北海道書道展などには、2-4文字程度の漢字作品を出している札幌のベテラン書家、山田さん。今回は、スカイホール全室を用いた個展で、半分を、白居易(白楽天)の名高い漢詩「長恨歌」を主題にした作品が占めており、いつもとはちょっとちがう山田さんの面が見られる展覧会になっています。
もっとも、古典にしっかり軸足を据え、直球勝負の作品(楷書=かいしょ=という意味ではない)という山田さんらしさは変わっていません。
「長恨歌」は、高校の漢文の時間に居眠りしていない人はご存じとは思いますが、中国の帝が楊貴妃という美人に熱烈な恋をし、政治をおろそかにして叛乱(はんらん)が起きる-という、史実にもとづいた長詩です。
まあ、ロマンティックとか、中国悠久の歴史の一こまとか、いろんな感想がありそうですし、古来日本文学にあたえてきた影響も大きい詩ではあるのですが、史上もっとも迷惑な恋愛でしょうね、これは。
この詩に高校時代出あい、ふかい感銘を受けた山田さんは、いつか書で長恨歌の世界を展開しよう-と、ずっと心にあたためていたんでしょうね。
会場に展示されていた、篆書(てんしょ)と、自作の文の近代詩文をくみあわせた大作には、作者の思いがぎっしりと詰まっているので、ここで全文を引くことにします。
半世紀あまりにわたる強烈なあこがれが、一読つたわってきます。
ただ、筆者がいちばんおどろいたのは、この「長恨歌」全文の「破体作」でした。
どういう作品かというと、一字一字、篆書(てんしょ)、隷書、楷書(かいしょ)、行書、草書と、字体が異なるのです。
かなのような連綿体でないにしても、漢字の書でも、それぞれの文字はひとつらなりの呼吸のもとに書かれていることがほとんどです。
この作品では、ひとつひとつの文字が独立しており、一種異様な感じすらあります。
もしかすると作者は、ここまで「長恨歌」を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにしているということを、示したかったのかもしれません。あるいは、この作品では、あくまで「長恨歌」は素材にすぎず、漢字ひとつひとつの書かれ方の可能性のようなものを前面に出したかったのかもしれません。
いずれにせよ、とてもユニークな大作でした。
第2部は、臨書もふくめ、山田さんにしてはめずらしい(と思う)少字数書の淡墨作品など。
多彩ながらも、やはり古典に根ざした、筋の通った書がならんでいました。
これで、東京での個展の半数程度しか陳列していないとのことですから、おどろきです。
会場では山田さんが登場するビデオも流されていて、小学校3年の時、担任から字の汚さを指摘されたことが書をはじめるきっかけになったことなどを語っていました。
山田さんの書歴と半生が凝縮された書展でした。
ところで、書の良しあしの判断がつかぬ筆者が、あらためて山田さんの書の真価をさとったのは、2002年にひらいた個展を、毎日新聞が夕刊文化面(東京本社版)でとりあげたことでした。
今回も、文化面、道内面にいろいろ記事が掲載されていたので、最後に引用しておきます。
山田さんは1936年、空知館内栗山町(当時は角田村)角田生まれ。
56年 栗山高校卒業、岩手大の書道科入学
57年 徳野大空に師事
60年 夕張北高書道科教諭(のち夕張高に統廃合)
71年 札幌西高書道科教諭。「虚心会」設立
73年 北海道書道展審査会員
78年 書究文化書芸院創立。「書究」誌発刊
79年 札幌西高を退職。書業に専念
85年 札幌グランドホテル特設会場で第3回個展
90年 毎日展審査会員
91年 中国西安市・書画家〓栄強氏と二人展(〓は「曜」のつくり)
96年 スカイホールで還暦書展
2000年 中国洛陽市、龍門碑林「登龍門」建碑
02年 東京毎日アートサロンで第5回書展
03年 北海道新聞社主催「北海道の書」展出品
04年 毎日書道会「現代の書100人展」出品
