![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/94/e346d1abb3fe24d6b463bc1e73886e47.jpg)
「WAVE NOW」は2002年に始まったグループ展。札幌の作家と、北海道出身だが首都圏在住の作家が、銀座の井上画廊と札幌のコンチネンタルギャラリーで交互にひらいている。昨年は銀座での開催だったので、札幌での開催は2年ぶり。札幌勢は、最年長の丹野信吾さんが遺作になってしまったのが残念だが、脂ののりきった作家がそろい、見ごたえのある展覧会だった。
丹野さんの「K-宇宙の混沌(Chaos)」「絶筆(未完成)」のうち、すくなくても前者は(両方かもしれない)お通夜の祭壇の前にあったことをおぼえている。
筆者はむかしの丹野さんの作品を知っているわけではないけれど、今回の2点から感じたことは、あまり「遺作っぽくない」ということだった。世の芸術家には、晩年になると、吹っ切れたような、というか、あるいは枯淡の境地とか、それまでとはちがう仕事をする人がいるけれど、丹野さんの場合は、最後までぎらぎらしていたような感じだ。
丹野さんは、大宇宙の転変とか、超新星の爆発などを、クリアな色彩とゆたかなイマジネーションで描いていた。
その宇宙に旅立ったのだ-というと、うまくまとめすぎなような気がする。
いずれにせよ、このグループ展の札幌側メンバーは、公募展に寄らずにさまざまな展覧会を組織してきたつわものばかりで、そういう世代から物故者が出たということについては、覚悟というか衝撃というか、がある。
阿部典英さんの「ネェダンナサンあるいは再白」は、その死に対する「鎮魂の意味がこめられている」と作者は語る。
木の立体の色づかいも、これまでの黒鉛と赤の、エロティシズムを感じさせる組み合わせではなく、白や緑といったものになっている。
その底部と天井には、鏡代わりの楕円系のステンレス板がしつらえてあって、下をのぞきこむと、どこまでも深淵がつづいているのが見える。もちろん、上を見ても、像は永遠につづいている。
死。そして永遠。
吉田豪介さんが展覧会パンフレットで簡にして要を得た解説を書いていたので、かんたんに書くつもりだったけど、長くなってしまった。
阿部さんのうしろに見えるのが、米谷雄平さん「さうすぽいんと'06-6」。
エナメル絵の具を使っているのだろうか、おびただしい同心円模様から、ぎらぎらした生命がつたわってくるような作品。
コラージュも効果的だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ec/d30744bb4aa6099eaa934910b2498fb1.jpg)
杉山留美子さんの作品は、いつ見ても、法悦とさせられる美しさだ。
今回の「HERE・NOW-あるいはシャンバラの夜明け」も、かたちのない色だけの画面が4.71メートルにわたって広がっている。
絵が、光そのものになってしまったかのようである。
5枚のカンバスは、連続しているようでもあり、それぞれ独立した絵でもある。
作品の背景には、仏教的な世界観が横たわっているのだろうと思うけど、それを抜きにしても、美しい、心いやされる作品だ。
その手前は、招待メンバーの國松明日香さんの「水面の風11」。
もともと國松さんは、量塊性の対極にある風や、或る種のかろやかさを、彫刻作品として成立させようとしているフシがあるのだが、昨年末のギャラリーどらーるでの個展と今回は、彫刻としては極端に床からの高さのとぼしい作品となっている。そのため作品は、以前にもまして圧迫感のない、ギャラリー空間にとけこむようなものになっていると思う。
首都圏組は、鎌倉の浅野修(帯広生まれ)、横浜の伊藤彰規(小樽生まれ、北見育ち)、埼玉県入間市の加藤健二(網走管内津別町生まれ)、武蔵野市の菅野充造(函館生まれ。全道展会員)の4人である。
9月12日(火)-17日(日)10:00-18:00(最終日-16:00)
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階
地図C)
(文中敬称略)
■02年の展覧会
丹野さんの「K-宇宙の混沌(Chaos)」「絶筆(未完成)」のうち、すくなくても前者は(両方かもしれない)お通夜の祭壇の前にあったことをおぼえている。
筆者はむかしの丹野さんの作品を知っているわけではないけれど、今回の2点から感じたことは、あまり「遺作っぽくない」ということだった。世の芸術家には、晩年になると、吹っ切れたような、というか、あるいは枯淡の境地とか、それまでとはちがう仕事をする人がいるけれど、丹野さんの場合は、最後までぎらぎらしていたような感じだ。
丹野さんは、大宇宙の転変とか、超新星の爆発などを、クリアな色彩とゆたかなイマジネーションで描いていた。
その宇宙に旅立ったのだ-というと、うまくまとめすぎなような気がする。
いずれにせよ、このグループ展の札幌側メンバーは、公募展に寄らずにさまざまな展覧会を組織してきたつわものばかりで、そういう世代から物故者が出たということについては、覚悟というか衝撃というか、がある。
阿部典英さんの「ネェダンナサンあるいは再白」は、その死に対する「鎮魂の意味がこめられている」と作者は語る。
木の立体の色づかいも、これまでの黒鉛と赤の、エロティシズムを感じさせる組み合わせではなく、白や緑といったものになっている。
その底部と天井には、鏡代わりの楕円系のステンレス板がしつらえてあって、下をのぞきこむと、どこまでも深淵がつづいているのが見える。もちろん、上を見ても、像は永遠につづいている。
死。そして永遠。
吉田豪介さんが展覧会パンフレットで簡にして要を得た解説を書いていたので、かんたんに書くつもりだったけど、長くなってしまった。
阿部さんのうしろに見えるのが、米谷雄平さん「さうすぽいんと'06-6」。
エナメル絵の具を使っているのだろうか、おびただしい同心円模様から、ぎらぎらした生命がつたわってくるような作品。
コラージュも効果的だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/ec/d30744bb4aa6099eaa934910b2498fb1.jpg)
杉山留美子さんの作品は、いつ見ても、法悦とさせられる美しさだ。
今回の「HERE・NOW-あるいはシャンバラの夜明け」も、かたちのない色だけの画面が4.71メートルにわたって広がっている。
絵が、光そのものになってしまったかのようである。
5枚のカンバスは、連続しているようでもあり、それぞれ独立した絵でもある。
作品の背景には、仏教的な世界観が横たわっているのだろうと思うけど、それを抜きにしても、美しい、心いやされる作品だ。
その手前は、招待メンバーの國松明日香さんの「水面の風11」。
もともと國松さんは、量塊性の対極にある風や、或る種のかろやかさを、彫刻作品として成立させようとしているフシがあるのだが、昨年末のギャラリーどらーるでの個展と今回は、彫刻としては極端に床からの高さのとぼしい作品となっている。そのため作品は、以前にもまして圧迫感のない、ギャラリー空間にとけこむようなものになっていると思う。
首都圏組は、鎌倉の浅野修(帯広生まれ)、横浜の伊藤彰規(小樽生まれ、北見育ち)、埼玉県入間市の加藤健二(網走管内津別町生まれ)、武蔵野市の菅野充造(函館生まれ。全道展会員)の4人である。
9月12日(火)-17日(日)10:00-18:00(最終日-16:00)
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11、コンチネンタルビル地下1階
地図C)
(文中敬称略)
■02年の展覧会