タンケンツアーズのクレイグから電話があった。
撮影の仕事がクライストチャーチで1日だけあり、撮影アシスタントが必要だそうな。
雑用、まあ使いっ走りというところか。
「ところでお前、ズームは詳しいか?」とクレイグが尋ねた。
「いいや、全く分からない。そっちに関しては俺は全く役立たずだよ」
「そうか、俺も似たようなものだが、まあ何とかなるだろう」
どんな仕事の内容なのか、聞いてもピンと来ないし僕が準備するようなことは何もないので詳しくは聞かない。
ちなみに僕のズーム経験は、友達とズーム飲み会が1回、その他で1回やったぐらいだ。
仕事の前日に、クレイグ夫妻と僕達夫婦で夕食を共にし、旧交を温め仕事の大まかな話を聞いた。
クライストチャーチ郊外にあるリンカーン大学でズームの講義をする。
リンカーン大学は農業大学で、講義の内容は農業と環境について。
講師がこちらのカメラの前で話し、それを日本の学生達が講義をズームで聴く。
僕とクレイグの他に専門のカメラマンが一人。
僕がやることはほとんどなく、まあ頭数を揃えるぐらいのものらしい。
仕事当日、クレイグと連れ立ってリンカーン大学へ。
カメラマンと落ち合い、機材を運ぶ手伝いをして準備をする。
撮影の準備もカメラマンが一人でテキパキやるので、でる幕はなし。
クレイグは日本のNHKのディレクターとオンラインで繋がり、指示を受け講師に伝える仕事だ。
カメラの準備が済むと、あとは待つだけ。
ここで初の仕事。コーヒーを買ってくる。
コーヒーを飲んでおしゃべりしているうちにテストの時間となり、カメラテスト。
全て順調で問題なし。
ここで本日二つ目の仕事。弁当を買ってくる。
ぼんやりと満開の桜を眺めたり、買ってきた弁当を食べたりしているうちに本番の時間となった。
本番が始まり講師が喋りだすと問題発生。
音声が届いてないという知らせが、クレイグに伝わる。
リハーサルでは完璧で本番で不都合が出るというのはよくある話である。
みんなであれやこれややるが、僕は完全に蚊帳の外。
ズーム経験2回、携帯はガラケーの僕にできることは何もない。
それでも何とか繋がり、多少時間は押したが無事に講義も終了した。
ここで最後の仕事。コーヒーカップをカフェに返しに行った。
神様という概念は宗教によって違う。
キリスト教やイスラム教のように一神教もあれば、多神教もある。
日本はそれこそ八百万もいるので、神話に出てくる神様もいれば物や場所が神様にもなるし、実際に存在していた人が神様になる場合もある。
福の神、貧乏神、疫病神、死神など、現象が神になるものもある。
書いていて思いついたが、今回のコロナ騒動では疫病神がずいぶん頑張ったんだなぁ。
まあそんな具合に雑多な神様がごちゃごちゃいるのが日本で、そういう観点で見ると実に面白い。
ある技術がとんでもなく上手い状態を神業と言ったり、ものすごい人を神と呼んだり、一神教の人から見ればそれこそ罰当たりである。
それぐらい神というものが身近な存在で、どこにでもあるものなのだろう。
八百万の中には特に何もしない、ただいるだけという神様もいるのだそうな。
その神様が何をするわけではないが、そこにいるだけで全部が丸く収まる。
そんな神様がいるのが日本的でとても良い、そんな話をラジオで聞いた。
自分を神様に重ねるのもおこがましいが、その日の僕はまさにそれだった。
ただニコニコしながらカメラの後ろで座って撮影を眺めて、トラブルが起きた時には上手くいきますようにと祈った。
実際にやった仕事はコーヒーと弁当を買いに行ったぐらいだ。
これで少なくない給料をいただいた。
ただひたすら、ありがたやありがたや、と思うばかりである。
ただ、何もしないと言うか実際には何もできないのだが、これはこれで結構大変なのだ。
僕は除く全員がバタバタ動いている中で、ただオロオロと見守るのは精神的に疲れる。
またやりたいか、と聞かれたら即答は出来ない。
神様になるには百年早い、ということなんだろう。
