枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

寒さに震えるこの頃・・・

2018年05月11日 | Weblog

 朝夕の気温の低さは相変わらずだが、日中の天気は回復して上昇になっている。網戸にしていてもいい。風も多少はあるようだが、愛嬌のようなもので心地よい。室内に居る方が寒さを感じてしまう。それにしても、食事介助に手を取られて、見守りが不十分である。職員の数はあるんだが、体調不良が多い。

 昨日、一日グダグダしていたすばるだが、通草酒が効いたようで、帰宅したら元気そのもので、狭い部屋を駆け回っている。まあ、人間に効果があるんだから、猫も一緒だろうがと飲ませて正解。梅のエキスも舐めさせたかったが、二度目は出来ないので止めた。すばるにも分かるので、ちょっと距離を置く。

 木香薔薇も終わりである。スズランが満開になっており、都忘れや、菖蒲が咲いてきた。南天の花もそろそろかな?桑の青い実が見える。田植え時期になると、紫に熟れてくるので、愉しみでもある。果汁が衣類に付いたら取れなく、特に白い物は避けねば。薔薇の蕾も綻んでき、芍薬も大きくなったものだ。

 立てば芍薬、と言うくらいだから、すっとした茎がしとやかである。牡丹よりは芍薬が好みで、少しづつ買って増やしている。息子達は、わたくしの死後処理が大変であろうと、にんまりとしている。枇杷葉の樹は、誰に上げたらいいだろう。近場の方でも、掘って持ち帰らねばならない。伐られる運命かな。

 リエさんちの枇杷葉は、すんごく大きな葉らしく、悠に50㎝はあるそうだ。淡路島に枇杷狩りに行った時に、何処の葉もどでかかった。そういうのってあるんだよ。我が家のも、偶に見かけるが、突然変異ではないようで、施肥と太陽光と、発育状況とが一致してなったものだろう。今年は、花芽が付くかな。

 介護の仕事も、看護ではないが、命を預かっていることに変わりはない。食事介助の際には、誤嚥性肺炎にならぬように注意し、嚥下を確認してから、介助を続ける。当然と言えばそうだが、それが理解できていない者は、業務を遠慮してほしい。台所の清潔さは基よりで、不潔な状態にはしないことが重要です。

 初お目見えのすばるです。女の仔だと思ってもらったのに、何となく変だな?と見れば、男の仔でした。

 

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愛鳥週間に・・・

2018年05月10日 | Weblog

 愛鳥ねぇ・・・。舌切り雀でもないが、鶏を飼っておられる方には、如何せん感謝である。様々な被害をものともせず、生活のためにされていることで、消費者は買っている。昔は、鶏の肉はご馳走で、余程の客か、お祭り・正月でないと口に出来なかった。贅沢になったものである。人間への尊い犠牲を思う。

 新聞紙上での言葉使いに、疑問を感じることがある。上げるは、差し上げるの意で、何処にでも使用できないと考えるが、昨今の事情では滅多矢鱈と書かれている。正しい日本語であってもらいたい。特にメデェアは、標準語でいいのではと思う。郵便局に行ったら、国会中継をしていた。記憶にございません。

 脳の問題があるとかで、これははっきり認知症ではないか。嘘ばっかり吐いて、閻魔さまに舌を抜かれるよ。無論、こういう方は、地獄往きとなる筈だが、袖の下を噛ますから、地獄の門も金次第であろう。不公平であるのだ。仏の顔も三度とも言われるが、そこは通行証でどうにでもなる。きっと良心はない。

 先日、横田悦子さんの夢を視た。ご主人と仲睦まじく、何を話されているのか、ころころと笑っておられた。わたくしの訪いを待っていてくれるのか?約束が中々果たせないので、痺れをきらしたものか。夕方、電話を入れたら謎が解けた。今年の枇杷を持って行こうと決めた。ご主人には内緒にしておこう。

 すばるの喉が気になって、通草酒を口に流し込む。少しは良くなったのか?喉のゴロゴロが未だ気にかかる。でも、あけびは痰の絡みに実によく効く。医者嫌いのわたくしにとっては、この上ない自然からの恩恵だ。現実問題では、儲けをすればいいのだが、高価な物には金銭の出し惜しみがある。自分に還る。

 今朝は雲が多いながらも、天気である。蒲団を干して、洗濯機を回す。然し、気温は相変わらず低いので、薄手のセーターを着用する。風邪は引きたくないが、如何なることにも対処出来るかは疑問もある。健康でいられること、病を持ち込まないことも大切だろう。自分の為にせっせと枇杷葉茶を飲む日々だ。

