あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

ゴミを愛する日々。

2015-04-15 | 日記
今回はゴミの話。
今は毎日家事仕事をやっており、日中は畑の手入れ、あとは炊事洗濯掃除など。
ゴミだしはもっぱら僕の仕事である。
ゴミの中で一番嫌われるのが生ゴミだろう。
先ず臭い、そして汚い、というのがその理由だ。
世の中には善玉菌と悪玉菌とどっちつかずの菌がある。
世の中にある物を善と悪で分けるのは気が引けるが便宜上、善玉菌と悪玉菌という言葉を使う。
腐敗菌などの悪玉菌が増えるとどっちつかずの中性の菌が全部悪玉菌になる。
くさいというのは腐敗菌が増えているので、いずれ全体が腐ってしまう。
これが腐敗のシステムだ。
僕が使っているのはEMというもので、少しの善玉菌で中性の菌を全部善玉菌にしてしまう。
その結果、悪玉菌がいなくなるのか、少なくなるのか。
腐敗とは逆に分解されやすいシステムだ。

さて我が家のゴミ事情だが、調理などをして人間が食べないものやカビてしまったものは犬が食べる。
犬が食べないものはニワトリが食べる。
ニワトリも食べない物は生ゴミになる。
生ゴミもボカシというシステムで生ゴミから出る液が肥料になり、野菜を育てる。
なんといっても我が家の生ゴミは臭くない。
茶殻や野菜クズやコーヒーの出し殻などアイスクリームの入れものに溜まると専用のバケツにいれて、底にボカシ粉をパラリ。
このボカシ粉も自家製である。
この作業がなんとなく好きだ。
ゴミに愛着が湧く。
こうなるとゴミ出しというより堆肥育成作業である。
ゴミの量を減らすなんて事も考えなくていい。
ただし無闇に無駄にするのと訳が違う。

今の時期、リンゴが熟れてきたのだが、鳥が来て実をつついてしまう。
ネットをかけてあるのだがあまり効果がない。
放っておくと腐ってしまうので、そういったものを収穫。
鳥に食べられてない所を人間が食べ、あとは生ゴミへ。
畑の物で収穫のタイミングを逃してしまったもの。
半分は使えるけど半分は傷んでいるもの。
そういったものは全て生ゴミ。
人参なんぞは収穫の時期を逃すと割れてしまい商品としては使い物にならなくなるが丁寧に使えるところを取ればゴミ半分食べる所半分である。
バケツに生ゴミが溜まっていくのがうれしい。
これは愛だな、ゴミに対する愛だ。
オレもゴミまで愛する男になっちまったか、などと思うのだ。

バケツが一杯になれば地面に掘った穴に入れ、ニワトリコーナーから土を持ってきて混ぜて寝かす。
これでいい土ができるのだ。
バケツの底に溜まった液は水に薄めて畑に蒔く。
これまたいい肥料になる。
ニワトリの糞集めも然り。
毎朝、卵をいただく時にニワトリの糞を拾いコンポストの容器に入れる。
うちではニワトリの餌にもEMを混ぜてあるので糞が臭くない。
この糞がこれまたいい土になる。
こういった作業を、臭いのをガマンしてやるのでない。
なんといっても臭くない。
目に見えない善玉菌という微生物が畑を育てているのを感じながら作業をする。
こういった作業を何年も続けているのだが、長続きするコツは心で感じること。
頭で考えてこれは環境に良いからとか体に良いから、そういう考えが原動力にあるとどこかしら無理があるので長続きしない。
それよりも心で感じて、やりたい事を楽しくやる。
これですな。

愛が根底にあるシステムは、それに関わる人や物が全て幸せになる。
我が家では生ゴミも土も野菜もそれを食べる人間も幸せなのである。


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