月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

404.明治時代、大宮八幡宮の喧嘩最強屋台はどこ??

2022-11-27 18:43:33 | 屋台・だんじり・神輿-組織、祭全体、社会との関わり-
●ゴンタ太鼓
どこの神社にもゴンタダイコやゴンタヤッサともいうべき、気象の荒い人が集まる屋台というのがあります。きっと読者の皆様のなかでも、あの神社やったらあっこ、この神社やったらここ、というのを思い浮かべている方もいらっしゃるでしょう。
三木市大宮八幡宮では、ゴンタといえば語弊がありますが、迫力のある屋台といえば、播州最大級の下町屋台を思い浮かべる方が多いでしょう。あの大きな屋台をかつぐのは、よっぽどの気概がないとつとまらないようにおもいます。

しかし、この記事では、昔のゴンタ太鼓は新町だったことが書かれていることに触れました。これは、明治四年(1871)のことです。しかし、喧嘩がもっとも強い屋台はべつにあったとのことです。


●昭和二十五年(1950)座談会「明治初年の三木町」*より
上記座談会の記録によると、明治四年(1971)ごろに生まれたとおもわれるM氏が、興味深い発言をしています。
「喧嘩をよくした。屋根の瓦をめくって放つたりした。」
めちゃくちゃですね😅
まあ、今でも毎年のように喧嘩はありますが、瓦を放るなんてことは、なかなかありません。M氏がものごころついたころと考えると、明治十四年ごろの話でしょうか。そして、M氏は続けます。

●喧嘩最強は、、、













「一番強かったのは上町でした
まさかの上町でした。


今となっては、家の件数がおそらくもっとも少なく屋台の保持を断念した上町です。その状況は明治時代でも同様とおもわれます。人数が少ないはずの上町が強かったのは一人一人がスーパーサイヤ人のようにが喧嘩がつよかったということでしょうか。さらにM氏は続けます。

「上町は旦那衆で太鼓かきの人を雇つたから、そいつが強かつた
江戸時代の檀鶴が出ていた文政時代ころまでは、上町の庄屋さんのご子息は、当番の年は檀鶴で能を奉納していたようです。その他のもろもろの「担い物」をするのは雇われ人とのことで、主役が屋台になってからも、人を雇う祭はしばらく続いていたようです。

*編輯・青甲社編集同人『青甲 八、九、十月号』(青甲社、1950)所収
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403.前後の逆転、上下の逆転-鳥居清満の橋合戦-(月刊「祭御宅」2022.11月3号)

2022-11-27 11:43:00 | 民俗・信仰・文化-社寺、神仏像、祭具工芸-
●ボストン美術館所蔵の浮世絵展
兵庫県立美術館で2022.9.10から11.20まで、|| ボストン美術館所蔵 THE HEROES 刀剣×浮世絵 -武者たちの物語という特別展示がおこなわれました。
今回はその中の、鳥居清光作、宇治の橋合戦を題材にした絵について、「あれ?」ということがあったので、それについて書いていきます。

宇治の橋合戦
まずは、平家物語(リンク先122コマ目*)で、筒井浄妙の橋合戦のおおよその内容をみていきましょう。
多数の平家の軍勢と宇治川を隔てて戦うことになった、僧兵の筒井浄妙。人一人しか通れない狭い橋の上で、最前線にて死を覚悟しながら戦います。
その最中に、同じく僧兵の一来法師が、「悪しう浄妙」といって浄妙を飛び越えて、最前線にうってでました。一来法師は戦死、浄妙はなんとか生きて平等院にもどった
というところまで、管理人は読みました。そのあと、浄妙がどうなったかはウィキぺdアなどでしらべてください^^

●一来法師が浄妙を飛び越える平家物語
 「平家物語」では一来法師が浄妙を飛び越えていました。展示されていた絵のうち、一点は名前がありませんでした。北尾重政による天明七年(1787)の作品です。

一方、鳥居清満による宝暦五年~十三年(1755-1763)頃の作品では名前が書かれています。しかし、よく見ると、飛び越えている上側が浄妙、飛び越えられている下側が一頼(来)法師となっています。つまり、平家物語が指し示す場面とは上下が逆になっています。では、なぜこのようなことがおきたのでしょうか?




●古典の読み違い??(管理人妄説)
 さて、上のリンクにある平家物語の本文を引用してみます。
「一来法師という大力剛の者、浄妙坊後ろに続いてたたかいけるが」
 「浄妙房甲の錣(しころ)に手をおきて、悪しう候浄妙坊とて肩をつんど跳り(おどり)越えてぞ戦ひける。」
太字でしめした「が」はこの時代の言葉では、所有をあらわす「-の」の意味になります。「我が故郷」の「が」は、「私の故郷」という意味で考えられるでしょう。
しかし、同時代のものと考えられる「化け物の嫁入り」という本では、「-ができます」と、現在と共通する主格の助詞としてつかわれています。「が」を今と同じ、主語につく言葉として平家物語を読むと、
「浄妙坊が後ろに続いて戦う」ことになり、「甲の錣(しころ)に手をお」いた、誰が?、「浄妙坊が」ということになります。
このような、絵がかかれた江戸時代と平家物語が成立した時代の言葉の違いが、武者絵の逆転現象を生んだのかもしれません。

*永井一孝 校注『平家物語』(有朋堂、大正11)
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