母国からの悪い知らせ
リチャードがパレスティーナへ来て2年目の1192年春。イェレサレム奪還へ向けての第一歩を踏み出す筈だったリチャードに、本国から悪い知らせが届く。ヘルフォード修道院長が到着し、手渡した手紙には次のように記されていた。
「リチャードの末弟ジョンを前面に立てたフランス王の軍が、ノルマンディー地方だけでなくイギリスにまで侵攻しつつあり、ヨーロッパに残っているリチャードの軍は苦戦に苦戦を重ね、一日も早いリチャードの帰国に望みを託すしかなくなった」
(元々計算高いフランス王でねぇ...邪魔者or 競争相手が皆、十字軍遠征へ行ったら嬉しい~\(^o^)/というフランス王だったからさ... 独り言)
右手に剣、左手には
リチャードは一日も早くイギリスへ戻りたかった。
とはいえ、エジプトからの補給路を断ったことで、軍事的にはサラディンを追い詰めている。この機を利用して、つまり十字軍に有利な状態でサラディンと講和を結びたかった。何故ならそれがリチャードの帰国を許すことになるからであった。
この交渉を託されたのは、バリアーノ・イベリン。イェルサレムの無血開城で、サラディン、更には彼の弟と面識がある、あの男ですよ! イベリンはそういう訳で、サラディンと弟のアラディ-ルからも好感を持たれ、気に入られていた。交渉役は、アラブ語も堪能な彼をおいて他にいなかったのである。
サラディンは、リチャードとの交渉再開に同意した。その条件として、アスカロンの譲歩を求めた。これに対し、リチャードは「断じてノー!」 右手に剣... そう、軍をイェレサレムまで15キロの距離まで進軍させる。
この間、兄に命じられ、大守たちの戦場復帰を伝えるためシリアへ行っていたアラディ-ルがイェルサレムへ戻る途中、出会った相手がイベリンだった。二人が協議し、イベリンがリチャードへ持ち帰った条件は、アスカロンの譲歩から、「破壊」、つまり、譲歩しなくても良いが、しばらくは誰も住めない土地とすること、と、緩められていた。
これを交渉の前途は明るいと判断したリチャードは、左手には... そう、交渉により、軍勢を50キロのラムラまで後退させている。
十字軍時代のイスラムにも、導師(イマム)と呼ばれる原理主義者はいた。彼らの影響力は現代同様で、スルタンのサラディンには、この「導師」たちから非難を浴びる講和は結べない立場にあった。一方のリチャードが、異教徒への敵対心に燃える修道僧や法王に囲まれていなかったこととは大きな違いだった。
サラディンには、リチャードが求めるイェルサレムの返還などは、受け入れられない条件だった。
とはいえ、サラディン、アラディ-ルとリチャード、イベリンは、異教徒同士でもフィーリングが合う仲ではある。
ある時、リチャードのもとを訪れたアラディ-ルに言った。
「あなたの宗教では、男は何人も妻を持てるそうではないか。私の妹(未亡人となったていた)を妻に迎えてはどうかね? そうすれば、イェルサレムの王位に就ける。我々の間を隔てている問題が一気に解決すると言う訳だ」
アラディ-ルは笑った。この話を弟から聞いたサラディンも大笑いした。 だが笑わなかったのは、リチャードの妹、ジョアンナだ。私にイスラムの王へ嫁げというのか?と。そこで路線変更。「姪と結婚するのはどうかね? 妹はシチリアの王妃だったから、ローマ法王の許しがいるが、姪は独身だから、その点の心配は無用だ。」
ここまで読んで、ジョークではなく、リチャードは本気だったのか!と驚いてしまうが、アラディ-ルは呆れたという。だがサラディンは今回も大笑いしたという。
交渉のかなめであるイェルサレムを返す、返さない、という交渉は続けられたが進展せず、リチャードは飽きてしまう。交渉は中断。
対決;第二戦 ヤッファ
がんばり続けたのはリチャード側で、軍を撤退したのはサラディンだった。
それでいながらリチャードは、イベリンに手紙を持たせ、サラディンの許へ送っている。
「…略。
あなたが私と講和を締結すれば、私の望みである帰国も実現することになる。
だが反対に、もしあなたが戦闘を続けるなら、わたしはこの地に陣幕を打ち立て、この地をわたしの永久の住まいにするしかなくなる。
われわれ二人の間で一日も早く講和を締結しようではないか。そうなれば私も発っていくことができる。あなたには、心からの別れを送りながら」
率直すぎる手紙を受け取ったサラディンは、直ちに大守を招集させる。
「リチャードとの間に講和を結ぶことにした」と告げた。
次回は、「講和に向けて」です~ 大河ドラマの時間ですので。