枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

鏡開き・蔵開き、中潮

2019年01月11日 | Weblog

 新暦での行事には、早く速くと急き立てる嫌いがある。子どもの頃には、学校に行く前に、小川の渕に集まって、お飾りを燃やし、書初めをはやし、鏡餅をあぶった。これを口にすれば、一年中健康でいられる。そういうのは大人の考えであり、子ども心には、書初めの優劣をつけられるのが厭で、顔つきが厳しくなっていた。お正月の二日には、必ず書かされた。

 当時は、硯に若水を注ぎ、墨で摺らなければならなかった。足は痺れるわ、手はかじかんでしまうわの散々さであった。最近の事情からは、察することも難しい。暖房を点け、墨汁を入れれば済むし、適当に親が書いたりもする。書道も茶道も、様々な分野が、職業として認められる背景には、苦難の道があったことだろう。自分に可能なことに精進すればいいよ。

 日日是好日を読み終える。ここに何時も書いて来たが、雨の日には雨を愉しみ、晴れの日には、その作業をすればいい。晴耕雨読とも思える。雨を嫌がるのは、どうしてのだろう。洗濯物が乾かず、蒲団が干せないからからでもあるが、基本的には、読書に勤しむことを愉しむ。晴れた日には、枇杷葉の様子を見て回り、育ってくれることに祈り、感謝する気持ち。

 その日の天気には、一日として同じ日はない。風の向きも通りも違う。雲のさまにも異なりが観える。宇宙の様子にも、変化が訪れて来る。二度と同じ時間は来ないし、元に戻せもしない。自然からの恩恵には、必ず意味があるように、人間もまた異なる使命を持って生まれている。誰もが同じでなく、皆其々の生き方がある。枇杷葉に囲まれていて、悟れた心だ。

 旧暦で暮らしていると、少しはゆったりとした気持ちが持てる。無論、それは休日のことで、勤務時間にはそうもいかない。手当てにも、神経を集中して遣るから、終わった後には心底疲れる。相反することもあったり、共鳴することも起きる。何れも、枇杷葉のエネルギーが、わたくしの身体に取り込まれてきて、放出するからだ。溜まっていたら電気が溢れる。

 友人がやって来て、枇杷葉の生葉を欲しいと言う。足の裏が痛いのだそうで、何枚かを採ってあげた。肩凝りには間に合わなかったようで、イタドリをコットンに浸して当てたそう。これもイタドリならばこその効果だろう。医者に罹らずに治すのは、自然治癒能力での範囲なので、自力でしなければならない。でも、手を当てていれば治るのよ。不可能はない。

 寒中の行事に、枇杷葉茶を作ったり、焼酎に漬けたりするが、寒中の水には濁りがないから、一年中の枇杷葉茶も可能になる。冷暗所に保管していれば、そのまま保存出来る。水道水よりは硬水の方が好く、風通しの良い場所があれば最高。昨年作ったのが、何ともならずに残っている。味噌を作るのも、この時期には最適である。2年物や3年物は美味しさが違う。

 外に行きたいのだが、網戸が遮る。それでもまだこの時期には、警戒心が解けずに部屋に居た。身体も一回り大きくなって。

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我慢するということも

2019年01月10日 | Weblog

 お金があれば、欲しい物が手に入る。無ければ、我慢するしかないが、昨今は、巧妙な手口で金を稼ぎだし、他人の物であろうとも、自分の物にしてしまう。然し、物であり、壊れることは否めない。失しても買えば済むところも恐いが、物にも命があることに気づかない。塵は増える一方で、空も海も真っ黒にする。人間であれば、辛抱することや、我慢することもあっていい。

 今月の遣り繰りを、通帳を見ながら考える。何とか遣れそうだが、倹約せねばとため息をつく。働けど尚働けど、じっと手を見る。まさに石川啄木の心境だ。時代は移ったが、物事には変化が見られない。自分のことに精一杯で、他人への思いやりはない。でも、業務は待ってくれない。こと遣るべき案件は目白押しになるが、せめて暦を参照に行事はしてほしい。明日が鏡開き。

