彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

地蔵院訪問

2020年10月23日 | 史跡
鈴虫寺に行くためにバスを降りて最初に目に入ったのは、竹の寺地蔵院の看板でした。

鈴虫寺に向かうと逆方向になってしまうのですが、次に寄る事を決めましたので、地蔵院を訪問しました。

地蔵院は、細川頼之が建立した寺です。
頼之は、室町幕府初期の管領で、三代将軍足利義満を幼い頃から教育し、義満が成長すると補佐役としてサポートして一時期だけとはいえ室町幕府の力を全国に知らしめました。
そして三管領制度を固めた人物でもあります。
義満は頼之を深く信頼していて、政変で頼之が失脚するとなんとか幕政に戻そうと義満自身が裏工作を行ったくらいでした。

義満に近い人物の寺だったためか、一休さんが幼い頃に母子で預けられていた場所とも言われています。


また、『太平記』は頼之が管領に就いたところで終わっていますので、時代に区切りを付けた人物として評価されているのかもしれません。

そんな頼之が住職として宗鏡禅師を招いたのですが、禅師は師である夢窓疎石を開山の人として自らは二世と称した人物です。

細川氏はその後、細川藤孝の家系が続いていますので、地蔵院にも細川氏が関わることもあります。


さて、山門から緑豊かなお寺であることが伺えます。




本堂手前には頼之の碑がありました。


本堂をお参りし、


方丈に行くと、日本のハートマークとも言われる猪目窓が開放されています。
季節によっていろんな見え方がするのでしょうね。




方丈庭園は、「十六羅漢の庭」と呼ばれていて市指定史跡にもなっている場所です。



本堂横には宗鏡禅師と細川頼之の墓が並んでいます。



禅師は、亡くなるときに自然石のみを墓石にするように遺言し、希望通りの墓が作られました。


頼之は宗鏡禅師に倣い、自分の墓も禅師の隣で自然石のみである事を望みます。
やがて、頼之の墓から木が生えてきて石を抱き抱える状態になりましたが平成30年の台風21号でその木が倒れ、今は切り株と自然石が残っています。



2020年3月に細川元首相が、頼之の墓の裏に桜の木を植樹しました。


御朱印



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