まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

母老いて 今日薄氷を 踏むごとく

2012年01月16日 | 時には日々是日

 今日は空気の冷たい一日になった・・・。気温は・・・数度あるのだけれど、空気が鋭くて突き刺すような冷たさ・・・。風はほとんどないのだが、鼻の奥が痛くなる冷たさ・・・。

 

 で、朝の8時35分のフェリーで丸亀に出た。

 

 島の地福寺の住職さんと一緒に、丸亀の妙法寺さんにお邪魔して・・三月のお大師参り100周年記念法要の打ち合わせをすることになっている。

 

 塩飽本島の正覚院の住職さんもやってきて、妙法寺さん、正覚院さん、地福寺さん、それに暁光庵の私の四人での打ち合わせである。

 

 しわく広島には・・・五か寺があり、上の左の方が長福寺の久保田さん。この久保田さんの息子さんが、地福寺と神光寺の住職をやっている。白いセーターの方が・・・市井の玉瀧寺の住職さん。ここの妙法寺の副住職さん。ややこしいかね。

 

 で、この右の方が、塩飽本島の正覚寺の三好さん、広島茂浦の「正福寺」の住職さんでもある。私は・・・単なるお手伝い。「会(え)奉行」という司会進行役。

 

 なにせ、真言宗醍醐派、真言宗善通寺派、天台宗、真宗というばらばらのお坊さんが集まって法要を奉修するのだから、お経も難しい。ちと特訓しないとかみそう・・・。

 

 で、あちこちとうどん屋さんを探したけれど、お客が多かったり、定休日だったりで・・・結局の薬局、港近くの「手打ちうどん太助」になった。ご存じ、丸亀港になる「太助灯籠」にちなんだものだろうね。

 

  で、ここに来るとなぜだか「肉うどん」を注文してしまう。それに・・おでんの豆腐と・・瓶ビール。肉うどんは・・・500円ほどだっただろうと思う。全部で・・・1200円ほどだったと曖昧な記憶。とにかく・・本物のビールをくいくいと飲んだものだから酔っ払ってしまった・・・。本物は確かにおいしいね・・・。

 

 フェリー乗り場には新造船「しわく丸」が停まっていたが、習熟航海のためかいつの間にかいなくなっていた。あんな大きなものだから消えてなくなるということはないが・・。それだし、黄色や青やオレンジやらとやたら派手な「ガンダム」みたいなフェリーだからね。でも、海上のどこにもしわく丸は見えなくなっていた。

 

 丸亀港発の広島行きは13時30分。それが広島の江の浦に着くのは14時10分。それが折り返して・・・14時15分発の丸亀行きになる。それはそれとして・・・「広島」というのは、「Hiro island」と書くのだろうか、「Hiroshima island」と書くのだろうかね。安芸の「広島」は「Hiroshima」と書くのだろうかね。突然の疑問だけれど・・・。英語の授業はさっぱりだったから・・・。

 

 家に戻ると・・・、「うどん屋をやめたおかのさんが、店の電話を自宅に持って帰ったら使えなくなった。NTTに連絡したが・・・『設定しなおしてください』というばかりで相手にしてくれない」のだとか。仕方がないから・・・トーン設定からダイヤルに設定し直したら使えるようになったが、やはり・・身体が思えているものだろうか。ま、あんまり自慢にはならんのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。そういう努力は大切だけれど、それができないのが私たちの人生だからね。そう、開き直ってもいけないのだけれど。ま、毎日をそういう生き方で過ごすことは大切なんだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


来てみれば ここにも年賀の 束がある

2012年01月15日 | 時には日々是日

 今日は朝から曇って・・・肌寒い一日・・・。それにしても雨が降らないから・・・空気が乾燥して肌も顔も目玉もからから・・・。女性はなんだかんだと顔や手足に塗るらしいが、男性用なんちゃらというのは、ここにはない。

 

 さて、1月前半のご用が一区切りしたし、けいこばぁが家にいるようになったもので、さっちゃん用の主夫をちょいと休憩して島にやってきた。そのためには・・・朝から・・・生ゴミ・空き缶・燃えるゴミなどの片付けをこなし、十五日ということで、山からサカキを採ってきて、神棚の松からサカキに入れ替えて、御神酒も入れ替えて・・・お供えのお餅ほかをお下げして・・・。

 

 用意万端整ったら・・・ようやくに島に向かうことに。昨日のお店で、浄化槽用のブロアを買ったり、スーパーでビールやら食材を買って・・・。11時10分の高速艇に乗れた・・・。

 

 明日の朝10時から「お大師まいり100周年記念法要」の打合会が丸亀で行われるので、今晩だけの食材だけを買って急いでこの・・高速艇「ニュービサン」に乗った。

 

 次は・・13時半のフェリーだから・・2時間半も無駄にするから・・・大急ぎだった。ま、急ぐ旅ではないのだけれど。海上15分弱で・・・さぬき広島に着く。だから・・・今日のお昼は・・・自作の・・・「ハヤシうどん」になった。

 

 食後はゆっくりする間もなく・・・ブロアの交換・・・。このブアロアは、浄化槽に空気を送り込むエア・ポンプで、十数年も回し続けていると・・・空気を送らなくなっていた。

 

 年末に浄化槽の点検に来た人から、「ホームセンターで買って、自分で交換しといてください。私がやると技術料ほかが上乗せになりますから・・」というので、自分で交換と言うことになった。

 

 この右側の楕円形のものが壊れてるもの。要は・・・真ん中の黒いゴムパイプを差し込むだけ。で、コンセントを差し替えればそれでOK。技術もなにもいらない・・・。早速にゴゴゴゴ・・・と軽快に動き出した。

 

 で、冷えた身体をあたためようと・・・お昼からお風呂だ。その前に・・・少しだけ・・・「レキの墓」の調査に出かけた。うーむ。この話の原典はどこから出たのかねぇ・・・。それがわからん・・。

 

 この石碑の向かって右側に・・・「明治元年・・」と刻んであって、「左面に十一月七日」と刻んである。裏面には何も文字は刻んでいない・・・。この日付は・・・このレキさんの亡くなった日ではないのか・・・。お墓を建てた年月日なのだろうか・・・。

 

 調査もそこそこに戻って・・・お風呂に入った・・・。小原庄助さんみたいになるぞ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。

 「伸びる わか竹 親竹こえる 親をこえるも 親の恩」

 もうひとつは・・・。

 「施して 報いを 願わず 受けて 恩を 忘れず」とある・・・。

 余計な解釈は無粋というもの。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


ベランダは 小春日和の 休憩所

2012年01月14日 | 時には日々是日

 今日は比較的穏やかな一日になった。霜も氷もない朝の散歩は気持ちがいい。風もおだやかっだし・・。

 昨日の掲示板を・・・けいこばぁが熱心にメモをしていたが、聞けば・・お別れの挨拶にちょうどいいとかで・・。

 

