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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 紀行 「千葉県一宮町・千葉市」の紹介

2022年02月27日 10時01分40秒 | 千葉の事

              2022年(令和4年)3月号 ちば市制だより(転載)

「鎌倉殿の13人」 紀行 「千葉県一宮町・千葉市」の紹介  
 
          千葉県一宮町                     平安以降1,000年以上の歴史を持つ玉前神社
  安房へ逃れた頼朝が助けを求めた上総広常が治めた地です。古くから朝廷や豪族、庶民の信仰を集めてきました


          玉前神社の御前                玉前神社の飾り物とギター演奏 ポール・ギルバード氏の紹介


              広常頼朝の大願成就にと、ここ玉前神社に願文がんもんよろいを奉納したといいます。
               その故事に倣い、江戸時代の一宮藩主・加納久徴ひさあきらが寄進したと伝わる甲冑かっちゅうが残されています。

     千葉県千葉市・ 亥鼻公園に建つ千葉常胤像               「郷土博物館」に建つ千葉常胤像
        千葉市中央区の県庁からほど近い亥鼻いのはな公園の一角には 千葉常胤をイメージした銅像が建てられています。
               平家打倒に立ち上がった頼朝常胤は、息子と共に加勢したといいます。
 
                千葉家の守護神・妙見菩薩みょうけんぼさつを祭った千葉神社         
千葉家の守護神・妙見菩薩みょうけんぼさつを祭った千葉神社に頼朝は鎌倉へ向かう途中、常胤一族と共に参詣さんけいしたといわれています。
上総と千葉の大軍勢を味方に付けた頼朝義時一路、鎌倉を目指します。


          千葉県庁近くに建てられてあります「君待橋の碑」            「玉前神社」と「千葉神社」のご案内
「君待橋の碑」
  君待橋にはいくつかの伝承がありますが、中でも、平安時代末期、源頼朝が相模から房総に海を渡った後、千葉にやってきた際に、千葉常胤が一族を率いてここで
  迎えたという話は有名です。

chiba_catsle 「郷土博物館」について
  4層5階の天守閣の姿をしています。
  千葉市郷土館として昭和42年に完成し、昭和58年に郷土博物館に模様替えしました。
  一帯が千葉氏の本拠だったのは平安後期~室町中期で、当時は山すその平地に館があったとされています。
  亥鼻地区にこのような城の姿が存在した事実はなく、千葉城は「小田原城」と「会津若松城」を模して建てられたものです。

 「郷土博物館」脇に建つ千葉常胤像

 

コメント (8)
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