 リエさんから、父上さまの7回忌の記念品が届く。素敵な書籍ですね。表紙も感じがいいです。瞳みのるさんが見たら、よろこびそうな内容。幼い日に、母親ではなく祖母が歌っていた、数々の童謡。その原風景に一瞬翔けるのは、記憶の残像だろうかとも。祖母も両親も既に亡く、あの頃を語る者とていない。

 袋掛けを終え、やれやれの心境で、ふと幹を見たら、新芽が芽吹いていた。剪定をしたら、何処からか発芽する。

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鶯の心情・・・

2018年05月09日 | Weblog

 寒いです。この時期には爽やかな気候なのが、今年は春が長いとあって、気温の変化も著しい。衣類の調節は無論だが、体調を崩さないように、気をつけるのが精一杯で、しんどくなってしまう。職員も、大型連休を遊び過ぎた者は、熱が高くて出てこられない。少ない職員での業務は、心底疲れる。

 然しながら、体調を崩しているのを、無理をしてまででてくるのはどうか。病院受診は必須だが、きちんと体調が治った証明をしてから、出勤にしてほしい。感染予防の見解からも当然のことで、自分だけではなく、大勢に迷惑を掛ける。そういった基本が理解できていない職員には呆れるばかりです。

 誰も体調を崩そうとした訳ではなく、そういった事態も起きるのが人間だ。わたくしのように、医者・病院嫌いであれば、事態の悪化を避けるべく、ちゃんと手を打っておく。通草酒や、刀豆茶、これに千振と梅エキスを常備して、勤務に出るには、苦くても飲む。薬を呑んで薬害を思う位なら堪える。

 無論のことだが、根本は枇杷葉である。何を於いてもこれだけは欠かさない。自然からの恩恵でもあるが、祈りと感謝を忘れずにいることも大切だ。物を粗末にするより、最後まで生かす方法を考えたい。野菜は出来るだけ捨てない。皮はそのままで使い、美味しくなる工夫をする。実際、もったいない。

 頂き物で、たくさんの時には捨てることも有る。そういう時には、枇杷葉の根元に持っていくのだが、堆肥となってくれている。雀のお宿になっているのも、虫を啄んでいるからで、朝の姦しさを我慢すればいいことである。農薬を掛けないので、それなりの虫は繁殖している。害虫も益虫も、元は同じ。

 すばるが、喉の調子が可笑しい。出窓に毛布は敷いているんだが、寒かったから鼻声だ。ハクションも言うておる。千振を煎じてみるかな。先月よりもどでかくなっており、尻尾も入れたら悠に1mはある。我が家に来た時のことを思えば、既に8倍にはなっている。そこらへんで止めておいてよ。重い。

 桂文我さんの寄席の案内が来た。丁度、休日にしているので行こう。以前、枇杷の熟れたのを持って行ったが、早ければあるだろう。今年の初生りもあるから愉しみ。最近の寄席は、座るのも出来るが、椅子の用意もあって、足の調子が悪い方には打ってつけだ。いや、痺れて動けなくなるんだよ。正座。

 昨年の長崎茂木の状態。この枇杷葉が真っ先に生りだして、以来たくさんの実を食べさせてくれる。

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弥生、下弦・小潮

2018年05月08日 | Weblog

 早朝には晴れていたのが、昼前から雲行きが怪しくなって、気づけば雨である。やれやれ肌寒いこと夥しい。勤務に励むと汗ばむものの、温かい飲み物の欲しい一日であった。勤務を終えて、Aさんちに寄り、足の手当てを行う。毎晩、枇杷葉の生葉を貼って就寝されているようだ。

 外出されていたらしく、膝の下が充血している。強く締め付けては駄目です。これって内出血でしょう。足の血行を悪くするので、今後はしないように話す。少し痩せてきたにしては、足元が不安定になっている。それでも以前のAさんにしたら、物凄い進歩である。歩けなかった。

 2年程、毎日通っての、深夜までの治療であった。根気も必要としたが、来る日も来る日も、角質が剥がれては落ちるという繰り返しであった。実際、山が出来るくらいの分量が出ていた。枇杷葉ローションで、丁寧に擦って剥がした。日に日に改善されて、何とか見られるように。

 枇杷葉の力には、不思議なものがあるのを、自然が引き出してくれたのだろう。自分でも信じられないことが起き、奇跡としか想えない。帰宅した途端、玄関にへたり込むのも珍しくなかった。精魂籠めてした治療に、枇杷葉も応えてくれたんだ。人の命を援ける行為には限りがある。

