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ひんやり!夏の穴場スポット 房総半島に多く残る”素掘りトンネル”をめぐる旅のご紹介 (NHK首都圏ネットワークより)

2024年07月26日 07時00分00秒 | 千葉の事


  富津市燈籠坂大師の切通しトンネルにて NHK千葉キャスター 田村有葵子さん   ご案内を頂きました フリーライター香取市出身 和田 亜希子さんと 田村キャスター

                                ”素掘りトンネル”をご存じですか。

          主に戦前に、重機を使わず人力で掘られたトンネルのことで、房総半島はその数が全国でもトップクラスに多いと言われています。
                 フリーライターの和田亜希子さんは これまで訪ねた素掘りトンネルは、千葉県内だけでも70以上!と。
             水田の用水路として使われていたり、今では絶景の人気スポットになっていたりと、さまざまな魅力を持っています。


         君津市 清水渓流広場(濃溝の滝・亀岩の洞窟)                      左図:流れを変える前 右図:流れを変えた後

              実はこの素掘りトンネルは昔、水田を増やすために作られた「川廻し」のトンネルと言われるものなんです。
       この地域はもともと、水田に適した土地が少ない場所でした。そこで左図のような蛇行している川にトンネルを掘り、流れを変えました。
            この「川廻し」を行うと、水の流れが無くなる土地が生まれ、そこを水田に適した土地として利用できました。
 私が訪れた清水渓流広場(濃溝の滝・亀岩の洞窟)は小櫃川(おびつがわ)水系で、その周辺では万治年間(1660年前後)に最初の「川廻し」が行われたと伝えられているそうです。


     清水渓流広場(濃溝の滝・亀岩の洞窟) 9月撮影 写真提供:君津市           ご案内を頂きましたフリーライター 香取市出身 和田亜希子さん

                 毎年3月と9月のお彼岸の早朝に、トンネルから差し込む光が水面に反射してハート形に見えるんです。
                 SNSなどで話題の人気スポットとなっているんですが、ここでハートの絶景をいつか見てみたいんです。
              素掘りトンネルはそれぞれ出来た理由とか、作った人が違いますので、そこを探求していくのも楽しみなんですよ。

                                                                  房総半島になぜ多い?その理由

                                                           写真提供:和田亜希子さん

                    そんな素掘りトンネルは房総半島に100以上残っていると言われていて、その数は全国でもトップクラス。
    千葉県南部に位置する房総丘陵は砂泥互層(さでごそう)と言われる地質で、比較的柔らかく掘っても崩れにくい性質だったので、たくさんのトンネルが掘られたとされているんです。

    その多くは明治から昭和にかけ、地元の人たちの手で掘られました。掘った人の情報はあまり残っていませんが、開通式の貴重な写真資料が茂原市教育委員会発行の冊子にありました。
                    予算も少なかったので、完成しても完成祝いもしなかったという逸話も伝わっています。

  
                       冊子:写真でみるもばら風土記シリーズ17 「トンネルのはなし」より        資料提供:茂原市教育委員会
 


                              続いて和田さんに紹介していただいたのは、富津市にある燈籠坂大師の切通しトンネル。

                               素掘りトンネルの中を初めて歩く田村キャスター

                   涼しいし、すごく高さのある素掘りトンネルですね~!まるで宮崎駿さんの作品の中に入り込んだかのようです。(田村キャスター

         ほんとそうですよね。素掘りトンネルは、人力でノミやツルハシといった工具を使って掘っていますので、堀り跡と思われるものが、いたるところに残っているんです。
                      掘るのに時間も労力もかかったと思うんですけど、完成すれば生活が楽になると思って頑張ったと思うんですよ。
                  さらに、この地層をみてください!右も左も奥も地層!まるで地球の中にいるような感じが味わえるんじゃないかなと思うんです。
                                 悠久の時間を感じられる空間なんじゃないかなと思うんです。

                                          天井部分

                うわぁ~本当ですね!地層って普段あんまり見かけないし、こんなに地層に囲まれる場所ってほかにないですよね。(田村キャスター

                              富津市 燈籠坂大師の切通しトンネル

                           なぜ掘られた?謎のトンネル

                       続いて案内してもらったのは、、君津市正木地区にあるトンネル。和田さんによると、ここにはある謎があるんだとか…?