 今日で介護施設をやめて、母のさっちゃんの世話や自分の好きなことをして暮らすのだそうだ。そういう意味で・・・大きな区切りになる「今日は、私の残りの人生の最初の日」になるのかも知れない・・・。そんな挨拶を書いていた。戻ってきたときには、両手に大きな花束を抱えて笑顔満面だった。

 

 昨夜、さぬき広島の自治会長さんから電話があって、「福武財団の審査が通ったから、レキ墓研究会を継続する・・」という知らせだった。予算が下りるから・・・イギリス海軍省まで行って、士官レキのことを調べるのだそうだ・・・。私も連れて行ってもらおうかなぁ・・。でも、英語はからきしダメだからな。

 昨年に行った、海上保安庁の資料室とか、横浜の氷川丸とかにも見学に行くのだそうな。私はそこはパスだな・・・。

 

 二月中旬に行われるであろう・・レキ墓研究会用の資料を、今日も作っていた。ま、一ヶ月ちかくあるので、ある程度の資料にはなると思う・・・。新事実も盛り込んだりして・・・。

 

 で、それとは別に、今年の三月末の、「お大師まいり100周年記念法要」の事前打ち合わせのために、明日から広島に行くのだけれど、島の家の浄化槽のブロアーが壊れているそうで、そのブロアを探しに出た・・・。「ホームセンターで買うと安いよ」と言われたけれど、そんなに安くないじゃないか・・。これは奥方に予算交渉をしないと・・・。島のセカンドハウスだから・・・小型の安い物でいいのだけれど・・・。

 そのついでに・・「半漁人」さんから教えてもらった、「こがね製麺所志度店のしっぽくうどん」にリベンジしようと・・・、ここに向かった。なんでも「酒粕の入ったクセのあるしっぽくうどん」があるのだとか・・・。

 

 ここに、そんなしっぽくうどんがあるのじゃろうかと、半信半疑でやってきたが・・・。

 

 ぐるっとメニューを見回してもそれらしきものがないが、中に入ってよおく見ると、確かに・・「具だくさんのしっぽくうどん」というのがあった・・・。

 

 それがこれだ・・・。「なんじゃらほい・・・」ネギとわかめはフリートッピング。ダイコン・ニンジン・サトイモ・鶏肉・さつまあげが入っているらしい・・・。それにしても、この白いものは何じゃろ・・・。ミルクのようだし、スープのようだし、酒のかすではないやろ・・・。食べ終わっても・・・わからない・・・。

 

 食べ終わってから、店長さんに聞いてみた・・・。「あ、白味噌です・・。しょうゆ味が良かったですか?」 との回答・・・。白味噌と野菜の出汁が混ざって・・・少しクセのある味になってるのかなぁ・・・。

 酒粕汁というよりも、ミルクスープ風・・・みたいな印象だった。だから、麺も野菜もまろやかだった。

 

 午後からは・・・集落内にある「山の神さん」の例祭日。昔はたきぎだとか松茸とか椎茸とかで、山は大切な命の根源みたいなものだったのか・・・。その・・山の神様に感謝するお祭りだが、最近では・・・すっかりと有難味も薄れて・・・ただ単に・・・定例の情報交換の場、井戸端会議的な集会になっているような気がする。

 

 少し前までは、ここに拝殿があって、ここに集まって「直来:なおらい」をしたのだろうが、今は・・・集会場での「直会」になった・・・。

 

 これは少し前の写真だが、金はなくともこころは豊かな・・・農村の風景だった・・・。今は・・・人も減り、時間も短くなり・・・交わす言葉も少なくなった・・・。

 

 今日の掲示板はそのまんまのそのまんま・・・。でも、さりげなくというのが難しいかも。

 ということで、明日から・・・讃岐広島に行って来るけんね・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


生ききると 決意もないが 梅の花

2012年01月13日 | たまには真剣な研究なども

 今日は霜も氷も見えない朝になったが、北風が強くて体感的に冷たい一日だった。

 

 私のブログ、ここに、この「北の五稜星」を書いた植松三十里さんがやってきてくれた。今までなかなかに読もうとしなかったからなぁ・・・。だからという訳でもないが、外は木枯らしピューピューだから、思い切って、この本を読んでみた。俗に言う・・戊辰戦争の最後の「箱館戦争」が舞台。榎本武揚軍は軍艦開陽とともに北海道五稜郭に立て籠もって戦った。その五稜郭と、五人の男たちの戦いのドラマ・・・。

 

 これは昨年の静岡旅行の時の植松さん(向かって左の方)。右が・・その開陽丸友の会の副会長さん。その開陽には・・・さぬき広島産の「中井初次郎」が乗っていたというのだから、話はややこしい。

 で、座っている場所が、咸臨丸水夫らを助けたと言われる「清水次郎長宅前」というと、さらにややこしいか。で、この写真を撮ったのが・・・まごのはやてちゃんというわけだ。

 

 さて・・・買い物に出たついでに、今日はここに寄ってみた。久々になるかな・・・。東かがわ市松原にある「陣内うどん」。一般店だ。ここには「しっぽくうどん」がないので、秋口からは立ち寄ることもなかったのだが、たまには・・ということで寄ってみた。

 

 で、前から・・気になっていた「冬季限定・ぞうすいうどん」というのを試してみた。ま、700円もするのだから、ちと、勇気がいる。まだ、年金支給前だからね。さぬきうどんの本場で・・500円以上というのはまれかなぁと・・・。

 

 出てきたのはこういうもの。出汁昆布で鉄鍋を半分に区切ってある。で、半分はおうどん、半分はぞうすいということか・・。とにかく・・・熱くて熱くて・・・。鉄鍋で温めたのはわかるが・・・汗まみれ、鼻水まみれになった・・・。

 

 時間が11時前と言うこともあって・・・誰もいない。こういう雰囲気が好きだなぁ・・。いまだにこういうお店では・・当たり前のように灰皿が置いてあるし、ビールも注文できる。だから・・昼間からおでんを食べながらにぎやかに話すおじさんたちも集まってくる。今日は誰もいなくて貸し切り状態。

 

 そうそうゆっくりもしてられない。11時半になれば、さっちゃんのお昼ご飯の用意をしなければならぬのだ。今日・明日で、けいこばぁは本当にお仕事が終わるというのだが・・・。

 

 さて、午後からは・・・例の「レキ墓研究」だ。昨日、県立図書館で借りてきた「日本水路史」に、レキ墓むかしばなしに出てくる「シルビア号」とか「セント・ジョン艦長」というのが出てくる。出てくるが・・・「英国士官レキ」はどこにも出てこない・・・。

 

