室蘭出身の画家で、全道展の創立会員だった西村貴久子(1905-82年)の回顧展を見ました。うーん、よくわからなかった。。。
道立近代美術館が「日傘」を所蔵しており、それは何度か見てるんですが、まとめて見たのは初めて。
札幌では初となる回顧展(室蘭ではちょくちょく開かれているらしい)では、帝展に初入選した「F嬢」(1929年)から82年の絶筆まで油彩32点を陳列しています。
いちばん、まとまりが感じられたのは、60年の「断層」でした。北海道新聞社蔵って書いてあったけど、オレは見たことないぞ。モティーフは小樽のオタモイ海岸あたりかと思われます。
それ以降の、とくに70、80年代の絵は、きれいか汚いかというと、汚い感じの絵が多くなって、個人的にはあまり惹かれるものがありません。それより前の絵のほうが、田辺三重松とか中村善策などと共通するテイストがある、いわゆる日本的フォーブの絵で、すっと心に入ってくるような気がします。
ということなので、彼女の絵についてくわしく書くことはやめ、伝記的な話に関連することをちょこっと記すことにします。
彼女が上京したのは、1924年。山田順子(徳田秋声の愛人)を頼り上京、と年譜にありました。徳田秋声とは、日本の自然主義文学を代表する小説家です。代表作「黴(かび)」「爛(ただれ)」「あらくれ」「縮図」・・・などがあるらしいですが、あまり読む気をそそらないタイトルだなあ。
山田順子というのは、夫が小樽の弁護士だった関係で、喜久子と知り合ったんでしょうね。順子は夫が破産したこともあってたびたび上京し、1926年に妻が亡くなったばかりの秋声の序文を得て長篇小説「流るゝまゝに」を出版。装丁した竹久夢二と関係するほか、秋声とも恋愛関係になり、ふたりの仲はスキャンダルになります。
やっぱりねー。秋声と順子がツーショットでうつってる写真が会場に展示してあったんだけど、なんか、ただならぬ感じだったもん。
「あのふたり、怪しい」
っていう雰囲気がプンプン。
年の差は30以上あったとのこと。
この関係を題材にして、別れただいぶ後になって(1935-38年)秋声が書いた長篇が「仮装人物」なんだそうです。
(この段落、講談社文芸文庫「仮装人物」解説より)
会場のパネルに、貴久子が秋声宅に住んでいたとき、出入りしていた林芙美子、吉屋信子といった女流作家の会話を耳にして、文学志望をあきらめたという話がありましたが、さもありなんという感じですよね。
(もっとも、当時の女流作家がみんな奔放だったかというと、そうともかぎらないのでは)
いま林芙美子の名前が出たけれど、彼女には「下駄で歩いた巴里」という紀行文があるし、貴久子がそれを読んだのか、直接話を聞いたのかは分からないけれど、戦前に貴久子が満洲へ行ったことの背景に、林芙美子の存在があるんですね。
当時、満洲行きの船や満鉄のダイヤは、時刻表に載っており、日本人にとっては国内旅行の延長みたいな気分だったんでしょうね。
飛行機が一般的でなく欧米がいまよりはるかに遠かった戦前、事実上の日本支配下にあった当時の満洲や華北などは、外国気分を味あわせてくれる土地だったのだと思います。そういえば松島正幸も満洲に出かけているし、大月源二や三岸好太郎も現在の中国に旅しています。
2月7日(火)-12日(日) 10:30-19:00
さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図B)
(11日、名前の誤記を訂正しました)
道立近代美術館が「日傘」を所蔵しており、それは何度か見てるんですが、まとめて見たのは初めて。
札幌では初となる回顧展(室蘭ではちょくちょく開かれているらしい)では、帝展に初入選した「F嬢」(1929年)から82年の絶筆まで油彩32点を陳列しています。
いちばん、まとまりが感じられたのは、60年の「断層」でした。北海道新聞社蔵って書いてあったけど、オレは見たことないぞ。モティーフは小樽のオタモイ海岸あたりかと思われます。
それ以降の、とくに70、80年代の絵は、きれいか汚いかというと、汚い感じの絵が多くなって、個人的にはあまり惹かれるものがありません。それより前の絵のほうが、田辺三重松とか中村善策などと共通するテイストがある、いわゆる日本的フォーブの絵で、すっと心に入ってくるような気がします。
ということなので、彼女の絵についてくわしく書くことはやめ、伝記的な話に関連することをちょこっと記すことにします。
彼女が上京したのは、1924年。山田順子(徳田秋声の愛人)を頼り上京、と年譜にありました。徳田秋声とは、日本の自然主義文学を代表する小説家です。代表作「黴(かび)」「爛(ただれ)」「あらくれ」「縮図」・・・などがあるらしいですが、あまり読む気をそそらないタイトルだなあ。
山田順子というのは、夫が小樽の弁護士だった関係で、喜久子と知り合ったんでしょうね。順子は夫が破産したこともあってたびたび上京し、1926年に妻が亡くなったばかりの秋声の序文を得て長篇小説「流るゝまゝに」を出版。装丁した竹久夢二と関係するほか、秋声とも恋愛関係になり、ふたりの仲はスキャンダルになります。
やっぱりねー。秋声と順子がツーショットでうつってる写真が会場に展示してあったんだけど、なんか、ただならぬ感じだったもん。
「あのふたり、怪しい」
っていう雰囲気がプンプン。
年の差は30以上あったとのこと。
この関係を題材にして、別れただいぶ後になって(1935-38年)秋声が書いた長篇が「仮装人物」なんだそうです。
(この段落、講談社文芸文庫「仮装人物」解説より)
会場のパネルに、貴久子が秋声宅に住んでいたとき、出入りしていた林芙美子、吉屋信子といった女流作家の会話を耳にして、文学志望をあきらめたという話がありましたが、さもありなんという感じですよね。
(もっとも、当時の女流作家がみんな奔放だったかというと、そうともかぎらないのでは)
いま林芙美子の名前が出たけれど、彼女には「下駄で歩いた巴里」という紀行文があるし、貴久子がそれを読んだのか、直接話を聞いたのかは分からないけれど、戦前に貴久子が満洲へ行ったことの背景に、林芙美子の存在があるんですね。
当時、満洲行きの船や満鉄のダイヤは、時刻表に載っており、日本人にとっては国内旅行の延長みたいな気分だったんでしょうね。
飛行機が一般的でなく欧米がいまよりはるかに遠かった戦前、事実上の日本支配下にあった当時の満洲や華北などは、外国気分を味あわせてくれる土地だったのだと思います。そういえば松島正幸も満洲に出かけているし、大月源二や三岸好太郎も現在の中国に旅しています。
2月7日(火)-12日(日) 10:30-19:00
さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階 地図B)
(11日、名前の誤記を訂正しました)