あおしろみどりくろ

楽園ニュージーランドで見た空の青、雪の白、森の緑、闇の黒の話である。

田舎の航空ショー

2016-06-03 | 過去の話
これまた古い話を載せる。
書いたのは10年前ぐらいだろうか。
航空ショーの仕事は1回きりだったが、普段とは違う色々な物事が見えた。
貴重な体験のお話。



3月の終わり、ニュージーランドはイースターホリデーを迎えた。
イースターは復活祭というもので日本ではあまり馴染みがない。
春分の日から数えて、最初の満月の日の後の週末がこのイースターホリデーである。
週末を挟むように金曜日と月曜日が休みになるので4連休となる。
この週末にはニュージーランド国内でも、あちらこちらでイベントがある。
今回の仕事はワナカの航空ショーへのドライバーである。ちなみにボクはこの航空ショーへは行ったことがない。
お客さんは世界の航空ショーを渡り歩いている航空マニアの人達である。
バカでかいレンズをつけたカメラをかまえカシャカシャと写真を撮るような人達だ。
何の世界であれ、その分野に優れた知識や経験を持っている人の話は面白い。
お客さんの一人に大学のセンセイがいて、いろいろと話をしてくれる。解説付きの航空ショーである。
僕らの目の前に一機の古い複葉機がやってきた。
メインのプロペラが2つ下の翼についているが、上の翼の左側、飛行機に肩という言い方があるのかどうか知らないが、ちょうど肩のあたりに小さなプロペラが一つついている。
ボクはセンセイに聞いた。
「あの小さなプロペラは何ですか?」
「あれはバッテリーを充電するもの」
「え~!バッテリーを」
ボクは思わず笑ってしまった。だってそんなのあまりに原始的じゃないか。
「君は笑うけどね、あれは電気系統が壊れた時にも使うんだよ。飛行中電気のものが動かなくなると困るでしょう。コンパスとかあるのだし」
「ナルホド、じゃあ他の飛行機にもあるんですか?しまってあるか何かで?」
「まあ、そうだね」
「ふーん、そうなんですか」
よく考えてみれば当たり前の話である。車であれば電気がなくなっても止まればよい。
だが飛行機は簡単に止まるわけにはいかない。安全に止まるためにも電気は必要だ。
飛行機は飛んでいる間は常に風を受けているんだし、その風をバッテリーの充電に使うことは理にかなっている。
メインのプロペラで生んだ動力エネルギーをワンクッションおいて電気エネルギーに変える。
文明の進化の過程にあった飛行機なのか。その後バッテリーはエンジンから直接充電されるようになり、小さなプロペラはなくなってしまったのだろう。
別のプロペラ機がやってきて、センセイの話は続く。
「この飛行機の前期型はプロペラの羽根が3枚、後期型は羽根が4枚なんです」
「へえ~」
この人はそんな事まで知っているのかスゴイなあ、とその時は思った。だがこれだって進化の過程だろう。
同じシャフトを回して風を作るなら、プロペラの羽根が多い方が効率が良いのではないか。
そういえばクィーンズタウンへ飛んでくる飛行機はプロペラの羽根は6枚だったな。
同じ飛行機の前期型と後期型の間には、研究室での度重なる実験なんてのもあっただろう。皆さん、ごくろうさん。
センセイのいろいろな話を聞いて、その時はへ~と思うだけだが、後でよくよく考えてみると全て理にかなっている。
文明の進化の過程が一つ一つの飛行機にやどっている。
人間はどんな話を聞いても、受取手がボンヤリしていると目の前を素通りしてしまう。へ~、で終わってしまうのだ。
話を聞き自分で考え、かみ砕き消化して自分の物とする。
知らなかった事を知るのは楽しいことである。勉強とはそもそも楽しいものなのだ。
楽しいはずの勉強をつまらなくしたのは誰だ!と怒ってみても始まらない。
センセイの話は続く。時々難しくてついていけないこともある。
話というのは聞く方もある程度の基礎知識が必要である。
でないと会話のレベルが下がり、文字通りお話にならないとなってしまう。
が、そこはそれシロートの強みで「ボクは何も知らないのでいろいろ教えて下さい」と頼みこみ話のレベルを下げてもらう。
それでもなおセンセイの話は難しいのだ。
これがお客さん同士の会話だとボクにはもうお手上げ、チンプンカンプンである。
「この飛行機は世界のどことどこにあり、どこそこではまだ飛ばしている」
「どこそこの航空ショーでは、こんな具合だ」
「どこそこの国でジェット機を操縦する免許をとった」
などなど、ボクは素直に『へ~、マニアってすごいな』と思うばかりである。
同じ飛行機の写真を撮るのでもバックが砂漠か山かで絵は全然違うそうだ。
バックに雪の載った山なんかがあると最高。今年は周りの山は緑だが、2年前は山が白かったと言う。
だが飛行機の音がするたびに、大の大人がワクワクと「次は何が来るんだろう」と滑走路を覗く姿は微笑ましいものだった。
この人達は本当に飛行機が好きなんだなあ。
これが軍事マニア(会ったことは無いが広い世の中には居てもおかしくはない)ならば軍用機にだけ興味を示すのだろう。
今回出会った人達は飛行機なら戦闘機から旅客機、輸送機、山火事を消すような仕事をする飛行機、自家用のセスナ、果てはグライダーや一人乗りのヘリコプターみたいな物まで空を飛ぶ物なら全ての飛行機がとことん好きなのだ。
古い飛行機をたんねんに整備して飛ばす喜びがあれば、それを見て楽しむ喜びだってある。
そこには愛がなくてはならない。人間が愛するものは生き物だけではない。
機械や道具に対する愛も存在する。女の人にはあまり理解ができないだろう。
そしてそれを『男のロマン』と呼ぶ。