 これが・・英国測量船「シルビア号」だ。三本マストの木造砲艦750トン。これが瀬戸内海ほかで測量をしたというのだ。さすがにジョン艦長の写真はなかった・・・。

 「幕末」という言葉はよく使われるが、その時期は、「ペリー提督来航」から、先の「戊辰戦争」終結までの期間を「幕末」というらしい・・。

 「北の五稜星」、「桑港(サンフランシスコ)にて」の咸臨丸とか、この英国士官レキとか、セント・ジョン艦長とかも、その幕末の中に生きた男たちだった。

 

 今日の掲示板。これも簡単明瞭だけれど、噛みしめれば重い言葉だ。今日は、私の残りの人生の最初の日。その最初の日も、まもなく終わるか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


生かされて 蝋梅の黄に 安堵する

2012年01月12日 | ふるさと散歩

 今日も厳しい霜の朝になった。香川でも氷点下のところもあったみたいだが、我が家の寒暖計は・・・「零度」を指していた。屋外だと・・・氷点下だったかも。

 

 で、今日は奥方のけいこばぁが居るというので、県立図書館に行くことにした。昨日の新聞記者さんが、「インターネットもいいが、確かな本でウラを取らないと足をすくわれたり、人を殺したりしますよ・・・」と言われたので、それもそうだなぁと思って・・・。寒いからと横着したらあかんね。

 

 これが・・・高松市林町・・。昔の「林の飛行場跡」「旧高松空港跡地」に建てられた「香川県立図書館」だ。あらかじめ、WEB版の県立図書館蔵書検索システムで調べておいたものを、書庫から探し出してもらった・・・。

 

 「日本水路史」、「R.H.Brunton」、英国の帆船軍艦、日本の燈台、日本の燈台の五冊。前二冊が書庫に保存されていた物。貴重な本らしい・・・。あとの三冊は・・・参考にもならんかった。

 で、今日のお昼はどこにしようかと・・・あちらこちらを走ったが、11時開店のお店が多くて・・・ちょうど11時になりそうな所を考えて走っていると・・・。

 

 高松市庵治町のへんぴな山の中にある・・「こだわり手打ちうどん・山」に着いた。ジャスト11時だった・・・。しばらく、そこからの眺めを楽しんだり、広い遊び場を歩いてみたり。久々の訪問になったので感慨ひとしお・・・というところ。

 

 鉄骨スレート葺きの倉庫風の建物。お店の中は薄暗くて・・・建設現場の食堂風。

 

 お、あるある・・・と、「しっぽくうどん一玉」をお願いしたら、「時間がかかるけどええん?」というので、OK、OK・・・。「うちのは・・・さっぱりしとらんけどええん?」というので、OK、OK・・。変わったもんがええんやがな・・・。ご覧の通り・・・350円。

 

 セルフのお店やけど、料金自主申告の後払い。うどんは席まで運んでくれる。ただ、食べた容器だけを返却口に分別して戻して・・・料金を払うという・・・プチ・セルフのお店みたい・・。

 このおうどん見て、どう、思う?「これ、なんじゃ・・」。

 カレーのようで、カレーでない・・。味噌汁のようで味噌汁でない・・・。なんじゃろ、このどろっとしたもの。いろんなブログ情報を見てもわからん・・・。さつまいもが溶けただし汁・・・という説もあるが・・・。ここの里芋は近所で採れたもので大きいから・・角切りで入っている。

 

 その後・・四国霊場86番志度寺に寄った。初詣のようで初詣ではない・・・。ただ、88番の大窪寺には行ったし、84番屋島寺、85番八栗寺にも行ったのだから、86番の志度寺や87番の長尾寺にも行っておかないとまずいやろ・・・ということで。いや、全く・・まずくはないのだけれど。

 ここで、「金」の納め札をいただいた。

 

 87番長尾寺はお遍路さんの姿もなく・・おみくじ売り場も見えなかったので早々に境内を出た。お正月が済んでしまえば、三味線餅つきも力餅競争も・・・あとのまつりで、人影もない境内になる。

 

 ものはついでだからと・・・氏神さまというか、村の神社に寄ってみた。この日曜日が「お炊きあげ」。不要になったおふだやお供え物、しめ縄や破魔弓なんぞを燃やすらしく、境内に山積みになっていた。

 

 社務所に・・・古い・・・おみくじ売り機がぽつんとあったので、20円を入れてみた。すると・・・うんともすんとも言わずに、おみくじも出ない・・・。「なんじゃらほい。めげとんかい(壊れているのか)」と後にしたが、そのわずかな20円に未練が残って・・・後ろを振り仰ぐと・・・こっそりとおみくじが落ちてきた・・・。

 

 前にも言うた(書いた)が、大窪寺でも与田寺でも、田の口薬師でも白鳥神社でも・・・「大吉」やった・・・。たかがくじやからと気にもせんかったけれど・・・。

 右側のおみくじ・・・。

 「いそしみし しるしは見えて ゆたかにも 黄金なみよる 小山田(おやまだ)のさと」

 という歌の下に・・・「することなすことさいわいの種となって、心配事なくうれしい運であるから脇目もふらず一心に自分の仕事大事と励みなさい。少しでもわがままの気を起こして色や酒におぼれるな」以下・・縷々といいことばっかり・・。

 

 仏の顔も三度まで・・。でもなぁ・・、いくらお正月の大サービスやからというても、これだけ、「好きなことやりなはれ」「あんたの思うままの一年や」と言われると、ついつい、その気になってしまうがな・・・。

 で、先の・・・志度寺さんで頂いた「金」の納め札・・・。おみくじの左にある金色のおふだ。お遍路さんの名刺みたいなもので、金色の納め札は、お四国を50回以上回った人が使うもの。

 この裏面に・・・、

 「お遍路人生訓 不幸というのは、不幸の顔が好きなんです。幸福は笑顔が好き。私たちは、生きていかなくてはしょうがない。笑顔でいるしかないんじゃないかな。

 私たちの命は重たく、大切なものだから、一生懸命頑張って生きて行かなくてはいけませんね。   「瀬戸内寂聴・生ききる」

 お大師様のご縁で、この納め札を手にして頂き、ありがとうございます。あなた様が幸せであるようにお祈りします。合掌 大先達 大西一」

 と書かれていた・・・。

 

 今日、本当に私たちは・・・大自然の中で生かされているのだなぁと思った・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


見回して 寒さばかりの 椿園

2012年01月11日 | 時には日々是日

 今日は・・・冷たい朝になった・・。気温的には暖かいのだけれど、風が強くて体感的に冷たい朝になった・・・。

 

 だから・・・例によって例の通り・・・「レキ墓研究」の一日になった。いや、別にベーハ小屋でもいいし、燈台研究でもいいのだけれど、当面・・・二月半ばに予定されそうな・・・「レキ墓研究会」用に資料をまとめておかねば・・・みたいなことで・・・。

