月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

262.富嶋神社子ども屋台の安全対策(月刊「祭」2020.2月7号)

2020-02-22 10:01:00 | 屋台・だんじり・神輿-子どもへの指導、後継者育成-
●未来に祭を残す子ども屋台
 未来の祭を担うのは当たり前ですが、今「子ども」と呼ばれている年齢の人たちです。その子どもたちに祭に馴染んでもらうのが、祭を残すための最もシンプルな方法です。そして、その方法の代名詞といえるのが、子ども屋台です。
 しかし、このシンプルな方法はさまざまな苦労や工夫が必要となってきます。現に安全上の理由や身長が大きく違う子どもたちだけでこぶりとはいえ屋台を担ぐことは不可能です。実際に力をいれて担いでいるのは大人だけで、子どもたちは触っているだけというのが、現状のところが多いというか、管理人が見た限りではほとんどでした。
 といっても、それでは全く意味がないということはなく、子ども屋台の運行は屋台の動きや太鼓のリズムなどを身につける絶好の機会になるし、何よりも一人一人にかけがえのない思い出を残すことになると思われます。
 しかし、子ども屋台は子どもがさわるから危険が一杯です。子どもに触らせようと大人が肩から下ろして「手がき」をすると、やはり重たくなり屋台を落とす危険、子どもたちに取り返しのつかない怪我をさせる危険につながります。逆に大人が肩にいれてしまうと、子どもたちは全く屋台にさわれません。
 その矛盾を解決する見事な工夫を見ていきましょう。
 
●兵庫県たつの市富嶋神社の屋台文化
 たつの市富嶋神社の屋台は、網干型の屋台が担がれています。白木のまま金具を取り付けた屋台があったり、何度も差し上げを繰り返す連続チョーサなど、独自の屋台文化をもつ祭として知られています。
 

↑白木のまま金具をつけた黒崎屋台
 
 
 当然、子ども屋台もチョーサを、繰り返します。大人と子どもはどのようにして屋台を担いでいるのでしょうか。
 
 
 
●子ども屋台の棒わり
 上の写真であげた黒崎屋台の子ども屋台が下の写真です。練り棒のあたりを拡大してみましょう。
 
 
 
 

↑黄色く囲んだところは大人が担いでいます。つまり大人は外側を担いでいます。一方、内側の本棒を子どもたちが担いでいますが、高さを変えることで大人も子どもも担げるようになっています。また、本棒の先に横棒を渡して、そこも大人が傾げるようになっています。
 こうすることで、大人が主要な部分を担ぎつつ、子どもたちも屋台に触れられるという構造になっています。
 下に棒わり図をあげてみました。




●編集後記
 民俗学では、「今」を語ることが大事だそうです。屋台の祭の今を知るためには、担いだ時の重さや、危険さを知っていないと、分からないことがたくさんあります。
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261.ダボ-その意味と語源-(月刊「祭」2020.2月6号)

2020-02-22 01:50:00 | 民俗・信仰・文化-伝承・信仰-

●播州弁の代名詞「ダボ」
 関西弁の中でも荒いことで知られる播州弁。その中でも、東西南北で少しずつ言葉は違ってきます。例えば播州北部の加西市では、「〜だから〜」という意味で「〜やさけー〜」と言ったりしていました。
 しかし、播州弁でおそらく共通していて最も有名な言葉が「ダボ」です。「ダボ」という言葉は、播州の東隣の摂津の国だった神戸市長田区でも使われています。とはいえ、神戸市長田区では、「太陽」のアクセントがタにつくのに比べて、播州弁ではアクセントはイがやや強くなる程度で平易な抑揚になったり、長田区の子どもたちは播州弁の5W1hの疑問詞である「どい」はつかわなかったりするなど違いも見られます。
 とにもかくにも、今回は管理人もよく言われる「ダボ」について考えます。

●「ダボ」の使われ方、意味
 ダボは基本「アホ」と同じ使われ方をしていると思われます。つまり、元の意味は賢くない、という意味で使われているようです。
 そのまま単なる「賢くない」という意味で使われたり、はたまた「人として最低」という意味で吐き捨てられたりされます。一方で愛情や尊敬の念を含んだ親しみをこめたり、一本気な意思に降参したという意味で使われたりと肯定的に使われることも多々あります。
 管理人も祭の現場に行くとよく言われます^_^; 否定的意味で言われているのか、肯定的意味で言われているのかはノーコメントで^_^;

●ダボの語源
 では、曲学阿世でダボの語源を考えてみましょう。それはつまりドアホウがなまってできた言葉だと管理人は考えます。
 ここまで文章を書いてネットで「ダボ 語源」で検索してみました。出てきたサイトがこちらです。これによると韓国語語源説もあるようです。
 おそらく바보(パボ)が元になったと考えられているのでしょうか。たしかに播州人はザ行の発音がどうしてもダ行になる人が数多くいます。「全然」を「でんでん」と言うようにザ行の言葉をダ行で言う人が、かなりいることからも頷けるでしょう。
 また、ゾイ<5w1hの疑問詞>がドイに変化して定着したこと(播磨気質という本で見たはず)から播州人の「ダ行志向」という意味ではうなずきたくもなります。しかし、ザ行もダ行も舌を歯の裏につけることで発音できるという共通点があります。ところが、パ行は口を閉じてから発音する音で、舌を歯の裏にはつけません。また、播州人でパ行がダ行になりがちな傾向がある人(ポールをドール、パブをダブ)管理人の記憶では見たことがありません。なので、ダボの語源は바보(パボ)ではなさそうだというのが、管理人なりの結論です。

編集後記
 画像なしは寂しいので、足をすりむいた時の写真を掲載しました。昨年の魚吹八幡神社の祭で、大好きな丁(よろ)屋台を見つけ全速力ではしったら僅かの凹凸に躓き、派手にズッコケました。こういう行動はやはり「ダボ」と言わざるを得ないでしょう。。。
 


コメント (3)
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