歌人 土屋正夫先生 は平成19年7月26日入院中の病院にて 92歳 のお誕生日のお祝いをされた翌日、平成19年7月27日 ご逝去されました。 合掌
この度、先生をお偲びして遠方から先輩の皆様がお集まりされました。
お仲間に加えていただき、亡き土屋正夫先生の大切な思い出話を拝聴する事が出来ましたこと大変幸せなひとときでございました。
又、一周忌に寄せて出版されました 遺歌集 『陶印』 に先生のご日常の最後までを拝読できますことを嬉しく思います。
出版までの経緯を鶴岡美代子先生のお言葉から一部転載してご紹介させていただきます。
「編集を終えて」
本書は土屋正夫先生の第十九歌集である。
作品は平成16年から平成19年7月までの作品で、485首である。
これで歌集に収録した歌集は11,276首『榛原』に収めなかった 『軽雪』以前の歌」 を合わせると11,640首である。
中 略
7月26日、先生の92歳のお誕生日に伺った。
中 略
私が原稿用紙をお顔の前に差し出し、ボールペンをお渡しすると、横線を一本お書きになった。
横線といっても弧にカーブした。書き易いように紙を捲って次のページを出すと再び同じ 弧線を引いた。 次のページもそうであった。
明らかに同じ事をわたしに伝えたいのだと知れた。しかし、予断を許さないご状態だったので、ご家族のお邪魔をしてもいけないので、その字の意味が分からないまま辞した。
それは、わたしへの先生からの最後の宿題となった。
ご葬儀が終った数日後、その意味が分かった。歌集である。
先生は五月のご入院中に 「おれも歌集を出そうとおもっている。」 とおっしゃっていたからだ。
横線は 「本」 の字の横棒 だが、手に力が入らないので直線にならず弧線となってしまったのだと判断した。
中 略
題名の 『陶印』 は作品に拠った。
作品の陶印は土屋正夫先生のご尊父の遺品である。この陶印のように、本歌集が皆様の心に永く留めおかれますように祈りを込めて題名とした。
後 略
以上、一部ご紹介をさせていただきました。
入会間もない私は、鶴岡先生を通して土屋先生のご活躍をお伺いしておりましたが昨年、少し早めの先生の92歳のお誕生日お祝いの会 (2007.4.11にUP) に初めてお目にかかる事ができました。
その折の先生の嬉しそうなご様子を迷 マンが担当させていただきましたことも佳き思い出になりました。
昨年のお食事会に思いして詠みました歌です。
再びは念願叶はぬ食事会カメラマン役もただ一度にて
ひとたびを共に語りし先生のお姿永遠にブログに収む
土屋先生をお偲びして
先生が親しく語る巻頭言もはや学べぬと寂しさつのる
検索をすれば訃報記事多くしてわが師の偉大さつくづく知るも
つつしみて仰ぐ御影の召さるるは大島紬まこと似合ふも
「軽雪五十周年記念誌上短歌大会」
この行事に35名の方が一首ずつ投稿いたしました。
9月発行の 『軽雪』 誌上で入賞者が発表されます。