まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

特別付録>灯台吏員待息所・灯台宿舎及び事務所

2012年01月07日 | 最近は建物研究などを・・・。

 たびたびおたずねが来る・・・灯台に関するお問い合わせについて、調べたもののご報告になる。

 

 灯台(とうだい)は、岬の先端や港内に設置された、船舶の航行目標「航路標識」の一種であって、その外観や灯光によって位置を示す「光波標識」の中の夜標として位置づけられている。

 

 塔状の建造物で、最上部には遠方からでも識別可能な強力な光源を有する。夜間には光源が明滅(大型のものでは光源に前置されたレンズが回転)し、航行する船舶が場所を識別する目印となる。現在多くはコンクリート製だが、木造や石造、煉瓦造や鉄造のものも見られる。

 

 これが明治初期に建てられた坂出市沖合にあった鍋島灯台の待息所で、英国技師のR・H・ブラントンが設計したもので、石造の建物で明治6年に竣工した。壁は奥行き60センチの切石を積み、間取りは中廊下式で部屋には暖炉が置かれ、外側に浴室や便所などが張り出す構造になっている。

 

 内部は洋式で、テーブルやいすが置かれ、事務机、暖炉、ピアノやオルガンなども置かれていた。

 

 この建物は昭和30年まで本来の宿舎として使用されたが、その後は海上保安庁の通信施設となっていた。

 

 これは淡路島北端にあった江崎灯台の待息所。これもブラントンの設計によるもので、我が国八番目に点灯した洋式灯台であった。先の阪神・淡路大震災で被災したため、この地に移転復元されたもの。本格的な石造建築で」当初の木造トラス構造を残すなど「洋式灯台の黎明的な建物である。

 

 この待息所は、「おいら 岬の灯台守は・・・」という主題歌で有名な「喜びも悲しみも行く歳月」という映画で知られる・・・灯台守たちの労苦のしみこんだ住居であった。最果ての岬や絶海の孤島で灯火を守り、沖行く船の安全を支えた灯台吏員とその家族たちの哀感はいかばかりであったか・・・。

 

 我が国の洋式灯台の初点灯は明治二年元日、東京湾入り口に当たる観音崎灯台であった。江戸幕府が米・英・仏・蘭と結んだ条約により灯台が建設され、その事業は明治政府へと引き継がれた。

 

 いわゆる「お雇い外人」の指導の下に、建設の第一歩を踏み出した。中でも英国の技師R・H・ブラントンは日本国内に28基の灯台を設計・監督し、「日本の灯台の父」と呼ばれている。

 

 待息所も時代とともにその内部は変遷し、愛媛県松山市沖にあったクダコ島灯台は明治35年に着工し、翌年に竣工・初点灯したが、この建物はレンガ造りのモルタル仕上げ。内部は左右二つに分かれて二家族用になっていて押し入れ付き和風の畳敷きで、かまどや風呂もレンガ造りとなっているのが興味深い。

 

 この待息所は明治後期の建築であり、部屋も和風の「要素が強くなっている。洋式灯台初期のものとはいくつかの点で違いが見られ、我が国の灯台建築の変遷を知るうえで貴重な資料となるだろう。

 

 瀬戸内海ののどかな島に、調査と工事のために訪れた黒船と碧眼紅毛の異国人に素朴な島民は驚き、長老は裃袴を着用し、刀を携えて出迎えたと紹介されている。

 

 時は流れ・・・昭和30年代になって、灯台は次々と無人化され、電子化されてゆき、人々の喜びや悲しみを見守ってきた灯台吏員待息所はその役割を終えていったのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


元気かい 寒中見舞いに 見る絆

2012年01月07日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今日は霜もなくおだやかなお正月らしい朝になった・・・。今日は「七草」だというが、我が家はそんな情緒のあるものを食べたことはない・・・。

 

 で、寒中見舞いを何枚か・・・というても、十枚ほどはあっただろうか。それを書いて出して・・・。喪中欠礼の方へのご挨拶・・・。

 

 今、レキ墓研究の一環として「灯台寮」とか「水路史」とかを調べているものだから、県立図書館に行ってみた。でも、そういうのは一般的ではないものか、私が探すのが下手なものか・・・わからない・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 で、高松市屋島中町にある民家園「四国村」にも行ってみた。「百聞は一見にしかず」ということだ。一般は800円。この中にギャラリーがあるが、それを見るときには別料金が必要になる。

 

  すると・・・大きなキャリーバッグを引いた娘さんがぞろぞろと集まっている。今の時期だから観光客かな~と思っていたのだが・・・。

 

 そのあたりで着替えを始めて・・・。和装っぽいね。髪が紫・・・。羽織に袴、刀やら槍やら・・・。侍ごっこ?武芸者のコスプレ?・・・。

 

 おりしも・・ここでは「正月飾り展」もやっている・・。二月末からはひな祭りも行われるし・・・。すると、あちらこちらに・・・白いセーラー服に紫の頭とか・・・黒い陣羽織を着た娘さんとか・・・。年頃は・・・高校生らしい・・・。

 じろじろ見たり、カメラを向けるとやばそうなので素通りしたが、彼女らは何をやってんだ??

 

 目指すのはこれ・・・。灯台吏員待息所:とうだい・りいん・たいそくしょ」という、灯台職員の事務室兼住居兼休憩所。ここには三棟の待息所が保存されているが、どれも石造りの堅固なもの。壁の厚さは・・・60センチはある。どんな台風や地震にも耐えられそうな建物だ。

  

 林の中にも・・・変な・・・娘さんたちが・・。ま、そういうのは無視して・・・出口に急いだ。おなかがすいてきたのだ。そこで、隣接する「わら屋」に寄ったら・・・お正月の土曜日ということで・・・行列になっている。短気の私はそこを離れて・・・別なお店を探した・・・。

 

 で、「さぬきうどん大木戸」に入った。この時には数人の客がいただけだったので、のんびりとおうどんを注文した。ここにはしっぽくうどんが見えなかったので、カレーうどんを注文した。

 

 冷たい空気の中を歩いた者だから、こういう温かいものがおいしい・・。麺がなめらかで・・・のどの奥に滑り込んでゆくようだ。カレーも辛くもなく甘くもなくて・・・あっという間に完食。これで410円。ここは珍しく・・・「ハーフ・セルフの店」と書いてある。さぬきのうどん屋のほとんどが、ハーフ・セルフかプチセルフ・・・。本当のセルフうどんは製麺所とかのかけうどんくらいなもの。

 

 今日、見つけた掲示板がこれ。上手な字だなぁと思ったが、なんとなく当たり前すぎて・・。

 「一年の計は元旦にあり」というのは昔からの言葉だけれど、元日の朝に、そう、簡単に一年の計画ができるはずがないし、今日一日の計画を、朝っぱらから考えられるはずもないし。ましてや・・・一生の計画を・・・今の今にやれと言われても・・・。

 「一夜賢者の経」のように、「未だ来たらざる明日を思うことなかれ」のほうが、私は好きだなぁ・・・。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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