武田光弘画楽多製作日記

暇をもてあそび造形してます。作品として形としてまとめたものなどを見ていただきたい
と思っています。

真田家の存亡

2011年12月21日 | Weblog
六文選の旗印で活躍した真田幸村は父と西軍に、兄信幸は東軍にわかれ大阪冬の陣で戦った。
真田家の生き残りをかけ、敵味方に分かれた話は有名だ。・・・こういう時代だからこういうケースはあったのだ。このころは「地方の時代」で各地で地方の豪傑が力をもっていた。・・・・・そろそろ「中央集権国家」に進んでいくのだ。



・・・ここのところメデアでは金家の系図など出し、継承問題を種にしている。あちらは兄弟は三人で末弟が選ばれている。
日本の大手の企業では、創業家二代目がカジノで、やたらと負けた。二代目はなかなかむずかしい・・・・親父の背があり、よくも悪くも無一文からたたきあげた一代目と違うのだ。

忘年会考

2011年12月20日 | Weblog



「もういくつ寝るとお正月、お正月にはタコ揚げてこまをまわして遊びましょう」というのどかな歌があった。
予定の忘年会も終わり・・・・そういう心境である。
「忘年会」はもともと家庭の行事だったらしい。家族や奉公人が集まり酒宴を催し一年の苦労をねぎらい無事を祝いあったのだ。室町時代からあったとか。
今とはちょい違うのがもともとだった。

北朝鮮の金主席が亡くなったニュースが大きく報道されている。「地上の楽園」と言われ海を渡っていった同級生のNさんはどうしているだろうか。・・・・どう変わっていくのだろうか。それとも変わらないのか。

暮れのたわごと

2011年12月19日 | Weblog
今日は朝から冷える日だ。こういう日はコタツからぬける必要もない。昨晩のテレビサザエさんでもコタツのことをやっていた。
波平父さんが事情あってコタツを止めると宣言、勝男君があたふた・・・・という話だった。
そういえば
最近、シモヤケと言う話は聞かない。昔は手を真っ赤なにした子どもがいっぱいけど・・・・暖房とか・・・生活がよくなってると言うことかな・・・・・九州では「しもばれ」と言うらしい。この方がピッタリしてるかも。

寒くなると風邪も心配だが、「今年の風邪は長いぜーーーー」「なかなか、ぬけねええーー」と言うもうひいてる方二人にいきあった。私より年配の方だが油断大敵だ。

ま、どうでもいい話に終始した。

戦争終わる・・・

2011年12月18日 | Weblog
朝ドラを見る。
時代は戦争時だ。前のドラマも戦争時だ。
この時代は山あり、谷あり・・・日本にとっても非情な時代だった。ドラマとしても共感を呼ぶのだろうか。

戦争によって生まれるものはない。
イラク戦争が終結した。かってにやりはじめたアメリカが、かってにやめた・・・・日本はすぐ賛同したこの戦争も、本当は終わってなくこれからが大変だ。


第二次世界戦争・・・シベリアに多くの人たちが捕虜としてソ連に連行され強制労働についた。そして多くの人が亡くなった。・・・・この事について現在のロシアで学校の授業として現地の収容された跡地を掘起こし、歴史を学習していることが紹介された。
そういう取り組みがあったことに少なからず驚いた。他国のことはよく理解してないのだ。その時のチタという町の紹介があった。・・・その昔、義経が奥州からのがれ蝦夷から大陸にわたりジンギスカンになったとう話。・・・だから各地に義経に関係した町名が残っている。そのひとつがチタだ。・・・・チタは知多半島のチタのことだろう。そんなことを思い出した。

松の緑

2011年12月17日 | Weblog



あの災害の中、生き残った一本松が枯れたそうだ。
政府は第一スッテプは終了し、冷温停止状態は達成されたと発表した。事態は変わらず誰もひとつ終わったと言う思いはない。
昨日テレビでチェノブイリの事をやっていたが、もとに戻るはとんでもない時間が必要だし、もどっても消えることはないのだ・・・。

正月だから松は欠かせない。一本松も種を採ったりして子孫をふやしているそうだ。
電灯以前はランプ油を買えない家では松の幹の赤い部分を取って来て、それを燃やし照明にした。赤い部分はヤニがしみこんでいる。

俳句の季語に「緑摘む」と言う春の季語がある。これは松の緑・・・新芽のことだ。緑と言うのは、もともと「新芽の色」と言うことで、赤ちゃんを「みどり児」と言うのは生まれたてと言う意味だけど・・・・蒙古斑の緑だとか言う人もいる・・・・

