日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

十字軍の物語 3⃣ イベリンとサラディンの弟、アラディ-ル

2021-08-15 20:01:17 | 読書

 母国からの悪い知らせ

 リチャードがパレスティーナへ来て2年目の1192年春。イェレサレム奪還へ向けての第一歩を踏み出す筈だったリチャードに、本国から悪い知らせが届く。ヘルフォード修道院長が到着し、手渡した手紙には次のように記されていた。

 「リチャードの末弟ジョンを前面に立てたフランス王の軍が、ノルマンディー地方だけでなくイギリスにまで侵攻しつつあり、ヨーロッパに残っているリチャードの軍は苦戦に苦戦を重ね、一日も早いリチャードの帰国に望みを託すしかなくなった」

 (元々計算高いフランス王でねぇ...邪魔者or 競争相手が皆、十字軍遠征へ行ったら嬉しい~\(^o^)/というフランス王だったからさ... 独り言)

 右手に剣、左手には

 リチャードは一日も早くイギリスへ戻りたかった。

とはいえ、エジプトからの補給路を断ったことで、軍事的にはサラディンを追い詰めている。この機を利用して、つまり十字軍に有利な状態でサラディンと講和を結びたかった。何故ならそれがリチャードの帰国を許すことになるからであった。

 この交渉を託されたのは、バリアーノ・イベリン。イェルサレムの無血開城で、サラディン、更には彼の弟と面識がある、あの男ですよ! イベリンはそういう訳で、サラディンと弟のアラディ-ルからも好感を持たれ、気に入られていた。交渉役は、アラブ語も堪能な彼をおいて他にいなかったのである。

 サラディンは、リチャードとの交渉再開に同意した。その条件として、アスカロンの譲歩を求めた。これに対し、リチャードは「断じてノー!」 右手に剣... そう、軍をイェレサレムまで15キロの距離まで進軍させる。

 この間、兄に命じられ、大守たちの戦場復帰を伝えるためシリアへ行っていたアラディ-ルがイェルサレムへ戻る途中、出会った相手がイベリンだった。二人が協議し、イベリンがリチャードへ持ち帰った条件は、アスカロンの譲歩から、「破壊」、つまり、譲歩しなくても良いが、しばらくは誰も住めない土地とすること、と、緩められていた。

 これを交渉の前途は明るいと判断したリチャードは、左手には... そう、交渉により、軍勢を50キロのラムラまで後退させている。

 十字軍時代のイスラムにも、導師(イマム)と呼ばれる原理主義者はいた。彼らの影響力は現代同様で、スルタンのサラディンには、この「導師」たちから非難を浴びる講和は結べない立場にあった。一方のリチャードが、異教徒への敵対心に燃える修道僧や法王に囲まれていなかったこととは大きな違いだった。

 サラディンには、リチャードが求めるイェルサレムの返還などは、受け入れられない条件だった。

 とはいえ、サラディン、アラディ-ルとリチャード、イベリンは、異教徒同士でもフィーリングが合う仲ではある。

 ある時、リチャードのもとを訪れたアラディ-ルに言った。

「あなたの宗教では、男は何人も妻を持てるそうではないか。私の妹(未亡人となったていた)を妻に迎えてはどうかね? そうすれば、イェルサレムの王位に就ける。我々の間を隔てている問題が一気に解決すると言う訳だ」

アラディ-ルは笑った。この話を弟から聞いたサラディンも大笑いした。 だが笑わなかったのは、リチャードの妹、ジョアンナだ。私にイスラムの王へ嫁げというのか?と。そこで路線変更。「姪と結婚するのはどうかね? 妹はシチリアの王妃だったから、ローマ法王の許しがいるが、姪は独身だから、その点の心配は無用だ。」

ここまで読んで、ジョークではなく、リチャードは本気だったのか!と驚いてしまうが、アラディ-ルは呆れたという。だがサラディンは今回も大笑いしたという。

 

 交渉のかなめであるイェルサレムを返す、返さない、という交渉は続けられたが進展せず、リチャードは飽きてしまう。交渉は中断。

 対決;第二戦 ヤッファ

 がんばり続けたのはリチャード側で、軍を撤退したのはサラディンだった。

それでいながらリチャードは、イベリンに手紙を持たせ、サラディンの許へ送っている。

「…略。

 あなたが私と講和を締結すれば、私の望みである帰国も実現することになる。

だが反対に、もしあなたが戦闘を続けるなら、わたしはこの地に陣幕を打ち立て、この地をわたしの永久の住まいにするしかなくなる。

 われわれ二人の間で一日も早く講和を締結しようではないか。そうなれば私も発っていくことができる。あなたには、心からの別れを送りながら」

 