 松の内を過ぎたら、お飾りは外しておくこと、鏡開きをするのは、11日を基準にするのも知らず、勤務もいい加減で組んでいる。こういうのって、新暦までも無視する横暴さである。どこが寄り添いなのか不明。日日是好日の中に、春夏秋冬の水の音が異なるとか、花の咲く時期があるとかいう言葉を見つけた。特別に茶事をしていなくても、耳を澄ませて自然に任せれば解る。

 ああ、花が咲いているんだ。と思える瞬間もある。ずっと前だが、リエさんと墨田川の桜を眺めていた時、花が揺れたかと感じた瞬間、今まで3部咲きだった桜が、音を立てて開花していった。リエさんも、しーちゃんもびっくり!こんな花見は初めてと笑顔になった。大江戸博物館でも似たような出来事が起きた。入館前は咲き始めだったのが、出て来ると満開に。空気に触れた。

 図書館に寄り、返却と貸出しをしてもらって、本屋に行く。御宿かわせみの新刊が出ているのを注文し、日日是好日もしておく。枇杷葉に縁って、様々な異変が続く。とても不思議だが、事実でもある。小さなことでも大切に、騒がず、慌てずでいきたい。枇杷葉の生葉を切るのと、花芽茶をお茶パックに詰めなくちゃ。寒中の時期には、することがたくさんある。気合を入れよう。

 明日は、午後から友人が来るので、掃除をしておかねば。すばるのトイレも綺麗にしよう。ワインも難しい手続きが取り払われて、金額も安くなるようだ。国産のもいいが、日本酒にも美味しいのがある。ワインのような感覚で楽しめ、食事をしながらにも美味しい。のんべえではないが、リラックスさせる効果になれる。自分を解放させて、エネルギーの充填にもなるからだ。

 事故は避けたいので、外出はしない。昨夜は、読書で遅かったので、ちょっと昼寝にしよう。清酒の美味しさにも、保存方法があるようだが、10年経っても、味も美味しさも変化がないのもある。常温での保存が好いこともあるようだ。すばる以外には、誰も居ないのが好い。珈琲を飲んだら、酔いは醒めてしまう。果物を口にしても同じようだが、このふんわりした気分がいいな。

 冬の季節になったら、クリスマスローズの蕾が見える。季節は廻り、花の四季は忘れずに訪れる。人間だけが傲慢で驕る。

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松の内を過ぎれば

2019年01月09日 | Weblog

 旧暦の師走になった翌日までが、松の内であり、昨日はお飾りを外した。職場のも、何時までもそのままには出来ないと、どんと焼きの袋に入れる。鏡開きは11日だが、人間の都合で勝手に行う。神仏を疎かにするのは感心しない。個人的には、旧暦の正月に行く、荒神さままで待つ。長年していると、途中で変えるのも、と続ける。今朝、枇杷葉の重みで、自転車が転倒していた。

 夕方からの勤務なので、自転車を起し、枇杷葉の生葉を焼酎に漬ける。散し寿しを作ろうと、ご飯を仕掛けた。中々、やる気が出て来ないのも困りものだが、材料にも期限がある。横着な考えしか、最近は浮かばない。なんだかなぁ、張り合いを失うと、こういった心境に陥るのかも。目的も目標にも遠くなる。日日是好日を読む。茶事は難しいというのもあるが、師匠さんにも縁る。

 映画は観ていないので、何とも言えません。本屋に勤めていた頃、そういった雑誌も知っているが、態度が権高で、お作法の欠片もない方もおいでだ。武田先生のような方は稀。形から入って、心で点てる。その反対の方もおられる。どっちにせよ、お点前というのは、人間の生き方が顕れるのかも知れない。個人的には流派もなく、好きな時に好きなように点てているのも気楽だが。