 

 季候のいいときには・・・「現地に行こう」」「現物にさわろう」だけれど、寒い時期には移動するにも大変だし、私は呼吸器が弱いものだから・・・。肺炎にでもなったら致命傷・・・。「寒いなら、籠もってしまえほととぎす」織田信長流かな・・・。

 今日は・・午後からお客様が来られるというので・・・早めにおうどん屋さんに行った。ところがどっこい、今日は水曜日・・・。定休日のお店が案外と多い・・・。月曜定休の店、火曜定休の店、水曜定休の店、木曜定休の店、金曜定休の店・・・。土曜定休の店も少しあるか・・。日曜に休む店は製麺所系・・・。

 

 そこで・・・たまたま・・開いていた・・・「手打ちうどん・おかだ」に寄った。たまたま・・・駐車場にも空きがあったし・・・。幸運とはこうしたものだ。求めて得られる物ではない。こうした不幸の最中に・・・・転がり込むのが幸運だ・・・。

 

 で、注文したのが、相も変わらずの・・「しっぽくうどん小」これで・・430円。さすが・・一般店だ。食後にイスを片付けても、食器をカウンターまで運んでも・・・一円のサービスもない。もっとも、そういう期待もしていないのだけれど・・・。具材の・・・おあげ、豆腐、椎茸が・・・田舎風だなぁと感じた。

 

 中程に黄色い紙札が下がっているが、そこに・・「しっぽくうどん小430円」と書いてある。季節限定の張り紙というわけだ。

 

 お客さんは・・・13時半過ぎにやってきた・・・。迷犬ごんが激しく鳴き叫ぶので出てみたら・・・普通のおっちゃんやったが・・・、お名刺を頂くと・・・某新聞社の記者さんだった。

 それから・・・15時前まで・・あんなこと、こんなことをいっぱい話した。けれど、新聞に載るほどのことでもなかったし、昨日のことは忘れたし、明日のことには希望もないし、夢もない・・・。いまだ来たらず明日を思うことなかれ・・・みたいなことで。

 

 まったく・・・面白くない取材になったことだと思う・・・。いや、わざといじわるをしている訳ではないし、情報公開を拒んでいる訳でもない。

 どうだろうかね。皆さんは・・・この私が新聞に載るとしたら・・・どんなコーナーに掲載されるだろうかね。一昨年だかは・・咸臨丸イヤーで、大きな話題にもなったけれど・・。昨年は・・・これということはなくて、ベーハ小屋とかが話題になった程度だったか・・。

 

 今年も目標というものは全くない。ただ、三月末の島四国開場100周年記念法要と、四月11日のお大師参り100周年記念イベントは視野にある。

 

 その後に行われるはずの・・・「英国士官レキの墓研究会」の準備や発表用資料の作成も視野にある。ただ・・その後が・・・霧が掛かった状態で・・・明日の一歩が見えて来ない。それはそれで慌てることはないか・・・。

 

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


森深く 信ずれば良し 初詣で

2012年01月10日 | たまには真剣な研究なども

 今朝もまた・・・大霜の真っ白な朝になった。それでも太陽が昇ってくると一気に霜は溶けて、穏やかな春の日差しに包まれる・・・。でも、その暖かさも今日までとか・・・。明日は「鏡開き」だということで、明日からの寒波を・・「鏡開き寒波」というのだそうだ・・・。

 

 だから・・・今日もお布団を干した・・・。あの「お日様臭さ」が今の時期にはすごく似合う。子供の頃に食べた・・・切り干し大根のお日様臭さを思い出す・・・。

 さて・・・amazon.comから・・・「北の五稜星」という植松三十里さんの歴史小説が届いているのだが、お天気が良すぎて読書にはもったいない。かというて、冬の夜長には眠たくて・・・本など読めない・・・。

 

 この前に買った・・・「お雇い外人の見た近代日本」も、必要なページだけを読んで・・そのまま積ん読状態・・・。全く・・根気のないことだ。

 で、午前・午後を通して、もっぱら・・・「レキ墓研究」の資料集の整理・・・。いろんなメディアにあるレキの墓に関する情報を・・・ワード(Microsoft-Word)文書に取り込んで整理している最中・・・。

 

 「あの情報はどこの本にあった」「こういう情報はこういう本にあった・・」というのではまどろっこくていけない。そこで、「レキ墓エンサイクロペディア」なるものを作れば、「これは何ページにある」「これは・・ここにある・・」と手軽になって一元管理ができやすい。

 

 で、今日のお昼は・・・ホームセンターに寄ったついでに、「こがね製麺所・志度店」になった。ここも「安い」「早い」「旨い」で気軽に食べられるのが気分的に楽・・。

 

 ここには「しっぽくうどん」がないので、「おんたまぶっかけ・ぬくいん・小」を頼んだ。290円だった。要するに・・温泉たまごの乗ったぶっかけうどんで、あたたかいものの小(一玉)ということ。

 

 今日もけいこばぁがアルバイトに出たから・・・さっちゃんのお昼ご飯までには戻らないといけない。だから・・・早めに食べて・・・用事をすませ、夕食の食材を買って・・・11時半までには家に戻らないと・・・・。

 

 午後からも・・・レキ墓の資料投入をやってきたが、なにぶん、飽きっぽいもので、またまた・・散歩に出た。このあたりのお寺や神社には行って終わったので・・・と、さぬき市長尾にある「宇佐神社」に行ってみた。さぬき市にあっても、「U.S.A」なのだ・・・。

 

 ここも三が日には大勢の人が初詣にお参りするらしいが、十日にもなればこんなもので、人っ子一人いない・・。うちのお寺だってそんなものだ。

 

 30円というのは安いね。それだし、電動じゃないのだから、硬貨の重さでバネの力で動くんやろうか。さすがに・・・おみくじは引かなかった。與田時で「大吉」大窪寺でも「大吉」だったから・・そろそろ・・・「吉」くらいになるか知れないと思って・・・。いい加減な判断やね。

  

 ま、よそ様の神聖な職場だから・・・私は下からのぞくだけ。猫の子一匹いないが、境内はきれいに掃き清められているのが気持ちがいい。まさに、「信は荘厳(しょうごん)より生じる」やね。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


線香に 顔差し出して 初詣

2012年01月09日 | ふるさと散歩

 楽しみにしていた三連休はいかがやったですか。小学生なんかも今日で冬休みがおしまい。明日からは学校らしい・・・。娘家族も・・・帰っていった・・・。

 

 朝の間、娘らが使っていたお布団を干して、二階部分のお掃除をやって、プラスチックゴミや空き缶や、空き瓶らを片付けると・・・お昼前になってしまう・・。けいこばぁとさっちゃんは・・親戚筋へお仏壇詣りに出かけて行った。

