あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

マオリ4

2015-04-13 | 過去の話
日本から手土産の日本酒を持ち帰り数日たったある日、僕は隣のダニエルに呼びかけた。
「ダニエル、今晩の予定は?」
「別にないよ、兄弟」
「じゃあ上へ来て一杯やるか?ナイロも呼んで来いよ」
「わかった。兄弟」
彼等が上がってきたので、僕はグラスに日本酒を半分ぐらい入れて手渡した。
銘柄は忘れてしまったが特上の純米吟醸だ。
彼等はクイクイと一気に飲み干してしまい、横にいたヘナレが慌てて小さなぐい飲みを出してきて言った。
ヘナレは日本にいたことがあり、僕が持ってきた酒のありがたみを知っている。
「オマエ達もっとチビチビ味わいながら飲むんだよ。これはいい酒だぞ」
ヘナレの言うとおり兄弟のペースで飲んだら五合瓶など30秒で空になってしまう。
ヘナレは少し口に含むとじっくりと味わい言った。
「ウマイ酒だなあ。こんなにいい酒を飲んだのは何年ぶりだろう。きっと日本に行った時以来だ」
ナイロもダニエルもヘナレを真似てチビチビとやっている。
「どうだナイロ、こんな酒は冷やして飲むのがいいだろう」
「確かにな。熱くして飲むのはどんな時だ?」
「それは好みの問題だ。寒い時に熱燗でキュッとやるのも悪くない。ただこの辺で普通に売っている酒なら熱くしてもいいが、こんないい酒を熱くしたらもったいない」
「ナルホド」
兄弟達もこの酒のウマさを理解しかけたころボトルは空になってしまった。
ウマイ酒は封を切ってその場で空けるに限る。もったいない、などといって台所の片隅に置いておくなどもってのほか。
ウマイ酒はウマイ時に飲みきるのがウマイ酒に対して、ウマイ酒を造った人に対しての礼儀である。
ナイロがギターを持ち出しポロリポロリとやり始めた。それを見てダニエルもギターを持った。
ギターならこの家には事欠かない。僕のアコースティックギターが1本。ヘナレのエレキギターが1本、アコースティックギターが2本、そのうち1本は12弦ギターだ。住人3人でギターが4つの家なのだ。
さらにアフリカかどこかのドラムが二つ、尺八、マオリのフルート、ハーモニカ、マラカスなどなどこの家は鳴り物にあふれている。
僕等は家では音楽を聞いているか、ギターを弾いている時間が長い。
テレビはほとんど見ない。この家ではチャンネル1、日本で言えばNHKみたいなものしか映らないからだ。
ヘナレも僕も『まあそれでもいいか』といったかんじで直そうともしない。唯一の不満はラグビーが見られないことぐらいだ。
テレビをほとんど見ないのでその時間を、ギターを弾く、本を読む、山をボケーっと眺める、物思いに耽る、酒を飲むなどなど有意義に使うことができる。
ナイロがギターで先導してダニエルが徐徐に同調していき、2人の呼吸が合い歌が始まった。
曲名は『テ・アトゥア・ピアタ・キ・ルンガ・イア・マトウ・エ』恐ろしく長い。あまりに長いので僕等は『アウエ』と呼んでいる。
♪アウエ・ワイルア・イーヨ・マトゥア
イーヨ・マトゥアという名の神に捧げる詩だ。
ダニエルたちが歌っているのを聞いて僕も歌いたくなり、彼等の家で歌詞を見せてもらいカタカナで書き写し、何回も唄ってもらい、一夏かけてやっと覚えた。
「この歌はマオリのゴスペルなんだな。歌詞だってそうだろう、だからメロディーラインも美しいんだ」
ヘナレが言った。
唄が一段落して、僕はナイロとテラスで山を見ながら話した。
「ナイロ、僕がマオリの音楽を好きな訳は、この景色とこの空の色にピッタリ合っているからなんだよ。うまくは言えないけど、この地で生れた音楽だからなんだろうな」
「そうさ、音楽は人間の内部から湧き上がってくるものだ。オレが初めてクィーンズタウンに来た時の話だ。飛行機の窓から美しい山、湖、川が見えた。それがそのまま詩になるから慌てて書き留めたんだ。他の人が全員降りてもオレは機内で書いていた。ここはそれぐらい素晴らしい場所だ」
「ナルホドねえ」
ナイロは優れたミュージシャンでもあり、近々彼のCDが出る予定だ。
音楽のセンスがある人間というのは何をやらせても上手く、ドラムを叩けば『こんな音、こんな叩き方があるんだ』と感心してしまうし、キーボードだって弾く。
さすがにヘナレの尺八は吹けなかったが、マオリのフルートも吹く。
「それとオレが好きなのはオマエ達兄弟の会話だ。オレにはオマエ達が何を喋っているのか全然分からない。だけどマオリの音の響きが好きなのさ」
「その気持ちは分かる。オレはな、オマエとイクが日本語で話をしてるのを聞くのが好きだ」
「聞いていたのか?」
「ああ、みんなでワイワイやっている時に、オマエ達が輪の外で日本語で話をするだろう。そんな時にもオレは耳をそばだてて、ちゃんと聞いていたよ。意味は全く分からないけどな」
「ナイロは韓国には行ったことがあるんだよな。韓国語と日本語は全然違うだろう」
「ああ、全く違うな。オレは日本語の響きが好きだ。これは理屈じゃない。だからオマエとイクの話が好きなのさ。もっとどんどん喋れ」
「そんなこと言われると意識して話しづらくなるな」
「何、普通にしていればいいのさ、兄弟」
部屋に戻りイクにその事を話しているとナイロと目が合った。
ヤツがニヤリと微笑んだ。

