人のご縁というものは全くもって面白いものである。
うまくいかない時はどうやってもうまくいかないし、うまくいく時はあっけないほどすんなり決まる。
何か人間の力の及ばない、おおいなるものに動かされている、そんな気になる時がある。
コロナ禍で全世界が引っ掻き回されて、全ての人が何らかの影響を受けた。
仕事の面においても、以前と全く同じように働いている人もいれば、そもそも仕事自体が成り立たなくなった人がいる。
僕はその後者に入る。
仕事が無くなったという話を他人にすると、「それはお気の毒に」と悲痛な顔をされる。
だが僕の場合は、何かしら別の仕事が舞い込んできたりする。
収入は減ったが自分を可哀想な人で被害者だと演ずる気もなければ、物事を悲観的に見る気もない。
一つの仕事に依存をしない生き方をしているので、最終的にはなんとかなるさと徹底的に楽観主義者である。
ガイドの仕事がなくなってこの先どうやって生きていこうかと思い、食べ物関係の仕事をしてみようかと思った。
学生時代とかにはラーメン屋、お好み焼きや、ピザ屋、そば屋などでアルバイトをしたし、スキー場のロッジのキッチンでイタリア料理を作るのを手伝ったこともある。
料理は基本的に好きで、自分で言うのもなんだが美味い物を作ると思う。
「自分で店でも出せば?」と言われたことも何回もあるが、自分には商売の才覚が無い。
スタッフ募集をしているいくつかの飲食店とやりとりをしたが、うまくいかなかった。
自分を正当化するようでいささか気がひけるが、やはりご縁がなかったのだろう。
そしてご縁がある時は、自分が予想しないタイミングでポンとやってくる。
きっかけは友人のアライさんの話からだった。
アライさんはクライストチャーチの日本語補習校の校長先生を務めていた。
山歩きや旅が好きで、一緒に山を歩いたことも何回もあったし、一緒にスキーにも行った。
休みとなればミルフォードトラックだのウェストコーストだの、とにかくあちこちの山へ行っていた。
次はどこそこへ行こうと思うんだけどお勧めありますか?などという相談を何回も受けた。
あれだけニュージーランドの端から端まで巡った人はなかなかいない、と僕が思うほどだった。
そしてお酒が好きとなれば一緒に飲む機会もあり、全黒の酒蔵だって案内した。
今は日本に帰ってしまったが、地元金沢の鮎の料理とか美味そうな鰻の写真だのを嫌味のように送ってくる。
いつか騒ぎが収まって日本に帰ったら、金沢の街を案内してくれて美味い肴と美味い酒をご馳走してくれる、という話になっているので楽しみだ。
そんな気の合った飲み友達のアライさんが、去年だったかコヤマワイナリーに行ってその話をしてくれた。
なんか全黒の蔵頭のアキさんみたいな人がいて、ワインについて熱く語ってくれたと。
へえ、そんなワイナリーあるんだあ、行ってみたいな、と思った。
それからしばらくして、今度は別の友人が我が家に来た時にコヤマワイナリーの話が出た。
その時は葡萄の収穫を手伝ったそうで、お土産に赤ワインを持ってきてくれた。
僕はワインの味はよく分からない。
不味いワインと美味いワインは違いが分かるが、どこがどう美味いという話になるとお手上げだ。
何と言っても赤ワインを喉ごしで味わうような野暮な男である。
でもそのワインは素直に美味いなと思った。
それから時が流れ、冬が来ても雪は降らず、小春日和のような中ラベンダー畑で働いた話はブログで書いた通りである。
友人に誘われて、市内の中華レストランでみんなでお昼ご飯を食べようという会があった。
友人知人とその家族、若い学生達など総勢十数名、飲茶はみんなで食べるのがいいからね。
その時に紹介されたのがコヤマワイナリーのコヤマさんで僕らは隣合わせで座った。
その時点でピンと来た。
イメージはゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナがピンと立ったような感じだ。