レポーターの役目

2011年12月16日 | Weblog

北朝鮮の朗々と叫ぶ女性のアナウンサーが登場しなくなったそうだ。
引退とか、裏では粛清があったのでは・・・とか言われているらしい。全容を知られていない国はわかりにくい。なかなかスクープも出来にくい。こういう時には普通レポーターと言う役割の人が活躍するのだが・・・・・

この12月14日は有名な赤穂浪士の討ち入りだ。1703年のことだ。
天下泰平の江戸の世をビックリさせたニュースで、すっかり江戸の町人の人気をさらった。これが歌舞伎の台本になってアレコレ加えられて、面白く盛り上がったらしい。
仇役の吉良の殿様は、とても良い殿様で・・・・地元では賢君だそうだ。これが本当らしく浅野の殿様は病気らしい・・・・というのが最近の真実らしいが、芝居の脚本家が一応面白く楽しく後世に伝えたのだ。

昔、わたしの生まれたところでは農民一揆があった。西暦で1825年12月14日だ。
生家は庄屋をしてたので家・蔵がメチャメチャ壊されたそうだ。この様子を諏訪藩の藩士六角鬼洞(もろずみきどう)がたまたま大町に来ていて、この事件を記録に残した。これは冷静に客観的に見てるので、すぐれたレポーターだ。
記録に残すことは歴史の一ページになりうるので重要であり、かつ貴重だ。
この一揆を「赤みの騒動」という。

師の歌声

2011年12月15日 | Weblog
由紀さおりさんの歌声が二ューヨクの人達をうならせた・・・そうだ。
日本的な感性があちらにはないかもしれない。

ご本人は以前、自分の歌が町に流れていて・・・・みなさんが聞いてくれている。以前は、そういう実感があったそうだが・・・・今日は個人個人がダウンドウロして聞いている累計なので・・・ピンとこないとか言ってた。

クリスマスが近いので店屋に行くと。音楽をガンガン鳴らしてうるさい。音を出せば、にぎやかで人がくると言う発想だ。・・・なるたけ静かなところに行くことにしてる。

「声振林木」と言う熟語がある。
昔、中国に「せったん」と言う声楽家がいた。歌を「しんせい」に学んだ。ある時、師からすべて学んだと別れを選んだ。師は送別に悲しみの心をこめ、別れの歌を歌った。

声は森林を振るわせ、響きは行く雲をとどめたと言う。
この歌に接し「せったん」はあやまちを知り、まだ学びたりぬと師のところに留まることを選択したと言う。

そこからその熟語が生まれた。学びとは深いもので、自分で到達したなど判断できるものではない。・・・・・・・・・。

くれぐれも歳の暮れ・・・・

2011年12月14日 | Weblog

川へいく時はのの様の飯を食べて行くと河童に化かされない

味噌ぜいを食えば貧乏になる
     ※味噌ぜいとは味噌そのままのこと

餅に塩つけて食べるものではない

食べてすぐ寝ると牛になる

こどもが茶のむと黒くなる

小食の者は長生きする

めしをたって食べるとこじきになる

昔のめいしん・ことわざの類・・・・・・こどもは理屈もなく信じるのだ。

お経のありがたさ

2011年12月13日 | Weblog

これも毘沙門天と言うことです。

昔の人は村のはずれにあるお堂におさめられている仏像に手をあわせたのでしょう。
日本人は生まれたらお宮参りで神道のお世話になり、亡くなるとお葬式は仏教にお世話になる。

これは外国人にとって妙で、日本人は信心がないとか、うすいとか言う。・・・・赤塚風に・・・それでいいのだ。

松本の親戚の法事にお寺の若が来た。まだ、大学をでたばかりのホヤホヤだった。お経もまだ覚えていないらしく教本を読んでいた。
終わってある方が「お経がまだ頭に入ってないかい」と言うと、若は「読経」と言うのは漢字のごとく「お経を読む」ということです。・・・すばらしい回答であった。

厳しい世情

2011年12月12日 | Weblog

松本のサッカーチーム山雅・・・いよいよJ2に昇格するようだ。
経済効果も試算され・・・・期待されている。期待を裏切るとサッカーは監督がすぐ首になる。野球のようにしばらくは・・・・と言うことはないらしい。
ま、どこでもトップは厳しいのだが・・・・わが国は自分に甘く、他人に厳しいという政治家も多いのでは・・・・・・
写真の厳しい顔をしてるのは大町市にある毘沙門堂の毘沙門天がモデルである・・・・・・あんまり知ってるのを作ると「似てるとか似てない」になるので・・・・あんまり知られてないをモデルにいたしました。(////と言っても本人がみても似てない。)