おもしろかった。
手持ちの作品をどうやって料理して展覧会に仕立てるかは、キュレーターの腕の見せどころだと思うが、これはそのお手本のような企画である。
美術史や美学を学んだ人なら一度はきいたことがありそうな有名なことばに、関係ある作品を組み合わせて、ペアで展示しているのだ。
このキュレーティングで、とりわけすごいな~と思ったのは2点。
ひとつは、作品の選択である。ピカソの言葉にはピカソの版画を添えているが、いつでもそのような選択ができるほど、道立近代美術館のコレクションは恵まれていない(これはしかたがない)。
そこで、セザンヌの言葉に栃内忠男のリンゴの絵を組み合わせるなど、うまいくふうをしているのだ。
2点目は簡にして要を得た解説文。
美術館で、作品の横についた解説文は、時としてわかりきったこと(写実的な絵の横で「花を描いています」などの説明をするなど)を書いて、ムダに長くなっているときがあり、読む気が失せるものだが、今回は必要最低限の文章で、作品についての説明は思い切って簡略化している。
啓蒙的であることを批判する人がいる。
しかし筆者は、どんどん啓蒙的にやってもらいたいと思う。啓蒙が必要ないのは、もともと教養のある人だけだ。専門家が「こんなことは普通、知ってるでしょ」と考えがちなことでも、人は意外に知らないものなのだ。
以下、アートをめぐることばと、展示作品の一覧。
現代美術に偏らないコレクションの同館で、戦後の美術作品を中心に展示するのは大変だったとおもう。版画や、ガラス作品も展示している。
芸術作品の大多数は縮減模型である。(レヴィストロース)
ジェイ・マスラー「街景」
ウラジミール・コベツキー「田舎の駅」
ダナ・ザーメチニーコヴァ「空中浮揚」
芸術は自然を模倣する。(アリストテレス)
鹿子木孟郎「裸婦」
自然は芸術を模倣する。(ワイルド)
鈴木武子「歩む女」
これはパイプではない。(マグリット)
ルネ・マグリット「イメージの裏切り(これはパイプではない)」「宝石」「魅せられた領域:大鳥は宝石島の鳥である…」「海上の魅惑的な舟は…」「若い眼差しの格子は古木の祝祭をかぐわしいものにする」「マ・メール・ロワ(マザー・グース)」
シュルレアリスム絵画は存在しない。(ナヴィル)
スタンレイ・ウィリアム・ヘイター「サーカス」「呑気な都会」「手相術」「祈り」「スペイン人」「新年の挨拶状」「第三の人」「開花」「針の穴」
何も模倣したくないと思う者は何も生み出さない。(ダリ)
サルヴァドール・ダリ「シュルレアリスム的な時間の眼」「蝶に囲まれたダリのシュルレアリスム的な肖像」「シュルレアリスム的な時計の看護」「天空の象」
優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む。(ピカソ)
パブロ・ピカソ「夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス」
りんごは動かないぞ! (セザンヌ)
栃内忠男「コンポジション“群”<リンゴ>」
あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる。(ペイター)
難波田龍起「秋の詩」
神は細部に宿る。(ヴァールブルグ)
渡会純价「La vie en Rose」
芸術は爆発だ。(岡本太郎)
鎌田俳捺子「北の夜空」
岩田久利「花器」
芸術は理解するために存在するのではない。(ボイス)
ルイ・カーヌ「現代 絵画 1」
同じ事を繰り返していてもできあがったものひとつひとつは違う。(バイルレ)
トーマス・バイルレ「僕をジムと呼んでくれ」
ネクタイとかスカートの模様程度のモティーフが絵画作品なのか。
ブリジット・ライリー「VIVA」
崇高はいま。(ニューマン)
佐佐木方斎「グループ」
ことばはアートである。(ホルツァー)
ホルツァー(キャップ及びTシャツ)
高橋喜代史「2つの音」
川上大雅「not a liar. / only a liar.」
宮島達男「Monism / Dualism №6」
ライリーの絵画に付されたことばは、ある有名な美術史家のものだが、メモするのを忘れてきた。
どうでもいいことだが、この絵は、坂野上明 氏からの寄贈の由。北海道新聞社の元社長である。こんな巨大な絵が自宅にあったのか。
マグリットはリトグラフ、ピカソとダリは銅版画である。
それにしても、ピカソのことばはカッコイイね。高階秀爾さんはここから発想して「ピカソ 剽窃の論理」を書いたのかな?
