福善寺は、神戸具盛が住職を務めていたことがあるお寺なので寄ってみました。





建立されたのは、聖武天皇の御代
東大寺の大仏建立の為に行基が諸国を巡っていた時、勅命で伊勢神宮を訪れた帰りに逗留し薬師如来像を彫ってそれを安置するお堂を作った場所と言われています。
そんな古い由緒もあることから、一時期は伊勢国最大の伽藍を有する寺院であり神戸氏と密な繋がりもあったのです。
最初に、神戸具盛が住職を務めていたと紹介しましたが具盛はもともと次男であったために福善寺にて出家していたのですが、兄利盛が若くして亡くなったために神戸氏の家督を継いで還俗したのです。
それほど、神戸氏との縁が濃いため、織田信雄の伊勢侵攻では戦火に巻き込まれ、大伽藍は焼失。
江戸時代の正徳年間(1711〜16 将軍が徳川家宣、家継の頃)に再興したのです。
行基が彫った薬師如来像は戦火で失われることはなく秘仏として御本尊になっているそうです。
無住のお寺のようでしたが、季節柄彼岸花が綺麗に咲いていて静寂感がある場所でした。


立派な墓石がいくつもありましたが、埋葬者を調べられていません。


