彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『文化の変容と女性の身体像』

2008年07月12日 | 講演
7月12日、彦根駅前のアルプラザ6階で、彦根市内の3大学の先生が交代で講演を行うリレー講座の2回目として、滋賀県立大学人間文化学部准教授の森下あおい先生による『文化の変容と女性の身体像』という講演が行われました。


『井伊直弼と開国150年祭』に際して開国に関わる大きなテーマを、服の装いと言う文化と女性の身体を視点としてお話を下さいました。
 
 では、何故『女性の身体像』なのか? と言いますと、普段服のデザインをすると共に服の評価をしていると、毎年服のデザインが変わっていく事を突きつめれば「人が何を美しいと思うのか」という事に当っていきそれも突きつめると「人が身体をどのように捉えているのか?」という点に行き着きます。
そういうところから人類の歴史上、色々な地域で服が作られて変えられて今まできて居ますが、それは「それぞれの地域の文化によって形創られてきた」と言っても過言ではないと思います。
 ですから服の形を観る、人の体の形を観る、人がどのような物を美しいと感じてきたかを知る事は、その国の文化やその時代の文化を知ることに行き着きます。
 そんな意味で、開国によって文化はどのように受け取られ、その後の日本の文化の方向性を決めたのか?というところも感じてください。


 まず、人間が服をどのように作り着てきたのか?という疑問の元で研究すると、そこには風土・社会・体型の特徴に関わりながら様々な変化を繰り返して服文化を作り出してきたと言えます。
 風土は、暑さ寒さ。日本の着物が出来た背景には、比較的温暖な気候と四季があるという事で、季節に応じた重ね着や交換が可能であった事です。
一方で洋服は、比較的寒冷な地域で身体を密着させて寒さから保護をするために生み出された物です。
 それはズボンについても同じですが、服はその土地でとれる素材・風土、そして身体つきの特徴が大きく影響しているように思います。日本人の身体つきはやはり特徴としてそれほど背が高くなく、どちらかと言えば凹凸が少ないとよく言われます。服装を見る場合はやはりその特徴を生かす、良く見せる事を考えながら創られてきたこ事が歴史の流れからうかがえます。
 それが時期時期に応じて様々な変化を見せて居ます、今はそのスパンが短く、昔は長かったように思われて居ますが、細かく見ていくと帯の幅や襟の抜き方などで多様に変化していました。いずれにしてもこうした服装文化というものが存在しているのです。

そこで、日本人女性の体型に関する資料を考えると。
 身体つきに関する資料は、「人類学に分類される人骨」「服飾は日本ならば着物あるいはその文献」「美術の世界では絵画(肖像画・風俗画・浮世絵・日本画・洋画)・彫刻」そして「写真」
 写真は開国以降にドンドンと広がった物です。写真ができるまでは自分自身の姿も鏡を見ればわかりますがそれは正面だけで横や後ろはわかりませんでした。ですので写真ができた時には驚きと魅力を感じたのではないでしょうか?
体型の資料を続けると、現代に関するところで「人体計測」「3D計測」があります。現在では人の体の形は数字で知る事が出来それを3Dに出来ますが、この歴史は1950年代以降にようやく研究者の間で行われるようになった物で、それ程古い物ではなくそれを考えると日本人の過去の体型資料は思うほどにはないのです。
 こう考えると、昔の人の身体つきを数字で知る事はできず、ましてや明治時代以前となるといくつかの資料を組み合わせて知るしか手掛かりがないのです。
 もう一つ人類学の人骨では、男性の骨はお墓が残っているので比較的解るのですが、女性の骨はお墓に納まっていることが少なく、また骨が発掘されると一緒に色んな人の骨が混ざっているので一人の骨を見るのがなかなか出来ないのですが、辛うじて残っている徳川家の人骨を調べた資料を見ると、将軍や正室は食事も細やかで顎が発達せず非常に華奢な体型です。それに対し側室は庶民出身も多いので比較的背格好が大きいのです。そう考えると食事が体格に影響しているのです。

 こういう人類学の資料が科学的なのに対し、服飾や美術の文化的なものははっきりとした答えが出ません。ましてや美術の世界は作り手のフィルターを通してですので「何か意図的な変化があるかもしれない」と考えると、それをそのまま受け入れることをしてはいけません。ただし浮世絵に関しては江戸時代を通して一貫して同じ方法で作り出してきたと言う意味では、世界にこういった例は無いと言われる位に特殊な物で、したがって江戸時代の期間の美意識を、浮世絵の服飾を通して観て行く事には意味を持たせてもいいのではないでしょうか。

