(長文です)
むかし、商業主義という言葉があった。
いまでもスポーツの世界ではしばしば使われているようだ。
文化、芸術の世界では、批判の語としては、めっきり影が薄くなった。
言い換えれば、金儲け優先主義ということだ。
井上陽水や松任谷由実といったミュージシャンはあまりテレビに出ない。
これは「シングルよりアルバムを聴いてほしい」という戦略的要素もあるが、元をただせば、フォーク/ニューミュージックのアーティストは、商業主義的なメディアであるテレビには出ないのが不文律だったから-という面もある。
加藤登紀子も、テレビに出演しただけで、全共闘の学生たちからそういう批判を浴びたと回想していたことがあった。
いまにして思えば、これは不思議なことである。
誰だってお金を稼がなければ生きてはいけない。
あくまで推測だが、この考えには二つの異なる思想が背景にあると思う。
ひとつは、「武士は食わねど高ようじ」という旧来の考え。
もうひとつは、資本主義がいっさいのもの(労働力をふくむ)を「商品」化していくことへの、マルクス主義的な反撥。
だけど、金をかせぐことを非難されるなんて、じゃ、アーティストはどうやって食べていけばいいと言うんだろう。
あらためて言うまでもないけれど、アーティストがアートでメシを食っていくのは非常にきびしい。
純文学作家や詩人は大半が別に職業を持っている。美術家も、学校の先生を兼ねていたりする例がほとんどだ。
とくに美術の場合、道内は首都圏や名古屋圏、関西に比べて極端にマーケットが小さいといわれており、絵や彫刻などを売って生計を立てていくのはきわめて困難だ。
まして、現代美術のパフォーマンスやインスタレーションの場合、売りようがない作品形態である。
http://dduueett.exblog.jp/10862517/
11月28日までひらかれていたグループ展「くだらない展覧会02」の会場で流れていたアートユニット「二重奏♪」のビデオを見た。
(You Tube にあれば、ここに貼りつけようと思ったけど、見当たらなかった)
若い女性二人が、等身大ののし袋と給料袋に身を包み、「好きですお金♪」とデュエットする姿と、すすきのなどでアートへの募金を道行く人にお願いする場面が、交互に収められている。
「うーむ。ここまでやるか」
と思った。
というのは、筆者は、このユニットのことも、「くだらない展覧会02」の資金にしようと企てたプロジェクトのことも、まったく知らなかったのだ。
「真剣にふざける」
という展覧会の趣旨(なんだか、かいけつゾロリの「まじめにふまじめ」を思い出しちゃったけど)からすると、このプロジェクトも最初は、おもしろおかしくやるというスタイルだったのかもしれない。
しかし、たしかにふざけた映像ではあるのだけど、ふたりを無視していく通行人の姿や、あるいは、ろくに説明も聞かないのに気前よく紙幣をハコに入れていく人の姿を見ていると
「お金って、なんだろう」
という、けっこう根源的な問いに行きあたらざるを得ないのだ。
そりゃ、経済学的な意味で貨幣とは何かを説明することはできる。
しかし、そういう意味づけは、アートの世界ではどこかしっくりこないものが残る。
それはそうだ。経済学は「合理的な人間」を前提とするけれど、アートはどこまでいっても「合理的な」ものではあり得ないからだ。
とりわけ美術品の世界のお金というのは不思議なもので、高額な絵は億単位だし、逆に、どんなすばらしい作品でも無名画家のものならその数千分の一の価格しかつかない。物置から見つかった絵が、有名画家のものであることが分かったとたん何千倍もの価格につり上がることだってある。
ふたりがかせいだ明細書が会場の壁に張り出されていたけれど、どうしてこの金額なのか、合理的な説明はだれにもできないはずだ。
それは、社会の中におけるアートの位置の微妙さ、あいまいさの、反映でもあるような気がする。
というわけで、さっぱり結論めいたものの見えてこない文章で申し訳ない。
展覧会の概要は以下の通り。
2009年11月13日(金)-28日(土)1:00-11:00、日曜・祝日・17日休み
CAI02(中央区大通西5 昭和ビル地下2階 地図B)
□冬華さんの留学日記
■進藤冬華 凧揚げ~はせちゃん、すぎちゃん、ちーちゃんと共に(2002年)
■進藤冬華「砂丘と波」(2002年)=3月10日の項
■リレーレクチャー4000万キロ報告展(2001年)
むかし、商業主義という言葉があった。
いまでもスポーツの世界ではしばしば使われているようだ。
文化、芸術の世界では、批判の語としては、めっきり影が薄くなった。
言い換えれば、金儲け優先主義ということだ。
井上陽水や松任谷由実といったミュージシャンはあまりテレビに出ない。
これは「シングルよりアルバムを聴いてほしい」という戦略的要素もあるが、元をただせば、フォーク/ニューミュージックのアーティストは、商業主義的なメディアであるテレビには出ないのが不文律だったから-という面もある。
加藤登紀子も、テレビに出演しただけで、全共闘の学生たちからそういう批判を浴びたと回想していたことがあった。
いまにして思えば、これは不思議なことである。
誰だってお金を稼がなければ生きてはいけない。
あくまで推測だが、この考えには二つの異なる思想が背景にあると思う。