それはそうとボクは航空ショーというものを見るのは初めてだったが、なかなか楽しいものだった。
一昨年はこの横の道路を車で通っただけで、何かやってるなあ、ぐらいにしか思わなかったのだ。
ショーにはプログラムがあり、シナリオごとにその時代の飛行機がでたり、アクロバットをやったり編隊で飛んだりする。
第一次世界大戦のシナリオではフランス対ドイツの模擬戦闘である。
複葉機というのは翼が上下に2つあるものだが、ドイツ軍のやつは上中下と3枚もある。ボクは思わず言った。
「へえ、3枚なんてのもありなんですね」
「そうさ、最高で8枚なんてのもあったんですよ」
複葉機の上には機関銃がちょこっと乗っかっている。
「あれはどうやって撃つんですか?」
「上からヒモがぶら下がっていて、それを引っ張ると弾が出るんです」
飛行機はほんのわずかな距離の滑走であっという間に飛び上がった。
スピードは極端に遅く、風の中でフワフワと飛ぶ様子はイメージとしては凧だ。
ベトナム戦争のシナリオでは、地元の軍事愛好家の人達だろうか、大砲を備え付け滑走路を挟んでドンパチとやる。
飛行機が低空飛行で機銃掃射をすると、向こう側のハリボテの基地から火の手が上がる。
BGMはジミーヘンドリックスそしてドアーズ。
カーキ色のスカートにシャツ、ネクタイ、斜めに帽子を頭に載せたお姉さん方がジープでやってきて愛敬をふりまく。
遠くから見るとお姉さんだが近くで見たらオバサンだった。
第二次世界大戦のシナリオではアメリカ対日本。
ゼロ戦に見立てた緑に赤い丸は日本軍、ただしこの飛行機は中国製だそうだ。
これがアメリカ軍にやっつけられるというもの。
どうせやるならBGMは軍艦マーチなんてのがいいな。
会場の周りは盆地のような地形で、山の手前にクルーサ川が流れている谷間がある。
谷間へ煙を出しながら下っていく様子は本当に落ちているようだ。
なかなか見せるね。