さらに話を聞くと、今の時期は剪定の仕事があり人を探していて、来てもらえればありがたいと。
もう妖怪アンテナは鳴りっぱなしでピンピンピンピンうるさいぐらいだ。
それなら、と連絡先をもらいそこから先はトントン拍子である。
スキーの仕事がある時はそちらを優先してもらって構わないということで、仕事が決まった。
レストランでコヤマワイナリーのスパークリングとピノノアール両方飲ませてもらったがこれが旨かった。
全黒で働いた時もそうだったが、自分が美味いと思う物を作る所で働くのは人生の喜びでもある。
そういえば高校時代にバイトをしていたラーメン屋は不味かったっけなあ。
そうなると誇りも喜びもやり甲斐もなく、ただお金のために働くことになる。
あの時は若かったんだなあ、と昔の自分をふと思い出した。
仕事は葡萄畑で葡萄の剪定。
場所はワイパラ、北カンタベリーである。
この前までは中央カンタベリーのラベンダー畑でマウントハットを見ながら仕事をしていたんだがなあ。
場所が変われば見える山も変わり、地形が変わるので気象も変わる。
いつも思うのだが北カンタベリーは緑が濃いなあと。
マウントライフォルドへスキーに行く時に常に思う。
夏は雨が少なくて茶色っぽくなるが、冬のこの時期には明らかに緑が濃い。
そして山の形もよそとは違い、なんとなく北カンタベリーなのだ。
そんな景色の中、羊に囲まれながら仕事をするのは気持ちが良い。
でも周りは羊のウンコだらけだから犬のココは連れてこられないな。
なんかこの前まで全黒の酒蔵で日本酒を造っていたかと思うと次はワイナリー?
節操がないと言われれば身も蓋もないな。
相変わらず家ではビールを作っているし、酒に関することばかりだなと我ながら思う。
なんかワクワクする感覚ってこれだったのか。
でもこれも神様の思し召し。
お酒の神様バッカスともご縁があるのかもしれないな。
うまくいかない時はどうやってもうまくいかないし、うまくいく時はあっけないほどすんなり決まる。
何か人間の力の及ばない、おおいなるものに動かされている、そんな気になる時がある。
コロナ禍で全世界が引っ掻き回されて、全ての人が何らかの影響を受けた。
仕事の面においても、以前と全く同じように働いている人もいれば、そもそも仕事自体が成り立たなくなった人がいる。
僕はその後者に入る。
仕事が無くなったという話を他人にすると、「それはお気の毒に」と悲痛な顔をされる。
だが僕の場合は、何かしら別の仕事が舞い込んできたりする。
収入は減ったが自分を可哀想な人で被害者だと演ずる気もなければ、物事を悲観的に見る気もない。
一つの仕事に依存をしない生き方をしているので、最終的にはなんとかなるさと徹底的に楽観主義者である。
ガイドの仕事がなくなってこの先どうやって生きていこうかと思い、食べ物関係の仕事をしてみようかと思った。
学生時代とかにはラーメン屋、お好み焼きや、ピザ屋、そば屋などでアルバイトをしたし、スキー場のロッジのキッチンでイタリア料理を作るのを手伝ったこともある。
料理は基本的に好きで、自分で言うのもなんだが美味い物を作ると思う。
「自分で店でも出せば?」と言われたことも何回もあるが、自分には商売の才覚が無い。
スタッフ募集をしているいくつかの飲食店とやりとりをしたが、うまくいかなかった。
自分を正当化するようでいささか気がひけるが、やはりご縁がなかったのだろう。
そしてご縁がある時は、自分が予想しないタイミングでポンとやってくる。
きっかけは友人のアライさんの話からだった。
アライさんはクライストチャーチの日本語補習校の校長先生を務めていた。
山歩きや旅が好きで、一緒に山を歩いたことも何回もあったし、一緒にスキーにも行った。
休みとなればミルフォードトラックだのウェストコーストだの、とにかくあちこちの山へ行っていた。