 もう一つ服飾の資料となる着物は、一人一人の身体つきに合わせて作っているのではなく紐や帯で着付けていましたので着物の形を捉えるのは難しいです。
ヨーロッパの古い時代はすべて個人の身体つきに合わせて服が残っているので、その時代の女性の体格は服を見ればわかります。これは大きな違いだと思いました。

 あと、日本画・洋画は、開国によって解剖学が海外から伝わり、それによって写実的な物が入ってきました。これにより浮世絵が消滅すると共に日本の中で人の姿を表現する方法が変わっていきました。そういう意味でも開国によって変化する文化の大きさがわかるのです。


 さて本題、日本の絵画による女性の表現ですが。
日本の美術においては特に近世以降『風俗画』によって女性の容姿がたくさん残されました。
 まず、安土桃山時代から江戸の初期までの『初期風俗画』
続いて、江戸時代から明治時代初めまでは『美人画』というテーマで浮世絵が描かれました。浮世絵には他のジャンルもありますが美人画は非常に人気のあるテーマだったと言われて居ます。
 江戸から明治までの長期間に渡って描かれたというのが浮世絵の特徴で、そこには小袖の女性が描かれていました。これは特に重要で何かを比較する時にデザインなどが変わっていたら比較できないのですが江戸時代は小袖を一般的に着ていて、これは身分を問わずに着ていたという不思議な現象なのです。そして単調な線で描かれる一定の描法でした。

 結局、時代や社会の中で強く影響を受けるのが人体像です。特に女性の場合は理想とする身体像が時代事に浮世絵に描かれてきました。明治に入ると写真の被写体となった女性に理想の身体像が映し出されたのです。


では、浮世絵に描かれた女性像ですが・・・
1600年から1900年の間を凡そ50年ごとに6つのグループ分けします。

○1600年から1650年“初期風俗画”
 風俗画によって多くの人が屏風や絵巻物に描かれる、平安時代や鎌倉時代の作品の中から少しずつ一人ずつにスポットが当てられていく時代。
 絵巻物に登場するような、髪の毛を長く垂らし複数の女性が描かれ、下膨れ・鉤鼻・小さな口などの典型的な昔の女性が描かれていますが個人を識別する訳ではなく、物語を伝える作品が多かったが、徐々に変わっていき女性のポーズや動作の違いなども表現されるようになり、服装も帯の位置が上がってきてからだのラインが少し解る様になってきて居ます。

 そして働く女性の姿や、衣装の表現も段々個性が出てきました。
『彦根屏風』もこの頃の作品で、これは美人画の話をする時には必ず登場しますが、洋犬を繋いだ紐を持つ女性は、典型的な小袖スタイルで、帯を下の方に締めていて独特のポーズを取って居ますが体の線がよりわかる様になってきました。またバックは背景ではなく金屏風で人物がはっきりと描かれるようになりました、この辺りから独り立ちの姿をしっかりと見るという風になってきました。

 ここで肖像画の話を少ししますと、肖像画は亡くなった後に故人の供養の為に描かれましたが、顔の識別は難しく衣装の方が細やかに描かれていました。
顔は無表情に描かれ、それは日本の絵画の特徴として明治まで続きますが、これは観る人が想像する為だったように思われます。

○1650年から1700年“浮世絵誕生期”
 世界で初めて『美人画』というジャンルが作られる時代。独り立ち姿の美人画として成立、女性の美しさを鑑賞するようになりました。
 浮世絵は元々は読み物の挿絵として描かれていた物が、絵が独立し浮世絵版画として色がつき始めます。菱川師宣の『見返り美人』などが代表作です。
浮世絵は、現世の苦しみである「憂世」と、現世賛美の「今様」の二つが合わさり出来た物で、庶民に浮世絵が愛されたのはこう言った登場の意味に隠されているのかも知れません。また、狩野派であるような日本美術の中心的なものはどんどん庶民以外のところに対象を求めるようになりました。

○1700年から1750年“浮世絵発展期”
 『錦絵』という多色刷り物が作られ、色彩表現によって繊細で美しい描写がされる時代。
 浮世絵は江戸が中心ですが、京でも描かれていました。京の浮世絵は江戸とは違う独特の様子があり女性は柔らかくふわっとした姿が良しとされ肉筆でした。

○1750年から1800年“浮世絵全盛紀”
 歌麿や清長などの有名な絵師が活躍した時代。
 自由な表現や伸びやかな女性像が描かれ、背景が入った物語性や、実在したであろう女性の名前を付けて版画として広め今で言うタレントのような存在を作り出していきました。
 鈴木春信による独特なファッションと華奢な女性。
 喜多川歌麿はすらっとしていましたが、独特の身体感を持った色気のある、上半身による女性の豊な優しさを出したり、日常のポーズで情感を描きました。
 鳥居清長は、東洋のビーナスと言われた八頭身の女性を描き、伸びやかで自由で清々しい絵を描きます。
 鳥文斎栄之は格調高く、色気を出しつついやらしくならない絵を描きました。

