心の風景 認知的体験

癌闘病記
認知的体験
わかりやすい表現
ヒューマンエラー、安全
ポジティブマインド
大学教育
老人心理

緊張の時間

2018-05-02 | 心の体験的日記
お茶がアマゾンの指定時間帯4-6時に配達されてくる。
それが頭にあり、今日は、3時ころからなんとなく書斎に入り
受け取りの準備をしている。
やまとの運転者の苦労を思うと、なんとなく緊張してしまう自分がおかしい。
あと1時間、がんばります。

後日談
なんと30分前に来てくれた!!
段ボール箱を玄関まで運んでくれた。
やまとさん、がんばってください

家の中も外もすっきり!

2018-05-02 | 心の体験的日記
午前8時、依頼したシルバーセンターから2人の高齢者が草取り。
午前中にはほぼ終えたようで、じつにすっきりした。

午後は、2週間に1度来てくれる、超優秀な家政婦さんが、家中を片付けて、
料理を作ってくれた。

いずれも、1万円前後の支払いになるが、
この程度なら、100歳まで生きるのでなければ老後破産は避けられる(と思う)。

人に助けられて生きていることを実感。
感謝。

居間からの光景

2018-05-02 | 心の体験的日記
正岡子規は、病床からみることのできるちっぽけな庭から
俳題を探し、詠んだという。

今の自分も、しばしば、狭い庭を眺めて、ぼんやりしながら、
子規のように俳句でも読めたらなーなどと、妄想することがある。

しかし、実際の思いは、恥ずかしながら、きわめて現実的である。

雑草が生えてきた>>シルバーセンターにお願いせねば
猫が入ってきた>>糞でもしなければいいのだが
鳥が何か餌をついばんでいる>>つかまえたいなー

せめて、映像だけでも、以下、時間順(古いほうから)にならべてみました。












組織の癌

2018-05-02 | 社会
人体組織のみならず、社会のなかに網の目のように張り巡らされている組織。
その多くの組織には、癌が発生する。

癌の面倒なところは、
増殖すること
転移すること
である。

したがって、癌を放置すると、組織全体が壊滅(死)に至る。

だから、癌は切除する。
切除が遅れると、組織全体がやられてしまう。
難しいのは、癌をやっつけたつもりでも、組織の正常な部分もやっつけてしまうことがあること。

さらに難しいのは、転移癌である。
あちこちに転移してしまうと、手が付けられない。
組織全体が癌だらけでは、生き延びるのは無理。


かくして、
「死は生命にとって最もすばらしい発明品だ」(ジョッブス、S)となることもある。
企業組織なら破産である。

低栄養を予防し老化を遅らせるための食生活指針

2018-05-02 | 高齢者
健康長寿ネットよりの引用
https://www.tyojyu.or.jp/net/index.html<<<このブログ、大変有効です。

低栄養を予防し老化を遅らせるための食生活指針 >>自分の最近1週間を3段階で

3食のバランスをよくとり、欠食は絶対さける  >> x
動物性たんぱく質を十分に摂取する>>△
魚と肉の摂取は1:1程度の割合にする  >>X
肉は、さまざまな種類を摂取し、偏らないようにする>>△
油脂類の摂取が不足にならないように注意する>>△

牛乳は、毎日200ml以上飲むようにする>>△
野菜は、緑黄色野菜、根野菜など豊富な種類を毎日食べ、火を通して摂取量を確保する>>x
食欲がないときはとくにおかずを先に食べごはんを残す>>△
食材の調理法や保存法を習熟する>>X
酢、香辛料、香り野菜を十分に取り入れる >>X

味見してから調味料を使う>>X
和風、中華、洋風とさまざまな料理を取り入れる>>△
会食の機会を豊富につくる>>X
かむ力を維持するため義歯は定期的に点検を受ける>>X
健康情報を積極的に取り入れる>>X

自伝その2

2018-05-02 | 自分史
自伝(2)
●「小学校段階(昭和24年~昭和30年)」
 徒歩で40分の小学校に通いました。今の近隣の子どもは、バス通学だそうです。
悪がきと山川を駆け回った。その頃は、学校でも寒稽古などもあったから体力作りは万全だった。しかし、荒っぽかった。すねに傷、絆創膏は当たり前だった。この中で自然に身に着けたリスク感覚は貴重だったと思います。
昨今の学校。リスク管理をおろそかにしたら学校長、一発でおしまい。しかし、ここに大いなるパラドックス。リスクなし、リスク防止の徹底が、子どものリスク感覚を奪い、リスクマネジメント力を奪ってしまう。

この「自然教育」つまり「生活と教育とが混然一体」
○誰もが生きるためにそれなりの分担をせざるをえない中で生きるすべを学ぶ
○生きるために自分を表現して周りと調整していく
くらいの意味です。
そこには標準がありません。無手勝流の教育です。育つ子供も無手勝流。今はやりの言葉をつくなら、個性尊重ですね。いやアクティブラーニングですね。
 学校教育は、「みんな一緒」が根底にあります。個性尊重とは根本では矛盾。

4年生の担任として山形から赴任してきた中年の先生。
もう退職されて90歳に近いのですが、卒業してからもずっと、毎年一回、集まってはわいわいがやがやを続けてきています。(途中、徳島など地方勤務があり、自分だけ抜けたこともありますが。)
初めて受け持ったクラスなのでという理由以外、とくにそうする理由はないらしいのですが、とても特異で我々にとっては得難い先生なので、ご紹介させていただきます。

●中学校段階(昭和30年~33年)
高校進学率が40%くらいのときです。
ちなみに、今、大学進学率53%ですから、昔の高校でかかえた諸問題が大学で起こっていることに酷似しているのではないかと思います。
ここでも、一人の教師、いや無免許英語教師の話。
代講でみえた英語の教頭先生が教壇にたった。
「起立>[「courtesy」(礼儀)>着席]
教頭先生、微妙な顔。その表情、今でも思いさせます
やがて、無免許が発覚したらしく、いつのまにかいなくなりました。