今、道路を走っているバスやトラック以外の車を見ると、そのほとんどはワゴン車やSUVと言われる、人間の乗車しているところと貨物室が一体となったものだ。そのなかでも、最近は背の高い、大柄な車が目につく。このくらいのサイズの車であれば乗り降りに体をかがめる必要もなく、子供であれな車内で立ったまま移動することもできそうだ。さらに、何か大きな買い物をした時や、ちょっとした家具を運ぶときなどにも無理なく積むことが出来る。これまで主流だった、前にボンネット(エンジンルーム)があり、後部にはトランク(リアデッキ)があるいわゆるセダン型と言うのは今や非常に不人気なのだそうだ。家族が車で移動する時には荷物を沢山収容することが出来て乗り降りしやすいワゴン車が便利なことは言うまでもなく、このタイプに人気が集まるのは当然のことだと思う。
自分はと言うといままで、日本でも海外でもかなり多くの車に乗ってきたが、それらはどれもいわゆるセダン型だった。しかし、ではこれからワゴン車やSUVに乗りかえるだろうかと言うとそうはならないように思う。セダン型を好む人は、一部には高齢者だという話がある。それは必ずしも否定はしないが、年齢にかかわらず、自分にとっては、人間の乗る部分と、荷物のある部分は分けたい、と言う気持ちがある。乗員のスペースは、家に例えれば居間か応接間のようなもので(特に他人を乗せるというような場合)、荷物の利便性や乗り降りの便利さだけでは割り切れないところがあるからだ。
例え乗り降りの際に少しばかり窮屈に感じても一旦車内に落ち着いてしまえば、むしろ走行時にはその落ち着いた乗り心地、安定感が好ましく思われる。さらに、人間の乗っているスペースだけとなると、しっかりと包まれる感じがあるし、会話や音楽を聴いている時も自然で、静かな雰囲気を保つことが出来るように思う。もっとも、荷物のスペースと同居することに抵抗感があるというのがそもそも年齢のなせる業なのかもしれないが、やはり、荷物はしかるべきところに収容されるべきと言うような感じか。こういった意識は、普段から荷物の多い、例えば子育て中の家族から見れば単なる見栄、として失笑されるだろうが。
何度か知人や友人を自分の車に乗せたことがある。一緒に買い物に行ったときなどには、買い物をトランクに収めておけば、途中、例えばレストランに入るようなときには通りすがりの人に車の中の荷物を見られてしまうようなことはない。さらに、堅牢なトランクに収められているという(防犯上の)安心感もある。ニューヨークに駐在したある時、知人の女性を乗せて郊外のショッピングモールに案内したことがある。大体の店を紹介したのち、彼女が一人で少し歩き回りたい、と言うので、こちらは、BOSEの店で時間をつぶして待ち合わせ場所で落ち合った。その間、その知人は当時日本でも人気だったある女性ブランドの店でたくさんの買い物をしてきたのだった。その買い物袋はピンクでとても目立ったのだが、その時にはトランクが大いに役に立ったものだ(もっとも誰もこれだけの理由でセダン型を選ぶわけはないか・・・)
自分が子供の頃は乗用車といえば、4枚ドアのセダンを意味していたように思う。しかし、こうもワゴン車やSUVと言われるタイプの車が道路を席捲してしまい、かつての伝統的な車の数が減ってしまうと、今の子供たちにとっては、車と言えばセダン型ではなく、ワゴン車を意味するということになるのかもしれない。時代とともにものの見方は変わってゆくものだからそれも当然と言うべきなのだろう。セダンは絶滅危惧種、なのかもしれない。
セダン型の典型ともいえるひとつを。