○1800年から1850年“浮世絵浸透期”
 幕末の流れの中で世の中が少し変化して居ますが、文化という面では非常に爛熟した日本独自の文化が花開いていた時期で、浮世絵も庶民に浸透していった時代。
 固い線描によって独特の女性像が描かれました。歌川国貞・渓斎栄泉などが非常に退廃的で以前よりも階層の低い女性を描いたと言われて居ますし、室内で描いた絵が多く、狭い間口を背を屈めて入る絵が描かれていたりして猪首・猫背になっています。

○1850年から1900年“浮世絵終焉期”
幕末から明治に海外の文化が入ってきて世の中が大きく変化する時代。
 変革期の中で非常に強い女性が描かれて居ます、また妖怪や戦国を思わせる絵など世の中の不安を表す絵を月岡芳年などが描きました。
 また明治でも活躍する楊洲周延は海外から入ってくる物も含めて描き、あっさりとしてストンとしている現代の女性の着物姿のようにも感じられます。


 これらの浮世絵のポーズの共通性として、
・膝を曲げる
・首を傾ける
・重心が前方になる
といった特徴が挙げられます、これは今の日本人にも言える様で、ハイヒールを履いたときに西洋に方に比べバタバタした感じがあるのは、膝の曲げ方や重心の取り方だったようで、西洋画に無いこの特徴が日本人の女性像としての美しさを見ている様に思いました。


では開国以降の女性像は・・・
 写真が浸透してこれまで触れられなかった女性の容姿が人目に触れるようになりました。
 アンバランスともいえる鹿鳴館スタイルが憧れの的にもなりました。演奏会という名のもとで女性が音楽をするようになりこれがきっかけで女性の海外留学も出来るようになりました。
 写真としては、明治初期はまだ高貴な物だったので身分の高い人々の家族の肖像写真や、幕末では志士たちが(坂本龍馬のように)自分の生きた証を残すような写真を撮っていました。それに比べると一般女性は殆ど撮れない、または個人が撮った物は残らず現在公になっている物は殆どが有名な人々の写真かビジネスとして海外に出た物で、また当時は写真を撮ると魂を抜かれるという迷信があり怖がられていたそうです。
 
 さて、日本はヨーロッパから文化を入れただけではなく、ちゃんと輸出もしています。特に「ジャポニズム」と言われた着物の文化がヨーロッパに魅力的なものとして受け入れられました。
 着物を仕立て直したドレスや浮世絵の女性が描かれた扇・浮世絵の人物が描かれたボタンもあります。ヨーロッパのデザインはほぼ左右対称なのですが片方に模様を寄せる日本のデザインも取り入れられました。日本は開国によってヨーロッパと相互の文化交換もあったのが興味深いと思います。

 肖像写真に話を戻しますと、自立した女性が被写体になるようにもなりました。日本で最初の女医である荻野吟子、女優の川上貞奴。非常に目がしっかりとし表情が何かを伝えている力強さがあります。

 これからまたガラリと変わり、外国人が日本のお土産として持ち帰る写真が多くなりました。この写真は色が付いた物が多いですが白黒写真に後で色を付けるのですが、当時はまだ魂を取られると言う迷信も強く残っていたのでモデル探しに苦労し、また外国人のイメージする日本が撮影されていましたので「え?」と思うポーズもあります。
 また女性が寄っている写真が好んで撮影されたようです。

明治24年になると『凌雲閣百美人』という東京の芸者100人に同じポーズをさせて写真を並べて評価をするという美人コンテンストが行われました。こういった芸者さんは名刺を作ったりブロマイドとして写真を配っていました。この頃の芸者さんは写真を怖がる事は無かったようですが、一般女性は?というと、明治40年頃には写真を怖がらないようになったようで、明治41年に時事新報社が全国で募集した美人令嬢コンクールが行われましたが、応募資格はモデルさんなどの写真を撮られる事を仕事としていない人でした。
この時の写真を見ると、芸者さんに比べると優しくふわっとして居ますが、全身を観ると太めでもたついた感じがあるとの評価があったようです。

これらの明治の写真を比べると、明治の女性は6.61頭身、1951年は6.81頭身、1994年は7.14頭身で、明治と昭和の初めでは割と近い頭身だという事がわかりました。