プログラムは昔の戦争のシナリオばかりではない。ニュージーランド空軍の時間もある。
ハーキュリーズという名前の輸送機が出てきた。
ギリシャ語で言えばヘラクレス、ギリシャ神話に出てくる神ゼウスの息子だ。
いかにも軍用機です、といった緑色の機体にプロペラが4つ。大きさは中型の旅客機ぐらいだろうか。
それが滑走路の中程からスピードを上げたかと思うとあっという間に離陸してしまった。
「あんなに短い距離で離陸できるんですね」
「そう。作戦によっては滑走路を長く取れない場所もあるからね」
「ナルホド、そうですよね」
飛行機は急上昇である程度の高さまで行くと、機体の後ろがパカリと口を開けナンダナンダと思う間にバラバラと人が落ちてきた。
落下傘部隊である。ショーなのでいろいろとある。
飛行機は谷間を旋回し急下降、谷間に入り着陸の前に姿を観衆の前から一瞬消し、フワッと浮かして着陸するサービスぶり。
やるじゃん、ロイヤルニュージーランド空軍。
「すごおい、軍用機ってあんなこと出来ちゃうんですね。普通の旅客機なら絶対にやらないでしょう」
「うん、そうだね。それよりも日本だったらまずあんな飛行許可おりないよ」
飛行機は滑走路に着陸。メインスタンドの前を通り過ぎるのかと思いきや、ブーンという音と共にピタっと止まってしまった。
これにはボクも驚いた。だって普通、あの大きさの飛行機なら滑走路の向こうまで行って戻ってくるのに。
「どどどどど、どうやって止まるんですか。あんな短い距離で?」
「あれはね、4つのプロペラが板になるでしょ?」
「板に?」
「プロペラの向きを変えれば高速で回っているんだから、板と同じことですよ」
「ナールーホードー」
短い距離で離陸しなければならないのなら、短い距離で着陸しなければいけないのも軍用機の宿命である。
プロペラの羽根の1枚1枚が向きを変えれるようになっているのだな。
マニアの間では当たり前の事かもしれないが、ニュージーランドの南島なんて羊しかいないような場所に住んでいる人間にとっては全てが珍しいのだ。