05年 ウクライナ・キエフ市、現代日本代表書作品展出品
06年 日韓文化交流書展、訪韓団団長
中国連運港市、日中交流書展出品
まず、7月の東京展を報じる夕刊文化面から。
つづいて、毎日道内版から。
おなじく毎日の道内版から。
07年8月21日(火)-26日(日) 10:00-18:00
スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階 地図B)
07年7月10日(火)-15日(日) 10:00-18:00(最終日-17:00)
東京銀座画廊美術館(東京都中央区銀座2-7-18 銀座貿易ビル7階)
□書究文化書芸院のサイト http://www.syokyuin.net/index.html
もっとも、古典にしっかり軸足を据え、直球勝負の作品(楷書=かいしょ=という意味ではない)という山田さんらしさは変わっていません。
「長恨歌」は、高校の漢文の時間に居眠りしていない人はご存じとは思いますが、中国の帝が楊貴妃という美人に熱烈な恋をし、政治をおろそかにして叛乱(はんらん)が起きる-という、史実にもとづいた長詩です。
まあ、ロマンティックとか、中国悠久の歴史の一こまとか、いろんな感想がありそうですし、古来日本文学にあたえてきた影響も大きい詩ではあるのですが、史上もっとも迷惑な恋愛でしょうね、これは。
この詩に高校時代出あい、ふかい感銘を受けた山田さんは、いつか書で長恨歌の世界を展開しよう-と、ずっと心にあたためていたんでしょうね。
会場に展示されていた、篆書(てんしょ)と、自作の文の近代詩文をくみあわせた大作には、作者の思いがぎっしりと詰まっているので、ここで全文を引くことにします。
長恨歌との
出会いは高三
教頭先生の朗読は
魔法の鈴の音
少年の心を遠い遠い
長安の都へと運んだ
以来五十余餘年
中國への旅三十数回
西安へ遊ぶこと十一回
兵馬俑で秦をかいま見
華清池で
唐の都を想う
楊貴妃は
天性の麗質
もとめられて
玄宗皇帝のもとへ
短かい生涯のすべてを
楊貴妃は皇帝のために
玄宗皇帝の
すべてが楊貴妃だった
二人の愛を
唐の詩人白楽天は
長恨歌八百四十字に
永遠に語り傅えた
楊貴妃を亡くした
玄宗は悲しい
長恨歌に憧れた
少年はいま古稀
半世紀あまりにわたる強烈なあこがれが、一読つたわってきます。
ただ、筆者がいちばんおどろいたのは、この「長恨歌」全文の「破体作」でした。
どういう作品かというと、一字一字、篆書(てんしょ)、隷書、楷書(かいしょ)、行書、草書と、字体が異なるのです。
かなのような連綿体でないにしても、漢字の書でも、それぞれの文字はひとつらなりの呼吸のもとに書かれていることがほとんどです。
この作品では、ひとつひとつの文字が独立しており、一種異様な感じすらあります。
もしかすると作者は、ここまで「長恨歌」を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)のものにしているということを、示したかったのかもしれません。あるいは、この作品では、あくまで「長恨歌」は素材にすぎず、漢字ひとつひとつの書かれ方の可能性のようなものを前面に出したかったのかもしれません。
いずれにせよ、とてもユニークな大作でした。
第2部は、臨書もふくめ、山田さんにしてはめずらしい(と思う)少字数書の淡墨作品など。
多彩ながらも、やはり古典に根ざした、筋の通った書がならんでいました。
これで、東京での個展の半数程度しか陳列していないとのことですから、おどろきです。
会場では山田さんが登場するビデオも流されていて、小学校3年の時、担任から字の汚さを指摘されたことが書をはじめるきっかけになったことなどを語っていました。
山田さんの書歴と半生が凝縮された書展でした。