 枇杷葉茶のエネルギーを充填していれば、それがわたくしであり、自分を保てることになるんだから、と感じている。どんな世界にも、それなりの規約はあり、格式の高い流派こそ、しきたりの多いことだろうと察する。読書も、手を清潔にしてから、傷めないように読む。という暗黙の了解がある。残念ながら、菓子を溢したり、紙面を汚す、破る行為が観られる。本が啼いている。

 金銭的なゆとりと、置き場所さえあれば購入して読むが、残念ながら、そのどちらにも問題が生じている。終活の準備には、図書館で借り、極力物を増やさないことだが、手元に置きたい書籍もあり、考えながら買う始末。いかんなぁ・・・華氏451度が現実になるようで、身震いする。世の中が変化しても、活字が消えていくのは忍びない。世界の終わりが視えて来るが、止まらず。

 小さな仔猫も、ちょっとづつ育って、片腕の大きさになった。尻尾を入れればもっとある。どうにか飼い主が誰か分かったようだ。

 

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寒さに耐える

2019年01月08日 | Weblog

 子ども頃のようには、寒さも感じなくなったが、洗濯物や洗い物をしていると、指先がかじかんでくる。自分の指は冷たいのに、他人に当てればたちまち温かくなってきて、驚くくらいの熱が放出される。特異体質の所以かな?すばるの居場所で、気温も分かり、暖房の流れがよめる。勤務先では、動くので暑くなってしまう。重ね着は避けたいのだが、自宅ではコートを着ている。

 節約と倹約をするものの、食に関しては、贅沢さえしなければいい。それでも、多少は肉や魚も必要なことを、ここにきて悟る。佐野洋子さんの、なに食ってんだには、興味の湧く記載がある。環境にもあるし、思考的な事や、付き合いの程にも依るが、生きていく上での重要なこと。体調維持にも無関係ではない。以前には、水と塩だけで好い、とも考えていたが、最近は程々に。

 使用方法にもあるのだと、納得もいく。枇杷湯に浸り、枇杷エキスの入ったボディソープを使い、塩で全身を擦る。湯舟に身体を沈め、その後には枇杷葉ローションをつける。花芽の香りがほのかに匂う。人工的な物には閉口するが、自然の中でのやさしさには心が和む。お茶も同じで、花芽茶を煎じて、疲労回復にも努める。とっておきの物には旬の時期がある。寒中が値するの。

 勤務にヘロヘロになるが、業務を怠る訳にはいかない。あれもこれも、動きを無駄にはせぬように、帰宅する頃には、ぐったりとしてしまう。気力が重要なことは変わらない。明日は、遅出に変わるが、半日勤務にさせてもらう。身体が持ちません。それも、夜勤者のメンバーと、組んだ者にも依る。明日は、少しはいいかもと安堵する。まあ、状況は変わることも少なく日常だが。

 帰宅すると、辺り一面の枇杷葉の香りが、身体中に纏いついて包む。何とやさしい匂いだろう。常緑樹であり、バラ科でもある。この馥郁としてやさしい香りは、薔薇よりも素敵。白い色も可憐だし、棘で傷つけることもない。花弁をむしゃむしゃと食べてみた。味はしないが咽喉越しがよかった。枇杷の実を育てる前なので、丸ごと濃縮エキスが入っている。体調も回復したかな。

 明後日は休みなので、枇杷葉の生葉を焼酎に漬けよう。そろそろ今のが無くなるところだ。瓶には、随時切らさないように漬けこんでいる。寒中の時期は特にたくさん作る。季節を問わず、生葉は用いるが、旬の時期を逃す手はない。採っただけでは、カラカラになってしまうので、焼酎が一番便利である。切り傷・擦り傷・捻挫・火傷・結膜炎・膀胱炎・中耳炎、上げれば限が無。