このような明治時代の写真から全体的な女性の特徴をあらわすと、
・頭が大きく、胸が広い(着物を着ている関係?)
・ウエスト、股下の位置は低め
・ヒップも低め
・手足は短くて、特に手は短い(昔の女性は手が小さい方が美人といわれていたので、手は隠した状態で撮るということがあったのかもしれません)
現代人よりも胴長で安定感のある体型だったと言えるかもしれません。
 そして、明治の終わりになると女性を撮影した絵葉書が登場し、これらの写真で女性はドンドンアピースをするようになり、表情が柔らかくなってきたのです。女性の見られる、見せるという意識が高くなってきたように思われます。


 現代の着物姿の女性と明治期の芸者さんを比較してみると、帯の高さが全然違い現代では随分と高い位置にある事がわかります。明治期のアンダーバストといわれる胸の下に帯がくると圧迫感が無かったと思われますし、今のタオルを詰めたり、足を長く見せるためなのかもしれませんが、帯を高く締める着方などは、日本人が長く着続けてきた着物とは違う物になっているのではないか。という気がします。
 何よりも現代人の背筋をすっと伸ばす立ち方が非常に洋服的な感覚で、それに比べ明治の芸者さんは浮世絵に出てきた仕草、日本の着物を着た女性の身体感がよく出ているように思います。
 芸者さんの写真と鈴木春信の浮世絵を並べてみると似ている部分は多く、浮世絵が作者のフィルターを通して脚色されて描かれたものである事は間違いないとは思うのですが、その時代の中の女性の美しい部分を意識して描かれた事については美人画という名のもとで多くの人に興味を持たれ、受け入れられてきた物として間違いは無いのだと思います。


まとめると、
・幕末から明治期にかけて日本は多くの海外文化を摂取し、中でも洋装に関わる織物や着こなしというものはそれ以降の現代まで到る生活様式を変えるきっかけとなりました。
 実際に日本の女性が着物から洋服に変わるのは昭和になってからの事で、最初に洋装が入ってきても一時期の社交界に見る鹿鳴館スタイルであって、一般の女性で早くに洋服を着たのは学校の先生であったりする制服的な物で、男性がいち早く洋装したのに対して女性は昭和の20年代30年代まで和服が生活の中心でした。けれども洋装が入る中でも日本人にとって和服は簡単に手放せる物ではなかったのではないかと思います。
・写真が広まった事は、女性の身体に関する意識に大きな変化をもたらす結果になったのではないか。自分の姿が分り、そして他人の姿を見て「美しい」「美しくない」が見える。こういった事は随分意識に影響があったと思います、それは見られる存在としての女性が社会に広められて、多くの人が女性の美しさを共有する様になった事に着物しかなかった時代との大きな変化が生まれたのではないでしょうか?
 着物を着ていたとしても、歩き方などの仕草が徐々に変化していったように思います。

 多くの時代において人の感心事であり、人の感性に強く結びつく身体像の表現の変化はその後の女性意識や、取り巻く社会(見る側)の視線を大きく変えたと言えると思います、結局は「物ではなく意識が大きく変えられた」という事ではないか?文化というのは形あるもの形無い物すべて含めて、人間の関わる物が文化といえると思うので、開国によって経済や政治が変わって行ったと共に、文化の中の人間の一番大事な着ている物に変化がありそして身体つきに関する意識が変わったという事は、開国による大きな一面であったのではないでしょうか。



《質疑応答》
(質問者)
 昔の着物の素材と今の着物の素材では?
 昔の絵を観ると軽い(風に靡いた)感じがしますが、自分が着物を着ていると重い感じでゴツゴツとした感じなんですが、絵などを観ると柔らかい感じがあって、素材の変遷などは逆に最近の方が重くなっているのでしょうか?
 素材によって重さが変わると、動作や仕草も変わってくるとは思うのですが?
(森下先生)
 面白く興味深いお話です。
 昔の事ですので、素材は絹であったり天然繊維である事は間違いないのですが、やはり躾の違いと身のこなしがもの凄く違うのだと思います。
 足元の草履もそうだと思いますが、今の私たちが同じ様に着ようと思っても着れない、そんな隔たりがあると思います。それは日常の生活の動作(食事や掃除など)でそう言った事が当たり前のように行われていた時代の身体動作と、今ではいくら真似てみても無理だと思いますし、絵ではどうしても一番美しく見えるように理想的な物が描かれているので、実際には明治の写真で比べてみると、庶民の服装は綿が入っていたりしてもっとボリューム感があるものになっています。
 絵には理想化された物があるかもしれませんが、日常着としての着物のあり方が過去には根付いていたとは言えると思います。



《管理人の感想》
 女性の着物や身体感から開国を考えるという視点はとても面白く、実際には絵を見てのお話でしたので分り易かったです。新たな歴史の興味を惹かれる一面でもありましたし、昔の女性の感性にちょっとでも触れられた喜びも大きかったですよ。
コメント
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