ひとつは、「武士は食わねど高ようじ」という旧来の考え。
もうひとつは、資本主義がいっさいのもの(労働力をふくむ)を「商品」化していくことへの、マルクス主義的な反撥。
だけど、金をかせぐことを非難されるなんて、じゃ、アーティストはどうやって食べていけばいいと言うんだろう。
あらためて言うまでもないけれど、アーティストがアートでメシを食っていくのは非常にきびしい。
純文学作家や詩人は大半が別に職業を持っている。美術家も、学校の先生を兼ねていたりする例がほとんどだ。
とくに美術の場合、道内は首都圏や名古屋圏、関西に比べて極端にマーケットが小さいといわれており、絵や彫刻などを売って生計を立てていくのはきわめて困難だ。
まして、現代美術のパフォーマンスやインスタレーションの場合、売りようがない作品形態である。
http://dduueett.exblog.jp/10862517/
11月28日までひらかれていたグループ展「くだらない展覧会02」の会場で流れていたアートユニット「二重奏♪」のビデオを見た。
(You Tube にあれば、ここに貼りつけようと思ったけど、見当たらなかった)
若い女性二人が、等身大ののし袋と給料袋に身を包み、「好きですお金♪」とデュエットする姿と、すすきのなどでアートへの募金を道行く人にお願いする場面が、交互に収められている。
「うーむ。ここまでやるか」
と思った。
というのは、筆者は、このユニットのことも、「くだらない展覧会02」の資金にしようと企てたプロジェクトのことも、まったく知らなかったのだ。
「真剣にふざける」
という展覧会の趣旨(なんだか、かいけつゾロリの「まじめにふまじめ」を思い出しちゃったけど)からすると、このプロジェクトも最初は、おもしろおかしくやるというスタイルだったのかもしれない。
しかし、たしかにふざけた映像ではあるのだけど、ふたりを無視していく通行人の姿や、あるいは、ろくに説明も聞かないのに気前よく紙幣をハコに入れていく人の姿を見ていると
「お金って、なんだろう」
という、けっこう根源的な問いに行きあたらざるを得ないのだ。
そりゃ、経済学的な意味で貨幣とは何かを説明することはできる。
しかし、そういう意味づけは、アートの世界ではどこかしっくりこないものが残る。
それはそうだ。経済学は「合理的な人間」を前提とするけれど、アートはどこまでいっても「合理的な」ものではあり得ないからだ。
とりわけ美術品の世界のお金というのは不思議なもので、高額な絵は億単位だし、逆に、どんなすばらしい作品でも無名画家のものならその数千分の一の価格しかつかない。物置から見つかった絵が、有名画家のものであることが分かったとたん何千倍もの価格につり上がることだってある。
ふたりがかせいだ明細書が会場の壁に張り出されていたけれど、どうしてこの金額なのか、合理的な説明はだれにもできないはずだ。
それは、社会の中におけるアートの位置の微妙さ、あいまいさの、反映でもあるような気がする。
というわけで、さっぱり結論めいたものの見えてこない文章で申し訳ない。
展覧会の概要は以下の通り。
こっけいな作品ばかりを集めた展覧会。真剣にふざける作家10組が出品。石倉美萌菜、岡崎真哉、兼田泰成、Sothepy's、キチ谷地川、Janet Lilo、高橋喜代史、徳田直之、二重奏♪、ぴたぱん
2009年11月13日(金)-28日(土)1:00-11:00、日曜・祝日・17日休み
CAI02(中央区大通西5 昭和ビル地下2階 地図B)
□冬華さんの留学日記
■進藤冬華 凧揚げ~はせちゃん、すぎちゃん、ちーちゃんと共に(2002年)
■進藤冬華「砂丘と波」(2002年)=3月10日の項
■リレーレクチャー4000万キロ報告展(2001年)
芸術は経済活動とイコールじゃないのである程度、現在の自由がゆるされているのだろうと思います。顧客のニーズには直接答えなくていいから作家は自分に好きなだけ固執した表現を制作していられるわけです。その自由世界がアートの大きな魅力でもあるでしょうしそこに時代との共時性が生まれてくることが期待もされ人々は美術作品を見たいとも思うのだと思います。そして見たいということとその作品を所有したいということはまた別次元にある感覚なのでアートを一元的に商品化・経済化することは難しいことですね。だから見せたい見るという価値に美術館では入場料をとったりするわけです。
また作品を売りたいという場合作品はある程度他者へのうったえかけ方やその方法に社会のニーズや経済的価値を創出し添加させる必要があるのですね。
見せ方やしかけです。アメリカ80年代のアンディーウォーホールのように広告戦略とその人脈にたけていることも才能ということが出来るのかもしれません。この人は完全に商業的成功を目指していたのでしょう。大衆にポップという方法でうったえダークを排し商業的に成功したということだと思います。時代の空気に合わせベルベットアンダーグラウンドというバンドを世に出し、ローリング・ストーンズのジャケット
まで制作するわけですからね。自分のイメージを完全に作った。最近はアートに傾倒しているようですが日本で言うと一時は高円寺あたりのアングラ演劇の公演まで網羅していた情報雑誌「ぴあ」の表紙をかざったり、サンタナのアルバム「アミーゴ」のジャケットを制作した70年代から80年代の横尾忠則という感じでしょうか?