  

 それならばそれで・・・ということで、私もお出かけをした。途中・・木田郡三木町池戸にある「手打ちうどん・みき」に寄った。香川大学農学部前にあるセミセルフのお店。

 

 今年も懲りずに・・「しっぽくうどん」代金は320円であったような・・・。おじいさんとおばあさんがやってる田舎の食堂というようなイメージ。

 

 厨房におねえさんがいるが、背の高い大林素子風の方・・・。

 おなかがおきたら・・・今度はこちらに向かって走ってみた。

 

 ご存じ、屋島山上にある四国霊場84番札所の「屋島寺」。屋島寺(やしまじ)は、香川県高松市屋島東町にある真言宗御室派の寺院。寺伝によれば、律宗の開祖である鑑真が天平勝宝6年(754)に当地を訪れて開創したという。

 

 近くに有名な庵治(あじ)石の産地があるためか立派な手水鉢が・・・。あまりに大きくて高くて・・・手が洗えない。これは・・・何に使うものだろうか・・・。

 

 本堂は 入母屋造、本瓦葺き。鎌倉時代の前身堂の部材を用いて元和4年(1618)建立されたもの。本尊は木造千手観音坐像で、 像高94cm。平安時代中期、10世紀頃の作。像の保存状態がよく、左右の脇手や光背の二重円相部分なども大部分当初のものが残る点が貴重であるとのこと。

 

 三連休とは言うても、お正月が終われば・・・人影はまばらで、それも散歩をする老人やジョギングをする若者がいるていど・・・。

 

 で、今度は・・・おとなりの山にある・・八栗寺に行ってみた。四国霊場の85番札所になる。お寺に行くにはこの八栗ケーブルに乗る。帰りは徒歩で山道を下ってくる方が楽しい。だから片道切符で登って行く。

 

 八栗寺(やくりじ)は、香川県高松市牟礼町牟礼にある真言宗大覚寺派のお寺さんで、四国霊場の第八十五番札所になる。若い頃には、お寺なのに、なんで鳥居や狛犬がいるのかが不思議でたまらなかった。うちらのお寺には・・・鳥居や狛犬は鎮座してなんかいない・・・。

 

 寺伝によれば空海(弘法大師)がここで虚空蔵求聞持法を収めた際、五本の剣が天から降ってきた。さらに蔵王権現が現れて、この地が霊地であることを告げた。空海は降ってきた剣を埋め、天長6年(829)に再訪し開基したという。このことから山号を「五剣山」という。

 

 延暦年中、空海は唐へ留学する前に、再度この山に登り、仏教を学ぶ念願が叶うかどうかを試すために8個の焼き栗を植えられた。空海が無事帰国し、再び訪れると、芽の出るはずない焼き栗が芽吹いていた。これが八国寺を八栗寺へ改名した由来だという。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


生かされて 今日も目覚める 梅の花

2012年01月08日 | たまには真剣な研究なども

 今日も霜のきつい朝になった。でも、気温は3度とそんなに低くはないが風がないだけ、気分はすこぶる上等だ。

 

 昨夜は娘家族がやってきて賑やかな夜になった。けいこばぁは今日も施設のお手伝い。お正月関連でお休みの人がいるようで・・・。アルバイトみたいなもんだ。その分、娘家族が居てくれるので安心といえば安心・・。

 

 ポリタンクの水も凍ってはいるが、厚さは一センチほど。四国ではなかなかに氷も厚くはならない。で、今日もお布団を干して・・・部屋を片付けて・・・・。

 

 で、例の「英国士官レキの墓問題」の整理として、「QC手法」の中の「特性要因図」で分析することにした。

 

 これが・・「特性要因図」。この場合だと、肥満を治すという目的のために、運動や食事などという・・要素・要因を親骨に選び、さらにその要因を小骨で分析するという手法・・・。

 

 「英国士官レキの墓とは何か?」という問題解決のために、墓碑、艦船、砲弾、人物の四つの要因にわけ、その分析を行うことにした。これで、うまく整理ができたら、パワーポイントでのプレゼンテーションに置き換える・・・。

 

 七草が終われば・・・すっかりとお正月という気分はどこかに消えてしまい、普通の当たり前の毎日に戻ってしまっている。ま、そうそう・・・楽しい日々が続くわけはない。

 

 今日は娘がこども用にカレーにしたので、私はおうどんをゆがいて、その上にルーを載せてみた。私風・・・華麗なカレーうどんになった。ま、レトルトのカレーうどんよりかはおいしいぞ。

 午後から・・・娘たちは・・・雪を見ようと・・大窪寺に向かった。私はさっちゃんがいるのでお留守番・・・。

 

 おりしも・・今日は初薬師らしいが、そんな信仰心なんぞあるもんか・・。門前の天津焼き栗が目的だろうと思う・・・。

 

 我が家のあたりは、すっかりと雪も溶けてしまったけれど、大窪寺の周辺にはまだまだ雪が残っていて、しっかりと雪で遊んできたという・・・。このあたりじゃ、すっかりと雪なんぞ珍しいものだから・・・。で、おみくじを引いたら「大吉」だったと大喜びしていたはやてちゃん・・。

 

 今日の掲示板・・・。いうことはない。そのまんまだ。大自然の中に生かされて生きているこのいのち。かけがえのないこのいのちが尊いものでない筈がない。今日も生かされている。今日も目覚めたら朝だった・・・。そんなほっとするが、ずっしりと重い、このいのちでもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


特別付録>灯台吏員待息所・灯台宿舎及び事務所

2012年01月07日 | 最近は建物研究などを・・・。

 たびたびおたずねが来る・・・灯台に関するお問い合わせについて、調べたもののご報告になる。

 

 灯台(とうだい)は、岬の先端や港内に設置された、船舶の航行目標「航路標識」の一種であって、その外観や灯光によって位置を示す「光波標識」の中の夜標として位置づけられている。

 

 塔状の建造物で、最上部には遠方からでも識別可能な強力な光源を有する。夜間には光源が明滅(大型のものでは光源に前置されたレンズが回転)し、航行する船舶が場所を識別する目印となる。現在多くはコンクリート製だが、木造や石造、煉瓦造や鉄造のものも見られる。

 

 これが明治初期に建てられた坂出市沖合にあった鍋島灯台の待息所で、英国技師のR・H・ブラントンが設計したもので、石造の建物で明治6年に竣工した。壁は奥行き60センチの切石を積み、間取りは中廊下式で部屋には暖炉が置かれ、外側に浴室や便所などが張り出す構造になっている。

 

 内部は洋式で、テーブルやいすが置かれ、事務机、暖炉、ピアノやオルガンなども置かれていた。

 

 この建物は昭和30年まで本来の宿舎として使用されたが、その後は海上保安庁の通信施設となっていた。

 