 手当のお礼に、地物の鰈をもらう。帰宅して夕ご飯で戴く。白身の淡白さが実に美味しい。大奮発をしてくれたようであり難い。こちらは、Aさんの誕生日なので、手当てを施行できればと、寄ったまでだが、却って戴き物の方が高価である。でも、感謝してのお礼と分かり受け取る。

 帰宅して、すばると食べようとしたが、キャットフードの方がいいのか、そっぽを向かれた。今夜のすばるは、物凄い甘えん坊で、何度も膝によじ登る。首輪がきつくなってきたので、外に移動して止める。新しいのを買うかな?とっても大きくなってきて、猫よりも黒豹に近いんだが。

 花木の水遣りをしなくてもいいくらいに降って、枇杷葉も袋掛けを終えたので、一安心である。小さな粒が、袋を掛けていて結構落ちてしまった。これも、焼酎に漬けて置けば、エキスが出るので使える。捨てるところなど一切なく、工夫と知恵でできるのも愉しい。アミグダリン豊富。

 月の美しさを、様々に名付けて言う。ムーンライト、月光、ソナタ、セレネ等、世界各国で。

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チャイコフスキー生誕

2018年05月07日 | Weblog

 娘の誕生日でもある。このロシアが生んだ、偉大な作曲家だが、白鳥の湖は不評で、曲の変化の無さや、作曲家としての位置が認められなかった。マイヤ・プリッセカヤが演じる頃には、歓喜に満ちた曲へとなっていったが、演出やプリマの役割にも、担うところが大きい。白鳥と黒鳥の変わり身が素晴らしい。

 アンナ・パブロワを知らないので、写真でしか想像するしかないが、古典の領域を出ない踊りで、観衆を魅了した意味は大きい。いずれにしても、チャイコフスキーの曲が大衆に認められていったことは喜ばしい。中学校の時に聴いて、感動がさざ波のように押し寄せて止まなかったことも、昨日のように覚えてる。

 作曲家では、シベリウスも好きで、これは水野英子さんの、トゥオネラの白鳥で知った。黄泉の国と現世との間に浮かぶ白鳥は、行き場のない苦悶を抱えて、静かに浮かんでいる。それを物語にした作者の想いに、深い衝撃を受けた。彼女の作品はどれも好きで持っているが、時空を超える筆致に魅せられる。

 パソコンのシステムが上手くいかなくて、何時もの助っ人さんに頼んで来てもらう。僅か15分ばかりで新しくしてもらえ、操作も元のままに直った。自分で出来ないことなので、唯々感心するばかりだ。尤も料金は支払うのだが、困った時の対応を瞬時にしてくれるのが、大いに助かる。あり難いことである。感謝。

 ハイジを文庫で買おうと、リエさんに連絡してみる。何処の出版社がいいかを聴きたかったのと、枇杷葉の豊国もあった。熟れてみなければ分からないが、それでも30袋はあるんだよと話す。東京は、これから暴風雨になるらしい。連休中の足の具合を尋ねると、まずまずらしい。父上さまの7回忌。月日は速。

 洗濯物が乾かない。枇杷湯をした残り湯で洗濯するので、部屋干しにしていても臭わない。扇風機を架ければいいのだが、分量も少ない。天気になることを考えて、そのまま外に干す。風で飛ぶのを、室内にしている。昨日一日、枇杷葉の生葉を、肩に当てていたのが効いて、何とか腕が動くようになった。

 本日の地域清掃は、中止で延期になるかな?土砂降りの雨に、たじろぐ。農家の方は、丁度籾播きの時期で、用水路の掃除があるため、そこに位置する施設も、出動してのことである。地域の助けになることだが、ボランティアも疲れる。毎回参加していたが、担当者で決めればいいこと。今回は真面目同僚。

 我が家の草刈りと、掃除が終了してのこともある。枇杷葉の袋掛けも出来たしで、連休の仕事が片付いた。天気次第でもあるが、気の向いた時に、体力と相談して出来るのが好い。団地と言えど、自分のことは極力しておきたい。他人を当てにしていると、えらい目に遇う。但し出来る範囲があり問題もあるが。