生前には浮かばれないゴッホのような人から成功者に見えるピカソ・近代では若手に見えるダリはチュッパチャプスキャンディーの包装デザインまでしていますから・・作家のなかには様々なタイプがいるわけです。
これは一概にアートと言う世界は一つにはくくれなくてだから自由で全体は混沌と見えるのだと思います。作家ないしギャラリー=見る側の一人一人の思い込みが創り上げている幻想世界ともいえるのでしょう。もともと人は他者の世界観を100%はわかりません。アートはその個人個人がある種妄想し想像した世界の結果や断片の集合体といえるでしょう。そしてその広大無辺な人間意識を反映させようとしているのがアートでもあるのですからこの世界はとてもダイナミックな側面もあるわけです。
経済システムが崩壊しはじめている現代、経済システムに振り回されずに経済フローの掟にもそむかず人間意識活動のフローを日々探りアプローチすることでアートも経済もフローしてくる瞬間はつくれると思います。ただ現状を打開するには一旦今の一般常識の外側に出ないと進行しないと思います。そういった時代の閉塞的な空気観を人々は読んでいますので一方でアートが期待されているのだとも思うのです。何処かにいいアイデアはないのか?と。そこが資本主義システムの中枢にいる人間からみるとアートの世界は自由で魅力的?に見えるのでしょう。
実際にアートの世界はどうかというとまだ迷ってる、揺るぎないように見える経済システムとそのなかで自分の感性を目的に向けてあるいは純粋に実験し何かを生み出そうとする意識の日々のバトルともいえるかもしれません。そういう意味では昨年の「くだらない展覧会」は自嘲的なタイトルをつけつつこの経済化自由主義の世界に真剣に「くだらなさ」を提示してくれた貴重な展覧会イベントだったと思います。
さてヤナイさん定期的に使用期限つきのアート通貨を作ってアート界に対価使用していただき使用後は無期限に何にでも使えるというシステムはどうでしょうか?文化育成?