 これは淡路島北端にあった江崎灯台の待息所。これもブラントンの設計によるもので、我が国八番目に点灯した洋式灯台であった。先の阪神・淡路大震災で被災したため、この地に移転復元されたもの。本格的な石造建築で」当初の木造トラス構造を残すなど「洋式灯台の黎明的な建物である。

 

 この待息所は、「おいら 岬の灯台守は・・・」という主題歌で有名な「喜びも悲しみも行く歳月」という映画で知られる・・・灯台守たちの労苦のしみこんだ住居であった。最果ての岬や絶海の孤島で灯火を守り、沖行く船の安全を支えた灯台吏員とその家族たちの哀感はいかばかりであったか・・・。

 

 我が国の洋式灯台の初点灯は明治二年元日、東京湾入り口に当たる観音崎灯台であった。江戸幕府が米・英・仏・蘭と結んだ条約により灯台が建設され、その事業は明治政府へと引き継がれた。

 

 いわゆる「お雇い外人」の指導の下に、建設の第一歩を踏み出した。中でも英国の技師R・H・ブラントンは日本国内に28基の灯台を設計・監督し、「日本の灯台の父」と呼ばれている。

 

 待息所も時代とともにその内部は変遷し、愛媛県松山市沖にあったクダコ島灯台は明治35年に着工し、翌年に竣工・初点灯したが、この建物はレンガ造りのモルタル仕上げ。内部は左右二つに分かれて二家族用になっていて押し入れ付き和風の畳敷きで、かまどや風呂もレンガ造りとなっているのが興味深い。

 

 この待息所は明治後期の建築であり、部屋も和風の「要素が強くなっている。洋式灯台初期のものとはいくつかの点で違いが見られ、我が国の灯台建築の変遷を知るうえで貴重な資料となるだろう。

 

 瀬戸内海ののどかな島に、調査と工事のために訪れた黒船と碧眼紅毛の異国人に素朴な島民は驚き、長老は裃袴を着用し、刀を携えて出迎えたと紹介されている。

 

 時は流れ・・・昭和30年代になって、灯台は次々と無人化され、電子化されてゆき、人々の喜びや悲しみを見守ってきた灯台吏員待息所はその役割を終えていったのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


元気かい 寒中見舞いに 見る絆

2012年01月07日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今日は霜もなくおだやかなお正月らしい朝になった・・・。今日は「七草」だというが、我が家はそんな情緒のあるものを食べたことはない・・・。

 

 で、寒中見舞いを何枚か・・・というても、十枚ほどはあっただろうか。それを書いて出して・・・。喪中欠礼の方へのご挨拶・・・。

 

 今、レキ墓研究の一環として「灯台寮」とか「水路史」とかを調べているものだから、県立図書館に行ってみた。でも、そういうのは一般的ではないものか、私が探すのが下手なものか・・・わからない・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 で、高松市屋島中町にある民家園「四国村」にも行ってみた。「百聞は一見にしかず」ということだ。一般は800円。この中にギャラリーがあるが、それを見るときには別料金が必要になる。

 

  すると・・・大きなキャリーバッグを引いた娘さんがぞろぞろと集まっている。今の時期だから観光客かな~と思っていたのだが・・・。

 

 そのあたりで着替えを始めて・・・。和装っぽいね。髪が紫・・・。羽織に袴、刀やら槍やら・・・。侍ごっこ?武芸者のコスプレ?・・・。

 

 おりしも・・ここでは「正月飾り展」もやっている・・。二月末からはひな祭りも行われるし・・・。すると、あちらこちらに・・・白いセーラー服に紫の頭とか・・・黒い陣羽織を着た娘さんとか・・・。年頃は・・・高校生らしい・・・。

 じろじろ見たり、カメラを向けるとやばそうなので素通りしたが、彼女らは何をやってんだ??

 

 目指すのはこれ・・・。灯台吏員待息所:とうだい・りいん・たいそくしょ」という、灯台職員の事務室兼住居兼休憩所。ここには三棟の待息所が保存されているが、どれも石造りの堅固なもの。壁の厚さは・・・60センチはある。どんな台風や地震にも耐えられそうな建物だ。

  

 林の中にも・・・変な・・・娘さんたちが・・。ま、そういうのは無視して・・・出口に急いだ。おなかがすいてきたのだ。そこで、隣接する「わら屋」に寄ったら・・・お正月の土曜日ということで・・・行列になっている。短気の私はそこを離れて・・・別なお店を探した・・・。

 

 で、「さぬきうどん大木戸」に入った。この時には数人の客がいただけだったので、のんびりとおうどんを注文した。ここにはしっぽくうどんが見えなかったので、カレーうどんを注文した。

 

 冷たい空気の中を歩いた者だから、こういう温かいものがおいしい・・。麺がなめらかで・・・のどの奥に滑り込んでゆくようだ。カレーも辛くもなく甘くもなくて・・・あっという間に完食。これで410円。ここは珍しく・・・「ハーフ・セルフの店」と書いてある。さぬきのうどん屋のほとんどが、ハーフ・セルフかプチセルフ・・・。本当のセルフうどんは製麺所とかのかけうどんくらいなもの。

 

 今日、見つけた掲示板がこれ。上手な字だなぁと思ったが、なんとなく当たり前すぎて・・。

 「一年の計は元旦にあり」というのは昔からの言葉だけれど、元日の朝に、そう、簡単に一年の計画ができるはずがないし、今日一日の計画を、朝っぱらから考えられるはずもないし。ましてや・・・一生の計画を・・・今の今にやれと言われても・・・。

 「一夜賢者の経」のように、「未だ来たらざる明日を思うことなかれ」のほうが、私は好きだなぁ・・・。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


門前の こんにゃくを買う 初詣

2012年01月06日 | ふるさと散歩

 今朝は大霜の冷たい朝で、不動庵の手水鉢の水もすっかりと凍っていた。今日はいい天気だからと、またも布団を干した・・・。

 

 朝の間は・・・ネット・サーフィンをやったり、ブログ巡回をしていたら、こんなものが目に付いた。

 

 左が昨年の正月三が日の人出数、右が今年のもの・・。若干、今年の方が増えているかな。震災関係でお願い事が増えたのかも・・・。

 で、香川県東部では、与田寺が6位、田の口薬師が10位になっている。でも、順位って、毎年、変わらんのだろうかね。で、今日は・・・11位の大窪寺に行ってみた・・。

 

 さすが・・・霊山だけあってか、雪が残っている・・・。道路は除雪したようで、道の左右に、このように雪が残っているが、路面に雪はない。

 

 すっかりお馴染みになった・・・四国霊場88番札所の大窪寺。まだ、屋根には雪が残っている。さすがに六日ともなると、お参りの人もぱらぱら・・・。お遍路さんも四組ほどがお参りしていた程度。