ところで、書の良しあしの判断がつかぬ筆者が、あらためて山田さんの書の真価をさとったのは、2002年にひらいた個展を、毎日新聞が夕刊文化面(東京本社版)でとりあげたことでした。
今回も、文化面、道内面にいろいろ記事が掲載されていたので、最後に引用しておきます。
山田さんは1936年、空知館内栗山町(当時は角田村)角田生まれ。
56年 栗山高校卒業、岩手大の書道科入学
57年 徳野大空に師事
60年 夕張北高書道科教諭(のち夕張高に統廃合)
71年 札幌西高書道科教諭。「虚心会」設立
73年 北海道書道展審査会員
78年 書究文化書芸院創立。「書究」誌発刊
79年 札幌西高を退職。書業に専念
85年 札幌グランドホテル特設会場で第3回個展
90年 毎日展審査会員
91年 中国西安市・書画家〓栄強氏と二人展(〓は「曜」のつくり)
96年 スカイホールで還暦書展
2000年 中国洛陽市、龍門碑林「登龍門」建碑
02年 東京毎日アートサロンで第5回書展
03年 北海道新聞社主催「北海道の書」展出品
04年 毎日書道会「現代の書100人展」出品
05年 ウクライナ・キエフ市、現代日本代表書作品展出品
06年 日韓文化交流書展、訪韓団団長
中国連運港市、日中交流書展出品
まず、7月の東京展を報じる夕刊文化面から。
山田太虚古稀記念書展:長恨歌のロマン追う
山田太虚古稀記念書展が15日まで、東京銀座画廊・美術館(地下鉄銀座一丁目駅)で開かれている。東京での個展は毎日アートサロン(2002年)に続いて2度目。
古稀展のテーマは長恨歌。49歳の個展で全840字を書いて発表。今回は以後の書人としての歩みを問う試みだ。
第1室。縦224センチ×横53センチの白い紙30連に行草体で書いた「長恨歌三十連」、部分。同じ寸法の3種類の赤い紙に篆・隷・楷・行、草書を交ぜ書きした「破体長恨歌」。横17メートルの巨大な書2点が威容を誇る。「長恨歌への憧(あこが)れ」は自らの人生と長恨歌のかかわりを詩に結晶させた。結びの言葉は<長恨歌に憧れた少年は/いま古稀>。時の流れの中、玄宗と楊貴妃のロマンをひたすら追い続けた書家の真摯(しんし)な姿が浮かび上がってくる。
第2室には臨書や淡墨の作品がたっぷり並んでいる。
<古稀個展には、体力、能力だけでなく、筆も墨も紙も、とにかく蓄えていた用具用材総出動>(『太虚庵書話』)した展観だ。著名な書家が活躍した唐の時代の情景が眼前をよぎる。同時に、臨書と書家の歩みについても考えさせられる。
つづいて、毎日道内版から。
山田太虚さん、東京で古希記念書展 「長恨歌への憧れ」テーマに /北海道
◇10日から
毎日書道展審査会員の山田太虚(たいきょ)さん(70)が「古希記念書展」(毎日新聞社など後援)を10日から15日まで、東京銀座画廊美術館(中央区銀座2丁目銀座貿易ビル、03・3564・1644)で開く。5年ぶり6回目の個展で「長恨歌(ちょうごんか)への憧(あこが)れ」をテーマに大小100点ほどを展示する。入場無料。【西井康晃】
太虚さんは大学で吉丸竹軒(ちっけん)に学ぶ一方、手島右卿(てしまゆうけい)の長鋒濃墨の作風に憧れ、弟子の徳野大空(たいくう)に師事した。夕張北高教諭時代に夕張淳風会や夕張書道連盟の結成に尽力。札幌西高教諭を最後(42歳)に専業書家の道を歩み出してからは、書の研究団体を主宰し、次代を担う書家の育成に当たる一方、毎日展や北海道書道展、道書道連盟の運営に携わり、書の啓発と普及に努めてきた。また、書のルーツ・中国詣では20回余りに及び、韓国やヨーロッパ、南米なども訪問。日本を代表する書家の一人としての出品はもちろん、現地での建碑や揮毫(きごう)など、意欲的な交流を続けている。
テーマに白楽天(はくらくてん)の「長恨歌」を選んだのは、高校3年の漢文の時間に教頭先生が朗読してくれた玄宗皇帝と楊貴妃の悲しい恋の物語に感動。「いつか作品に」と温めていたものだ。
会場は1、2室、合わせて220平方メートルで1室(壁面90メートル)をメーンテーマの「長恨歌」関連で埋める。
