今日は・・・うちのお寺での春の永代経のお勤めの日・・。
午前中は・・いつもの・・「きむら株式会社」で水道の点検・・。うむ・・、ちゃんと水が流れるようになったし、タンクの中にも・・・八割がた・・水が溜まってきている・・・。よしよし・・・。
気候は暑くもなく・・寒くもなくていい感じ・・。お天気は最高の五月晴れ。
フジエばあちゃんが亡くなったのが・・平成四年だったか・・。寒い二月だったような記憶がある・・。その二ヶ月後かに・・神戸の・・おかあさん(悦子さん)が亡くなったような思い出がある・・。
そのときに・・・「おばあちゃんの永代供養を・・」みたいなことを言った記憶がある・・。その時には・・深い意味もなかったが、「それで・・お寺さんとの関係が強まる・・」みたいな話を・・・師匠となる・・隣町の坊さんから言われて・・・。
その時は・・「いくばくかのお金を出せば・・それなりの思惑が生まれて・・お寺が身近になる・・」みたいな話だったのだけれど・・。
確かに・・・おばあちゃんや、その直後の・・おかあさん(けいこばぁのお母さん)が亡くなったことが縁となり・・・お寺に出入りするようになり、総代研修会やら・・本山研修会やらを経て・・・同じような仲間だった三好さんとお坊さんになる学校に入り・・得度式を経て・・お坊さんになった・・。
「縁は異なもの、味なもの・・」という言葉だったか・・。確かに・・・縁というものは不思議なもので・・「袖ふれあうも多生の縁」。
仏縁もなければ・・仏法にも触れ得ないこの私が・・・お坊さんになろうと決意したのだから・・・世の中は・・どうなるものだかわからない・・。
まぁ・・伏線として・・本山にお参りした時に・・「帰敬式:おかみそり」という儀式を受けた・・。佛弟子になるという儀式で・・ご門主さまから頭にかみそりを三度当てられて・・・剃髪のまねをする式を経て・・法名(いわゆる・・戒名)をいただくのだが・・、そのときに・・・数が足りなくて・・・私は・・事務所に呼ばれて・・そこで・・・臨時用の「法名」をいただいた・・・。つまりは・・「当て外れ」の名前だった・・。
その・・・法名こそが・・「釈 暁光」という名前だった・・・。
で・・この法名のように・・世の中に・・「あかつきのひかり」をあたえねばならぬ・・みたいな気持ちで・・お坊さんを目指した・・というわけだ。
当時は・・我が家も貧しかったもので・・、「七万円」という・・「永代供養料」・・「永代懇志」をお寺さんに預けたのだが・・・それで・・お坊さんになったのだと思うと・・感慨深いものがある・・・。
そういう・・・私がお坊さんになるきっかけとなった法要だけに・・なぜか懐かしく・・なぜか・・思い出深い法要になった・・・。
その・・二ヶ月後・・おかあさん(けいこばぁのおかあさん)がお浄土にお還りになって・・・、お父さん(けいこばぁのお父さん)は・・俄然・・俳句の世界に没入するようになった・・・。
私も釣られて・・・俳句の世界に入ったが・・・、ライバルがいなくなったこともあって、そろそろ・・俳句のタイトルはやめにしなければ・・・と思う今日この頃になった・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
午前中は・・いつもの・・「きむら株式会社」で水道の点検・・。うむ・・、ちゃんと水が流れるようになったし、タンクの中にも・・・八割がた・・水が溜まってきている・・・。よしよし・・・。
気候は暑くもなく・・寒くもなくていい感じ・・。お天気は最高の五月晴れ。
フジエばあちゃんが亡くなったのが・・平成四年だったか・・。寒い二月だったような記憶がある・・。その二ヶ月後かに・・神戸の・・おかあさん(悦子さん)が亡くなったような思い出がある・・。
そのときに・・・「おばあちゃんの永代供養を・・」みたいなことを言った記憶がある・・。その時には・・深い意味もなかったが、「それで・・お寺さんとの関係が強まる・・」みたいな話を・・・師匠となる・・隣町の坊さんから言われて・・・。
その時は・・「いくばくかのお金を出せば・・それなりの思惑が生まれて・・お寺が身近になる・・」みたいな話だったのだけれど・・。
確かに・・・おばあちゃんや、その直後の・・おかあさん(けいこばぁのお母さん)が亡くなったことが縁となり・・・お寺に出入りするようになり、総代研修会やら・・本山研修会やらを経て・・・同じような仲間だった三好さんとお坊さんになる学校に入り・・得度式を経て・・お坊さんになった・・。
「縁は異なもの、味なもの・・」という言葉だったか・・。確かに・・・縁というものは不思議なもので・・「袖ふれあうも多生の縁」。
仏縁もなければ・・仏法にも触れ得ないこの私が・・・お坊さんになろうと決意したのだから・・・世の中は・・どうなるものだかわからない・・。
まぁ・・伏線として・・本山にお参りした時に・・「帰敬式:おかみそり」という儀式を受けた・・。佛弟子になるという儀式で・・ご門主さまから頭にかみそりを三度当てられて・・・剃髪のまねをする式を経て・・法名(いわゆる・・戒名)をいただくのだが・・、そのときに・・・数が足りなくて・・・私は・・事務所に呼ばれて・・そこで・・・臨時用の「法名」をいただいた・・・。つまりは・・「当て外れ」の名前だった・・。
その・・・法名こそが・・「釈 暁光」という名前だった・・・。
で・・この法名のように・・世の中に・・「あかつきのひかり」をあたえねばならぬ・・みたいな気持ちで・・お坊さんを目指した・・というわけだ。
当時は・・我が家も貧しかったもので・・、「七万円」という・・「永代供養料」・・「永代懇志」をお寺さんに預けたのだが・・・それで・・お坊さんになったのだと思うと・・感慨深いものがある・・・。
そういう・・・私がお坊さんになるきっかけとなった法要だけに・・なぜか懐かしく・・なぜか・・思い出深い法要になった・・・。
その・・二ヶ月後・・おかあさん(けいこばぁのおかあさん)がお浄土にお還りになって・・・、お父さん(けいこばぁのお父さん)は・・俄然・・俳句の世界に没入するようになった・・・。
私も釣られて・・・俳句の世界に入ったが・・・、ライバルがいなくなったこともあって、そろそろ・・俳句のタイトルはやめにしなければ・・・と思う今日この頃になった・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。