二十四節気 小満 光熱ともに旺盛となり、陽気天地に満ちる、と言う意味で、小満と言う。毎年五月二十一日頃である。爽やかな風が吹く、まさに初夏の天気である。鶯は楽し気に囀り、空は青く広がり、雲は駆けっこをするかのようだ。揚羽の幼虫も見かけたが、今年は1匹だけである。
近所の猫か、野良猫かは不明だが、仔猫が庭で遊んでいる。すばるが物珍しそうに眺めている。去年までの姿を忘れているのか、あの生き物は何だ?という仕草をする。すばるにハイターがかかったような毛並みであるが、飼えないので追い払う。秘密のトップシークレットでは問題がある。
本日の予定で、枇杷葉の生葉を漬けておこうと、採っていたら、リエさんの枇杷葉に三粒と、サンタさんのに一粒、袋が掛かっていないのが見えた。既に、親指大になってきており、エメラルド色が美しい。梅も、枇杷も、この時期のはアミグダリンが豊富だが、猛毒でもあり、命の危険も。
芍薬も薔薇も、時期を終えて散っていく。薔薇は、エキスを作るので、花弁を漬けたが、芍薬はお礼を言っておく。ドクダミの花が咲き出したので、順番に摘んでいく。新聞紙を広げて、鋏で切って乾燥させてお茶で飲む。入浴剤として使ってもよく、曝し綿の袋を縫い入れる。毎回替える。
昨日に引き続き青天・快晴なので、蒲団を広げ、洗濯に勤しむ。昼食も忘れるほどだが、お腹が減っては動けない。珈琲も美味しいのを堪能し、ハイジも読み終える。図書館には、文庫本を依頼してあり、遠からず読めるだろう。この歳になってこそだが、端折らないで読みたい。志を果たそう。
郵便局まで出かけ、銀座からの珈琲代を支払う。Aさんちの水がいいので、美味しく飲めるが、カルキ臭があると不味い。この水に慣れたのか、出掛けても飲めない。相当の覚悟か、自分で淹れて持って行くかだ。たかが水かも知れぬが、身体がよく覚えている。最近は、自宅で飲むことが多い。
夕方、Aさんちに水を分けて貰いに行き、何やかやと話しに昂じる。財前直美さんが、枇杷葉の民間療法をされているとか、初めて知ったが、やはり蒟蒻を使っているらしい。どうにも世間に疎いのと、テレビはさっぱり観ないので。手当てにも依るのだが、必死さと信じることかもしれません。
わたくしの場合は、自然からの運行で用い、相手の出方を見てから施行します。闇雲に誰にでもは触りたくない。治すのは自分であり、こちらは手援けをする。信用も大事で、疑いの気持ちや、無料で然も至れり尽くせりはできない。損得での問題なら他に行ってくれれば、何でもしてくれるよ。
白と黄色のフリージア。毎年咲いていたのが、今年は寒さで枯れてしまった。凍死したのか?