彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

鈴鹿市考古博物館と国分寺跡

2020年10月08日 | 史跡
関西本線に乗って楽ちん加太越を追体験したあと、南四日市駅まで出てレンタカーを借りる予定をしていました。

僕と彼女の2人で史跡巡りデート。
と、言えば読んでいる皆さんは甘い場面を想像するかもしれませんが、これから紹介して行く場所で2人のデート内容を理解して下さい。
しかも、ほとんどは彼女のリクエストです。

さて、南四日市駅でICOCAを通すと、2人ともエラー。
なんと、柘植から四日市の間には電子マネーが使えない区間があり処理できないのだとか…
おいおい、使えない駅で降りたならまだしも、使えない区間を利用してるからエラーってどんなシステムだよ!
仕方なく、どこか有人駅の窓口で処理してもらうことにして駅を出て車を借りに行きました。

レンタカー店では、現金払いの場合は運転免許以外にもう一つ身分証明書が要ると言われたので、マイナンバーカードを渡したら「マイナンバーカードは身分証明書として受付できません」と言われました。
おいおい、身分証明書にならないって、どうなってるんだよ日本政府!

と、朝から2つの「おいおい!」事件を経験して面白おかしく運転を始めました。


最初の目的地は、鈴鹿市考古博物館。


今回は、神戸氏に関わる史跡を多くまわるので、その理解も含めた訪問です。
展示の中には古代の埴輪などから、訪問する目的になっている沢城跡や神戸城跡から発掘された遺物などもありました。
必要があり『鈴鹿市史』一巻を購入し、古代から戦国時代までの市の歴史を調べる足掛かりを家に置くことができました。

また、博物館と隣接して伊勢国国分寺跡があります。





今回は時間の都合で入口辺りを見るだけにしましたが、イメージとして伊勢国の国府は伊勢神宮の近くに集中しているように感じていましたので、鈴鹿市にある事にびっくりしましたが、よく考えると東海道に近い方が便利だったのかもしれません。

国分寺及び国分尼寺は、聖武天皇が天平13年(741)に国家鎮護を目的として全国に建立を命じる詔を出して建築させました。
当初はなかなか建築されませんでしたが、聖武天皇が再び詔を発したために全国での建立が進みました。その総本山は国分寺が東大寺、国分尼寺が法華寺になります。
現在では、いくつかの後継寺や地名が残る程度ですので、伊勢国国分寺のように跡地が広く残している事には価値があると思います。
コメント
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