 昨年は、新芽が出てきて、蔓が伸びただけだった。今年、花を見つけて喜んでいたら、雀にやられて。揚羽の幼虫。

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袋掛け終了・・・

2018年05月06日 | Weblog

 午前中には、蒲団に風を入れ、のんびりと朝食を戴く。明日まで休みだが、予定が目白押し。午前中は何もないが、午後からパソコンの調整に来てくれる。その後は、勤務先で地域の掃除奉仕がある。担当の同僚が一人で心細そうであったので、気の毒になって参加することに。休みだが致し方ない。

 で。本日は、何があっても枇杷葉の袋掛けを、と勇んで行う。雲行きが怪しくなり、蒲団を仕舞った途端に、時雨れる。フェンスの外も気になり、草を抜いて掃いた。雨が降ると元気がよくなるので、油断は出来ない。薔薇がげんなりしているので、水遣りをする。袋掛けを終えた枇杷葉が風に揺れる。

 麦を1本床に置いていたら、すばるが口にしたらしく、そこら中に吐いている。片付けをしつつ、外に出さない分の世話である。天気なら暑いくらいだが、曇りなって涼しい。すばるは隙を狙って、座布団に来る。昼ご飯を終え、ブログの更新をするのに、すばるを呼ぶと、転がるように駆け込んで来る。

 チェアーに敷いた毛布に飛び乗り、丸くなっていたかと思う間に、寝息をたてているのが可笑しい。体は大きいのに、遣ることは幼い。でも腕白であるのが微笑ましい。悪戯の度合いも多少は減ったが、そこら中を駆け回るのが忙しい。網戸にしているが外に出ないのでほっとする。喉を鳴らして甘える。

 深紅の薔薇は、苗を買って鉢植えにした。余りの美しさに、挿し芽にしたら、どんどん増えて、薔薇酒を作るまでになった。然し、今年は新芽が出なく枯れた。ここから挿したのが蕾をつけ、開花してきたのだが、薔薇の生態が分からない。花の付き具合にも依ろうが、枯れては新芽が脇から出るのかしら。

 左の肩が痛くて仕方ないので、枇杷葉の生葉を採って当てる。肩凝りが歯痛になるのも理解でき、痛みの軽減を祈る。他人には手当てをしても、自分には誰もしてくれずで、つい我慢をしてしまう。左側を堪えていると、心臓への影響もあるか、と休みを幸いに施行する。何時も思うが、自分のことは後に。

 運は一度はまぐれもあるが、二度目は努力である。徳川家康の天下統一には、我慢や忍耐が相当にあった。その計画的な野望には、じっと耐えるだけでなく、頭脳をフル回転させていた。自分の年齢を鑑みるに、そういった視点の無さが歴然である。書物は、知識をひけらかさず教えてくれる。有難いこと。

 今年も満開になって、辺り一面匂う。この愛らしい姿が気に入って植えているが、繁殖力は強い。

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弥生、立夏・中潮

2018年05月05日 | Weblog

 二十四節気 立夏 太陽の光熱、いよいよ強く、夏の気立ちがのぼる、と言う意で、立夏と言われる。毎年、五月六日頃である。旧暦での暦と、二十四節気や七十二候を知っておくと、何かと体調変化にも心強いもので、気分的にも大いに差が出る。季節の旬を知るのも大切なこと。種蒔や収穫にも。

 すばるが明け方の寒さに、蒲団に潜ってきた。起きようとしながらうとうとし、不覚にも眠っていた。どうも休日というと、身体が反応するので、のったらしてしまう。お茶の用意をしておき、蒲団を干す。洗濯機も回す。室内は肌寒いが、外に出ると汗ばむ気温だ。枇杷葉の小さな実に袋掛けを行う。

 長崎茂木と、初生りの枇杷葉には、既に掛けている。サンタさんのにもしているが、リエさんのが途中である。脚立を出して登り、枝に付いている小さな実に掛ける。やっと終わって、フェンスの長崎茂木を始める。こっちは寒いので全滅かと思っていたら、結構な数である。掛け終わったら袋が終了。

 袋が足らなくなる計算ではなかったので、店まで行って来ねばと思うが、昼ご飯を食べていない。お腹が空いて眼が回る。職場で貰っていたオレンジを齧り、ご飯を仕掛けた。炊き上がるまでの間、ブログの更新を。釣り鐘草が咲いた。これは零れ種での発芽である。挿し芽での薔薇も、風に揺れている。

 梔子の葉が、黄色くなってしまった。小さな羽虫が見える。自家製エキスを掛けておく。スズランが満開になって、辺り一面に香っている。百日紅の枯れた枝を切る。蒲団を仕舞う時間は?と携帯を見れば、午後2時を過ぎている。ふかほこになったのを、埃を払って畳み押し入れに。すばるも嬉しそう。

 明日は図書館が、久々に開くので、返却と借りに行って来よう。山本悦子さんの、夜間中学にようこそ、未だ読めないので延長に。新三河物語、面白いんだが、枇杷葉の袋掛けで中断。徳川家康の天下取りの前のことが、全く以って知らなかったので止められない。宮城谷昌光さんの、全作品踏破するぞ!