ロイヤルニュージーランド空軍に引き続き、ロイヤルオーストラリア空軍の時間である。
突然耳をつんざく音がしたと思ったら音速のジェット戦闘機がやってきた。
ボク達の頭上を轟音と共に通り過ぎる。空気がビリビリと震える。ボクは思わず聞いた。
「すごーい!これって最新なんですか?」
「これはベトナム戦争が終わる頃出た物だから40年ぐらい前の物です。今じゃあこの機は古くてオーストラリア軍ぐらいじゃないかな、使っているの」
最新の戦闘機がこんな田舎の航空ショーに来るわけがない。
「ニュージーランドはこういうのを持っていないんですかね?」
「昔はあったようだけど、今は無いですね」
こんな戦闘機を持つ必要の無い国がニュージーランドなのだ。お隣オーストラリアからショーの為に持ってきたのだという。
飛行機は盆地を大きく旋回しながら、時々会場の真上を飛ぶ。
一般席ではテントはビリビリ震えるわ子供はびっくりして泣き出すわの騒ぎだった。
見ていると飛行機の形が変わっていく。来た時には全体の形は三角形だったのだが今は翼が横に広がり普通の飛行機の形である。
「あれって、翼が出たり入ったりするんですか?」
「そう、音速で飛ぶときにはしまうんですよ。見ていてご覧なさい。そのうち火を吹くから」
火を吹くってなんだ?と思っていると機体の後ろから大きな炎が出た。
ジェット燃料を放出してそれが燃えるのだ。サービスサービス。
ジェット燃料のムダ使い、と言ってしまえばそれまでだが、多くの人が楽しむ為にちょっとぐらいのムダ使いはあってもいいと思う。
以前読んだゴルゴ13の中で、音速のジェット機は速すぎて複葉機を撃墜できないという話があった。
確かにこの鉄の塊がぶっ飛んでくるようなやつじゃあ、あのフワフワ飛ぶ凧みたいなのはやっつけられないな。
但し、凧でジェット機を打ち落とすこともできない。
戦闘機の次は大型輸送機である。さきほどのヘラクレスより一回り大きいジェット機が会場を旋回する。
車輪を出し低空で飛行するが着陸はせずに飛び去っていった。
会場のアナウンスによると、ワナカの飛行場の滑走路はこの飛行機の重さに耐えきれないので着陸はしない。
滑走路の重さ制限なんて普段考えたこともないがここでもやっぱり「へえ、そうなんだ」である。
「飛行機の歴史、というのはスピードの進化でもあるんですね」
「そうだね」
「最新式のが出てくる航空ショーもあるんですか?」
「あります。だけど一般に公開するのは1日か2日ですね」
「残りは?」
「軍の関係者とか」
「武器商人とか?」
「そうです」
あーあ全く、と思いながらこのニュージーランドの田舎の航空ショーにいることを喜んだ。
だって砂漠の武器商人やゴルゴ13みたいなのがウロウロしている航空ショーはいやだ!
「今、最高の戦闘機はどれぐらいのスピードなんですか?」
「マッハ1,5ぐらいかな」
マッハ1,5って時速何キロぐらいなんだろう。
「今でもスピードはどんどん上がっているんですか?」
「今はスピードを上げるのより電子機器関係を進めているんです。最高速で飛ぶのは緊急の時ぐらいです。あまりにロスが大きいから。それよりもコンピューターとか、機体なんかもエンジン以外は鉄を使ってないんですよ。まあ特殊なプラスティックみたいな物ですね」
「へえ~、だけどもしボクがその最新鋭の戦闘機を見ても、何が何だか分からないんじゃないでしょうかね?」
「たぶんね」
「それよりもボクには『この飛行機は翼が3枚もある』とか『この飛行機は大きいなあ』とか『この飛行機はずんぐりむっくりだなあ』ぐらいの誰が見ても分かるような航空ショー、まあニュージーランドの田舎の航空ショーが良いです」
センセイはニコニコと頷くのであった。

滑走路のはずれから低いエンジン音と共に見たこともない飛行機が来た。
「これは何をする飛行機ですか?」
「これは水に着水できるんです」
ナルホド、言われてみれば機体の下は船底のような形をしているし、羽根だって機体の上についているのはその訳なんだろう。
「元々はパイロットが海に不時着した時の救出用。機体の後ろの方に丸い窓があるでしょう。あれがパカっと開いて人を救出します。あとは対潜水艦用に爆撃もできる。舟はダメだけどね。遅いからねらわれちゃうでしょ」
確かに遅い。ゆっくりと滑走路を走り、ゆっくりと離陸していく。
ゆっくりと飛ぶ姿はダンボという愛称もある。耳で空を飛ぶ象さんのダンボだ。こういうネーミングのセンスは好きだ。
「今はもう使ってないですよね」
「今はねえ。だってホラ、形だって古いでしょ。羽根を支える支柱がついていたりして」
「フムフム」
「今はねえ、もっともっともっとすごいのがあるんだよ。日本の自衛隊が持っているスゴイのがあるよ」
どれくらいスゴイのかボクの乏しい想像力では思い浮かばないが、とにかくスゴイんだろう。

