日々のあれこれ

現在は仕事に関わること以外の日々の「あれこれ」を綴っております♪
ここ数年は 主に楽器演奏🎹🎻🎸と読書📚

男の肖像 塩野七生

2021-08-02 18:51:16 | 読書

 昨日から、この本を読んでいます。

西郷どん、カエサルなど、歴史上の人物像を塩野さんが評価。

以前、「通知表」という形で評価する!という本もありました。

それとは違いますが、エッセイ形式も面白いです~👍

 

オリンピック観戦☆彡

今から野球を観ますので、この辺で

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天才排出した14~16世紀イタリア ルネサンスと時代錯誤の法王&修道士

2021-08-02 18:16:29 | 読書

 11世紀に始まった十字軍と禁欲の中世の後、14世紀から16世紀にかけてイタリアでルネサンスと呼ばれる、芸術・文化が花開く時代がやってくる。

 ミケランジェロもダ・ヴィンチも同時代を生きた天才なのだから、もう凄いとしか言いようがない。

 彼らが活躍した14世紀、花の都と呼ばれたフィレンツェ共和国で禁欲政治を行った修道士も、十字軍はすでに過去のこととなっていた15世紀に、自ら剣を取り十字軍遠征を行おうと無理をした法王も、あの時代からみても時代錯誤だった…と思う。

 アレッサンドロ六世はキリスト教徒側から見れば、悪名高き法王らしい。らしい、というのは、fumiel-shimaさんに頂いたコメントを通じて知ったので、とりあえず、そう書いてみた。この時、中世の十字軍時代に活躍し、「大変良いこと」を成し遂げたにも関わらず、法王から「破門」され、キリスト教側から見れば、同じく悪名高きローマ皇帝がいたことを思いだした。塩野さんの著書で読んだのだが、名前が出て来ない。なので、本来なら再び図書館で著書を探しだし、その名を調べるべきところだが、時間に制約があるため、(図書館滞在時間は30分)ずるをした。要するにネットで簡単に検索してみたら、すぐにその名を見つけた。フリードリヒ二世だ!

最も大事な部分を抜粋すると、

「フリードリヒの巧みな外交術もあって、戦闘を交えることなく1229年2月11日に平和条約(ヤッファ条約)を締結。」

そもそも十字軍の目的は、キリスト教徒もイスラム教徒もそれ以外の異教徒も、争うことなく巡礼出来る状態を維持すること、なのでは?

戦闘を交えることなく、平和条約を締結だなんて、立派!流石!

だけど、法王は、戦闘を交えないとは、異教徒を一人も殺すことなく戻ってくるとは!とご立腹。最初の目的を忘れ、戦闘が目的になってしまった…それが再三に渡る十字軍遠征ではなかったのだろうか?と推測。

 

そして、本日、『絵でみる十字軍』『十字軍』1巻から3巻を図書館で予約したので、手元に届いたら早速、読んでみたい。

以下、実際に読ませて頂いたwikipediaさんの記事から~ コピペです。

 

 

 

 

 

第6回十字軍

 

グレゴリウス9世は、十字軍実施を条件に戴冠した神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ2世に対して度々遠征を催促していたが、実施されないためフリードリヒを破門した。1228年になって、破門されたままフリードリヒは遠征を開始。故に「破門十字軍」「フリードリヒ十字軍」とも呼ばれる。当時エジプト・アイユーブ朝のスルタンアル=カーミルは内乱に悩まされており、フリードリヒの巧みな外交術もあって、戦闘を交えることなく1229年2月11日に平和条約(ヤッファ条約)を締結。フリードリヒは、聖墳墓教会はキリスト教徒に返されるがウマルのモスクとアル・アクサ寺院はイスラムが保持するとの条件でエルサレムの統治権を手に入れた。教皇グレゴリウス9世は、カトリック教会を破門されたままであった皇帝フリードリヒ2世がエルサレムの王となったことを口実に、フリードリヒに対する十字軍を実施したが皇帝軍に撃退され、1230年にフリードリヒの破門を解いた。

1239年から1240年に、フランスの諸侯らが遠征したが、第6回十字軍と同じく戦闘は行わないまま、アイユーブ朝との交渉によってガリレア地方とアスカロンを獲得し、帰還した[6](男爵十字軍)。

 

 

最後にもう一つ、大事なこと。

ヨーロッパの歴史は、紀元前にローマから始まった。14世紀以降、イタリア半島にあったヴェネツィア共和国やフィレンツェ共和国、ナポリ王国などの都市国家は、彼らから見て新興国であるフランス、スペイン、のちにドイツから独立状態を守る必要性があった。(古代ローマ帝国時代は、逆に統治する側であったのに...)

彼らの言語は、ラテン語とイタリア語だが、世界で話される言語マップ(?)を眺めてみると、(もし、そういうマップがあるとすれば)

アフリカ大陸の多くの国の公用語はフランス語。

中央・南米では、スペイン語。(ブラジルのみポルトガル語)

フィリピンも、スペイン語の名前を持つ人が多く、その時代の教会もある。現地のタガログ語の他、公用語が英語なのは、ずっと後になって歴史の舞台に登場する米国が日本と戦闘を行ったから。

前回の記事で、誤解されたので、改めて書くと、領土を広げ、宗教(キリスト教)を布教し、植民地化したのは、これら、新興国(ローマ人は、野蛮国と呼んでいた)フランスやスペイン。

当時はまだイタリアという国はなかったが、イタリアではない‼ 

世界で話される言語の分布図、ベスト3はフランス語、スペイン語、英語。

これにイタリア語が続かなかった理由。

スペイン人の漁師が遭難し、トルコの海賊に拾われた。彼は奴隷となったが、実力を認められ、キリスト教からイスラム教に改新。

その後、スルタンとなった彼は、海上から母国スペインを目の前にするが、上陸せず。異教徒になった者は罰せられ、場合によっては処刑されることが分かっていたから。

「困ったものだねぇ」「あそこまでやらなくても」というのがイタリア的、感覚。

イタリア半島 最強だったヴェネツィア共和国も、領土拡大や布教活動に興味がないどころか、キリスト教国家でありながら、唯一、多神教を認める都市国家だった。彼らが獲得&統治したのは、地中海の島くらい。

 

昭和60年頃の高校普通科では、

2年生で、「地理」or「政治・経済・倫理」のいずれか。

3年生で「世界史」or「日本史」のいずれかを選択。

現在は、日本史も世界史も両方、学ぶらしい。良かった、よかった!

5年前までの私は、(ローマ人の物語全43巻を読む前)

スペインもイタリアも、言語は似ていて、文化的にも、ほぼ同じだと思っていたが、とんでもなかった!

大学生の頃の自分は、英語の次に世界で話されるスペイン語に興味があったが、今は全くない。学ぶなら、ラテン語(いや、今は使われていないので)イタリア語でしょう~と思ってしまう。

その前に、高校生が使用している世界史の教科書に目を通してみたいな~

 

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