月刊「祭御宅(祭オタク)」

一番後を行くマツオタ月刊誌

293.太鼓のつけ外しの移り変わり(月刊「祭」2020.7月3号)

2020-07-25 21:42:00 | 屋台・だんじり・神輿-台車、骨組み、かけ声、楽器、担ぎ方-
●屋台の主要部分・太鼓
 屋台全体を意味する言葉ともなる太鼓。まさしく、屋台全体の核ともいえるのが、太鼓であるといえます。それを取り外すことによって祭が始まったり終わったりすることにもなります。今回は太鼓の取り外し風景の変遷を我らが明石町屋台の例を中心に見ていきます。
 
 
●太鼓は上から、下から道具を使わずに
 今でも三木市内の屋台は、太鼓を欄干の上から取り外しを行うところが残っています。岩壺神社のいくつか、そして志染の御坂神社旧の志染中屋台などです。志染中屋台は外すときに「打ってくれ、もひとっせ系」の口上をのべて、太鼓を打ってから最後に太鼓がはずされます。
 同じ御坂神社でももう一台の安福田屋台は屋台を横に傾けて下から外していました。いずれにせよもともとは、道具を使わずに太鼓を外していたのが伺えます。
 
 

↑志染・御坂神社で太鼓がはずされる旧志染中屋台

 

●つりあげてはずす

 管理人が明石町青年団に属している時は、屋台倉の梁にチェーンブロックをぶら下げて屋台全体を上げて下から太鼓を抜いていました。このやり方は2004年まで続きます。そして、2005年、屋台倉の改修を機に太鼓の取り外しにも大きな転換を迎えます。

↑チェーンブロックが吊された梁

 

↑吊されていたチェーンブロック


↑チェーンブロックで屋台を吊り上げて、下から太鼓の取り外しを行っていた。

↑横からみると
 
少しだけ違う方法
 同じチェーンブロックを使う方法でも、少し違う方法をとっているところもあるそうです。神戸市海(わたつみ)神社の塩屋屋台では、チェーンブロックを使わない反対側を人力で担ぎ上げて平行を保ちます。そうすることで、屋台に太鼓をぶつけず取り付けができるようになります。

↑塩屋屋台の場合。情報提供してくださった塩屋屋台のkさん、ありがとうございました。
 
 

 

●2005年の屋台倉改修

 屋台倉の改修に伴い、倉自体に太鼓を楽に取り付けができるシステムを作ることになりました。このシステムは、三木では末広屋台がさきがけて行っていました。


↑改修中の明石町屋台倉。屋台内を太鼓取り付け用の台車が倒れるように背を高くしました。
 
当時から普及しつつあった太鼓付け替えシステム
 今から紹介するシステムは、2005年当時には三木では、大宮八幡宮や岩壺神社の各屋台などに徐々に普及しはじめていたようです。
 
①まず、倉の屋台中心部(本体)が通る道にの床に穴を掘ります。太鼓+人が両サイドに2人は入れる程度の広さと深さが必要になります。
 
②その穴の両サイド外側を倒れる台車を作ります。

 

③使わない時は、木の板で穴を埋めています。写真上から2番目の板は取り外しができるための紐がとりつけられています。

 

④実際に取り付けを行う時は、下に人が入り、台車を潜らせて太鼓を下ろしたりあげたりします。

 

!太鼓取り付け用穴使用上の注意!

 穴に入る人はお腹の中のガスを溜めたまま入らないようにしましょう。うっかり、溜めたガスを穴の中で放出すると、相方への残酷なテロとなります。某ボンクラ祭ブログの管理人こそがテロリストという噂も!?