 きらん草、解熱効果がある。授乳時期のお乳の張りから、飲み切れなかった分が化膿して、熱を持ってくる。これを根ごと煎じて飲む。

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師走に七草粥

2019年01月07日 | Weblog

 新暦の通りに行えば、七草は大根位で、後は見かけない状態。母子草は、陽だまりを根気よく探せば見つかる。何しろ、約ひと月も早いのだから、畔にはないのも当たり前だ。商魂逞しく、ハウス栽培の品々で、若菜摘むだの、君が袖振るという場面ではない。加えて、お粥を湯戻しにしたり、レンジで温めればいい物も出回る。お粥って、米からのが美味しい。

 本日の予定である、剪定と枇杷葉茶の作業をする。あちこち天を目指す枝を伐り、虫喰いや傷んだのを除けて切る。段ボールに切っていきながら、花芽の付いているのを別にする。箱も、白枇杷と混ざらないように分ける。てきぱきとした割には、2時間以上掛かっていた。鋏で葉を切る作業も、結構手間が要る。でも、放っておけば、硬くなって切れないので。

 焼酎に漬けるのも、大きいのがあって除ける。花芽が、思いの外たくさんあって、リエさんにも贈ってあげよう。サンタさんのも高くなったのを伐り、花芽があるので花瓶に挿す。りささんのは、枝が伸びすぎているので、剪定だけにした。花芽専用のは、咲いていないのもあり、そこだけ残して採る。収穫の後は珈琲を飲もう、と一服。既に3時が過ぎている。

 寒の入りの行事には、何をしても収穫に結びつくが、今度の休みには糠を入れよう入れようと計画。既に、友人が持ってきてくれており、枇杷湯の後を乾燥させているのと、丁寧に混ぜている。これを寒肥で施す。肥料にはこれ以外は使用しない。良くも悪くも、化学肥料は使わない。自然の力を借りて、ゆっくりじっくりと育ってもらいたい。実に贅沢だなぁ。

 就寝時の暖房は、湯たんぽだけだか、これが温かくて重宝する。豆炭がいいのだが、火を熾すことが出来ないので、給湯機からのを容れ、朝までの時間をぐっすり眠る。すばるは、暑がって蒲団を抜ける体たらくで、またぞろ侵入して眠る。猫の習性なのかは定かではないが、必ず右手で顔を撫でて来る。仕方なく毛布を持ち上げ、入るまで待ってやる。寒いよ。

 松の内も終わり、明日からは普通の業務になる。然しながら、何時もと変わらずの日々でもある。ヤング・スーパーマンを観直している。ファイア・スターター2を、演じた女性がいるので見つけたいのだが、トム・ウェリンクに目眩がする。10年間もの間、テレビドラマで続いたのも分かる。SFというのが判っていてもいても、役者の面々に圧倒される物語。

 半年を過ぎて来ると、自分の居場所と分かったのか、悪戯は相変わらずだが、飼い主が呼ぶと膝に来るようになった。

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師走、朔・大潮・小寒

2019年01月06日 | Weblog

 二十四節気 小寒 陰気深く、寒冷一段と厳しくなるので、小寒と言う。毎年、一月六日頃である。俗にこの日を、寒の入りと言う。雨模様のためか、気温が高く暖かい。有り難いことと思い、塩換えをを行う。何やかやとすることも多く、旧暦の師走を過ごしている。枇杷葉も二回目になる剪定を行う予定で、空を見上げている。図書館にも返却に行かねば、予約も入れよう。

 すばるのトイレを換えてやる。きれいにしたら、うれしそうに寄って来るが、掃除機を使い始めた途端に、慌てふためいて逃げる。猫って、何処のも同じなんだろうか?あの機械音が嫌いなのか、飼い主が遣っていることに不満なのか?衣類も、余所行きが多くなって、出掛けない分が箪笥を占める。思い切って出して着た。余命も不明だが、誰も貰い手もなく普段に着ることに。