ナイロはスキーをやらないので、あまりスキーの話になることはない。
その点フラットメイトのヘナレはスキーヤーなので、雪の上で滑る感覚を理解してくれる。
ある夏の終りの1日、南島南部は雪に見舞われた。ニュージーランド南島では夏でも雪が降ることがよくある。
数日たてば消えてしまう雪だが、周りの山々はあっという間に冬化粧になった。
リマーカブルスの岩の窪みに雪がたまり凹凸がくっきりと浮かび上がる。冬は一年で一番美しい時だ。
テラスから見えるセシルピークも中程から上は白い雪を乗せ夕暮れに染まる。
ヘナレが尺八を吹きながら部屋からでてきた。そして言った。
「わあ、ビユーティフル。冬みたいだな」
「良いオープンバーンが見えるね。あそこは滑った事はある?」
「いや、まだ無い」
「あんな所滑ったら気持ちいいだろうな。自分があそこを滑るとしたらどういうラインを通る?」
「ピークの下の岩場を右にかわしその横からだな」
「オレなら逆にトラバースしてドロップインかな、その下のオープンバーンのど真ん中だ」
「ナルホドナルホド」
彼はヘリスキーガイドなのでこの辺りの山々は自分の庭のように知っている。
マオリのスキーヤーというのは以外に少ない。
もともと温かい所から来た人達だから、住んでいるのも気候が温暖な北がほとんどだ。北島のスキー場は知らないが、南島のスキー業界で働いているマオリを僕は3人ぐらいしか知らない。
ヘナレもそれは前から思っていて、ヘイリーと初めて会った時『お、こんな所にマオリがいるぞ』と思ったらしい。
そういえば十年以上も前の話だが、当時のニュージーランドスキーチャンピオンは、サイモン・ウィ・ルトニというマオリである。何年間もチャンピオンだった記憶がある。
「ヘナレはどんな板を使っている?ファットか?」
ファットとは幅広のスキーのことで、新雪の中で浮力がある。
「うん、そうだ。ヘッジは?」
「わりと細めのやつに乗っている。オレは新雪の中で板を潜らせるのが好きなんだ。板と下半身が雪に埋まり、それがバサッと浮き上がるのが気持ちいいんだ。わかるだろ?」
「分かる、分かる」
「オレの夢はねえ、頭まで新雪の中に潜るような場所でシュノーケルをつけて滑る事さ。よっぽど条件が良くなければそんな事できないけどね」
「だけど仕事で重いザックを背負ってみろよ。ファットは楽だぞ」
「そりゃそうだ。だから夢の話をしているんじゃないか」
「そうだよな」彼は素直に同意した。
「そうやって板を潜らせるような滑りだと、幅を取らなくて良い。幅が10mもあればそれで充分だ。どうだお得だろう」
「全くだ。なあ、オマエと一緒にスキーをしたいなあ」
「ああ、おれもそう考えた所だよ。都合を付けて来ればいい」
「ヘッジはこっちには来ないのか?」
「たぶん来ないよ」
ヘナレはズルイナという顔をしたが、僕が普段滑っているスキー場がどれくらい素晴らしい所か知っているのでそれ以上は言えない。
「そうだ、話は変わるが尺八の説明書を読んでみてくれないか?」
「お安い御用だ。どれどれ、ふむふむ、なるほど」
「何て書いてある?」
「尺八は竹林の中を拭きぬける音がイメージとなっている。野外で出来た楽器なので屋外で吹くのが好ましい。それ自体でも演奏に適している」
「おお、それはいい」
「今のオマエさんがそれじゃないか。もっとどんどん吹け」
竹林の中を抜ける風の音が、暮れなずむ雪山に吸い込まれていった。

