2021年8月22日放映 「埼玉県飯能市・越生町」 青天を衝け紀行より
林田理紗アナウンサーの落ち着いた静かな語りに大矢素子のオンド・マルトノ演奏の優しい響きが調和した素晴らしい番組に思います。
8月22日以降はオリパラ関係に2週間放送は中止になりますが9月12日(第2日)の放送を楽しみにしております。
埼玉県飯能市。渋沢喜作率いる振武軍(しんぶぐん)は、能仁寺に本営を置きました。
能仁寺
新政府軍の総攻撃を受け、激戦地となった能仁寺。本堂を含むほとんどの建物が焼き払われました
オンド・マルトノ演奏 大矢素子の紹介文字 「寺仁能」の文字
語り 林田 理紗アナウンサーの紹介文字 焼失を免れた蔵
林田理紗アナウンサーは本堂にかかる扁額(へんがく)は庭の池に沈めていたため、焼失を免れたと寺に伝わっています。と語られました。
越生(おごせ)梅林 顔振峠(かあぶりとうげ)
飯能では民家200戸余りが焼失。わずか数時間で勝敗が決まったといいます。振武軍はちりぢりとなり、渋沢平九郎は現在の越生(おごせ)町にたどりつきました。
顔振峠(かあぶりとうげ)から山を下る途中、新政府軍と鉢合わせた渋沢平九郎は、激闘の末、この地で命を絶ちました。
渋沢平九郎が通った旧道 渋沢平九郎自決の地
全洞院に葬られている平九郎のお墓 渋沢栄一もこの地を訪れています
渋沢平九郎の死は、渋沢栄一の心に深い傷を残しました。(以上は林田理紗アナウンサーの説明より保存しました)
「能仁寺」・「渋沢平九郎自決の地」見学地のご紹介