 いい物を、大切に着ようと買っているが、流行には遠く、シンプルなので敬遠される。でも、純毛だし温かいし、捨てられない。同時に、ネットで売る気にもならない。不安を抱えてなら、自分で着ておけばいいのだ。クリーニング代も要るが、寒がりには丁度好い。陽射しが射して来て暖かい。年賀状も来たのには、出しておかねば、と気が重い。来年からは止めることにする。

 枇杷葉の花芽も、結実に入ったのや、満開のと多々あるが、寒中の時期には、お茶葉作りに精出そう。焼酎に漬けるのもしておき、腰痛予防への保存も大切。林檎農家さんには、約束したので箱に詰めよう。皆、手間暇を惜しんで、病気に罹るよりは好いと思えるが、来世のことは不安定なものだ。予期せぬ事態に陥ることは少なくない。それでも生かされていることに感謝して。

 沢田研二さんのコンサートの前日に、大規模な水の被害が発生した。今尚復旧には遠く、自治体だけでは無理なことも多い。一番の拠り所は、気持ちの問題が占めるが、人間の複雑な痛手には、薬が効かない。時間をかけ、ゆっくりと治すしかない。わたくしに出来ることには、祈りオーラを飛ばすことかもしれない。どうか心を失わずに、諦めずに進んでほしいと願い祈る日々。

 樹木希林さんの著作のように、面白がって愉しみ、何も求めず、生かされていることに感謝をしていれば、嘆願成就も可能かもしれない。人は各々に使命がある。自分の科せられたそれを、少しでも達成できればと願う。簡単なことのようで、難しさも感じる。目立たず控えめにして、目的を行うことは神に諭されること。何もかも行うのではなく、自分に科せられた使命ならば。

 枇杷葉も、秋口からは、あちこちで苞の膨らみが確認でき出す。思わず、顔がほころぶ。やさしい香りを待ちつつ。

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どうなったのか?

2019年01月05日 | Weblog

 画面がね、変わっちゃったのよ。どうしたんだろうねぇ・・・古いハードデスクは、作動して、やっと作業が可能になったと思ったら、途中でまたまた凍ってしまうし。なんなんだろう?機会オンチのこちらには、何をどうしたらいいのかが、理解不能なのに、よくもまあ、次から次へと予測できないことが起こるもの。以前観たことのある、ファイア・スターターの大人版を探していたら、変わってしまった。

 人間の生命への持続には、気力が欠かせない。精神的なダメージが大きければそれだけ、回復には戸惑る。そういったことへの対応に、枇杷葉を用いてほしいのだが、直ぐ医者に罹ってしまう。触って感じられれば、分かることもあるのに、手術をしてしまう。亡くなった後に、どうして教えてくれなかったのよ、何でもっと説得してくれなかったの、と詰ったり、責めるが、通じない時には話せないでしょう。

 何よりも、自然からの恩恵に依って、治せることを信じないと、こればっかりはどうすることも。体内に、皆、癌細胞は持っているのだが、自分の身体の一部を、切って取るか、仲良く共存させていくかにかかる。少しくらいの体調の変化では、医者に等罹らないし、日数さえあれば自力で治せる。根気と持続とで、必ず回復していくものだ。焦らない、諦めないことと、自分を信じて生きることも重要でもある。

 幽体離脱をしたり、視えないものが見えたり、聴こえたりをしていると、日常のことは疎くなる。誰のためでもなく、神に生かされている自分を知る。妖でも、幻でも、そこにあることが真実なのだ。非現実と言われるかもしれないが、嘘でもなんでもない。キャリーのように、サイコキネシスでも、チャリーの操る発火燃焼でもない。人間としての姿をしながら、生きて行かねばならない、ジョン・コーヒィも。

 介護の仕事をしていると、そういった心の動きが、手に取るように伝わることがある。押すのでも、読むのでもなく、入り込んでくる感情でもある。とても不思議だが、身体の方が先に動く。四六時中は非常に疲れるので、気持ちを緩めてしまうが、一日の勤務を終えたら、流石にぐったりしてしまう。自宅に居る時には、バリアーがあるので、安全圏を出ないようにしている。出不精も、そういったことが一因。

 我が家に来て、半年は経ったが、日増しに悪戯が・・・でも、甘えん坊でもある。左腕に吸い付いてきて、チュウチュウ。

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辺野古埋め立て中止を!