季節は流れる。
様々な命を乗せた天体の半分では長さに違いはあれ、夏という季節に別れを告げる。
季節の違いは温度差となり環境を変え、そこに住む生き物全ての生活を変える。もちろん人間の暮らしにも大きく影響を与える。
夏はトレッキングガイドの僕だが、もともとはスキーヤーであり、冬の到来とともに仕事場も変わる。
秋は僕にとって別れの季節だ。
クィーンズタウンを去る日が近づいたある日、ナイロとテラスで山を見た。
「ナイロ、日本の音楽で君に聞かせたい歌がある」
僕はCDをセットした。ビギンの一期一会。
「この人達は沖縄という所の人達だ。日本の南、小さな島の話だ。この楽器は弦が4本のちょっと変わったギターで『一期一会』という名がついている」
「イチゴイチエ」
「そう一期一会」
「なにか意味はあるのか?」
「人と人の出会いは、1回限りという意味だ。こうやってナイロと出会うのも今日が最後になるかもしれない。ひょっとすると再び会う事があるかもしれない。それは誰にも分からない。だからこそ今、この出会いの瞬間を大切にする、というような事だ」
「なるほど、イチゴイチエ、いい言葉だ」
「なあ、もしもだ、もしも将来、何かの仕事で日本に行って、その時にマオリの唄を歌える人が必要だ、なんて言ったら来てくれるかい?」
「お安い御用だ。兄弟」
「そんなこと実現するかどうかなんて分からないぞ。ひょっとすると10年とか20年の先の話になるかもしれない。ひょっとすると5年先の話かもしれない。それは誰にも分からない。ただ夢を持つのは悪くないかなと思うんだ。実際、今年オレはマオリの友達を日本に連れて行った。数年前に夢見た事なんだ」
「ああ、いつでも声をかけてくれ、兄弟」
「それにしてもナイロは31だろ。最初に友達になったのがダニエルだから、ナイロは何となくオレにとってもお兄さんのような気がするよ。とても年下とは思えない」
「それはオレが持っている知識がそうさせるのさ」
ナイロの言う知識とは、学校の勉強とは別の知識である。
マオリに生れ、言葉を話し、音楽を奏で、武道を伝える。
先祖の声に耳を傾け、そこから新しいものを作り出す。
彼の体に流れるマオリの血、という知識なのだ。


テ・アトゥア・ピアタ・キ・ルンガ・イア・マトウ・エ

この想いをあなたに イーヨ・マトゥア
なぜあなたは怒りを見せるのか
私達は尋ねる
最後の力であなたをたたえる 
答えてください 神よ
探していた事をお許し下さい
そして照らしてください
昼と夜を創りあげた神よ
痛みはあなたの名前の音と共に去る
照らしてください 
あなたの信者より
イーヨ・マトゥア・コレ
私達の声が届きますか 父よ
この深い泣き声が
私以上に未来の無い者の泣き声が
より正しい事を知らない者の泣き声が
この想いをあなたに イーヨ・マトゥア


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