 ところで、自分が本好きであることは、多少は他人も読むのか、という思いがあるが、話しが何時も噛合わない。世の中の状況は、芸能界や不倫騒ぎだけではない。もう少し、自分を磨くことも必要ではないのか。自国の憲法や、原発のことにも、もっと興味や関心を持ちたい。これじゃ安倍政治の思う壺。

 庭の深紅の薔薇と、枇杷葉の緑が美しいコントラストである。白のシランも、卯木の白も、終わりかけのクリスマスローズも、緑の中で輝く。心をかければ、こんなにも応えてくれる自然に、感謝と祈りを。しあわせです。生かされていることの意味に気づかなくても、日々を無事に送れることは最高なの。

 袋掛けの前の枇杷葉。昨年には、実にたくさんの実が熟れて、リエさんを始め、佐藤さとるさんにも。

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みどりの日

2018年05月04日 | Weblog

 人間は、酸素を必要とする。木々や草花は、二酸化炭素である。そうして、共存の契約が成り立っている。青い地球に棲むものにとって、これ程あり難い循環はない。緑の日の本日、我が家は薔薇が咲き誇り、枇杷葉が繁。人間のために犠牲となっても文句一つ言うでなし。静かにたっている。

 ナタリー・ポートマンのブラック・スワンは持っているが、レオンの方が好きだ。加えて、スター・ウォーズでのパドメは、とても勇敢であり美しかった。エピソードⅠからⅢまでが素晴らしいのは、これは主役の抜擢だろう。オビワンもいいのね。ホースの覚醒が、何となくしっくりこない。

 ヤング・スーパーマン全10卷も、最後の方に期待があっただけに、ラナがいなくなってがっかりした。トム・ウェリンクが何と言っても格好いい。アメリカで10年もの間、テレビ放映されたのも頷ける。鉄腕アトムも、エイトマンも、わたくしが死んだら、捨てられる運命。図書館寄贈。

 リエさん枇杷葉が、少ないなりに結実が見える。中々袋掛けが終わらない。りささんのは5袋掛けた。我が家の枇杷葉は、自然の恩恵に任せており、以前には寒冷紗を被せていたが、思うに任せず止めた。太陽の光を存分に浴びて、味も抜群だし、果汁も多いので満足している。美味しいのよ。

 沢田研二さんへのお土産に、渡したいくらいだ。でも最近の舞台では、花束も辞退らしく無理だろうな。宇宙のパワーが宿っているから、美味しいのだがと独りほくそ笑む。白桃にはちょっと早いし、枇杷は路地物の最終となる。チケット購入時に、珍しい写真を見せてくれた方に持って行くか。

 腰痛予防に枇杷葉を使うと、痛みが軽減される。昨日、移乗時に肩を酷使した。今朝は腕が上がらない位であったのが、業務を何とかし終えたのは、枇杷葉の生葉のお陰だ。熱を持っていたのが、嘘のように消えた。明日は休みとなるので、寝坊をするか?天気であれば、袋掛けを遣ってしまおう。

 桐の花がぼってりと咲いている。とても大きな花で、薄紫の帽子のようだ。昔から帽子の類は嫌いで、邪魔で仕方なかった。理由としては、頭が他人よりも小さい。つまりは、顔も小さいのである。帽子を被るというより、頭が隠れてしまう。小学校時代からコンプレックスとなっており、消えない。

 昨年の熟れた枇杷。瑞々しい甘さと濃くが詰まった粒に、果汁が腕を伝って落ちたものだ。

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言葉に気をつける?

