●祭を左右する棒
屋台を愛でるだけならば、棒は関係ありません。しかし、我々は屋台を担いだり押したり引いたりすることで屋台を動かします。民俗学的には些末な問題だとのことですが、祭関係者にとっては死活問題なのが、担ぎ棒です。今回は担ぎ棒に関するエピソードを紹介したいとおもいます。
●三木スタイルの担ぎ棒
明石市の屋台は、三木市のものより担ぎ棒が短いものが多く、上の映像のように落としやすいものになっています。逆に迫力ある激しい揺れが魅力とも言えるでしょう。
一方、三木の屋台は大宮八幡宮を中心にアヨイヤサーのリズムで長い距離を担ぎます。しかもマイナーチェンジで屋台自体が大型化しているので、棒は長くなってきました。さらに、かつては斜めに持たれるように担いでいたのが、ここ20年で真っ直ぐに立つように意識づけられてきており、それに伴って前後先端の背の高い人も担げるような「しなり」のある棒が求められるようになってきました。
三木市大宮八幡宮の屋台の差し上下の様子。
棒が先端に行くほど細く削られている。
●明石町
明石町檜(ひのき)棒の時代
2005年頃、屋台倉の改修にあわせて明石町屋台は担ぎ棒も替えることになりました。素材は高級木材の檜。太さは従来のものより2センチほど太いものでした。屋台倉を改修、そして棒も取り替えて新しい明石町は再出発!
と思ったのですが、硬い檜では棒がしなりません。しかも、+2センチの太さがそれに拍車をかけます。そうなると背の高い人が背筋を伸ばして担ぐことができず、一度傾いたら再び上がることは困難になってしまいました。
そこで2009年に担ぎ棒を削りました。先端部分が1センチか2センチほど直径が小さくなりました。それだけで、「しなり」が出て来て随分と担ぎやすくなったことを覚えています。
大改修に伴い棒も杉に
結局2011年、刺繍、金具、欄干の大改修に伴って棒も杉製に戻しました。また、太さも2005年の失敗を繰り返さないよう、削ったあとの太さくらいにしました。改修の勢いと、物理的な担ぎやすさが相まって、近年は元気な明石町屋台になってきています。
●下町
三木に生まれた播州最大級
播州でも最大級の屋台として知られているのが、ゴンタ太鼓としても知られている下町屋台です。モンスターとも言える巨大な姿になったのは、2007年くらいだったでしょうか。石段ではげしく落とす姿が、大宮八幡宮の祭の名物となってきました。
た。
洗練された最大級
とはいうものの、宮入や宮出に30分かかるので、様々な改善がなされます。その中で最も見事だったのが指揮系統。荒くれたちを的確かつわかりやすく堂々と指示する様子は目を見張るものがあります。教育関係者必見です。
そして、今回の主題である棒。当初は横棒を一本増やして押し上げるという方法をとっていましたが、なかなかうまくいっていなかったようです。
しかし、近年驚異的な速さで下町が宮の上に姿を表すようになりました。下町より先に宮入りする明石町屋台に着いている管理人は、ここ近年、「シモもう上がってきたんや」という声を毎年聞いています。聞くところによると、棒を細く削って随分担ぎやすくなったとのことです。
↑早く宮入するようになった下町(左端)は、明石町(右端)と一緒に担ぐことも多くなった。
●担ぎやすい屋台の秘密
よく聞くのが、岩壺神社の滑原屋台の担ぎやすさです。棒がよくしなり、見た目の割には担ぎやすくなっています。
さぞかし高級の杉を使っているのかと思いきや。。。
間伐材を譲り受けたもの(お礼としてあくらかはお渡ししたそうです)を使っているそうです。この棒がよくしなり、担ぎ手に評判のいい棒になっています。「高ければいい」ということではないのが、担ぎ棒の奥深さになっています。