 率直すぎる手紙を受け取ったサラディンは、直ちに大守を招集させる。

「リチャードとの間に講和を結ぶことにした」と告げた。

 

 次回は、「講和に向けて」です~ 大河ドラマの時間ですので。

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十字軍物語3⃣ サラディン VS リチャード 

2021-08-15 18:06:31 | 読書

 キプロス島

 イギリスの獅子心王リチャードは、まずキプロス島に上陸。そこを制圧する。地中海ではシチリア、サルデーニャ、クレタ島に次ぐ広さを持つ島で、戦略的・経済的価値ある島だった。それまではビサンチン帝国領だったが、当時のビサンチンはギリシア正教であり、カトリックではない。リチャードによって、キプロスがカトリックの島となったことが十字軍側にとっては大きかった。

 アッコン入り

 1191年、リチャードは十字軍の聖地となっていたアッコンに派手なパフォーマンスで到着。

「私の命令に従って闘ってくれるのであれば、出征地別も民族別も前歴も一切、問わない」

イギリス王から兵士への贈り物には、上記の言葉が添えられていた。(カエサルを思い出しますね)

 将校たちによる大歓声で、イスラム側も何事か?と気付いたらしい。十字軍側の記録には、「イスラム側はイギリス王の到着を知り、震えあがった」とあるらしいが、それまで西ヨーロッパからやってくる人々を総じて「フランク人」と呼んでいたイスラム教徒にとっては、「イギリス人とは何ぞや?」であり、そもそも知らないのだから、震えあがる訳もない。

 リチャード VS サラディン

 ここから先は、言わずもがなリチャート対サラディンの攻防となる。攻めるは若き34歳イギリス王リチャード。守るは53歳に差し掛かったサラディン。

 ティロスの攻防では、サラディンはさっと軍を引く。アッコンでも、リチャード優位でことは進み、とうとう十字軍の手に落ちた。だが、サラディンはリチャードの出方を見るため、アッコンではさっとは軍を引かなかった。

 その後も続く攻防の内、1つを記しておくと...

 …

 ...

 アルスーフの戦闘

 🐴を狙って攻めた結果、戦闘後は戦いに倒れた馬の屍(しかばね)の山が出来たという! サラディンが 「騎兵ではなく、🐴を狙え」と弓矢隊に命じていたからだ。

 だが、地の利のサラディンの計画通り、リチャードの兵は林の中へ逃げ込むこともなく、結果的には諦めが早いイスラム兵の方が逃げ出したのだった。

 アルスーフの町は戦闘後、リチャードが全軍に「馬を殺された騎士には無料で配る。殺された馬の肉は、平等に配ること!」と布告。 というのも、歩兵は馬がなく、🐴の肉を食うには、お金を払うしかなかったから。

 こういう訳で、戦闘後の町のあちらこちらでは、バーベキューの香りと煙が立ち込め、大宴会となったのだった。南欧の人間は魚も食べるが、北欧や西では「肉を食べなきゃ力がでない!」という男たち。宴会は多いに盛り上がった。

 その同じ日の夜、サラディンは、逃走した兵士たちを𠮟りつけている。「スルタンの命なしに、逃げ出すとは、何事か!」

いけいけドンドンの時は勢いがあるイスラム兵も、負けがこんできたと思うと一気に諦めるようなのですが?

 ただ、アレッポの大守だけはサラディンに言う。

「スルタンの非難は妥当ではありません。彼らの甲冑は矢も通さず、それより何より手強かったのは、一人の騎士の戦いぶりです。🦁獅子の化身かと思わせる騎士一人に、どれだけの数の我々の兵がやられたか。この騎士こそが戦闘の行方を決したと言ってよい。兵士達は、メレク・リチャードと呼び掛けていましたが」

 この時以来、リチャードは イスラム教徒から「獅子心王」と呼ばれるようになる。海軍を持たないサラディンが、海上で負けるのならともかく、得意とする陸上で敗れたのだから。

イギリスの獅子心王 リチャード

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十字軍物語 3⃣ 獅子心王(ライオン・ハート)リチャード登場...とその前に赤ひげ皇帝