2019年01月04日 | Weblog

 言わない事じゃない。あれ程、沖縄の民意を裏切り、騙しての強硬策に、政府が固執すればするほど、災害は起き続けるのに、止めようとしない。津波も、地震も、辺野古の海を、埋めていく毎に怒る。自然への畏怖も、祈りも感謝も無く、無茶苦茶に押し進めて行こうとするからだ。

 新聞を読む度に、心がうそ寒くなる。トルコへの原発輸出が撤退とあったが、ここまで核処理の問題があると分かっていながら、遣ろうとする営利だけでは、解決する筈がないのに。日本は、遣り方を間違い、底冷えの景気回復は無理だろう。小手先の餌に喰いつく馬鹿は騙されるのに。

 紙魚や雀斑、夜間の頻尿等、枇杷葉茶を飲み、枇杷湯に浸り、湿布に用いていれば、難儀なことも回復してくる。然し、期間が大まかで、個人差も開きがある。誰かが遣っているから、それではというのも通じない。普段からの心掛けや、自然への祈りと感謝が無ければ出来ないこと。

 勤務先で、じっとしていて動かない方に寄り添い、足に手を当ててみたら、顔に生気が戻り、目の色が変化した。その一声は、まあっ、温かいなぁ!と驚愕している。こういう反応が顕れることも珍しいが、お喋りをしたくても、心に添える真実の、持ち合わせていない職員が多いので。

 言葉って不思議です。言霊、とも云われるが、必ず我が身に還って来るし、運気も変化する。そのことに気づけることは有り難いことで、自然からの贈り物と想える。宇宙から火球が降ったのも、単なる偶然でもなく、警告を発しているのだ。地球への影響にも、地底では繋がっている。

 大潮でなくてよかった。という思いが過る。これまでの災害は、長潮であったり、若潮だったりで、大潮には当たっていない。原発の再稼働を停めることや、辺野古への埋め立て中止にも、今後影響は著しい。いい加減に目を覚ませよ。天地明察、ともあるように、地球は人類だけでは。

 エネルギーのコントロールで、戦闘機の破壊や、心を押してしまうことが可能ならとも。否、独裁を行う者は、操られての結果かもしれない。世界が、人類が滅びようが、地球は時を経て変化する。機械が人間を支配し、肉体を持つだけの姿でしかないのだから。誰にも止められないの。

 サンタ枇杷葉や、りささん枇杷葉が植えてある。夏の間は、ここに室内から出して並べる。

 

 

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新しい年号に

2019年01月03日 | Weblog

 平成の次の年号が、国民の混乱を避けるために、4月になったら発表とあった。現天皇陛下が、生前退位なのだから、分かってはいることである。特には何もないだろうに。あるとすれば、他の重要な案件を可決させたり、便乗してやらかすことだ。小賢しいというか、注意を怠るまい。

 仕事である。背中が疼いてしまうのだが、出勤せねば人員が居ない。台所の業務があり、何よりも重要なことでもある。食事を提供するのに、段取りを考えてしなければ、他の業務に障りが出る。実際、台所が悲惨な状況に陥って、その片付けの方が一苦労でもある。諦めてはいるが。

 今朝も大霜である。寒いが仕事なので、気合を入れて起きる。三が日の予定の、雑煮を作り戴く。例年なら散し寿しを作っていたが、今年はどうにもする気が起きない。気力の低下には、疲れが大半で、何もせず眠っていたい心境である。昔のように、身体が動かないのも仕方がないや。

