摂津国老朗おじさんのスローな日々

関西の四季を楽しむ老朗おじさんがゆるゆると瞑想しながら、植物観察と徘徊のスローな日々を楽しんでいます。

山の辺の道を歩いたで(古人の読んだ和歌を想いながら)

2017年12月04日 | 関西の四季

見出し写真は山そのものがご神体となっている三輪山。より詳しく言えば、神である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が三輪山に鎮(しず)まっているために、お参りをする人びとはこの三輪山をおがむのです。古い信仰の在り方が今も残っていて…興味深いです。こうした古代信仰が幕末維新の騒乱や廃仏毀釈の嵐を経て、いつのまにか、国家神道や偏狭な皇国史観に変貌を遂げた面もあることは神さまにとっても遺憾なことだったでしょう。古代の八百万(やおよろず)の神々は大自然そのものように、素朴でおおらかな存在であり、目を吊り上げて偏狭で観念的な絵空事を叫ぶイデオローグとは趣(おもむき)がかなり違うと思うんですよね。

11月の第一土曜日は山の辺の道を近鉄大阪線桜井駅からJR桜井線(愛称は万葉まほろば線)巻向駅まで歩きました。空は澄み、風は穏やかで…万葉人の詠んだ歌を愛でたりして…今思い出しても…最高な気分の秋の一日でした…
大和路を歩くとこんなふうな歌碑があります。歌碑番号10番と53番。
大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し  倭建命(ヤマトタケルノミコト)古事記

私の思いっ切り思い込み鑑賞では【大和はええとこや…山々に囲まれた大和は…ほんまに美しいええとこや】                  
 kn
左は歌碑番号10番 井寺池のほぼ中央の堤にある 揮毫は川端康成  右は歌碑番号53番 大神神社祈祷殿のそばにある 揮毫は黛敏郎 [写真は桜井市HP万葉歌碑巡りよりお借りしました]

⇐ 上の写真のように歌碑が穏やかな風景の中に在ったのですが…ヤマトタケルノミコトも権力をめぐる政争や戦(いくさ)の苦労の果てに、望郷の念に駆られながら亡くなったんや…と、気の毒に…と、思ったりしました。
三輪山の麓に連なる社寺や歌碑を歩きながら、はるかな時の流れは過去の人々の営みを、美しくロマンチックに見せがちだけれど、政争や戦(いくさ)がどれほどの悲劇を作り出してきたかは、現代にも通じる問題だと感じたことです。



歌碑番号19番 磯城嶋公園の中、大和川のほとりにある 揮毫は皇国史観でバリバリの神がかりじみた平泉澄で今の世では少し違和感を感じる人ではあります。今回は立ち寄れませんでしたが…これなんかも和歌そのものは素晴らしく良いものですね。
しきしまの 大和の国は 言霊(ことだま)の さきはふ国ぞ まさきくありこそ  万葉集 柿本人麻呂  [左下の写真 この写真は桜井市HP万葉歌碑巡りよりお借りしました]
私の思いっきり勝手鑑賞【日本の国では 言葉そのものに幸せをもたらす霊的な力があるねん…だからどうぞご無事でと餞(はなむけ)に祈りを込めてことばに出して言うで、無事でいてや、と】
一言いえば、キリスト教やギリシャ哲学など世界の普遍性をもった宗教では言葉そのものの中に神や理性・霊性をひっくるめた大いなる力を観ていると思いますね。(理性と呪術的な力、霊性をごっちゃにしたら何だか叱られそうですが…)その意味で言霊(ことだま)のさきはふ国は日本だけに限ったことではないと思うのですが、ことばには大いなる力があることを万葉人がしっかりと認識していたことは素晴らしいことだと感動を新たにします

 
ちなみに右側の写真は古事記にある
伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)の和歌の歌碑

狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす  古事記 伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)
歌碑50番 歌碑の場所 狭井神社を北へ過ぎ細い小川のような狭井川を渡ってすぐ道沿いの月山記念館の横に東面して建つ。
揮毫は 月山貞一(日本刀の鍛冶屋さんの名手・人間国宝)
歌の解釈 狭井川の方からずっと雨雲が立ち渡り、畝傍山では木の葉がざわめいている。今に大風が吹こうとしている
イスケヨリヒメはこの歌を詠むことによって我が子を政治的暗殺から救ったといわれています。
日本の古代って結構どろどろと血なまぐさいですね。
檜原神社から二上山の整った山容を仰ぎ見てその感を強くしました。



二上山は私が高校生のときに何回か登った山で懐かしい。
大津皇子の死を悼んで大津皇子の姉(同母姉)である大伯皇女(オオクノヒメミコ)が詠んだ歌については高校の国語(古文と言ったっけ)の時間に学び…今でも若いころの甘酸っぱいような思い出と共に強烈な印象が残っています。

わが背子を大和に遣るとさ夜深けて 暁(あかとき)露にわが立ち濡れし  
二人行けど行き過ぎ難き秋山を いかにか君が独り越ゆらむ   
うつそみの人にある我や 明日よりは二上山を弟(いろせ)と我が見む  万葉集 大伯皇女(オオクノヒメミコ)
二人の母は持統天皇の姉大田皇女(オホタノヒメミコ)大津皇子は父が天武天皇で異母兄が草壁皇子 ➡ 草壁皇子の母が天武天皇の妻で のちの持統天皇とまあ…こういった関係で何ごとにも優れた大津皇子に謀反の疑いをかけたのは 草壁皇子を天皇にしたいと願った草壁皇子の母であろうと当時から思われていたらしいのですが…古代のこととは言え悲劇ですよね…
春過ぎて夏来(きた)るらし白妙(しろたへ)の衣乾(ころもほ)したり天(あま)の香具山(かぐやま) 万葉集 持統天皇 ⇐ この和歌と共に持統天皇のファンになっていたので…こんな瑞々しい感性豊かな若やいだ歌を詠む人(持統天皇)と血なまぐさい政治的陰謀とが、高校生だった私にはどうしても結び付けることができませんでした。60年以上生きてきてようやく、人間の多面的性格に多少幻滅しながら…こんなこともあるんやと幾分かは理解できるようになりましたが…

今の日本では  今イオン 昔海柘榴市(つばいち)秋日和  なんて のーんびりした和歌を詠むこともできて、幸せなことです。そんなわけで今回は、檜原神社の境内から二上山の端品な山容を仰ぎ見て、一気に万葉集の世界に引き込まれ…ほとんど和歌のことばっかりでした。植物に関しては次回に改めて掲載します。それでは失敬!


  
今イオン 昔海柘榴市(つばいち)秋日和  どなたかが投稿されていた和歌を、山の辺の道の海柘榴市(つばいち)観音のあたりでお見受けしました。ユーモアセンスたっぷりで好感を覚えましたので 思わず写真に撮りました。ありがとうございます。