彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『ARUYO FOR JAPAN』inHIKONE一日目

2011年05月15日 | イベント
以前の告知の通り、今日は四番町スクエアーで『ARUYO FOR JAPAN』inHIKONEのイベントが行われました。

13時からのイベントだったのですが、12時前には現地入りしました。
てっきり建物の中でのイベントだと思っていたのですが、なんと外!
ちょっと緊張しました。


13時にイベント開始、まずはゆるキャラ達による募金活動から…







グッズ販売と募金の場所もありました



映画で雪の代わりに敷かれた「寒水石」

水府提灯を使ったグッズ

あとはTシャツや缶バッチ、クリアファイルなどもありました。
売り上げは義援金にもなりますし、義援金箱もありましたのでちょっと協力…

ここでMCのやまもとひまりさんが何かを描いておられます。

今回のための特別バージョン主従でした



そして14時からはトークショー『桜田門外ノ変』とその時代が行われました。
『桜田門外ノ変』支援の会のお二人と、管理人とひまりさんの四名でのトーク。
水戸では、この映画がきっかけで桜田門外の変を起したのが水戸藩であると知った現実に対し、「彦根では斬られたほうなので知っていた」というお話をしたり。
映画公開前に彦根に来なければならないと思って、支援の会のが調べられると『桜田門外ノ変』の佐藤監督が彦根でトークショーをされたということを知られて、彦根にこられたそうです。

今回は東日本大震災の支援で来られたのですが、実は茨城では文化財は東北三県よりも被害があったそうでした。
弘道館では、関東大震災や太平洋戦争の空襲でも乗り越えた弘道館碑の文字部分が崩れ落ちたり、壁や瓦が落ちるなどの被害が大きかったそうです。
そして偕楽園や弘道館を直すための支援活動でお越しになられたそうです。
この支援のテーマが『HERO』で「あるよ」のセリフで有名になった田中要次さん、「陰も陽も含めて前に進もう」とのコメントがあり

“本来なら「支援」「希望」「明日」「復興」「夢」などの言葉に向けて、
「あるよ!」と声を大にして言いたいところなのですが、
「悲しみ」も「苦しみ」も「危険」も「不安」もまだ…「あるよ」
福島の原発事故を始めとする、不安な要素も拭い切れません。
余震もまだ続き、その上、東海地震が起こる事も予測されている状況です。
だから甘んじてはならない、油断してはならないという警鐘も鳴らさずにはいられない。
そんな想いを込めて、ロゴマークには陰陽の印を入れました”

とのコメントもありました。
みんなの未来がしあわせで「あるよ」うに。とのことでした。

今回のイベントには水府提灯を販売されておられますが、この提灯にLEDでの灯りが震災の停電でも役に立ったとのお話でした。


東京で使われる提灯のほとんどが水戸の提灯なのだそうです。
すこし、管理人が話した映画に絡む歴史の話をするならば、「彦根藩邸から外桜田門までは500mほどで、辰の刻に出発して駆け足で向かっていた。映画ではそこも表現されていて、映像でそれを観たことがあるのは三船敏郎さんが主演されていた『侍』くらいだった」との話をしました。

また、支援の会が、映画誘致した時の撮影セットを作った時の話があり、東京ドーム1個分くらいの広さのセットを作ったそうです。
資金をどのように集めたのか?の一旦も訊けたりと、1時間のトークでしたがいつもと違う話が聞ける内容でした。


地震の時はセットの堀がバケツの中の水が揺れるような激しい揺れだったり、杉の花粉が塊で飛んだそうです。
本当に激しい被害だったのですね。


映画『桜田門外ノ変』が撮影され、水戸と彦根の市民レベルの交流も深まり、その中での今回の災害でした。
この映画のおかげで、もっといえば桜田門外の変が起きたおかげでできた交流によって、水戸の文化財が救われますように、そして東日本大震災が一日も早く思い出の中の話になりますように。

コメント
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