今日は雲が出てたが晴れ。暑い・・歩いていると汗が噴き出す。
昼近くから、仙台市博物館で開催されている”マチュピチュ「発見」100年 インカ帝国展”に行ってきた。
本展は東京・仙台などを巡回して開催する。
◇巡回スケジュール(変更になる場合がある)
国立科学博物館 2012年3月10日(土)~6月24日(日)
仙台市博物館 2012年7月6日(金)~9月9日(日)
静岡県立美術館 2012年11月27日(火)~2013年1月27日(日)
富山県民会館美術館 2013年2月9日(土)~2013年4月7日(日)
京都文化博物館 2013年4月16日(火)~2013年6月23日(日)
福岡市博物館 2013年6月30日(日)~2013年9月1日(日)
鹿児島県歴史館黎明館 2013年9月10日(火)~2013年10月23日(水)
沖縄県立博物館・美術館 2013年11月9日(土)~2014年2月2日(日)
公式ホームページ
http://www.tbs.co.jp/inkaten/
マチュピチュを「発見」したのは、今から100年前の1911年7月24日に米国人探検家ハイラム・ビンガムである。今月(7月)24日には「発見」から101年となる。
マチュピチュはインカの首都クスコの北西約80kmに位置し、「聖なる谷」の北端(下流側)に密林地帯にあり、ウルバンバ川を見下ろす山の尾根(海抜2430m)に造られている。人口は最大でも750人程と見られている。
クスコ:ケチュア語で「臍(へそ)」の意味
マチュピチュ:ケチュア語で「老いた峰」の意味
インカ帝国はケチュア族が作った国で、15世紀前半から16世紀前半にかけて南米のアンデス地域で繁栄した。その勢力範囲は、現在の南米の太平洋側のコロンビア・エクアドル・ペルー・チリ・ボリバイ・アルゼンチンに跨り、南北4000kmに及ぶ。帝国の滅亡はあっけなかった。1532年スペイン人の征服者ピサロが率いる160人余りの兵士にアタワルバ王(帝国最期の王となる)が捕らわれ、翌年斬首された。その後に抵抗運動はあったが結果的に制圧された。スペインは、一部の貴族を取り込み植民地とした。
◇展示構成
展示構成は、4部構成。総点数約160点の考古遺物は、その多くが日本初公開との事。
プロローグ
第1部 帝国の始まりとその本質
文字を持たない(情報の記録は10進法による縄の結目を使うキープ)
車輪を使わない(車輪の原理を知らない、戦車・荷車などはない)
鉄器を持たない(青銅器はある、金・銀の鋳造技術は発達)
石加工技術の発達(白花崗岩を使った高度な石組み建設)
第2部 帝国の統治
最盛期には、80の民族・1,600万人の人口・南北4000kmの地域を支配
被征服民族に比較的自由に自治を認め、連邦国家の様な体制
整備された総延長4万kmに及ぶインカ道、チャスキ(飛脚)を使った情報伝達収集
第3部 滅びるインカ、よみがえるインカ
太陽を神と崇拝し、黄金はその象徴であった。この黄金をスペインが奪取
(インカとは太陽(インティ)の子)
第4部 マチュピチュへの旅
マチュピチュはペルーの世界遺産となっている
海抜約2400mの尾根に築かれた、アンデス文明最後の国家・インカ帝国時代の遺跡
山裾から見えないことから”空中都市”とも呼ばれる
仙台市博物館は青葉山の裾にあり、仙台城三の丸跡に位置する。博物館の北に堀跡の沼、フィギュアスケート発祥の地と言う五色沼がある。東には三の丸の堀だった長沼がある。春の長沼は満開の桜で華やかで、今時分は緑豊かな散歩コースとなる。
この長沼で、白い花のスイレンが咲いていた。白花のスイレンだから、日本に自生するヒツジグサ(未草)かな。
スイレン(睡蓮)
スイレン科スイレン属、水生多年草
一般にスイレンは、スイレン属の水生植物の総称として用いている
日本に自生するのは、白花の未草の1種類だけ
この睡蓮は別名を未草(ひつじぐさ)
未草の名の由来は、未の刻(午後2時頃)に花が咲くからと言う。でも明るい日中に咲き、暗くなると閉じる。漢名では睡蓮だから、こっちが当てはまるかな。
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