あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

夏休み日記

2019-03-17 | 日記
ツアーがいくつか続き、クライストチャーチで仕事が終わった。
仕事も一段落で1週間ほどの休みが取れた。
ちょっと遅めの夏休みである。
今シーズンはガイドの仕事の合間に蔵の仕事が入ったりして、働きづくめだった。
まあ、そのおかげで新しいギターも買えたのだが、なにぶん忙しかったわけである。
今回はまとまった休みで、クライストチャーチの家でのんびりとできるわけだ。

休みの初日、気温は30度にもなったので、買って数回しか使ったことのないボディボードを持って女房殿と犬のココで海に行った。
海で泳ぐなんて何年ぶりだろうか。
近くのサムナービーチは遠浅で犬と一緒に水遊びができる。
普段は自分たちが足だけ水につかり、木の棒を投げて犬に泳がせる。
だがさすがに暑くなれば自分達だって海に入りたい。
犬と一緒に泳ぐなんて素敵じゃないか。
最初は喜んで波打ち際を飛び回っていた我が家のココもちょっと深くなるとすぐにあきらめてしまう。
犬掻きをしてて波が顔に当たるのが嫌なのだろう。
その晩は知人を家に招いて一杯。

翌日は曇りだったので庭仕事。
鶏の糞を集め堆肥を作り、畑を耕し野菜を植えた。
赤たまねぎと万能ネギ、ネギ類は強いので育てるのが楽だ。
さくらんぼの木を切り、暖炉の薪用に小さく刻む。
薪ももっと小さく刻めば燻製のチップにもなるぞ。
温室の中の青虫を探し、それはそのままニワトリの餌に。
ニワトリたちが争って食う。
それが卵となり廻りまわって自分達の食卓に出る。
物事は廻るものなのだ。
うちの場合は庭の中でそれが廻る。
なかなかよろしい。

さらに次の日は雨。
雨の日は本でも読もう。
ソファーに寝そべって、鬼平犯科帳などを読むのも又良し。
晴耕雨読とは正にこのことだ。
昼前に奥さんに誘われストレッチのクラスなぞへ行き、お昼は街中のベトナム料理へ。
知らない間に街も復興が少しずつ進んでいる。
中心部の一部にこじゃれた空間があり、ちょっとした食べ物屋が並んでいた。
そこのベトナム料理に舌鼓を打ち、帰りがけに馴染みのビール屋で次に仕込むビールの材料を買い込んだ。
ビール屋と言ってもビールを飲ませる店ではなく、ビールの材料を売っている店である。
次に仕込むのは何にしようかなと、色々考えるのも楽しい。
家に帰り、雨も上がったので犬のココを連れて公園へ散歩。
最近、公園内に陸上競技場ができたのでそこまでのコースが日課だ。
以前は羊の牧場だった場所に大規模なスポーツ施設ができた。
だんだんと変わっていくものなのだなあ、などとのん気に歩いていたら一人のおじさんに声を掛けられた。
「この施設は封鎖となりました。町のあちこちでも封鎖の場所がある。あなたも早く家に帰った方がいいですよ」
おじさんはそう言うと、あわただしく電話で話し始めた。
封鎖って、何かあったのだろうか。
おじさんに聞けるような状態ではなかったので、家に帰ると娘が言った。
「なんか市内で銃の乱射があったようだよ」
慌ててネットで見て、やっと事のてん末を知った。
襲撃のあったモスクの一つは、ついさっき買い物をしたビール屋のすぐ近くだった。
学校や公共の場所は全て閉鎖で、女房も帰って来れない。
娘はネットで情報を収集している。
そうしているうちに、娘の端末から銃声が聞こえた。
見ると犯人が銃を乱射して人を撃っている様子、モスクを歩き回る様子、マシンガンに弾を充填しているところなど、犯人の視点での映像が流れていた。
まるでゲームの一場面のようだと思ったが、それが現実でありこんなのがリアルタイムで流れてしまう状況が狂気の世界だ。
その映像はすぐに削除されたが、胸糞が悪くなった。
その後の状況はマスコミで報道されたとおりだ。
6時過ぎに封鎖が解除され、女房が帰ってきて普段どおりの食事をしたが、事の重さは僕らの家庭にも重く圧し掛かっていた。

翌日の朝、僕は女房と娘を連れて近所のファーマーズ・マーケットへ出かけた。
昨日の今日で、気分が晴れるわけではないが、こういう時こそ平常心が大切じゃあないか。
そしてお金というエネルギーを大企業の為でなく、生産者に届く場所で使おうと思った。
それにしても8年前の地震の時もツアーが終わって一息ついた時に起こった。
あの時も、のほほんと庭仕事をやっている時で、街の中心で大変なことが起こっているなんて露ほども思わなかった。
今回も又、のほほんと犬の散歩をしている時だった。
こういうことが起こると日本からのツアーは全部キャンセルで仕事がなくなってしまう。
だけどじたばたしても何も始まらない。
ただ毎日を、自分がするべきことをしながら過ごすだけなのである。
今回の悲劇ではイスラムの人達が犠牲になった。
あのお気に入りのアフガニスタン料理のお店は大丈夫だろうか。
死んだ人は帰って来ない。
死ねば誰もがホトケ様で、死んだ人はすでに痛みも苦しみもない世界へ行っている。
残された人の方が大変なのだ。
生きていくということはそういうものなのだと思う。
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