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千葉実年大学校 歴史倶楽部 5月度定例会 笑顔のN会長さん (写真 旗を持つ人)
平成18年5月12日(金) 42名参加 (ちょっと寒い )
平成18年5月14日(日) 41名参加 (予報がはずれて 不要)
顧問の先生がご準備くださいました分厚い資料と丁寧な説明をいただきながら身近な場所にありながら初めての新しい発見に下町情緒が残る街「門前仲町」及び豊かな四季を身近に感じる街
「清澄白河」を訪ねる旅に参加をいたしました。門前仲町 は富岡八幡宮の別当永代寺の門前町として起こり発展、名前も昔は深川永代寺門前仲町と呼ばれていたそうです。
清澄(きよすみ) はこの一帯を開拓した人に 清住弥兵衛 という人がいて、そこから清住町という名前を経て清澄町となりました。
白河は、この地の霊巌寺を菩提寺とする松平定信が東北の白河藩主であったことに由来すると伺いました。
(ご紹介の写真の一部はHPからお借りしましたので申し添えさせていただきます。)
「行 程」
集合場所及び日時 東京メトロ門前仲町駅 5月14日(日) 10:00
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富岡八幡宮 永代寺
深川不動尊
八幡橋 冬木弁天堂
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採荼庵跡(さいとあんあと) 芭蕉の門人であり、知る人ぞ知るの仲でもあった杉山(鯉屋)杉風 の別邸で、芭蕉もこの庵を訪れもし、元禄2年(1689年)
「奥の細道」の旅はここから出で、隅田川を船で遡り千住の宿から始まったと言われているそうです。
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深川江戸資料記念館
江東区立の資料館に入って先ず、驚くのは屋根の上に寝ころんだ大き真っ黒な猫が声を発して迎えてくれたことです。
これも昔の風情の一こまです。
総合展示室には江戸後期の頃の深川佐賀町の街並みが実物大に再現され、土蔵造りの大店八百屋・船宿・水茶屋・船着場などがあり、これらの内部の畳、建具や生活用具などが、当時使われていた
ものと殆ど同じ状態に再現されています。
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成等寺 霊巌寺
干鰯場跡
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(昼 食) 深川めし 割烹「みやこ」
かつて深川では江戸前のアサリがふんだんに獲れ、漁師達はそのアサリの身をネギや油揚げと一緒に味噌でサッと煮て炊きたての丼飯にかけて食べた。
これが市中に普及し、酒で味付けしたり、大根を加えたりして家庭の味に育てていったと言われています。
今の多くは、炊き込みご飯で、本来の「ぶっかけ飯」ではない。
「みやこ」の調理方法は、昆布だしに塩、醤油、酒、味醂を加えて、アサリ・ネギ・油揚げを2~3分煮て、煮汁でご飯を炊き、具を混ぜてワッパに盛りつけると言う。
JR千葉駅東口「どん亭」での深川飯は 「ぶっかけ飯」(460円)の紹介あり。
お近くの方は一度懐かしさを味わってみては如何でしょうか。
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芭蕉記念館 記念館前の句碑
芭蕉(写真 芭蕉像)の業績を記念するため新大橋と清洲橋 (写真) が望める隅田川のほとりに昭和56年に建てられました。
記念館までの路沿いには沢山の 句(写真)が紹介されていました。
東京下町の旅も少しは昔の主菅が残っていて
いいものでしょう
沢山のお友達の参加で楽しそうですね
今まで耳からの情報でしたが初めて実際に目で確認が出来ました嬉しい旅でございました。
清澄庭園の素晴らしさ!感激いたしました。
本当に有り難うございました。
先日の立山の旅の記録に大変時間がかかってしまいましてお訪ねのみでコメントご無沙汰をいたしまして申し訳ございません。
友人に送付のためにプリントしましたらなんと6枚にも成っておりましてビックリしましたが
写真と一緒にお送りしましたら嬉しいお電話にお世辞でも嬉しいものですね。
老いの身が少々疲れました。
楽しい旅の記録、フクちゃん、matsubara、
maka の皆様とokoさんのコメントも楽しそうです。
6月7日佐原の旅でお会いしましょう。
又、楽しいブログを作ってください。
怒られるかな
楽しい旅を本当に有り難うございました。
佐原の旅
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。