次はどこそこへ行こうと思うんだけどお勧めありますか?などという相談を何回も受けた。
あれだけニュージーランドの端から端まで巡った人はなかなかいない、と僕が思うほどだった。
そしてお酒が好きとなれば一緒に飲む機会もあり、全黒の酒蔵だって案内した。
今は日本に帰ってしまったが、地元金沢の鮎の料理とか美味そうな鰻の写真だのを嫌味のように送ってくる。
いつか騒ぎが収まって日本に帰ったら、金沢の街を案内してくれて美味い肴と美味い酒をご馳走してくれる、という話になっているので楽しみだ。
そんな気の合った飲み友達のアライさんが、去年だったかコヤマワイナリーに行ってその話をしてくれた。
なんか全黒の蔵頭のアキさんみたいな人がいて、ワインについて熱く語ってくれたと。
へえ、そんなワイナリーあるんだあ、行ってみたいな、と思った。
それからしばらくして、今度は別の友人が我が家に来た時にコヤマワイナリーの話が出た。
その時は葡萄の収穫を手伝ったそうで、お土産に赤ワインを持ってきてくれた。
僕はワインの味はよく分からない。
不味いワインと美味いワインは違いが分かるが、どこがどう美味いという話になるとお手上げだ。
何と言っても赤ワインを喉ごしで味わうような野暮な男である。
でもそのワインは素直に美味いなと思った。
それから時が流れ、冬が来ても雪は降らず、小春日和のような中ラベンダー畑で働いた話はブログで書いた通りである。
友人に誘われて、市内の中華レストランでみんなでお昼ご飯を食べようという会があった。
友人知人とその家族、若い学生達など総勢十数名、飲茶はみんなで食べるのがいいからね。
その時に紹介されたのがコヤマワイナリーのコヤマさんで僕らは隣合わせで座った。
その時点でピンと来た。
イメージはゲゲゲの鬼太郎の妖怪アンテナがピンと立ったような感じだ。
さらに話を聞くと、今の時期は剪定の仕事があり人を探していて、来てもらえればありがたいと。
もう妖怪アンテナは鳴りっぱなしでピンピンピンピンうるさいぐらいだ。
それなら、と連絡先をもらいそこから先はトントン拍子である。
スキーの仕事がある時はそちらを優先してもらって構わないということで、仕事が決まった。
レストランでコヤマワイナリーのスパークリングとピノノアール両方飲ませてもらったがこれが旨かった。
全黒で働いた時もそうだったが、自分が美味いと思う物を作る所で働くのは人生の喜びでもある。
そういえば高校時代にバイトをしていたラーメン屋は不味かったっけなあ。
そうなると誇りも喜びもやり甲斐もなく、ただお金のために働くことになる。
あの時は若かったんだなあ、と昔の自分をふと思い出した。
仕事は葡萄畑で葡萄の剪定。
場所はワイパラ、北カンタベリーである。
この前までは中央カンタベリーのラベンダー畑でマウントハットを見ながら仕事をしていたんだがなあ。
場所が変われば見える山も変わり、地形が変わるので気象も変わる。
いつも思うのだが北カンタベリーは緑が濃いなあと。
マウントライフォルドへスキーに行く時に常に思う。
夏は雨が少なくて茶色っぽくなるが、冬のこの時期には明らかに緑が濃い。
そして山の形もよそとは違い、なんとなく北カンタベリーなのだ。
そんな景色の中、羊に囲まれながら仕事をするのは気持ちが良い。
でも周りは羊のウンコだらけだから犬のココは連れてこられないな。
なんかこの前まで全黒の酒蔵で日本酒を造っていたかと思うと次はワイナリー?
節操がないと言われれば身も蓋もないな。
相変わらず家ではビールを作っているし、酒に関することばかりだなと我ながら思う。
なんかワクワクする感覚ってこれだったのか。
でもこれも神様の思し召し。
お酒の神様バッカスともご縁があるのかもしれないな。
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