 熊が冬眠するが、人間も機械に囲まれて、生命維持装置の中で眠るのだろう。地上の交通事故も、環境保存にも問題なく、人間は消える。そうして、マザーコンピューターの動きで、人類は管理され、選ばれた者だけが、機械に操られて各国に散らばる。地上には汚染土が果てしなく。

 すばるは陰猫である。人間に慣れないというか、飼い主に似ていて、人間嫌いでもある。娘夫婦が年始に来たのを、怖がっている。我が家に来て、やっと慣れたかに、リエさんの所に出掛け、留守中を頼んでおいたのが、姿は見せなかったと言う。そうしてみると飼い主には馴れたか。

 歳を重ねると、早朝は好いが、夕方からの運転は、視界が狭くなって困る。然し、身体はどっちにしても、衰えていくのを待ってはくれない。何だかんだと騙し、慰めての仕事である。動きも鈍くなって、頭の回転も遅い。これで、何もしないで居たら惚ける。現状維持が望ましいのだ。

 明日は休み、翌日は勤務で霜月も終わる。日本に四季があり、暦を用いるのに、西暦も使う。かと言って、西暦だけだと、不便なことが侭起こり得る。古の人々が考えていたことには、星の動きと、太陽や月の関係も深い。今や、宇宙を探索であって、単に観上げてということが減った。

 宇宙からの声には、とても重要な意味が含まれているが、人類は聴く耳をもたなくなった。

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何時もと変わらず・・・

2019年01月02日 | Weblog

 羽根突きをする音も、凧揚げの景色もない、普段通りの様子に、これが正月か?と何だか寂しい。蒲団を剥いで起き、すばるに語り掛ける。温もったら好いらしく、抜け出しては入って来る。湯たんぽ代わりなので、居なくなると温度が下がる。今朝も晴天であり、午後からは曇りだろう。

 新聞も、郵便も休みらしく、静かな環境である。昨夜のすき焼きの残りを温め、舞茸を入れているので、肉が硬くなく安堵する。刀豆歯磨きを使うようになって、すこぶるトラブルはない。肩凝りは歳のせいか、背中も苦るので、枇杷葉の生葉を当てておく。今年の仕事の申請は考えよう。

 年金は減るわ、介護保険料は上がるわ、消費税の掛け値なしにも憤るが、表向きのオリンピックに夢中で、底辺の庶民の生活には無頓着だ。生活保護さえ申請に難しい。世の中の世知辛さに半ば呆れる。自然療法を施行しているから、何とか生きられている。これが医者通いであれば悲惨。

 旧暦の朔日が、六日で小寒となる。白枇杷の剪定と、花芽を採ってお茶にする予定。今年は、思いの外初生りが相次ぎ、蜜蜂もたくさん飛んだ。急激な寒さに、洗濯物に付いて迷い込んだのもいる。ゴキブリは、ストーブが暖かいので、出てきたはいいが、寒さに震えていたので捕獲した。

 すばるが面白がって追いかけ回す。逃げようにも気温の低さに動けない。にゃんということもなく捕まえた。外は、曇り空で風も出て来た。寒太郎の出番もなくては。夏には階段があるが、冬の我が家には二階がない。それなのに視えるんだなぁ・・・これも宿命か?昨年に冷暖房を設置で。

 何だか正月らしくない。旧暦が霜月二十七日、ということも有る。気忙しさだけがあって、温もりが感じられないのは何故だろう?と訝しい。心が炸裂しそうになったり、温かな血が噴き出しそうだ。沖縄の海が啼いている。地球が声を忍んで哀しむ。天地異変も次々と起り、戦争への道へ。

 人類の危機に瀕する度に、宇宙は警告を発してきたというのに。私利私欲に走り、我が身可愛さに、国民を騙し欺き、澄ました顔で言い訳をする。アメリカ寄りの、寄り切っての政策に振り回される。誰も止める者がないと、独裁政治を施工続けているが、そのことさえも気づかない哀れさ。

 少しでも天気であれば、外が気になってしょうがない。脱走も度々やる。自分で開けて出られない。

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