これも毘沙門天と言うことです。
昔の人は村のはずれにあるお堂におさめられている仏像に手をあわせたのでしょう。
日本人は生まれたらお宮参りで神道のお世話になり、亡くなるとお葬式は仏教にお世話になる。
これは外国人にとって妙で、日本人は信心がないとか、うすいとか言う。・・・・赤塚風に・・・それでいいのだ。
松本の親戚の法事にお寺の若が来た。まだ、大学をでたばかりのホヤホヤだった。お経もまだ覚えていないらしく教本を読んでいた。
終わってある方が「お経がまだ頭に入ってないかい」と言うと、若は「読経」と言うのは漢字のごとく「お経を読む」ということです。・・・すばらしい回答であった。