ことしは年の瀬になっても、見逃せない美術展がつづきます。
きのうアップした藤田真理さんの個展、これから行く予定の木村環さんと藤谷康晴さんの2人展、そして、札幌在住の佐々木さんによる個展です。
佐々木さんが、インスタレーション「雫を聴く」を、札幌で発表するのは、2001年のさっぽろ美術展以来。
それ以後、新潟や青森、東京では発表してきましたが、なぜか札幌では展覧会の機会がありませんでした。
作品の基本は以前と変わっていません。
高い位置に漏斗(ろうと)を取り付けて氷を入れ、その真下に、小さなあかりを取り付けた透明な器を置いて、中に水滴が落ちる仕組みになっています。
雫(しずく)の音。そのたびに、ゆらめく光。
とても幻想的な空間が広がります。
もうすこしくわしく説明します。
会場は、手前の小部屋と、奥のホールのふたつにわかれています。
小部屋には数セットを配置。下の器が半球形で、高さを互い違いにならべています。
奥のホールは、白い板の手前の床に、黒いアルミの台とガラス器を組み合わせたものを8つ、等間隔に配置しています。氷を入れた漏斗は、天井に近いところに、取り付けてあります。
したがって、水滴はかなりの勢いで器の中に落下するため
「ピシャリ」
という音はかなりの大きさになることがあります。
ただし、時によって、音は「ポチャッ」だったり、あるいは、優秀な飛び込み選手のようにほとんど音を出さずたまった水に吸い込まれていったり、さまざまです。おなじセットでも、その時々で音は変わります。
そして、雫が落下するたびに、水面が揺れ、背後の壁に映った水面の透明な影も、ゆらめくのです。
今回は、背後の影が、まるでろうそくの炎のように見えるのが特徴です。
といっても、色あいは淡いのですが。
影の形状はもちろん、ガラス器のかたちによるものです。この器は、上から見ると縦に長い楕円形で、横から見るとほぼ半円をしています。特注だそうです。
「いろいろやっているうちに、このかたちになりました」
と佐々木さん。
ちなみに、器の下に仕込んである小さな電球は10ワットのハロゲン灯というものだそうです。豆電球より小さいです。
また、氷は1日2回、補充するそうです。
ホールの前に、芳名帳が置いてあるテーブルがあり、その上にも1セット置いてあります。これは、札幌芸術の森美術館のミュージアムショップで販売されているものだそうです。
佐々木さんによると
「1時間半ぐらい見ていた人もいましたよ」
とのこと。
たしかに、炎を長いこと眺めていても飽きないのとおなじで、水の入った器が織りなす水のゆらめきも、いつまで見ていても平気です。
たしかに、流れていく時間のうち半分以上は、音も、光のゆらぎもない時間です。しかし、沈黙と静止が、ざわめきや動きと同様の、あるいはそれ以上の重みをもって、わたしたちのあいだを満たすのです。
水琴窟を思わせる音に耳を澄ませていると、何年も前の芸術の森や、石狩当別の美登位で接したインスタレーションのことを思い出します。
そのときと異なるのは、ストーブの発する電子音や車の音など、ススキノの中らしく、都市型の音が作品の世界を妨げていることです。
ただし、それらのノイズは、そのうちにあまり気にならなくなってきます。
どんなロケーションにあっても、佐々木さんの作り出す神秘と幻想の世界は、たやすく影響を受けるようなヤワなものではないということなのかもしれません。
ドイツの哲学者マックス・ピカートは書いています。
水と光、かすかな音がつくる世界は、見る人の心を、清澄にする働きがあるのでしょうか。
静かな空間と時間の中で、鑑賞者は、じっと自らと向き合うことになるのです。
07年12月25日(火)-30日(日)13:00-21:00、ATTIC(中央区南3西6、長栄ビル4階)
(31日に写真をアップしました)
■渡辺博史・佐々木秀明写真展(07年5-6月)
■北の創造者たち2001
■美登位創作の家アートプロジェクト2000 記憶の繭
□同上の展覧会について、吉崎元章さんの紹介 http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/recom/0012/hokkaido/yoshizaki.html
□シリウス通信の紹介ページ(プロフィルなど) http://blog.livedoor.jp/bluebook/archives/51280502.html
きのうアップした藤田真理さんの個展、これから行く予定の木村環さんと藤谷康晴さんの2人展、そして、札幌在住の佐々木さんによる個展です。
