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(承前)
川田喜久治さんは1933年(昭和8年)生まれの写真家。
エージェンシーVIVOを、奈良原一高、東松照明、細江英公氏らとともに発足させた(1959~61)、日本の戦後写真界を代表する一人である。
第12回東川賞を受賞している。
筆者は2009年、今回足を運んだPGIのギャラリーがまだ湾岸の芝浦にあったころに彼の個展を見て、驚嘆した。なので、今回の上京にあたって、いちばんはじめに見ることを決めたのは、実はこの個展なのである。
写真集もほしいのだが、代表作である『地図』は、復刊されたものの、5万円(税別)なのでちょっと手が出ない(PGIは、ギャラリーのほか店舗も併設していて、これらの写真集も置いてあった)。
東松照明や森山大道は多くの人に巨匠として知られているが、川田喜久治の認知度はまだ足りないのではないかと思う。多くの人に見てもらいたい個展だ。
さて、この個展について、PGIのサイトから引用します。
「ロス・カプリチョス」がスペインの大画家ゴヤの版画集で、人間の愚かしさを寓意や幻想を織り交ぜて表現した、「戦争の惨禍」と並ぶすごい版画集であることは、読者の皆さんもご存じだと思う。
川田の写真自体は、夢魔が出てきたり、魔女がほうきにまたがって空を飛んだりといった表現が出てくるわけではないし、あからさまに風刺的であるわけではない。
また、副題に「インスタグラフィー」とあるが、画面が正方形になっているわけでもない。
1959年の「Pink room(茨城)」から、昨年に東京の街角で撮ったものまで、雑多なイメージがスナップ的な手法で、平面インスタレーションのように陳列されている。ちなみに、59年の写真はカラーで、ピンク色の室内の花をとらえたもの。モノクロでは、60年に東大で撮った「The Embryo by accident」が最も古い(ホルマリン漬けの畸形の胎児を写している)。数えたら全部で89枚だった。
誰が見ても社会風刺に見えるイメージではないのだが、見ているうちにじわじわくる作品が多い。
ギャラリーのサイトでもメインビジュアルとして採用されている、暑さのために溶融してゆがむアスファルトの矢印や、住宅地の中で所在なさげに立つゴジラの模型、アポロ計画で月面に立つ宇宙飛行士を描いた壁画の下で座り込んで行列をつくって何かを待っている家族連れ(The Space Square 78年、東京―とある)…。
「Jumbo jet 1978、東京」という作品は、銀色に輝く飛行機の風船が公園らしい緑地に落ちている光景。何でもない風景なのに、現実の飛行機事故などを連想させずにはおかない。
「Black Rain」は、塗料がいくつかの筋になって流れ落ちているような模様を撮っているが、撮影地が「Hiroshima」となっていることで、見る人の意識を被爆地へと連れ去る。
筆者がいちばんどきっとしたのは、茨城で75年に撮影された「Car Wash」。
自動車が洗車場に入っていく場面のスナップなのだが、洗車場の入り口にのれんのようにつり下げられている赤い垂れ幕がちぎれていて、まるで摩天楼が炎上しているように見えたのだ。
川田喜久治は言葉であからさまに語るわけではない。しかし、先の戦争に対し、米国に対し、日本社会に対し、<何か>を言いたがっていることは、ひりひりとした感覚を伴って、伝わってくる。
彼の写真は、なにげないスナップであるにもかかわらず、プリントされたものと向き合うことがすなわち戦後という時代に向き合うことに直結するような、そんな写真なのだと思う。
2018年1月12日(金)~3月3日(土)午前11時~午後7時(土曜~午後6時)、日曜祝日休み
PGI PHOTO GALLERY INTERNATIONAL(港区東麻布2-3-4 TKBビル3階)
関連記事へのリンク
2009年5月13-15日 ポンカメ購入
川田喜久治写真集
川田喜久治作品展「遠い場所の記憶:メモワール1951-1966」 09年東京(11)
川田喜久治さんは1933年(昭和8年)生まれの写真家。
エージェンシーVIVOを、奈良原一高、東松照明、細江英公氏らとともに発足させた(1959~61)、日本の戦後写真界を代表する一人である。
第12回東川賞を受賞している。