                              君津市正木地区の素掘りトンネル

                               和田さん!電気もついていますがちょっと暗いですね。近くにいてくださいね!

                           すぐ隣にいますよ~。ほら、このトンネルにも掘った跡が残っていますよ。

                              掘ったときについたと思われる掘り跡
                         掘った人が右利きか左利きかこの跡でわかるのだそう!

                                          本当だ!はっきりと残っていますね。

                                 歩みを進めると、途中で道が分岐していました。

                         正面に続く道から分岐して右手に進む道が・・・

                            このトンネルはここで分岐しているんです。田村さん、分岐した右手の道に行ってみましょう!

   

                                      分岐した道を進んだ先には・・・
         

                                     崖と湖に囲まれた袋小路の土地が 

   

                                           崖と湖に囲まれた袋小路の土地
                              あれ?和田さん、この場所、行き止まりになってますよ。
                       そうなんです。わざわざトンネル掘ってつなげた場所なのに、袋小路になってるんです。
                 でも、あそこに神社のような建物がありますよ。あそこにお参りするために掘られたトンネルじゃないんですか。 

                                

                              岩盤にめり込むように建物が!

                そうですね。でも、だとしたら、なぜこんなトンネルを掘らないと来られない場所に建物を作ったのでしょう?

                                          

                                      神社?にお参り
                                             
     いったいここはどういう土地なのか?そして、なぜトンネルをつくらないと行けない場所に建物があるのか?私は近くの集落に行き、地元の人に取材しました。

                                トンネルを指さす所正夫さん

                         この土地で生まれ育った所正夫(ところ・まさお)さん、81歳です。

          小学生のとき、あのトンネルを掘っていたのを最初から見てるよ。あのトンネルはあそこにダムを作るから掘ったんだよね。

        所さんによると、袋小路の土地から見えていた湖は、昭和30年に出来たダム湖。そして、そのダム工事にあわせてトンネルも掘られたそう。しかし…

                                   では、あの建物は…?

                         お参りに来る人もいるんだけど、詳しいことは分からないね。。。。

                    少しずつ謎が解けてきましたが、より詳しい事情を知っている人に話を聞きにいきました。


                           千葉県立中央博物館 島立理子(しまだて・りこ)さん

                         千葉県の民俗学を研究している千葉県立中央博物館の島立理子さんです。

                       あのトンネルはダムと同時期につくられたそうですが、どういう関係なんですか?

                              あのダム湖は昭和30年につくられた三島ダムです。
                            そしてダムとなった場所には、かつて集落がありました。
     地区の区誌には、当時の住民の話として「昔は石段を登って神社に行けた」という記載があるので、水没した集落からあの土地へは道が通じていたと思われます。
                     それがダムで水没することになったので、代わりにトンネルを掘ったと考えられます。
                 
                 そうですね。でも、だとしたら、なぜこんなトンネルを掘らないと来られない場所に建物を作ったのでしょう?

                              さらに島立さんは、正木地区の区誌に載っている古地図を見せてくれました。

                              正木地区の古地図 『正木区誌』より

                      赤く囲った場所が、袋小路になっている土地で「山王」という記載があります。
              このことから、古地図は江戸時代のもので、当時からあの土地には信仰の対象がまつられていたことが分かるんです。
                 あの建物は、今では水神様や、金毘羅様なども合祀されていて、今は日枝(ひえ)神社と呼ばれています。

                       これで謎はとけました。でも、私にはもう1つだけ気になることがありました。

                     でも、トンネルを掘るより、神社の場所を移すという方法は考えなかったのでしょうか?

                   これは想像ですが、この土地の人々にとって素掘りトンネルは身近な存在だったのだと思います。
                              房総丘陵を歩くと、山中穴だらけなんですよ。
             それほど、トンネルを気軽に掘っていたので、その時も「トンネルで解決しよう」とういうことになったのではないでしょうか。
                             
なるほど!ありがとうございます。和田さんに報告しないと!         

       房総半島に今も数多く残る、素掘りトンネル。そこにあったのは、トンネルを掘ることで自分たちの暮らしを少しでも良くしたいと願う人々の思いでした。

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