航空ショーとは飛行機が飛ぶのを見るだけではない。
会場内にはいろいろと飛行機に関連する物を売る出店や食べ物の屋台も出る。要は飛行機のお祭りなのだ。
航空ショーのロゴが入った帽子やシャツ。おもちゃやラジコンの飛行機。パイロットが被るヘルメット。鉄製のプレート。GPSなどの電子機器。遊覧飛行やニュージーランド空軍のブースもあり、その横ではセスナなんかも売っている。
会場の外れではランドローバーがズラズラと並んでいるし、昔のトラクターや消防車の展示もある。
古い機械が好きな人にはたまらないだろう。
散歩に行っていたセンセイが帰ってきて嬉しそうに言った。
「いやあ、探していたエンジンがありましたよ。迷わず買っちゃいました」
飛行機のエンジンっていくらぐらいするんだろう。マニアってすごいな。
センセイは第二次大戦当時の飛行機を復元するプロジェクトもやっているそうだ。
個人で何百万円もそれにつぎ込んでいるらしい。その世界ではスゴイ人なのかもしれない。
そんなセンセイが言う。
「私は本も書いているんですよ」
「へえ、どんな本ですか?」
「何冊か出しているんですが例えば『日本の小失敗』。これは第二次世界大戦の日本軍の失敗ですね。いろいろとあるでしょう。補給線が伸びきってしまったとか、暗号が筒抜けだったとか、そういう大きな失敗ではなく、小さな失敗もたくさんあったわけです」
「フムフム」
「例えば戦車の操縦のマニュアル。アメリカ軍はマニュアルがマンガだったわけです。基本的に頭があまり良くないからね。それに対して日本は漢字でズラズラ書いたのを読んで暗記させたわけです。戦車の操縦を覚える前に漢字の勉強をしなきゃならない」
「ナールホド。それは面白いですね」
「まあ、そういう数々の失敗が重なっていったわけですね」
新しい知識を得ることは楽しい。
戦車の操縦を覚えるのに費やすエネルギーが少なければ、余ったエネルギーを他のことに使える。
戦争は合理性の社会だ。より合理的にやったものが勝つのは当たり前だ。
合理性というのは白人の世界で生まれた誇るべき文化だと思う。
特にイギリス系の合理主義というのはスゴイ。
どこかの本で読んだが、イギリスの交通ルールはムダが無くスムーズに交通が流れるよう考えられている。
例えばラウンドアバウトというシステムがある。交差点にあるロータリーのようなものである。
大きいものは2車線、3車線もあり幾つもの道とつながっている。小さなモノは三叉路とか十字路などだ。
これは平面の交通を交差させる場合、どうすればより安全に滞らせることなく交通を流すか、という問題である。
基本的にロータリーは時計まわりで中にいる車は絶対優先。まわりの道から来た車は右から来る車に道をゆずる。
車が来なければ、もしくは安全に入れるならば入ってよし。
ドライバーは右からの交通に注意を集中させる。左側から車は来ないしラウンドアバウト内を渡る人間もいない。
このシステムの原則としては、システムを使うヒト(運転手)がきっちりと理解することだ。
でないと、『ホラ、今、行くところでしょ!』と後ろの車に思われてしまうし、システム自体を滞らせてしまうこともある。
もう一つの原則は、ルールを守ること。
どこの観光客か知らないが一度、ラウンドアバウトを逆に入った車を見たことがある。
事故にはならなかったが、立ち往生していた。こうなるとシステムは全く機能しない。
だがそのシステムを理解している人達が使えば実に効率良く交通を捌く。
もちろんシステムにも弱点はある。交通量が多すぎると滞るので信号による規制も必要になってくる。
しかしある程度の交通量でこんなに上手いシステムをボクは知らない。
車の来ない交差点で赤信号に止められてじっと待つようなバカげたことも起こらないわけだ。
このシステムが生まれたのがイギリスだがそこには『最小の規制と最大の自制』がある。
システムが円滑に動く為に自分の心を制してルールに従う。イギリス人の美徳である。
自分を中心に世界が回っている中国や、我先にという血の気の多いラテンの国では絶対に生まれないシステムなのだ。
もう一つギブウェイというものもある。
直訳すると道を与えなさい、要は道をゆずりなさい、である。
ラウンドアバウトの周りにも必ずある。
小さな交差点などにあり、安全が確認できれば行ってよし、止まる必要はない。相手がいれば道をゆいずりなさい。
日本にはこういうのはないのかな。
全てストップ、一旦停止。これは『最大の規制』である。
見通しの悪い場所や事故の多い場所で車を止めるのは仕方がない。安全の為だ。
だが安全が確認できるところで車を完全に止める必要はない。ガソリンのムダだ。
これだって最初から人に何かを譲るという観念のない中国や、行っちゃえ行っちゃえというラテンの国では生まれない。
必要なのは自制心である。
イギリスの国民性はジョークのネタにもなっているぐらいだ。
これはドイツの真面目さともちょっと違う。ゲルマン民族は時間にも几帳面でラテンとは大きく違う。
昔働いていたペンションのオヤジが豪快に笑いながら言っていた。
「日本とドイツが戦争で負けたのはイタ公のせいだぜ。ヤツら時間通りに来ねえんだから負けるわけさ。だから次やる時はイタ公抜きでやろうぜってことになってんだ」
まあ、それぐらい国民性というものは強い。
そこでイギリス系のバカがつくくらい生真面目な性格は合理性の社会で大成功をおさめる。
人間がルールに従って機械というものを操作する。
人と物との良い関係もあった。壊れれば自分で直して使い続ける。そこには愛がある。
クラッシックカーを見るのも好きだし、昔のゴーグルをつけてゆっくり走っている老夫婦を見ると手を振りたくなってしまう。
羨ましくても自分ではできないが、そういう人達は皆暖かい雰囲気に包まれている。
蒸気機関などというモノも大好きだ。そこには当時の人類の科学の先端が常にあった。
今や過去の遺物になってしまったようなモノを、今でも大事に動かしている人達もいる。
昔の飛行機を飛ばしている人も同じ雰囲気を持っている。
飛行機の進化はそのまま文明の進化でもある。
羽根は2枚から1枚になりプロペラからジェットエンジンになった。
機体を軽くし特殊な装備を付け、コンピューターで制御するようになった。
戦うために。
人を殺すために。
悲しいことだ。
もういいじゃないか。
戦を止め力を合わせれば今の人類の科学は格段に進歩するはずだ。
過去の戦争はショーのネタにして全ての人が楽しめばいいじゃないか。
だが人間は戦をやめず足をひっぱり合っている。
戦争という経験から何も学ばず、相変わらずいがみあっている。
過去は過去として目を背けず見つめて、今何をするべきか考える時だろう。
いつまで自分は正しく相手は間違っていると言い続けるのだろう。
そこからは何も始まらないし何も生まれてこない。
古いモノに愛を持ち、皆で楽しみ合うニュージーランドの田舎の航空ショーは最後まで和やかな雰囲気だった。