その「長恨歌」は濃墨の行草書で全840字。224センチ×53センチに3行、30連の超大作で、18メートルにわたって“太虚の長恨歌”を展開する。対をなすのが同サイズの「破体長恨歌」。篆(てん)・隷・楷(かい)・行草の交ぜ書きで、「1文字ずつ筆を変えた」という労作。鮮やかな朱の紙に濃墨で書作しており、字体の変化が遊び心とロマンを感じさせる。長鋒の濃墨作品がほとんどで“新古典派の旗手”と称された師・大空の書風を滲(にじ)ませる。
2室は大作から小品まで多彩だ。蘇軾(そしょく)の「前赤壁賦(ぜんせきへきふ)」や「伊都内親王願文(いとないしんのうがんもん)」全臨に「争座位文稿(そうざいぶんこう)」など。古墨の味わいを生かした一字書「道」や「瞼(まぶた)」など、淡墨作品21点に「臨書折帖(おりちょう)35本」も。
念願の長恨歌はもちろん、個展では珍しい臨書や倣書(ほうしょ)(初心者が習う書)も出品する今展。「60年近くも古典臨書をやってきた。区切りの古希を迎えて、どれだけ書けるか試してみたかった。初心者の参考になればうれしい」と話す太虚さんで、まさに集大成の大展覧会だ。
一方、競書誌・書究に書いている「太虚庵書話」10年分から抜粋してまとめた一冊も出した。身の回りの出来事や書への思い、苦心談を載せたエッセー風のB5判380ページ。(以下略)
おなじく毎日の道内版から。
◇学書60年、山田太虚さんの古希記念書展 ロマンあふれる作
太虚院長の「古希記念書展」札幌展(毎日新聞社など後援)は、会場(壁面)が東京展の3分の1ほどしかないことから、展示作品も4割程度になっている。
メーンの「長恨歌」は濃墨の行草書。全840字、30連、18メートルのうち、抜粋した8連(4・5メートル)を展示している。同じく篆(てん)・隷(れい)・楷(かい)・行草の交ぜがき「波体長恨歌」は3分の1の9連、6メートルほどで紙は朱。元々が超大作で「圧倒的な迫力」と絶賛された東京展には及ばないものの、学書60年“太虚渾身(こんしん)の作”にふさわしい姿で会場を圧倒している。
長恨歌との出会いは高三、教頭先生の朗読は魔法の鈴の音--と始まる「長恨歌への憧れ」(7連、7メートル)は篆書の七言一句の下に自身の人生と長恨歌のかかわりを詩に起こしたもので、長恨歌に憧れた少年は、いま古稀(こき)--と結んだロマンあふれる作だ。
また、苦労して集めた古墨の微妙な墨色や滲(にじ)みを生かした淡墨の1字書などや、「区切りの古希を迎えて、どれだけ書けるか試してみたかったし、初心者の参考になればうれしい」と、個展では珍しい臨書も展示している。
太虚さん(本名・進)は空知管内栗山町生まれ。岩手大学で吉丸竹軒(ちっけん)に学ぶ一方、手島右卿(ゆうけい)の長鋒濃墨の作風に憧れ、弟子の徳野大空(たいくう)に師事した。札幌西高教諭を最後(42歳)に専業書家の道を歩み、次代を担う書家の育成に当たる一方、毎日展や北海道書道展、道書道連盟の運営に携わり、書の啓発と普及に努めてきた。
そんな書家人生の集大成ともいえる今展。先の東京展が高く評価され、現代書の父として知られる比田井天来(てんらい)の門流展への出品資格を得た。天来は右卿や大空の師。太虚さんの「霜華(そうか)」(135センチ×70センチ)が長野県佐久市にある「市立天来記念館」に展示される。
07年8月21日(火)-26日(日) 10:00-18:00
スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階 地図B)
07年7月10日(火)-15日(日) 10:00-18:00(最終日-17:00)
東京銀座画廊美術館(東京都中央区銀座2-7-18 銀座貿易ビル7階)
□書究文化書芸院のサイト http://www.syokyuin.net/index.html