撮影の仕事がクライストチャーチで1日だけあり、撮影アシスタントが必要だそうな。
雑用、まあ使いっ走りというところか。
「ところでお前、ズームは詳しいか?」とクレイグが尋ねた。
「いいや、全く分からない。そっちに関しては俺は全く役立たずだよ」
「そうか、俺も似たようなものだが、まあ何とかなるだろう」
どんな仕事の内容なのか、聞いてもピンと来ないし僕が準備するようなことは何もないので詳しくは聞かない。
ちなみに僕のズーム経験は、友達とズーム飲み会が1回、その他で1回やったぐらいだ。
仕事の前日に、クレイグ夫妻と僕達夫婦で夕食を共にし、旧交を温め仕事の大まかな話を聞いた。
クライストチャーチ郊外にあるリンカーン大学でズームの講義をする。
リンカーン大学は農業大学で、講義の内容は農業と環境について。
講師がこちらのカメラの前で話し、それを日本の学生達が講義をズームで聴く。
僕とクレイグの他に専門のカメラマンが一人。
僕がやることはほとんどなく、まあ頭数を揃えるぐらいのものらしい。
仕事当日、クレイグと連れ立ってリンカーン大学へ。
カメラマンと落ち合い、機材を運ぶ手伝いをして準備をする。
撮影の準備もカメラマンが一人でテキパキやるので、でる幕はなし。
クレイグは日本のNHKのディレクターとオンラインで繋がり、指示を受け講師に伝える仕事だ。
カメラの準備が済むと、あとは待つだけ。
ここで初の仕事。コーヒーを買ってくる。
コーヒーを飲んでおしゃべりしているうちにテストの時間となり、カメラテスト。
全て順調で問題なし。
ここで本日二つ目の仕事。弁当を買ってくる。
ぼんやりと満開の桜を眺めたり、買ってきた弁当を食べたりしているうちに本番の時間となった。
本番が始まり講師が喋りだすと問題発生。
音声が届いてないという知らせが、クレイグに伝わる。
リハーサルでは完璧で本番で不都合が出るというのはよくある話である。
みんなであれやこれややるが、僕は完全に蚊帳の外。
ズーム経験2回、携帯はガラケーの僕にできることは何もない。
それでも何とか繋がり、多少時間は押したが無事に講義も終了した。
ここで最後の仕事。コーヒーカップをカフェに返しに行った。
神様という概念は宗教によって違う。
キリスト教やイスラム教のように一神教もあれば、多神教もある。
日本はそれこそ八百万もいるので、神話に出てくる神様もいれば物や場所が神様にもなるし、実際に存在していた人が神様になる場合もある。
福の神、貧乏神、疫病神、死神など、現象が神になるものもある。
書いていて思いついたが、今回のコロナ騒動では疫病神がずいぶん頑張ったんだなぁ。
まあそんな具合に雑多な神様がごちゃごちゃいるのが日本で、そういう観点で見ると実に面白い。
ある技術がとんでもなく上手い状態を神業と言ったり、ものすごい人を神と呼んだり、一神教の人から見ればそれこそ罰当たりである。
それぐらい神というものが身近な存在で、どこにでもあるものなのだろう。
八百万の中には特に何もしない、ただいるだけという神様もいるのだそうな。
その神様が何をするわけではないが、そこにいるだけで全部が丸く収まる。
そんな神様がいるのが日本的でとても良い、そんな話をラジオで聞いた。
自分を神様に重ねるのもおこがましいが、その日の僕はまさにそれだった。
ただニコニコしながらカメラの後ろで座って撮影を眺めて、トラブルが起きた時には上手くいきますようにと祈った。
実際にやった仕事はコーヒーと弁当を買いに行ったぐらいだ。
これで少なくない給料をいただいた。
ただひたすら、ありがたやありがたや、と思うばかりである。
ただ、何もしないと言うか実際には何もできないのだが、これはこれで結構大変なのだ。
僕は除く全員がバタバタ動いている中で、ただオロオロと見守るのは精神的に疲れる。
またやりたいか、と聞かれたら即答は出来ない。
神様になるには百年早い、ということなんだろう。
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