(承前)
さて、これがサンフランシスコ旅行に関する5本目のエントリなんだけど、そもそもサンフランシスコとはどういうところなのか、書いていなかった。
といっても、米国の西海岸にあり、カリフォルニア州ではロサンゼルスに次ぐ都会であることは、よく知られていることと思う。
第2次世界大戦の講和条約が結ばれた街でもある。
この一帯は「ベイエリア」と総称される。「ベイ」というのは、英語で湾。
冒頭の空港写真でわかるように、サンフランシスコ市街地の西側は太平洋。東側が、おおきく海が入り込んだ湾になっているのだ。
その湾を東へとまたいで架かっているのがベイブリッジである。
さらに、手前には、サンフランシスコ名物の霧がかかっているが、かの有名な「ゴールデンゲートブリッジ」の尖端部分が霧から頭を出している。ゴールデンゲートブリッジは、湾の開口部をまたいで、サンフランシスコ市街地と、北側の対岸のマチを結んでいる。
もうすこし地上に近づいた時点で撮った写真(といっても、電子機器の使用が禁止されるよりは前のタイミングである)。
写真の上が、北東の方角になる。
サンフランシスコ市街地の海岸から北東に向かっていくつもの埠頭が伸びているのがわかるだろうか。
ベイブリッジのすこし左側(北側)は、「フィナンシャルディストリクト」といって、金融機関などのオフィスが集まる超高層ビル街。
そこから写真の右下に向かって太い斜めの道路が走っているが、これが「マーケットストリート」。下をメトロが、路上を路面電車やバスが走り、札幌で言えば駅前通りに該当する、にぎやかな通りだ。
マーケットストリートから北側は、道路は完全に碁盤の目となっている。
ただ、碁盤の目がすこしたわんでいるのは、それだけ傾斜があるということだ。
サンフランシスコにケーブルカーが残っているのは、ふつうの路面電車では上り下りできないほど勾配のきつい坂道が多いためである。
ところで、これだけ有名な街であり、超高層ビルが集中する地区もあるというのに、市の人口は70万人台。札幌市の4割ほどなのだ。
札幌市にくらべると周辺にベッドタウンが多いので、単純な比較はできないだろうけど、それにしても、こんなに少ないとはびっくりした。繁華街はいつも多くの観光客や買い物客でにぎわっている。
街の存在感は、人口だけによるものではないのだなあ。
サンフランシスコの存在感の鍵は、「文化」かもしれない。
1950年代にはビートニク詩人の拠点となり、米国文学の歴史にあらたなページをひらいた。
60年代にはヒッピーが登場し、スコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ」をヒットさせた。サイケデリック・ロックが起こり、ジェファーソン・エアプレインなどのバンドが出てきた。
ジェファーソン・エアプレインの後継バンドである「スターシップ」は、80年代に「シスコはロックシティ」を歌っている(この曲は最近まで、日本で朝のニュース番組でエンディングテーマに使われていたから知っている向きも多いだろう)。
さらに、シリコンバレーが近いことも落とせない。シリコンバレーは、ベイエリアの南の端に広がっている。
1970年代、輝きを失っていた米国の産業は、この地に育ったハイテク産業の力によりよみがえった。米国は、重工業からハイテクへと産業構造を転換させ、超大国の地位を保つことに成功したのだ。
こうしてみると、ハリウッドやロサンゼルスとはまた異なった、独特のカウンターカルチャー(対抗文化)が育ち、世界へ向けて発信された街だといえるのではないだろうか。
(この項続く)
さて、これがサンフランシスコ旅行に関する5本目のエントリなんだけど、そもそもサンフランシスコとはどういうところなのか、書いていなかった。
といっても、米国の西海岸にあり、カリフォルニア州ではロサンゼルスに次ぐ都会であることは、よく知られていることと思う。
第2次世界大戦の講和条約が結ばれた街でもある。
この一帯は「ベイエリア」と総称される。「ベイ」というのは、英語で湾。
冒頭の空港写真でわかるように、サンフランシスコ市街地の西側は太平洋。東側が、おおきく海が入り込んだ湾になっているのだ。
その湾を東へとまたいで架かっているのがベイブリッジである。
さらに、手前には、サンフランシスコ名物の霧がかかっているが、かの有名な「ゴールデンゲートブリッジ」の尖端部分が霧から頭を出している。ゴールデンゲートブリッジは、湾の開口部をまたいで、サンフランシスコ市街地と、北側の対岸のマチを結んでいる。
もうすこし地上に近づいた時点で撮った写真(といっても、電子機器の使用が禁止されるよりは前のタイミングである)。
写真の上が、北東の方角になる。
サンフランシスコ市街地の海岸から北東に向かっていくつもの埠頭が伸びているのがわかるだろうか。
ベイブリッジのすこし左側(北側)は、「フィナンシャルディストリクト」といって、金融機関などのオフィスが集まる超高層ビル街。
そこから写真の右下に向かって太い斜めの道路が走っているが、これが「マーケットストリート」。下をメトロが、路上を路面電車やバスが走り、札幌で言えば駅前通りに該当する、にぎやかな通りだ。
マーケットストリートから北側は、道路は完全に碁盤の目となっている。
ただ、碁盤の目がすこしたわんでいるのは、それだけ傾斜があるということだ。
サンフランシスコにケーブルカーが残っているのは、ふつうの路面電車では上り下りできないほど勾配のきつい坂道が多いためである。
ところで、これだけ有名な街であり、超高層ビルが集中する地区もあるというのに、市の人口は70万人台。札幌市の4割ほどなのだ。
札幌市にくらべると周辺にベッドタウンが多いので、単純な比較はできないだろうけど、それにしても、こんなに少ないとはびっくりした。繁華街はいつも多くの観光客や買い物客でにぎわっている。
街の存在感は、人口だけによるものではないのだなあ。
サンフランシスコの存在感の鍵は、「文化」かもしれない。
1950年代にはビートニク詩人の拠点となり、米国文学の歴史にあらたなページをひらいた。
60年代にはヒッピーが登場し、スコット・マッケンジーが「花のサンフランシスコ」をヒットさせた。サイケデリック・ロックが起こり、ジェファーソン・エアプレインなどのバンドが出てきた。
ジェファーソン・エアプレインの後継バンドである「スターシップ」は、80年代に「シスコはロックシティ」を歌っている(この曲は最近まで、日本で朝のニュース番組でエンディングテーマに使われていたから知っている向きも多いだろう)。
さらに、シリコンバレーが近いことも落とせない。シリコンバレーは、ベイエリアの南の端に広がっている。
1970年代、輝きを失っていた米国の産業は、この地に育ったハイテク産業の力によりよみがえった。米国は、重工業からハイテクへと産業構造を転換させ、超大国の地位を保つことに成功したのだ。
こうしてみると、ハリウッドやロサンゼルスとはまた異なった、独特のカウンターカルチャー(対抗文化)が育ち、世界へ向けて発信された街だといえるのではないだろうか。
(この項続く)