文庫ではないのに、印刷文字が小さくて、しかも、これまでのルネサンス著作集の中でも、分厚い!心して読みました。
塩野七生さんが、キリスト教や十字軍について、どのような見解かは、これまで読んだ著書を通じて分ってはいるのですが。
歴代の法王について、書かれています。取り上げられているのは4人。
最後の十字軍から350年の歳月が流れ、最後の第8次十字軍から数えても300年近い隔たりがあった時代1460年の法王ピオ二世。
「神がそれを望んでおられる」を合言葉に。
今の時代から中世を眺めれば、
いや、政教分離が当たり前という歴史を辿った我が国、日本から眺めれば当たり前、と言った方が良いですね。そうでない世界の方が(中東など)現代も圧倒的多数なので。
政教分離を理解しない法王は、当時はすでに時代錯誤で困りもの、という一つの例です。
自分が歴代の十字軍のように、先頭に立つ!と協力を求め、イタリア都市国家に書簡を送付。
政教分離がしっかりしていたヴェネツィア共和国は、協力国ジェノバ等と共に、法王の求めになかなか応じず静観。
トルコでは、30歳の若きスルタン、マホメッド二世の世に。1453年、コンスタンティノープルがトルコによって落城後、世界一のヴェネツィア艦隊もトルコ艦隊を侮れない状況となってきたことで、遂に重たい腰を上げるのです。
が、しかし、法王の死によって、ガレー船隊を引き上げ、祖国へ帰っていく。👍
枢機卿たちも、それぞれローマへ引き上げ、最後の十字軍は幻と消えたのでした...。(ほっ)
ヴェネツィア共和国は他国の土地を所有することに(のちのスペイン、オランダなど新興国による植民地化)興味はなく、自国の経済繁栄と、そのための海路を保持すること、その目的のため、異教徒国家であるトルコとも密書を交わし、外交でもって、衝突を避けようと努力した国。海に囲まれ、資源に恵まれず、小国でありながら経済発展を遂げた戦後の日本と、どこか似ていて親近感があります。余談でしたが、これが私がベネツィア共和国に肩入れしてしまう主な理由。
二人目は、有名なアレッサンドロ六世。(…と、フィレンツェ共和国を恐怖に陥れた狂信的な修道士サヴォナローラ)
二人については、『フィレンツェ共和国の存亡』や、、『わが友マキアヴェッリ』でも取り上げられ、すでに読んでいるのですが、この著書では、主に法王とサヴォナローラとの間に交わされ、今でも現存している書簡、ルカ・ランドウィッチの年代記(こちらも現存)を並べられています。なかなかお目にかかれない貴重な資料を塩野さんによる翻訳で読めるという有難さ! ルカ・ランドウィッチは、市井の人だっただけに、その時代の人々がどのように感じ、行動したか、より分かりやすいわけです。サヴォナローラの説教も紹介されていますが、塩野さんによれば、繰り返しが多かったとのこと。この繰り返しこそが、CMが頭に残りやすいように、或は政治的プロパガンダも力を発揮するように、人々の心に浸透しやすく、より危険だということを示してくれているんですね。
三人目は、自ら剣を持ち、戦う法王(ただし、泥沼化)ジュリオ二世。
これまでの十字軍は、異教徒相手でしたが、彼はキリスト教徒を相手に戦った法王です。彼は闘いに次ぐ闘い。民衆も、お供もいい加減にしてくれよ!と、疲れ果ててしまう。 色々あるのですが、ジュリオ二世による戦いの歴史は省略し…
毒を以て毒を制す
フランスという毒 をイタリア半島から追い出すため、スペインと同盟を結ぶ。
スペインの力が目障りになると、フランスと同盟を…
イタリア半島(都市国家)を統一し、スペイン・ドイツ・フランスといった新興国(当時のローマからみて野蛮国)から守らねばならない、そのためには息子のチェーザレ・ボルジアの行動にも目をつぶっていよう、とした先のアレッサンドロ六世(ロドリーゴ・ボルジア)とは大きな違いです。
法王としては珍しく政教分離の大切さが分かっていたのは、アレッサンドロ六世ではないかなぁ。他にも、十字軍時代に一人、居ましたが...名前が出てこない...
話を戻し、ジュリオ二世が生きていた頃は12歳の子供だったカルロス配下のスペイン・ドイツ連合軍によって、1527年、ローマは掠奪を受けるのです。いわゆる歴史的な「ローマの掠奪」
こうしてイタリアは、わずかヴェネツィア共和国を除いて、スペインの実質的支配下にはいってしまう...
歴史家 グイッチャルディーニは、ジュリオ二世の政治を次のように記しているそうです。
「致命的な同盟。致命的な武器」(303ページ 最後の行)
最後、4人目は、レオーネ十世。16世紀初頭の法王です。
時代錯誤のジュリオ二世の後、戦いに疲れ果てた民衆は、平和を心から望む法王レオーネ十世を大歓迎したことでしょう~
円形劇場で催すこともできそうな、古代ローマ式見世物を擬して (308ページ)
謝肉祭のパレードを楽しんだ法王レオーネ十世。仮装行列が大好きで、自ら仮装して参加したい!というのを「危険だから」と止められたり。
ある時は、物乞いの真似をして、庶民の足を洗ってみたり。お金をばら撒いてみたり。
また、この頃は 「相手の気持ちを理解し合う」目的で、奴隷が主人の衣装と自分のものを交換して着る、みたいなこともあったらしいのです。
イタリア語の 罵り言葉の大部分は、イエス様に関することで、
「豚のマドンナ」「寝取られ男の息子」(384ページ2行目)
フランス、ドイツ、スペインにとっては、また先に上げた法王達にとっては、「法王」は「神の代理人」でも、こちらの法王レオーネ十世は、「法王」は「人」だという自覚があったのかも。
古代ローマの皇帝に扮している者や、太ったキリストや、トルコのスルタンが聖母マリアを追いかけていたり。
そんな、異教徒も何もかもごちゃまぜな仮装行列を楽しんで観ていたレオーネ十世の台詞。
「地中海世界ほど人間性に対して寛容な世界はない。ここでは罪の意識にさいなまれずに生きていける。
私は、人間本来の陽気さと、死に対する平穏さに欠けた世界では生きていけない。なにも北の人々を非難しているのではない。ただ、あそこでは自分は生きていけないと思うだけだ。」(399ページ3~6行目から抜粋)
東洋の島で暮らす私も、レオーネ十世に同感。
次は、塩野さん長編の「十字軍」シリーズを読みたいなぁ。