佐々木さんが、インスタレーション「雫を聴く」を、札幌で発表するのは、2001年のさっぽろ美術展以来。
それ以後、新潟や青森、東京では発表してきましたが、なぜか札幌では展覧会の機会がありませんでした。
作品の基本は以前と変わっていません。
高い位置に漏斗(ろうと)を取り付けて氷を入れ、その真下に、小さなあかりを取り付けた透明な器を置いて、中に水滴が落ちる仕組みになっています。
雫(しずく)の音。そのたびに、ゆらめく光。
とても幻想的な空間が広がります。
もうすこしくわしく説明します。
会場は、手前の小部屋と、奥のホールのふたつにわかれています。
小部屋には数セットを配置。下の器が半球形で、高さを互い違いにならべています。
奥のホールは、白い板の手前の床に、黒いアルミの台とガラス器を組み合わせたものを8つ、等間隔に配置しています。氷を入れた漏斗は、天井に近いところに、取り付けてあります。
したがって、水滴はかなりの勢いで器の中に落下するため
「ピシャリ」
という音はかなりの大きさになることがあります。
ただし、時によって、音は「ポチャッ」だったり、あるいは、優秀な飛び込み選手のようにほとんど音を出さずたまった水に吸い込まれていったり、さまざまです。おなじセットでも、その時々で音は変わります。
そして、雫が落下するたびに、水面が揺れ、背後の壁に映った水面の透明な影も、ゆらめくのです。
今回は、背後の影が、まるでろうそくの炎のように見えるのが特徴です。
といっても、色あいは淡いのですが。
影の形状はもちろん、ガラス器のかたちによるものです。この器は、上から見ると縦に長い楕円形で、横から見るとほぼ半円をしています。特注だそうです。
「いろいろやっているうちに、このかたちになりました」
と佐々木さん。
ちなみに、器の下に仕込んである小さな電球は10ワットのハロゲン灯というものだそうです。豆電球より小さいです。
また、氷は1日2回、補充するそうです。
ホールの前に、芳名帳が置いてあるテーブルがあり、その上にも1セット置いてあります。これは、札幌芸術の森美術館のミュージアムショップで販売されているものだそうです。
佐々木さんによると
「1時間半ぐらい見ていた人もいましたよ」
とのこと。
たしかに、炎を長いこと眺めていても飽きないのとおなじで、水の入った器が織りなす水のゆらめきも、いつまで見ていても平気です。
たしかに、流れていく時間のうち半分以上は、音も、光のゆらぎもない時間です。しかし、沈黙と静止が、ざわめきや動きと同様の、あるいはそれ以上の重みをもって、わたしたちのあいだを満たすのです。
水琴窟を思わせる音に耳を澄ませていると、何年も前の芸術の森や、石狩当別の美登位で接したインスタレーションのことを思い出します。
そのときと異なるのは、ストーブの発する電子音や車の音など、ススキノの中らしく、都市型の音が作品の世界を妨げていることです。
ただし、それらのノイズは、そのうちにあまり気にならなくなってきます。
どんなロケーションにあっても、佐々木さんの作り出す神秘と幻想の世界は、たやすく影響を受けるようなヤワなものではないということなのかもしれません。
ドイツの哲学者マックス・ピカートは書いています。
沈黙は、その他の始原的現象、たとえば愛や、真心や、死や、生そのものと同様に、根源的であると同時に自明的に存在している。しかし、沈黙はこれらの他の始原現象に先だってすでに存在していた。そして、それらすべての始原現象のなかには沈黙が宿されているのである。沈黙はもろもろの始原的現象のうちの初生のものなのだ。
(「沈黙の世界」14ページ)
水と光、かすかな音がつくる世界は、見る人の心を、清澄にする働きがあるのでしょうか。
静かな空間と時間の中で、鑑賞者は、じっと自らと向き合うことになるのです。
07年12月25日(火)-30日(日)13:00-21:00、ATTIC(中央区南3西6、長栄ビル4階)
(31日に写真をアップしました)
■渡辺博史・佐々木秀明写真展(07年5-6月)
■北の創造者たち2001
■美登位創作の家アートプロジェクト2000 記憶の繭
□同上の展覧会について、吉崎元章さんの紹介 http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/recom/0012/hokkaido/yoshizaki.html
□シリウス通信の紹介ページ(プロフィルなど) http://blog.livedoor.jp/bluebook/archives/51280502.html