云う安易さが、取り返しのつかない結果に陥る。そういった時に、覚悟を決めて、枇杷葉に向き合うのも方法かも。

 テレビは、勤務先でちょちょろしか見ないが、興味のあることは記憶している。現代農業を毎月借りるのも利益が多い。然し、丸呑みはしないでおく。自分には何が必要で、どうすれば効力があるかと考える。実験をするというのも好い。方法が合えば儲け。

 沢田研二さんの、武道館コンサートを観ていて、25周年と話していたから、予測した43歳か44歳だった。顔つきを見て、スタイルを観れば一目瞭然だが、興味の無いことには無頓着なものだ。で、アマゾンに、ジュリー祭りを注文した。これはCDで好い。

 昨夜からの雨で、今朝は洗濯も乾かずだが干しておく。午前中に、友人が来るので、身ごしらえを終え、すばるのトイレを換えようとしたら、玄関のチャイムが鳴った。枇杷談義をする。珈琲を淹れて、ケーキを頬張る。すばるが好物らしく、膝に乗ってくる。

 枇杷葉茶を切らさないように遣るので、尿も便も、他所の猫よりは臭わない。枇杷葉の枯れた葉を乗せておき、堆肥になるのを待つ。トイレを換えた途端に、敷いておいたパッドを破り、得意顔である。わあぁ、何てことをするのよ、今綺麗にしたばかりでしょ。

 疾風の如く逃走し、出窓の指定席で寝ている。その間に、郵便局に出向き、年賀状を受け取る。これも今年までか、仕事を辞めたら出さない。メールも打たないし、便利な機器は止める。ネットは使うが、ブログの更新と、ベルネの購入と、ここのメールだけ。

 リエさんに逢いに行けるのも、今回が最後になるかもしれない。金銭的なことと、仕事を辞めたら、身体の疲労度が違うのは分っているので。そうなると、コンサートには行けない。年金だけの生活には、出費を抑える工夫が要る。従って、今の内に青春を。

 如月の夕方。金星と月が、西の宇宙に懸かる。自然からの贈り物には、人に依って価値が異なる。

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遊んでよ!

2017年11月13日 | Weblog

 この頃のすばるは、悪戯というよりも、本気で掛かって来るので、重い上に派手なアクションである。胸の上に突然乗られると、これは応える。歩く足元にじゃれつくので、転びそうになるし、歩けないでしょ!ちょっとした動きに、飛びかかってくる。

 銀河とは性別で違うのもあるが、相手が居ないので、遊び相手になってと迫る。こっちの体調には関係なく、そこは未だ幼い。インフルエンザの注射をして、症状が出始め、鼻水やらだるさも加わって、だらだらしているのを直撃してくる。止めろ。

 沢田研二さんのDVDを注文して届く。この頃の姿は、今ほど肥っていないので、武道館の舞台を身軽に飛びまわっている。40代かな?瞳みのるさんは、中国に留学していたか、教鞭をとっていた頃かな。じっくり聴いたことがなかったので求。

 然し、コンサート会場でなく、自宅と言う安心感で、歌声を聴きながら眠ってしまう。彼自身の姿を見るのが、本来の目的ではないのもあり、子守唄になったのか?いやいや、単に疲れていた。個人的なファンでないので、熱狂的な方には怒られそう。

 浩太郎さんの、孤独なバッタが群れるとき、も読まねばならず、明日は職場の子が来ると言うしで、のんびりとはしていられないのに。ブログの更新をして、と起き出すわたくしは、エイリアンなのだろうか。注射痕が痒い。毎年、後遺症に苦しむよ。

 快晴である。布団を干し、洗濯機を回しつつ、朝食を摂る。休刊日なので、昨日の読んでいなかった記事に眼を通す。職場の子から連絡が入り、炊飯器のスイッチを押す。おかずは来てからで間に合うが、迎えに途中まで行かねば。携帯が鳴る。

 職場の人間関係は難しい。特に、言ってはならないことも多々あり、相手を見極めて話す。誰にでも喋ってしまい、後で悔やんでも祭りばかり。業務をこなすには、心労が激しい物だと頷く。すばるが出てきては、怪しいかどうか通り過ぎて行くが。

 出窓の南に、サンタ枇杷葉が植えてある。ちょっと間を開けて、猫柳が咲いている。要は、狭いのに変わりなし。

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おんちょろちょろ・・・

2017年11月12日 | Weblog

 昔、学習雑誌を買ってもらった兄が、放り投げていたのを読んだ中に、おんちょろちょろ、と言うのがあった。婆さんが仏壇でお経をあげているのに、鼠がちょろちょろと出て来たのに、唱える。これが、忍びこんでいた泥棒の行動と同じだったので逃げ出す。

 先日、Aさんの家の台所に出てきた。正しくおんちょろちょろとである。そして今晩、我が家ではごきぶりが、スタタタ~とパソコンの上に出て来た。以前、ネズミを捕るのに、大きなゴキブリほいほいを仕掛けた。ここにバナナを置いていたら巧く、引っ掛かった。