2021-08-15 14:32:20 | 読書

 前回、「イスラム教徒は町ごと虐殺されたのだから、同じ目に合わせるべきだ!」という狂信的な意見に、イスラムのスルタン、サラディンは耳もかさず、キリスト教住民は全員無事にイェレサレムを跡にした…めでたし、めでたし、という場面で終わりました。ここまでが第2次十字軍。詳しくは、こちら↓↓

十字軍物語 2⃣ 後半 ~寛大だったイスラム側~

ここから塩野七生さん著:『十字軍の物語 3⃣巻』へ突入します。いよいよ最後の1冊です。しかし、ハードカバー製本で文字も小さく、500ページ近くもある長編! そこで、ブログでは数回に分けることにします。

第ニ次十字軍はイスラム教側が”フランク人”と総称して西ヨーロッパからやってくる民を呼んでいた通り、フランスが主流でした。

第三次十字軍は、フランスに変わり、イギリスが主導することになります。(フランス王フィリップ等、関与していますが)ヘンリー二世に反旗を翻した息子、(この辺については、ここでは省きます)リチャード一世、しかも「ライオンの心を持つ騎士、そのものだ!」と賞賛され、獅子心と尊敬の念を込めてイスラム側から呼ばれたリチャードが歴史に登場です。中世の騎士として、今も人気がある一人だそうで、銅像をみても、勇ましさが伝わってきます。

 

前回まで読み、すっかりイスラムのサラディンファンになった私ですが、🦁獅子心王、リチャードも、なかなか...大した器の持ち主です。

「折角、寛大なサラディンによって、新たな戦いと憎しみを生み出さない形で、講和が結ばれ、平和が訪れたのに、第三次十字軍かよ...

と、正直、3⃣巻のページを開く前は、うんざり気味でした。

ところが... 全く予期せぬ形で、第三次十字軍は終結したのでした!

 

結論を先に書いてしまいましたが、これは欧米式。

イギリス、とくれば、ドイツについても、ちょっこし触れておきます

ドイツ皇帝赤ひげ

中東に平和が訪れたとはいえ、サラディンが最も恐れていたのは、ドイツ皇帝、赤ひげの進軍でした。このドイツ王、いかにもドイツ人的で、真面目というか、事前にサラディンへ、「今から行くぞ!」という内容の信書を送っているのです。その内容が笑える...

「これから率いて行くのは大軍であるから、いかなる抵抗も無駄!キリストの名のもとにイェルサレムを取り返す」

(ちょっと、ちょっとぉ、取り返すって、もともと中東のものでしょうが!と、突っ込みたくなるわ

これに対し、サラディンも、返書を送っているから凄い。

「我々の地に侵攻してきたのは、キリスト教徒の方であった」

と、はっきり言う。そうだ! その通りじゃないかい!

その後も、赤子に言い聞かせるように、分かりやすく説明しているのです。;今はキリスト教徒もイスラム教徒も安全に巡礼出来るようになったではないか、もし、われわれとの間に平和を望むのであれば、その可能性は充分にある、と。

この返書に目を通したあとでも、戦闘でことを決するというのであれば、受けて立つ、と。

サラディン、冷静、かつ大人な対応ですね。

 

しかし、赤ひげ皇帝は、進軍し続け... そうこうする内に、アレクサンダー大王も攻めあぐねたティロス島での攻防が! 赤ひげ皇帝とは関係ない場所にて始まってしまうのです。『赤ひげの動向』が気になって仕方がなかったサラディン。そんな中、臨時ニュース速報が彼の元に届いたのでした。

「赤ひげ皇帝、川で行水中に、溺れて死す!」

これには、サラディンも、信じられない想いで、何度も複数の使者を送り、事実かどうか、確かめさせたらしいのです。

足を滑らせた皇帝が、重い甲冑で起き上がれず、溺れ死んだ、という当時のドイツの発表は、どうも違うようで、現代の歴史家は、

「裸になって若い兵たちと一緒に、川で水浴びしようと飛び込んだところ、水温が低く、当時としてはご高齢だったため、心臓発作だったのだろう」、ということになっているとか。

ドイツ皇帝の死をもって、ドイツ軍は空中分解してしまったのだそう。ドイツへ帰還するもの、そのまま十字軍として残るもの、様々だったらしい。ドイツ兵達が忠誠を誓ったのは「赤ひげ皇帝」であり、次の皇帝が誰になるかも分からない状況では、致し方なかったのですね。

 

ちょっこし、どころか、結構な量を書いてしまった(;^_^A

一息、つきたいので、一旦、ここで✒を置きます。

 

 

 

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