筆者は2009年、今回足を運んだPGIのギャラリーがまだ湾岸の芝浦にあったころに彼の個展を見て、驚嘆した。なので、今回の上京にあたって、いちばんはじめに見ることを決めたのは、実はこの個展なのである。
写真集もほしいのだが、代表作である『地図』は、復刊されたものの、5万円(税別)なのでちょっと手が出ない(PGIは、ギャラリーのほか店舗も併設していて、これらの写真集も置いてあった)。
東松照明や森山大道は多くの人に巨匠として知られているが、川田喜久治の認知度はまだ足りないのではないかと思う。多くの人に見てもらいたい個展だ。
さて、この個展について、PGIのサイトから引用します。
「ロス・カプリチョス」は、1972 年に『カメラ毎日』で連載したのを皮切りに写真雑誌で散発的に発表され、1986 年にはフォト・ギャラリー・インターナショナル(現PGI)で個展を開催しましたが、その後1998 年に「ラスト・コスモロジー」、「カー・マニアック」と共に、カタストロフ三部作の一つとして写真集『世界劇場』にまとめられただけで、「ロス・カプリチョス」として一つの形にまとめられたことはありませんでした。
本展「ロス・カプリチョス –インスタグラフィ– 2017」は、1960 年代から1980 年代初めまでに撮影された中から、未発表作品を含め新たに New Edition として再構成し、更に近年2016 – 2017 年に撮影した作品を『続編』として編んだものです。
「ロス・カプリチョス」がスペインの大画家ゴヤの版画集で、人間の愚かしさを寓意や幻想を織り交ぜて表現した、「戦争の惨禍」と並ぶすごい版画集であることは、読者の皆さんもご存じだと思う。
川田の写真自体は、夢魔が出てきたり、魔女がほうきにまたがって空を飛んだりといった表現が出てくるわけではないし、あからさまに風刺的であるわけではない。
また、副題に「インスタグラフィー」とあるが、画面が正方形になっているわけでもない。
1959年の「Pink room(茨城)」から、昨年に東京の街角で撮ったものまで、雑多なイメージがスナップ的な手法で、平面インスタレーションのように陳列されている。ちなみに、59年の写真はカラーで、ピンク色の室内の花をとらえたもの。モノクロでは、60年に東大で撮った「The Embryo by accident」が最も古い(ホルマリン漬けの畸形の胎児を写している)。数えたら全部で89枚だった。
誰が見ても社会風刺に見えるイメージではないのだが、見ているうちにじわじわくる作品が多い。
ギャラリーのサイトでもメインビジュアルとして採用されている、暑さのために溶融してゆがむアスファルトの矢印や、住宅地の中で所在なさげに立つゴジラの模型、アポロ計画で月面に立つ宇宙飛行士を描いた壁画の下で座り込んで行列をつくって何かを待っている家族連れ(The Space Square 78年、東京―とある)…。
「Jumbo jet 1978、東京」という作品は、銀色に輝く飛行機の風船が公園らしい緑地に落ちている光景。何でもない風景なのに、現実の飛行機事故などを連想させずにはおかない。
「Black Rain」は、塗料がいくつかの筋になって流れ落ちているような模様を撮っているが、撮影地が「Hiroshima」となっていることで、見る人の意識を被爆地へと連れ去る。
筆者がいちばんどきっとしたのは、茨城で75年に撮影された「Car Wash」。
自動車が洗車場に入っていく場面のスナップなのだが、洗車場の入り口にのれんのようにつり下げられている赤い垂れ幕がちぎれていて、まるで摩天楼が炎上しているように見えたのだ。
川田喜久治は言葉であからさまに語るわけではない。しかし、先の戦争に対し、米国に対し、日本社会に対し、<何か>を言いたがっていることは、ひりひりとした感覚を伴って、伝わってくる。
彼の写真は、なにげないスナップであるにもかかわらず、プリントされたものと向き合うことがすなわち戦後という時代に向き合うことに直結するような、そんな写真なのだと思う。
2018年1月12日(金)~3月3日(土)午前11時~午後7時(土曜~午後6時)、日曜祝日休み
PGI PHOTO GALLERY INTERNATIONAL(港区東麻布2-3-4 TKBビル3階)
関連記事へのリンク
2009年5月13-15日 ポンカメ購入
川田喜久治写真集
川田喜久治作品展「遠い場所の記憶:メモワール1951-1966」 09年東京(11)
(この項続く)