 ゴキブリを捕獲するのは、出入口が狭く、中に長く広いのが良く、バターをたっぷり塗っておく。こうすると、つるつる滑って昇って来られないし、抜けられない。ということを、何かで読んだ。勤務先で仕掛けようと話したら、不気味だから止めてと言われた。

 そのくせ、奴等を見つけたら、きゃあきゃあ大騒ぎをする。何か悪さをしたのか、と問えば、嫌いだからとにべもない。人間が偉いとは思わないが、偶然、顔に向って飛んだら、さてどうするか。わたくしは一向に構わない。新しいブローチに、できるじゃない。

 文明的な生き物の代表が、ゴキブリではないか。昔のような、隙間風の入って来る家では、発生していないでしょう?蚤やダニは、身体にくっ付いたり、暖かな場所に巣くるが、ゴキブリが肌にいたのは聴いていない。火傷の治療には、あの羽根がなるのよ。

 バッタの研究者が居るくらいだから、ゴキブリ博士も居るんだろうな。どんな小さな生き物にも、愛情を持って接すれば、それなりに可愛いのに違いない。然し、博士になれる頭脳がない分、避けて通りたい。枇杷葉での清貧の暮らしが、合っていると納得。

 人間は、何がしかのミスを犯すが、それを嘘で誤魔化したり、反省の心がないと、同じ失敗を繰り返してしまう。注意されても不貞腐れ、態度を硬化させるのは違う。でも、そういった人には通じない。心底悪いという気持ちがないのは、新しい発見も無い。

 駐車場の出入り口にある、一旦は枯れて、その後新芽が出てきて大きくなったのに、愛車を動かせていて、花芽があることに気づく。中に隠れていたが、枝に小さな塊がある。10年以上は経っているんだが、何故か枯れてしまったの。不思議なことも有。

 散らし寿しの用意をしていた。日曜日の献立であるので、職員のは作っていくことに。何時ものことだが、歓んでくれるのがうれしい。今回は、生姜を擂った。身体の中から温かくなるので、これからは大いに使おう。茗荷は既に品切れとなったので来年。

 春に、様々な花が咲くのはうれしい。冬の花は凛として、春の花はやさしげで。初夏の花は伸び伸びと。秋にはひっそりと。

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長月、下弦・小潮、考えるということ・・・

2017年11月11日 | Weblog

 思考には、こうであったなら、と言う愉しみ方が存在する。書籍の面白さには、普通と平凡さで書いておいて、相手を惹き込むことが出来たら、そこから展開していける。バッタを倒しにアフリカへが、何気なく書かれた日常であるのに、文章が面白い。

 本屋に行って、注文していたのを買って来た。図書館で借りて読み、納得しての購入である。序でに、孤独なバッタが群れる時も。学術的な要素が充満しているので、難解は承知だが、浩太郎さんの一途な思いに感銘したものだ。印税を研究費に。

 地球上の地名など、覚えようとしても、その気がないので無理だが、認知症予防のためにもなろう。モーリタニアを言える。地図で示せる。この歳では、彼の前途を応援するしかないが、世の中には、地道な研究を続けて、報われなくてもする方が居る。

 時代の最先端を行きながら、文明とはかけ離れた生活をし、それが何になるのか?という研究に邁進されている、奇特な研究者がいることも知った。加えて、そういったことを行うのに、膨大な維持費が必要なこと。細々とでも誰かが遣らねばならぬ。

 世界は狭くて広いことにも気づく。果たして、自分が井の中の蛙であったことにも。枇杷葉の研究というものでもないが、魅せられて、教えられていることにも。然し、これは自然に感謝することが前提だ。そうして自分の治療のために、解かっていくことだ。

 枇杷葉も、不思議な漢方である。身体の仕組みに、どういった効果があり、各々の効き方や、疾病の場所にも依って、僅かな違いが出てくる。人体では、統計をやたらには取れない。医者でもない限り、個人のプライバシーとなる。それ故難解でもある。

 昨夜の不快指数に、雨音を聴いていたが、今朝には晴れており、洗濯物を干す。はり灸さんからの確認の電話があり、予定を伝える。そろそろ近くなってきており、リエさんの足が気になりつつ、しーちゃんとも逢えるとあって。日程はゆったりと組んでいる。

 勤務先では早くも、インフルエンザ接種が始まった。受けたくないが、義務でもあるので仕方ない。看護師さんにも夜が、担当者は上手で、直ぐに済んだ。最近は各自の分になっている。そりゃそうだ。針は付け替えるのだから、手間を省くが、大量の塵に。

 白梅と、リエさん枇杷葉。南に向いて、リエさん枇杷葉が、ちょっと右にはサンタさんのが植わる。早春の日に。

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不便さを快適に・・・

2017年11月10日 | Weblog

 負け惜しみではない。便利さと快適さでの生活に慣れてしまうと、気づかぬ内に依存的になってしまう。災害で、電気が水道が止まると、忽ちにして困窮する。身体が出来ていないので、直ぐに風邪を引く。緊急時には医者も罹れないことを、肝に銘じて。