2018年05月03日 | Weblog

 どんな言葉で云おうとも、花木には要らないものか。人間がするのだから、断りも必要ないのだろうか。それは可笑しいではないか。物事の正しい基準、真実はこどもであろうと、犬であっても猫も一緒だ。可愛がるのを猫可愛がりともいうが、生き物には同じ命がある。その優劣を決めてしまうのは人間の驕り。

 自然からの恩恵に感謝するのに、戴きますがあり、食べ終わったら御馳走さまと言うのだ。どんな丁寧な言葉より、心への想いが通じなければ、命の価値には気づけまい。持って回って、必ず自分に還って来る。ハイジの純粋な心には、お祖父さんも素直になれる。自分達は幸せね、と感謝をするハイジ。

 介護の業務には様々なことがあり、正しいことは決められない。一途にお世話をするのではなく、時間もあれば、タイミングも重なって来る。どんな素晴らしい言葉を連打しても、その人に寄り添うことは難しい。昨日と今日は違うもの。何が好いかも否定できないこともある。何にしろ、根気の連続で忍耐も。

 本日の予定は、散し寿しである。然し、人数が足らない。二人の欠員であるのを、何とか工夫と協力で乗り切る。朝食もそこそこに、昼食の用意にかかり、具材を茹でたり切ったりする。ご飯が炊けた時点で、酢飯を作って混ぜていく。お粥の準備も怠りなくして、清まし汁だけ作ってもらい、トイレ介助をして休憩。

 自分の休憩だけではなく、勤務者全員(4人)が入り終えると、午後の3時だ。疲れたの疲れないの、ぐったりである。早出であったが、夕食の準備もして、やっと帰宅になる。寄り道はせず、一目散に家路をたどる。明日は休みたいが、体調不良でもないので無理だ。医者は嫌いで罹らないが、千振はよく効いたよ。

 身体の衰えは、誰も変わってはくれない。かと言って、他人のせいにしたり、体調を崩すには、食事の摂り方もあろう。ご飯を良く噛み、きちんと摂取していないと、いざという時には体力が保てない。食中毒には梅のエキスが最高だ。風邪の予防には通草を飲む。自然への感謝と祈りは、決して忘れない。

 憲法記念日。難しい内容もあるが、戦争を放棄して、国を培うことには、基地は要らない。沖縄の海を埋め立てて、戦争への道への援けは要らない。アメリカの自国ですればいいのだ。戦闘機も要らないし、原発の再稼働にも反対。国会議員の方々は、一体どんな信念があるのか。偏った右に倣えばかりだ。

 勿忘草の白。この小さな花は、青と桃色もある。忘れたように、春には咲いてくれるよ。

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白鳥の湖・・・

2018年05月02日 | Weblog

 何度夢に視たことだろう。オデットとオディールを踊っている姿を。チャイコフスキーの白鳥の湖の曲も、舞台も幾度となく観に行った。その中で、強く心に残っていたのが、映画でのマイヤ・プリセッカヤの白鳥と黒鳥。ジークフリードには然したる興味はない。やっと手に入れたDVDは、感動そのもの。

 約束を破ったことを詫びて、悪魔と戦う王子。その真実にオデットは赦すが、裏切られたことは否めない。信じることの難しさ、永遠の愛を誓っても、心を奪われることは起きる。そういった不実さを、チャイコフスキーは、自分の恋が実らなかったことも含めて、白鳥の湖に託したものか。素晴らしい舞台!

 熊川哲也さんの王子は素敵。時代が違うと言えばそのままだが、プリマでの舞いで、舞台も変わるんだと納得。加えて演出にも依る。バレエにも歴史が刻まれていることに想い到る。王子が約束を違えて、オディールと誓いを交わすが、オデットは嘆きの余り湖に飛び込む。後を追う王子。死して結ばれる二人。

 ヨハンナ・スピリの、ハイジを読み直そう。秘密の花園も、原作は素晴らしかった。アニメもいいが、この実写版は、スイスでの撮影とあって、自然の姿が迫って来る。おじいさんの心にも、ハイジの心にも、お互いを思いやるものが通じて、やるせなく切ない。愛することと愛されること、小さな幸せにも感謝。

 雨の勤務となったが、こんな天気は辛い。何となく気分が下る。枇杷葉茶を飲んでいるので、陰鬱にはならないが、どんよりとしてしまう。天気になっても、どことなくだるさも感じる。いやいや贅沢は言っておれません。一日・一日を確実に丁寧に過ごすことを目標にして、生きて行かねばと言い聞かすばかり。

 八十八夜である。二十四節気と七十二候とがある。立春から数えて、八十八日経つと、お茶の新芽も出揃う。新茶を摘むのに、季節柄丁度いい頃。実際には、霜の降りる心配もあって、油断すると被害が大きいものになる。旧暦での四月朔日には、この時期になれば、おおよそ暖かさが確定する。わたぬきと言。

 昨年の実です。昨日袋掛けをしたが、品種によっては、大きさが異なる。やはり淡路田中は大きいよ。

 

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