3日間のショーも終わった帰り道、ボクは皆を誘った。
「せっかくワナカに来たのだから、最後にちょっとだけ湖を見て帰りませんか?」
「いいですねえ、そうしましょう」
湖を見下ろす高台に立つと町と湖が一望できる。湖の周りのポプラが色づき始めている。
イースターホリデーということもあって、湖はボートやヨット、ジェットスキーなどで賑わっている。
「いいなあ、こんな所でヨットに乗りたいなあ」
センセイが言った。センセイはヨットもやる・・・が、普段は東京湾だそうだ。
「ボクはさっきの水に浮く飛行機、あんなのをここにドカーンと着水してほしいなあ。皆びっくりして喜ぶだろうなあ」
ニュージーランドでは水上飛行機をほとんど見ない。あちこちに滑走路はあるし、それよりもヘリの方が使いでがある。
テアナウ湖にセスナの水上飛行機が1台ある。その飛行機が飛ぶ時には皆なんとなく足を止めてみてしまう。
それぐらいここで水上飛行機は珍しい。
そんな場所にこんな飛行機を着水させて欲しい。
みんながびっくりするために。
へえ、あんな飛行機もあるんだなあ、と思うために。
戦うためではなく、人を殺すためでなく、皆で楽しむために。
機械とはそうやって使うモノだろう。

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