 

 たまには・・おみくじでもと、引いてみた。大黒さまつきで200円。だからという訳でもないだろうに「大吉」という大サービス。でも、思うがママに生きられるほど、世の中、そうそうは甘くないぞ・・・。

 

 境内のあちらこちらにも雪が残っている。集められた雪は溶けにくいのやろうね。でも、こういう山間のお寺まで初詣に来る人というのは信心深いんだなぁと思ってしまう。

 私は人混みが苦手、人の声が煩わしいので、こうしたみんなが来ない時でないと動けない。

 

 さて、ここに来たのならば・・・ということで、このお店に入ってみた・・。大窪寺門前の「八十八庵(やそばあん)」というお店。半分はお土産物屋さん。お店の中にも数人だけのお客さんがいるだけ・・・。

 

 お目当ての「打ち込みうどん」は、お正月期間は二人前以上・・と書いてあったので、それをあきらめて、いつものしっぽくうどん」にした。これで・・500円。ノリが乗っているのが珍しい。麺は手打ちのようで野武士のようでまろやかさはないが、コシが強い・・・。

 

 その・・私が食べている前で・・・某テレビ局の取材が始まった。このはちまき姿のおっちゃんが店長の井川さん。高校の下級生・・・。すっかりと店長も従業員もテレビなれしている・・。

 

 今日はけいこばぁが施設のお手伝いに出かけたので、さっちゃんのお昼ご飯の用意をしなければいけないので、さぬき市長尾経由で戻ってきた。

 

  昼からは・・・またも、レキ墓研究を少しばかりやっていた。会社でQC活動というのが盛んになったことがあった。QCをやらないものは社員でない・・・みたいな風潮まであった・・・。そのQC手法の中の・・「特製要因図」というものを使って、レキ墓問題を整理しようとしている訳だ。

 

 今日の掲示板はいとも平凡だけれど、「再び通らぬ 一度きりの 尊き道を いま歩いている」。平成24年1月6日の今という時間は再び来ることはない。そんな一度きりの尊い時間の道を、私たちはいま、歩いているのだ。無駄にしてはもったいない。ぼんやりしててはもったいない・・・。

 そうして・・貴重な・・今日という日が暮れる・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


思うこと 思うがままに 黄水仙

2012年01月05日 | 時には日々是日

 今朝は比較的暖かい朝になった・・・。「正月や 寒い日もあり 温い日も」みたいなもんか・・・。

 

 さて・・・「正月明けに来て下さい・・・」とドクターに言われていたもので、はや、二週間にもなるのか・・と思いつつ・・・病院に向かった。いつもの「プラザキサ」二週間分の調薬診察のためだ。

 

 で、その途中にある・・「田ノ口薬師」に寄ってみた。ここも厄除け祈願で有名なところ。三が日には大混雑することで知られているが、さすがに・・・五日ともなると参詣人はパラパラ・・・。露店も撤去が終わっていて、がらんとしたもの。広大な駐車場(普段は田んぼ)もがらがら・・。

 

 信仰心の厚い人は・・・それなりにお祓い料をおさめて祈祷を受けているし、「五体投地」をやっている娘さんもいるが、ご覧の通りに靴があるだけ・・・。

 若い頃にはお仕事でお邪魔したことはあるが、この建物の中に入ったことはない。よそさまの職場に入り込むのもどうかと思って・・・。

 

 これはお庭においてある鍾乳石だが、隙間という隙間に・・・お賽銭を挟んである。この石の根元にも・・・。すがりたい気持ちはこんな形で表現されるのかな・・・。

 

 この石臼に、年の数だけの一円玉を入れて、さらにこの木の杵で、年の数だけ撞くのだそうだ・・。それで・・その人のこころが軽くなるのならばそれはそれでいいのだろうけれど。

 

 ここは、本当は「月光山青宝院薬師坊東照寺」という真言宗のお寺。本尊は空海作と伝えられる薬師瑠璃光如来。開基は奈良時代に僧行基。ここの本尊は、弘仁十二年、弘法大師空海が満濃池修築しての帰路、この寺に立ち寄って、讃岐、中国、インドの土で作った乾漆塑像で、背面に空海の手形と名前が刻んであるとのこと。

 

 それはそれとして、私は病院に行かなくっちゃ・・・。正月明けだと言うことで、駐車場はいっぱいだったが、かろうじて車を駐めて病院に・・・。

 

 待合室はそんなに混んでいなくて・・・。薬だけの私は・・五分ほどで終わってしまった。あと、処方箋を薬局に送ったり、会計をすませても・・・十五分ほどでおしまい・・。

 その後、市役所からの調査物の「集落内の空き家調査票」を支所に届けに行った。なんでも、防犯上の理由からだというが、山間部以外でも・・・空き家というのはずいぶんと増えているんだろうね。

 

 で、奥方特製うどんから解放されて、今日は普通のおうどんになった。町内にあるセルフのお店、「すぎもと」。昨日まで休みだったようで、今日が仕事始めらしい・・・。

 

 で、久々の・・・しっぽくうどん。お豆腐とか椎茸、お揚げとかが入っていたし、こういう・・・大きなネギが入ってる・・・。新メニューかなぁ・・・。前からこうやったのかなぁ・・・。頭の中の引き出しの中がごっちゃになってきた感じ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。単純明快、「朝は希望に燃えて起き、昼間はお仕事に学問に努力して生き、夜は、今日があったことに感謝して眠る・・・」

 一円玉に悩みを託さなくてもいい。「厄」という鬼におびえなくてもいい。神様や仏様に後生を託さなくてもいい。すなおに起きて、すなおに働いて、やすらかに眠ればいい。今日も生かされたことに感謝すればそれでいい・・・。

 ここの和尚さんの太っ腹に拍手だな・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


雪となり みぞれとなって 初詣

2012年01月04日 | 自然ありのままに

 今朝は朝が来るのが遅かった・・・。たぶん・・・曇ったまんまやったのかなぁ・・・。

 

 で、ごんの散歩が終わった頃から雪になりはじめて・・・。だから・・午前中は雪ばかり・・。でも・・南国香川だから・・・そんなに大騒ぎすることでもない・・・。

 

 畑や田んぼはこうして雪で真っ白にはなるのだが、道路に降った雪はすぐに溶けて流れて・・・水になる。ま、よほでないと道路に積雪することは珍しい・・・。ま、山道に入ると積雪は見られるかな・・・。

 

 我が家の旧宅の屋根にもうっすらと雪が・・・。

 その合間には・・・「レキ墓研究」もやっておかねば・・。

 「1868年(明治元年)、江の浦の庄屋で医師であった岡良伯は、その墓標の朽ちたのを見て、捨てておけないこととし、しかし、邪宗門の譏(そし)りをはばかって、京会計官攉伴事長谷川三郎兵衛という仮の名で、寺院の過去帳に搭載し、新たに花崗岩にて石碑を造って建てた。」