文章最近よく読ませて頂いております。長文になってしまいました、今年もよろしくお願い致します。
アンディー・ウォーホールとベルベットアンダーグラウンドに関してはファースト
アルバムのバナナのジャケットがアルバムの中身よりもかなり有名。紙ジャケの時代あれはバナナの皮の部分がシールになってて剥がせたんです。ちなみにウォーホールはベルベットのファーストアルバムにのみに(立ち上げに)参加したということです。
日本で言うとフラワートラベリンバンド(Vo.ジョー山中)と内田裕也の関係性に近いか?内田裕也は強面だがメディアの使い方がうまい。ああしてないと出られないだろうけど・・先日民主党の文化予算のミーティングにも非公式?に参戦してメディアにコメントを出していた。「ああいう席に画家とかミュージシャンがいないとだめなんだ」と。
インタビュアーが「内田さんが参加したいということでしょうか?」と聞いたら「オレはいいけど・・矢沢永吉君に」と言ってました。ある種この人も状況を作るのがうまい?ですね。
お正月なので少しロックよりの話題になりましたが・・
坂本龍馬人気などを見ても時代は庶民派の少し強いバイブレーションを求めている気がします。
知的で洗練された世界もいいのですがもっとやっていい=面白くするという意味ではこの辺に現在の北海道のアートシーンが今後学ぶべき世界があるかもしれません。
ART-MANgallery
Kohtaro Noguchi
(北海道美術ネットは長文歓迎なのです)
何から答えたらよいのか分かりませんが、野口さんなりにずいぶん考えてらっしゃるんだなーと感服いたしておるところです。
えーと、「ぴあ」の表紙は横尾忠則じゃなくて、及川正通です。
で、わたしが言いたいのは、15年ぐらい前までなら、仕事をちゃんともって、あいた時間にアートに携わるという選択肢はフツーにありえたと思うんです(そもそもわたしがそう)。
しかし、バブル崩壊後、正社員への道が狭まってきた。
にもかかわらず、世の中は「夢を持て」「個性が大事」という風潮になってきてるわけです。
「なかなか食えない」状況と「夢を持つのが大切」というメッセージ。こんなの両立できるわけないべやー。
若い人は、ツライと思うなあ。
散漫なコメントですいません。これからもどしどし書き込んでいただければうれしいです。
ご指摘もありがとうございます。
そうですね。フリーターという言葉の発祥時代からすると現在は庶民を社会が再登録したがってるという感じがします。
自由はゆるさないぞと。少しでも納税しなさい使い方はわれわれが決めますと。資本側は必死に正社員=経済保証という概念を植え付けているわけです。でも国際社会をみてもリーマンショックみたいなことが平気であるわけですからどこかに絶対的な保証があるわけではないわけです。それでいてあたらしいアイデアはほしいと・・。
アーティストを含めて若いひと達は自分の内面世界を見つめればそれは個性であることは間違いないので好きなだけ進めていいと思います。自己責任はあたりまえなのですから仕事がしたければプレゼンでも商品開発でもアルバイトでも毎日したい仕事をどしどしすればいいと思います。そうすれば自然に実力がつくはずですから。そこにただ生きるのではなく
自分の思い切った夢という目的があればひとは幸せを感じることが出来るのです。量子力学でもいうわれわれは情報空間にも生きているという概念です。一見閉塞的な情報が多いなかでこれに惑わされずに自分の可能性を自由に大いにのばすそういう意識や世界も確実に生まれてきているのを感じています。そういう意味で個人が主体的に情報を収集できるインターネットはとても便利な空間だと思います。自分を肯定できる情報を収集して自由に頭脳を構築できるのですから。世界は今こういった空間に広がってきているので物理的経済社会が閉塞的なのです。
夢を含め抽象的空間にこそ未来は存在
していてそこを説明するのに経済を含めた物理的共有空間が存在してきているのかもしれません。
不況だとか商業主義だろうが、世の中がどうあれ、アートは続いていきますもんね。若い人は、アートでもなんでも、とにかく経験を積んで、自分のものにしていくしかないでしょうね。
話は変わりますが、アートマンのブログ、ヤバイっすね。
You Tubeいっぱいはりつけてあるほうのブログです。
最近よく聴いてますよ~。
ロックもいいけどチルアウト系も昔から好きなんで。
自分も含めアーティストや若い人は必然的に
さらに次元上昇するしかない状況を自分で作って
いますから。あとは社会側が植え付けてゆく恐怖心などを解除することこれが現代の大人の仕事でもあると思います。可能性を追求しないと元気に生きていけませんしそもそも未来は不確定性原理の法則により・・誰かが作っているわけではないのですからね。だまされずに自分たちで作ればいいわけです。これが民主主義です。Power to the peopleです。
あとは量子論とか空の教えみたいなところにいっちゃいますが・・
21世紀には必要な概念だと思いますしアートマンでも若い人たちにはそう話しています。
そして!
