2年前の放映に初めて知り得ました事に深い悲しみを覚えました内容の記事でした。ここに再度記録して戦争の悲惨さを改めて学ぶことに致しました。
2019年12月28日(土) 14:01配信
【知られざる抑留】凍てつく大地と両足切断 モンゴルの記憶 “痛みで生きていることを知った”
知られざる「モンゴル抑留」 https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191228-00010000-sp_ctv-soci
1945年8月8日。第二次世界大戦が終わる直前になってソ連が突然、日本に宣戦布告、日本が事実上の植民地としていた、満州に侵攻。
8月10日にはモンゴルも参戦。そして日本は、戦争に負けました。するとソ連の指導者・スターリンは、大陸で終戦を迎えた日本兵をソ連に移し強制労働をさせる命令を下しました。
これにより、満州や樺太などにいた約60万人の日本兵や一部の民間人がシベリアなどに抑留され、6万人が死亡。「シベリア抑留」として知られています。
そして、そのうちの約1万2000人が2年間にわたって抑留されたのが、モンゴルでした。
食糧事情の悪さ、そして医療衛生の水準の低さなどもあり、2年間で亡くなった人は1615人、全体の13%。シベリア抑留の10%より高い死亡率です。
にもかかわらず、シベリア抑留と比べて、モンゴル抑留の悲劇は、あまり知られていないのが現状です。
「モンゴルの抑留」知っていましたか?
投票数:899票に 1.全く知らなかった 85%
2.言葉は聞いたことがある 8%
3.言葉も詳細に知っていた 7%
2019年12月28日(土)ネットにて初めて学びましたので私自身のために保存して犠牲になられました皆様に哀悼の誠をささげたく思います。
「参考」
2012年度の広島・長崎の追悼式に下記の記事が報道され記録してありましたので再度ご紹介させて頂きました。
原爆投下を命じたトルーマン米大統領の孫のクリフトン・トルーマン・ダニエル氏が初来日し、6日に広島、9日に長崎で開かれる平和式典に参列する。と報道されました。