 

 という有名なくだりの中の赤文字部分と、緑字の部分が妙に気になっていた。「京の会計官<かく>伴事・・」と書いてあるが、その<かく>という字も見つからないし、意味がわからない。これは何なんだろうか・・・と、考えていたら・・、今日、ようやくにそれらしい言葉にぶつかった・・・。

 「真田家文集目録」という古文書の中に、「長谷川三郎兵衛書状」『会計官権判事へ転出挨拶』 つまり・・・<かく>ではなくて、<ごん>判事。准判事・・みたいなもの。なんだなんだ・・。

 ちなみに、会計官・長谷川三郎兵衛という人は、燈台寮の会計官で、灯台建設に関する全会計を担当した人物・・・。ということは、英国士官レキは・・・燈台建設に従事していた人でなければならぬ・・・。またまた・・泥沼に入ってしまう・・・。

 ということで、今日はここに行ってみた。昨年末に開店した、町内のうどん屋の「まるたけ」さん。

 

 外は冷たい風が吹いているし、雪もちらついているからと・・・10時半の朝昼兼用のおうどん。そういう時間帯でも、数台の車が停まっていた。やはり年末年始はありがたいうどん屋さんだと思う・・・。

 

 で、久々におうどんらしいおうどんということで、肉うどん小のみで400円。麺が細くてなめらかだなぁと思った。お肉もそんなに硬くなくて食べやすかった・・・。

 

 午後からは・・・ウソのように晴れ渡って、雪はあっという間に消えてしまった。だから・・運動を兼ねて・・・隣町にある「与田寺」に行ってみた。ここは厄除けの寺と言うことでお正月にはにぎわうところ。與田寺(よだじ)は、香川県東かがわ市にあるお寺で、山号は醫王山、院号は虚空蔵院。真言宗善通寺派のお寺で、四国霊場八十八カ所総奥の院、さぬき七福神の一つ(寿老人)としても知られている。

  

 厄除けには一円玉を多量に使うらしい・・。というても、年の数だけらしいが、厄年の年の数だけの一円玉を入れてお願いをしたり、厄坂という石段に年の数だけおいていくらしい・・。だから・・そのあたりに一円玉がいっぱい・・・。お賽銭も一円玉が多い・・・。

 

 ま、42円とか60円で健康になれたらありがたいことだ・・・。私は・・・写真だけ撮って、一円も使わずに戻ってきた。厄年もとっくに終わったし、あとは・・垢(あか)が残るくらいなものか・・・。

 

 三時を過ぎたら・・・、また冬空に戻ってきて、冷たい風が吹き荒れるようになった・・・。何年か前に肺炎になりかけて大騒ぎになったもので、これからは注意深くしないとだね・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


この家の 全て住人 シシにサル

2012年01月03日 | 時にはぼぉっ~とする時

 昨日はにぎやかな午後だったが、打って変わって、今日は静寂そのもの。ときおり・・サル軍団の嬌声が響いては来る・・・。先輩老人達は・・「いうたらいかんもん=サルは去るに通じるから」とか、「山の息子」とか言うのだが・・。どっちにしろ・・サルは猿だ・・。新年早々・・・縁起でもないか・・・。

 

 今日もまだ・・・「外出禁止令」が出たまんまなもので、どこにも行くことができない。そこで、このブログのタイトルになっている俳句を集めて俳句集にまとめようと・・・それをワードに入力する作業を半日やって、七月まで戻ったが・・・60ページくらいになって、飽きてきた。自分でいうのもなんだが・・・くだらんね~。

 

 その日その日は・・・納得した俳句だと思ってきたが、読み返すと面白くない・・。これを句集に残すのもなんだかなぁと思ってやめた・・・。打ち立てのうどんはおいしいが、時間が経てば食べられないのと同じだなぁと思った・・・。売り出したばかりのゲームには熱中するが、一年もしたら陳腐な遊びになってしまうみたいか・・。だから・・・のぼさん・・(正岡子規)の句はすごいんだなぁと思ったりする・・・。

 

 それと並行して・・・うどん情報として・・・毎日に食べたうどんを一覧表にもしようと考えたが、これまた・・・ばかばかしいので途中で挫折・・・。新年早々からバカやってるね・・・。

 

 そんなんで、今日のうどんはこれだった・・・。「これのどこが特製うどんなん?」って訪ねると「まぁ。食べてみてちょうだい・・・」このエビ天の横に入ってるのは・・・「クワイ」・・・。「カワイメガネ」というのは知ってるが・・・クワイ入りうどんは突拍子もない・・・。ま、言うたら・・「おせちうどん」かなぁ・・・。

 しっぽくうどんに似てるといえば似てなくもないが、へんなおうどんには違いない・・・。

 

 しかしのかかし・・。「もういくつねると~お正月 お正月には凧揚げて コマを回して遊びましょ・・・」と歌ったものだけれど、そういう風情はどこにもなくて、「もう、幾つ寝ると和尚が2(ツー)。お正月には酒飲んで、ブログを書いて遊びましょ~」やね・・・。

 

 今日は・・・午後からも猿軍団の襲撃がひどくて・・。我が家の周囲を見知らぬ乗用車が徐行運転で動きまわる・・・。こどもたちにすれば・・・無料の動物園。ただでお猿軍団が楽しめる・・・。あちらでもこちらでも・・・ハザードランプをつけた乗用車が止まって・・・猿見物。それが邪魔だからと・・・ほかの車がクラクションを鳴らすが、お猿はちっとも動じない・・・。我が家のダイコンを抱えてお食事中・・・。

 

 それも・・・葉っぱのついている部分を折って、上の甘い部分だけを食べて、後の先っぽの辛い部分は残して捨てる・・・。横着な食べ方するから・・・我が家のダイコンは全滅状態・・・。ま、人間様は・・その先っぽの辛い部分が好きだから・・・あんまり怒ってばかりもいられない・・・。

 欲を言えば・・、もう少し太ってから・・・収穫してくれたらありがたいのだけれども・・・。

 

 でも、年賀状・・・。喪中欠礼で、年賀状を頂かないと・・・それっきりになってしまうことってあるでしょ。このまま・・・どうでもいいか・・って、忘れたふりしてると、思い出したように賀状を頂いて・・・「しまった、しまった、島倉千代子・・・」となってしまう・・・。

 それだし・・・その昔・・・ニフティーなんかでオフ会した人とか・・、すっかりとご無沙汰してるから・・・と思って、宛名書きソフトのデータを消したとたんに、また、賀状を頂いたりする・・・。「困った,困った・・・こまどり姉妹」

 なんだかんだで・・・お正月三が日も終わってしまったことだった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


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