手持ちの作品をどうやって料理して展覧会に仕立てるかは、キュレーターの腕の見せどころだと思うが、これはそのお手本のような企画である。
美術史や美学を学んだ人なら一度はきいたことがありそうな有名なことばに、関係ある作品を組み合わせて、ペアで展示しているのだ。
このキュレーティングで、とりわけすごいな~と思ったのは2点。
ひとつは、作品の選択である。ピカソの言葉にはピカソの版画を添えているが、いつでもそのような選択ができるほど、道立近代美術館のコレクションは恵まれていない(これはしかたがない)。
そこで、セザンヌの言葉に栃内忠男のリンゴの絵を組み合わせるなど、うまいくふうをしているのだ。
2点目は簡にして要を得た解説文。
美術館で、作品の横についた解説文は、時としてわかりきったこと(写実的な絵の横で「花を描いています」などの説明をするなど)を書いて、ムダに長くなっているときがあり、読む気が失せるものだが、今回は必要最低限の文章で、作品についての説明は思い切って簡略化している。
啓蒙的であることを批判する人がいる。
しかし筆者は、どんどん啓蒙的にやってもらいたいと思う。啓蒙が必要ないのは、もともと教養のある人だけだ。専門家が「こんなことは普通、知ってるでしょ」と考えがちなことでも、人は意外に知らないものなのだ。
以下、アートをめぐることばと、展示作品の一覧。
現代美術に偏らないコレクションの同館で、戦後の美術作品を中心に展示するのは大変だったとおもう。版画や、ガラス作品も展示している。
芸術作品の大多数は縮減模型である。(レヴィストロース)
ジェイ・マスラー「街景」
ウラジミール・コベツキー「田舎の駅」
ダナ・ザーメチニーコヴァ「空中浮揚」
芸術は自然を模倣する。(アリストテレス)
鹿子木孟郎「裸婦」
自然は芸術を模倣する。(ワイルド)
鈴木武子「歩む女」
これはパイプではない。(マグリット)
ルネ・マグリット「イメージの裏切り(これはパイプではない)」「宝石」「魅せられた領域:大鳥は宝石島の鳥である…」「海上の魅惑的な舟は…」「若い眼差しの格子は古木の祝祭をかぐわしいものにする」「マ・メール・ロワ(マザー・グース)」
シュルレアリスム絵画は存在しない。(ナヴィル)
スタンレイ・ウィリアム・ヘイター「サーカス」「呑気な都会」「手相術」「祈り」「スペイン人」「新年の挨拶状」「第三の人」「開花」「針の穴」
何も模倣したくないと思う者は何も生み出さない。(ダリ)
サルヴァドール・ダリ「シュルレアリスム的な時間の眼」「蝶に囲まれたダリのシュルレアリスム的な肖像」「シュルレアリスム的な時計の看護」「天空の象」
優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む。(ピカソ)
パブロ・ピカソ「夜、少女に導かれる盲目のミノタウロス」
りんごは動かないぞ! (セザンヌ)
栃内忠男「コンポジション“群”<リンゴ>」
あらゆる芸術は音楽の状態を憧れる。(ペイター)
難波田龍起「秋の詩」
神は細部に宿る。(ヴァールブルグ)
渡会純价「La vie en Rose」
芸術は爆発だ。(岡本太郎)
鎌田俳捺子「北の夜空」
岩田久利「花器」
芸術は理解するために存在するのではない。(ボイス)
ルイ・カーヌ「現代 絵画 1」
同じ事を繰り返していてもできあがったものひとつひとつは違う。(バイルレ)
トーマス・バイルレ「僕をジムと呼んでくれ」
ネクタイとかスカートの模様程度のモティーフが絵画作品なのか。
ブリジット・ライリー「VIVA」
崇高はいま。(ニューマン)
佐佐木方斎「グループ」
ことばはアートである。(ホルツァー)
ホルツァー(キャップ及びTシャツ)
高橋喜代史「2つの音」
川上大雅「not a liar. / only a liar.」
宮島達男「Monism / Dualism №6」
ライリーの絵画に付されたことばは、ある有名な美術史家のものだが、メモするのを忘れてきた。
どうでもいいことだが、この絵は、坂野上明 氏からの寄贈の由。北海道新聞社の元社長である。こんな巨大な絵が自宅にあったのか。
マグリットはリトグラフ、ピカソとダリは銅版画である。
それにしても、ピカソのことばはカッコイイね。高階秀爾さんはここから発想して「ピカソ 剽窃の論理」を書いたのかな?