 年配の人間が全て、物知りだとは限らない。子どもの躾さえ、ちゃんと出来ぬ親の親であり、知って居る方がどうかしている。二十歳を過ぎる頃には、自分の親のことを他人に言う場合、父や母と呼ぼう。態々、難しい言葉を言わなくても、当たり前を言う。

 丁寧な言い方と、標準語は違う。その地方の言葉で、心が温かくなる言い方の方が、思い遣っていることも。言葉も言い方次第で、魂を揺さぶる。或いは、殺人を行うことにも。自分はこれで良かれ、と思っても、相手にはどうだろうか。信頼は年月が重要。

 相手への迷惑を思えば、今後の往き方として、自分に素直になることだろう。年齢を重ねてくれば、何かしらの束縛もなく、責任さえ負えば、何をどうしようと佳いことだ。然し、他人を巻き込んでの嘘や、暴言は控えたい。命は神さまが預かってくれている。

 朝、素晴しい天気に起き、布団を干し、洗濯物を広げていった。三日分が面白いくらいに乾く。ふかふかの布団を仕舞いつつ、すばるを見ると、体を擦りつけている。最近は、鼻ずらを顔に押し付けてくる。高い所に駆け上がるのは、猫の習性なので諦めて。

 縁側で、心地良さそうなすばるであったが、気温が高くなるのも困るようで、何時もの自分の居場所に移る。何しろ、毛皮で然も、黒色である。太陽光線の吸収率は高い。餌も腹一杯に食べ、出窓ですやすやである。ずっしりと重くなり、就寝時には腕が・・・

 枇杷葉の花芽の付き具合に、今年は裏年と言うこともあるが、我が家の場合には、通常通りの花芽だ。兎に角、初花芽の木が多く、屋敷中を囲んでいるのが愉しみ。それにしても、暁子さんのに群れていて、これはやはり飛んで来たとしか思えないのだが。

 リエさんのにも、まずまずの付きで、結実が待たれる。長崎茂木は、長年実っているので、さすがに木が弱っている。東側のは、同じ年数なのに、花芽の付き方が遅かったので、今年は充実している。種類も色々だが、植えた年数にも依るらしい。馥郁と香が。

 月は、中国名が嫦娥で、ギリシャ名はセレネ。恒星で、地球の周りを30日で過ぎる。その都度、潮の満干潮を誘う。

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火災予防運動

2017年11月09日 | Weblog

 カレンダーには、秋季とあるが、暦は既に立冬である。新暦と旧暦の取り扱い方に、多少の疑問が生じるが、そこは一応秋なので、細かいことは省こう。宇宙も、エチオピア王家の傍に、勇姿颯爽たるペルセウス王子が、天馬ペガサスと共に登場する。

 これからの宇宙は、大気が澄んで来るので、北の大熊座やwのカシオペア座が分れば、他の星座は見つけ易いので、星座表がなくても、その気さえあれば眺めは素晴しい。加えてギリシャ神話を知っていれば、楽しさは増す。本を読むのが先か後か。

 庭の植え替えや配置換えも行いたい。春の日に、咲いてくれる花々の順番や、色のカラフルさに、想いを馳せてやりたい。枇杷葉の花芽が、次々に開花しており、窓を開けていたり、歩いていると何処からともなく漂って来る。アロマ効果に心が和んで。

 孤独なバッタが群れるとき。研究書である。いや、難しいですな・・・。簡単には解明できないと思いつつ、図書館で借りたが難攻しております。科学者というか、昆虫博士の実態を具間見る。浩太郎さん、応援はしていますが、個人的にはバッタは苦手だ。

 世の中には、実に様々な研究をされている方々が居るということを知る。今年の、イグ・ノーベル賞も、メスとオスの生態が逆の生き物を研究した方が受賞されていたが、その発想の豊かさに驚きつつ、そこまでのめりこむ勇気に敬意を払う。素晴しいです。

 パソコンも進歩を遂げているので、初期の型では追いつかない。何だかんだ言っても、ネットが繋がらないのでは、書き込みは愚か、品物の購入も不可能になってきた。店に行くべきか、勤務先の業者に頼むべきか?ああ、ハムレットの心境であるなあぁ。

 千振の苦さを嫌うより、健康で居られる方が好い。最近は、そういった苦さも気にならなくなった。枇杷葉のお蔭であり、自然からの恩恵を、分けてもらえることへの感謝でもある。昭和も既に遠く、自分の年齢も考え合わせると、懐かしく想われる。心境複雑。

 Aさん家に寄り、水を分けてもらう。インスタントだが珈琲を淹れて、世間話に講じる。旧暦を用いると、余り突飛なことはしないようになる。穏やかに、秘かに、一日が過ぎればいい。帰宅途上で閉館ぎりぎりを図書館に。まあ、のんびりと読もうと借りて帰宅。

 春の宇宙には、西から北へ緩い曲線を描く。大熊座の尻尾から牛飼い座、乙女座のスピカへとつながる。

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