ブログの視聴ありがとうございます。
まだ一ヶ月くらいで、すごく実験的にはじめてるんですがヤナイさんにはじめて感想をお聞き出来ました。とてもうれしいです。
内容はすごくヤバいと思います。こんなに世界がひろがっているんだと・・最近自分でも研究してサブリミナル音源の開発をしたいと思うようになりました。誰か賛同者はいないでしょうか?これから重要になってくる世界です。脳や意識が良くなる音源です。ここにある音源も意識が上昇するものばかりです。皆さん聴きにきてくださいね。
■そしてヤナイさん!紹介させてください。ありがとう。
VDJ:Dr.UROTAUKOSでブログやってます
音楽中心:
http://blog.livedoor.jp/gartman-gartman/
コラム文章とたまに音楽:
http://blog.livedoor.jp/gartman/
です。
それではまた・・
長文OKのブログうれしいです。応援しあいます。
Kohtaro Noguchi@ART-MANgallery
もう一度書くと、ああいう音をフロアでぼーっとしながら聴きたいなあってことです。
スピリチュアルな温泉、みたいですよね。
心と体の芯からリフレッシュして、透明になるみたいな感覚。
ただ、あまり「効能」を強調しても、だめだと思うんですよ。
そういう実利的なレベルから一歩高いところに上って、全身でゆっくり浴びる音楽ではないかという気がしました。
ご指摘もありがたいです。
一部では効能という分類がなされている音源も
あるのですが・・現在まだ実験・検証している段階です。
ひとの脳内ではある程度様々な周波数が存在していて
アルファー波は8~13Hzとかさらにその上のリラックス状態はシータ波で4~7Hzということです。ちなみに仏陀の脳波はこのへんにあったということなんですが。
そして最近調べてゆくうちにこの脳内の周波数を生むための音源周波数というものが別に存在していることがわかってきたんです。つまり一定の効能を目的とした耳から入るべき音源ですね。これはまだ直接はブログではあつかってないのですが近いもので安全なものはご紹介しています。ほとんど医学の世界なんですね。臨床心理学とか瞑想の世界・・。こうなると音楽というより波長が強くてほとんどただの音ということになります。「ピーー」とかそういう音源ですのでご家庭ではちょっとということになります。でもこれをヘッドホン着用で聴くとたしかに耳が良くなるんです。それで耳が良くなる=耳は集音
器官でマイクみたいなものですから限界もある。それじゃこれはなにかというと(聴覚部分の)脳が良くなってるんじゃないかと最近感覚的に気づいてきたんですよ。
脳はある波長周波数帯で機能しているそうですから・・。現在の医学でやってることでもまだ神経を毛細血管から推測理解しようとする物質物理器官としての脳の世界です。周波数で運営されている脳内のことはまだまだ未知の段階なんですね。
でもこの研究を進めればある場合肉体に直接メスを入れなくても脳を周波数で良くする治すということも可能になるかもしれません。今はこれを実生活にアプローチした聴きやすい機能別音楽をつくって・・など状況にあわせて聞く側が主体的に選択出来る音源を作れたらいいなと考えています。
また・・ついつい語っちゃいましたね。
ただヤナイさんのおっしゃるとおり現在のブログのセレクションはなかにはハードなものもありますが、わりあいソフトにしてありますので
温泉状態だと思います。民族音楽系もありますし
ご指摘の「こころと身体の芯からリフレッシュして透明になるみたいな感覚」というのがすごい的確だと思いますね。このコピー使いたいです。自宅で温泉!温泉音源とか・・
そういうのを開発するのもいいと思いました。最近知り合いが自宅にスタジオをつくったのですが一度遊びに行きたいなぁと思っているところです。あとは何処かの大学の研究室に行って脳波の実験や研究をしたいのですが・・。
コメントとても参考になります。
Kohtaro Noguchi@ART-MANgallery
なんか、急いでもうけて逃げようっていう魂胆を隠してるみたいで。
ほんとにいいものなら、あせって効能を直接的に語らなくても、じわっと広がって、それでよさが伝わるのではないかと思うのです。理想主義的すぎるかなあ。でも、まさに温泉ってそうですよね。「入れば必ず血圧がナンボ下がる!」と宣伝している温泉があれば、かえってあやしい。そんなこと言わなくても、入れば、数値には表れない良さがあることは、みんなわかると思うのです。
とはいえ、わたしの好きな70年代ジャーマンロックのPopol Vuhとかクラウス・シュルツなんかはけっしてメジャーになったわけじゃないですからねー。やっぱりすこしは「脳にいいぞ」とか言ったほうがいいのかな。
あと、Tangerine Dreamsの「リコシェ」とか、一時期ヘビロテでした。
そういうの、羽毛布団を集団催眠かけて売るんですよね。
お菓子配って。
表現方法も場合によっては様々な印象をひとに与えてしまうんですね。
広告もひとつの表現なんだろうな。
現代はまだまだファジーだ。
そしてそのジャーマンロックって超マニアックですねー。
どこで入手するんですか?そういうCDは・・。
僕もマニアックな部分ではネイティブアメリカンのシャーマニズムの音楽とかチベットお坊さんのマントラとかニューヨークのヨガチルとか聴きますよ。あとは細野晴臣の慣習した民族音楽集とか、ロックは70年代のが好きでサンタナやストーンズ、オールマンブラザースバンドとかグレートフルデッドあたりはアナログのレコード盤でかなりコレクションしています。今は針がなくて聴いてないんですが。最近はiTunesでSmooth Jazzを聴いてること多いんですが・・。
んーヤナイさんのコレクションはまだまだ奥が深そうですね~。興味深い。